10話‐3 悠久の停滞
「むしろ心配なのはシュゼットの方かな。何でかわからないけど、前、変な別れ方しちゃったし……」
「シュゼット?」
「あのね、フェニックスの……」
「そなたが今代のソース、高泉敦か!」
ティアーの言葉を遮るようなタイミングで、誰かが声を張り上げた。上の方から聞こえたその声に、洞窟内の魔物達は一斉に同じ方向を見上げる。俺も彼らの目線の流れに釣られる。
この洞窟広場にはところどころ、横穴が空いている。その中のひとつに、女の子が立っていた。
黒く長い髪を右耳の下で束ねている。上半身はゆったりとした布でくるみ、下は大きな鳥の赤と黒の羽根を幾重に重ねるようにした、独特のスカート状になっている。人間の島ではまずお目にかかれない奇抜ないでたちではあるが、それ以外は特に何もなく人間そのものといった容貌をしている。
外見としては俺や豊と同年代の少女と代わりない。細身ではあってもしっかりと引き締まった筋肉の感触が見られるティアーと違い、少女の全身の輪郭はひたすらに華奢だった。
「そうだけど、君は?」
「私はレッド・フェニックス=ディモス。そなたの力、今ここで試させてもらう」
有無を言わさぬ言い方で、彼女は威圧してくる。
「試すって、何のために……」
「個人的な関心事、という以上の理由はない」
「そんな無茶な……第一、ここにはこんなに魔物がいるじゃないか。巻き添えになったらどうするんだよ」
「そなたがソースであるなら、たやすく防げる。その力を疑う者は魔物にはいないさ。ここにいる連中もそうだろう」
しれっと矛盾したことを言ってくれるものだ。疑っていないなら力を試す必要なんかないだろうに。
「やりましょう、敦さま。力をセーブせず魔術壁を展開せよと、彼女が言っているのはただそれだけです」
サクルドが現れたってことは、臨戦体制になるべき時ってことなんだろう。
それぞれ両傍に立つティアーと豊の表情を確認する。ふたり共、俺の力を信じてくれているのが伝わった。
「私はここより、炎のひとしずくを落とす。そなたはこの場にいる全員を魔術壁で防護せよ。見事しのいでみせたなら、今夜、私の膝もとにてかくまうことを認めよう」
「わかったよ……」
あれこれ考えても仕方がないので、さっそく魔術壁のイメージを展開する。魔術壁は自分自身を守るイメージをすることで、自分の周囲を包み込む。 とりあえずいつも通りにやってみたが、今回は自分だけを守ればいいわけじゃない。この大人数を魔術壁で囲わなければならないんだ。
「洞窟全体の様子を目で確認して、魔術壁の必要となる範囲をイメージしてください」
見渡すと、魔物達はこの状況を宴の肴にして、やんやと楽しげにはやし立てている。茶化す様子ではあるが、声援らしき言葉もたくさん投げられて少し嬉しくなる。
俺とティアーと豊以外はみんな腰を下ろしたり横になったりしているので、自分の目の高さからおよそ一メートルの高さがあれば事足りる。そう判断して頭の中で魔術式をたどると、俺自身を囲んでいたエメラルドの光が広がった。ドーム状に拡大した光に包まれて、魔物達が歓声を上げる。
「準備は出来たようだな。私は手を抜かない。そなたも気を抜くな」
「わかってるよ」
イメージするのは、初めて魔術を放った時のこと。今も腰に下げている、オルンがくれた石ナイフに刻まれた火種を魔力の制御も何も知らずぶっ放したあの時のように、無心に魔力を解放しよう。
フェニックスは胸の高さに人差し指を掲げ、左から右へ流す動作をした。ぽとり、線香花火の火種が落ちるようなしずくが出たと思った瞬間にはもう燃え上がっていた。洞窟の天井が見えなくなるような視界いっぱいの炎の波が押し寄せたかと思えば、やはり燃え盛った状態の花火をバケツの水につけた時のように、魔術壁に触れたとたんにあっけなく散った。一瞬の静寂の後、魔物達の大喝采によって俺は緊張が溶けた。
「いいだろう。ムシュフシュ、ソースをここへ連れて来い」
先ほどの獣、ムシュフシュがこちらへ歩み寄ると、尖ったしっぽの先で自分の背中をしめしている。乗れ、ってことだろうか。そう思ってそいつの背中にまたがると、ひと跳びでフェニックスのいる横穴に到達した。肩に乗るサクルドがさりげなく、ちゃんとつかまった方がいいですよと知らせてくれなかったら、振り落とされていたかもしれない。
「ちょっと、シュゼット!」
遥か下から、ティアーが抗議の声を上げている。
ムシュフシュの背中から降りると、横穴の天井は俺の身長スレスレの高さしかない。俺より少し背丈のある豊だと、腰を屈める必要がありそうだ。天井は低いがそこそこ広さがあるのであまり窮屈さはない。数人で休んでも余裕があるだろう。
「ティアー、そなたは今晩の糧でも探して来い。心配しなくてもソースに危害を加えたりしない。横の者、そなたはどうする?」
