9話‐4 森の生霊
話の流れ、というか場の空気を変えたくて、適当に疑問を投げてみる。
「その……ローナが歌っているのは?」
「これはティネスを送るために奏でられた曲だよ」
「ティネス?」
「……源泉竜さまの第一子。すなわち人類の最初のひとりですね」
「なにぶん、最初だからな。丈夫な体に生まれなくって、十年経つか経たないかで死んでしまった子なんだ。それでも前向きで、声かけるとにっこり笑ってな。そのティネスがさ、毎日のように何か口ずさんでいた。今、ローナがそうしているように。けれども弱ってくるとそう元気に声を出せなくなって、歌うこともなくなっていった」
「ティネスには、連れ添いとして第二子のクークさまが仕えておられました。ティネスが弱く生まれてしまった反省を込めて、現在の人間と較べてもなお頑強であるように作られました。その彼が、ティネスの生きた証を残したいと。彼女の口ずさんだメロディをきちんと形にしようと願ったのです」
「そんで生まれたのがオレ達、パンってわけでな。オレ達は笛を抱えて生まれてくる。暇さえあればいつだって笛でこの曲を奏でるのさ。その笛はパンにとっては半身のようなもんで、片時も手放すことはない」
「ふーん……アッキ―の笛はどういうの?」
「もう持ってないよ。手放してしまったから」
アッキ―はその後を告げない。ここで終わられると先の説明と矛盾するだろうに。
「敦さま。実はこの場所、ローナが守っていた地脈なんです。地脈というのは大地に流れる魔力――このエメラードは源泉竜さまの領地でしたから、源泉竜さまの魔力が今も大地に息づいています。ニンフというのは大地であったり大樹であったり、そうした自然の魔力の化身です」
「えーと……ニンフっていうのは、自分が生まれた地脈を守っているんだな」
「そういうことです。地脈は魔術道具を作るのに活用出来ますが、そこで生まれたニンフを殺めてしまうとバランスを崩し災害を起こすこともあります。だから優秀な魔術使いはニンフと契約し、持ちつ持たれつの関係を築くことが多いんです。……だからこそ、今のようなローナの状態は危険がありました」
言いながらサクルドは、ローナの目の高さまで動き、右へ左へ適当に移動してみせる。案の定、ローナの眼球はぴくりとも動かず、サクルドの行動を気にも止めない。
「あー……、なんだ。ローナごと地脈を自分の好きにしちまおうって輩が出てくるだろうな」
サクルドが言葉を続けないのを察して、しぶしぶといった感じでアッキ―が話し始める。
「そういうのはごめんだったから、オレが先にそうしちまったってことさ。オレが彼女からこの地脈を奪った。当然、そんなこと簡単に出来るわけじゃない。パンにとっては自分の半身とも言える笛を、この地脈に捧げるのと引き換えにな」
アッキ―の言葉が終わるか終わらないかというタイミングで、
「んん~……っ」
ローナの膝枕と、子守歌のような音色に包まれて眠っていたティアーが、身じろぎをした。もぞもぞと左右に寝返りをうち、狼の耳がぴくぴくと動く。左腕で思いっきり伸びをしたと思うと、黒い瞳がすっきり開いた。
「敦だ! 久しぶりだね!」
寝起きの良い彼女らしく、気持ちの良い笑顔で跳ねるように立ち上がった。
「もう具合はいいの?」
「それはこっちの台詞だって。腕、もう平気なのか?」
「ばっちりだよ! ライトが手伝ってくれるっていうし、今日から狩りもしないと。アッキ―にお礼もしなくちゃいけないしね」
「一応、今夜もティアーはここで休むんだ。せっかくだから君も泊まるかい?」
「え、いいの?」
「見ての通り、ここはスペースに余裕がある。ひとりやふたり増えるくらいどうってことないさ」
「ここは魔力で満ちてて寝心地がいいんだよー。あ、敦は魔物じゃないから関係ないかもだけど」
ほのかな賑わいの中で、注目の中心から外れても、ローナは一人で歌い続ける。用は済んだとばかりにサクルドは姿を消していた。
「ねぇ、トールともう話した?」
「ああ、挨拶くらいは」
「何