「俺が見張っとくよ、ティアー」
「うー、わかったよぅ……でもさー、シュゼット! この間から何を怒ってるのよー! あたしが何かいけないことした!?」
「虫の居所が悪かっただけだ。……すまないことをした」
「え。いやぁ……なら、いいんだけどさ」
一転して心から詫びる、優しい声色。そんなフェニックスの態度に釈然としないものは感じながらも、しぶしぶといった調子でティアーは彼女の指示通りに出かけていく。
そんなティアーを見送ってから、フェニックスは横穴のどん詰まりまで歩く。腰を落とし、背中を壁に落ち着かせる。やや険悪な表情で俺を一瞥すると、無言で手招きした。
ティアーもいない、豊はまだこの横穴にたどり着いていない。ひとりで判断しきれずに、所在なく立ち尽くしていると。
「何を呆と突っ立っている。私の目前に来い。でないと話もし難いだろうが」
あきれるような、またちくちくと挑発的なフェニックスの声が投げられる。俺の横にいたムシュフシュが無言で彼女のもとへ歩み寄り、その膝の上にあごを落ち着かせる。狼のティアーと何ら変わらないしぐさにほんの少し気持ちが安らいだ。
彼女の目の前に腰を下ろし、挨拶をしようとして、先ほどあんなやりとりをしたのに「はじめまして」は不自然なように思った。おまけに、相手は俺の名前を知っているらしいことも思い出す。ティアーの友達ってくらいだから彼女との会話で知ったのだろうか。
「え、っと……君の名前は『シュゼット』でいいのかな」
ティアーが呼びかけた名前を一応確認しておく……ただそれだけで、フェニックスは露骨に嫌そうな顔を見せる。名前を聞いただけで地雷っぽいのにどう会話を続けろというのやら。
「そなたにその名を呼ばれるのはいささか屈辱ではあるが……そうさ、私の名はシュゼット」
「シュゼットって、人間の島だとデザートの名前なんだ。俺も結構好きで……」
「そうだろうな。何せ、この名はティアーから与えられたものだから。人間の嗜好食品の名前だなどと知らなければ、純粋に友より与えられた名として後生大切に思えただろうに」
「へ、そうなの?」
「ああ。ティアーはこの類において、そなたと過ごした日々に影響を受けすぎて困ったものだよ。アレの人間名、『海月涙』というのも、そなたが付けたも同然だろう」
「俺、そんな覚えないんだけど」
くらげ、だの、なみだ、だの。人間名としては悪趣味すぎる……と、思わず口に出しそうになって思いとどまる。
「ティアーという名はそなたが野良狼に付けた名だろう。人間名に当てはめると、それが『涙』なのだ。くらげというのはそなたがアレに好きだと吹聴したのだろう? さしものエリスもくらげはあんまりだと説いたのだが、ティアーは折れなかった。妥協案として『みつき』と読ませることにしたのだ」
あまりの真実に唖然としてしまう。俺は内心、『涙』なんて名前はティアーの性格には不釣り合いだ。くらげの意味を持つ『海月』の名字はどうなんだ、なんて思ってきたんだ。それが、蓋を開ければ全て俺のせいだったなんて。
「おーい、敦ー。無事かー?」
どうやらここまでよじ登ってきたらしい豊が、入り口から声をかけてくる。服の汚れを払いながら歩いてくるが、天井が低いので腰をかがめている。
「無事か、とは人聞きの悪い。手出しはしないと言っているだろう」
「あんなチンピラみたいな喧嘩の売り方しておいて、心配するなって方が無茶だろ」
「そなた、名は」
「ユイノ。あんたはシュゼットだっけ?」
「ユイノ? ……そうか」
「何だよ」
含みのある言い方に、豊は眉をひそめる。何でもない、投げやりな調子でごまかして、シュゼットは豊から目をそらした。
……それにしても、暇だ。
これまで空いた時間があればエリスかライトの指導を受けていたのだから、こう何もすることがない一日というのは随分久しぶりだと思える。
横穴の出口から足をぶら下げるように腰かけ、豊と世間話して時間を浪費する。眼下には洞窟内いっぱいに、魔物達の宴会の様子が広がっている。
滝の方へつながる通路に、ティアーと、彼女より頭ひとつ分くらい小柄な少年の姿が見えた。少年の背中からは二対の、白い、大きな腕が生えている。形状からして、腕っていうよりたぶん、あれは骨だ。彼の背丈より大きな骨。エリスがエルフの体の内側に隠し持っている骨を思い出すけど、あれと似た仕組みだったりするのだろうか。
その、骨の腕が、二本揃って手招きするジェスチャーを見せる。
「ちょっと、行ってくる」
「知り合いか?」
「これを作った魔術師だよ」
豊が今も身に付けている、ヴァンパイアの保護着である黒と赤のローブをしめす。そのまま飛び降りると、どういう調整をしているのか、少年の目前にぴったり降り立つ。
背中に今日の食材を背負っているらしいティアーは、手を振りながらこちらを目指して駆けてきた。




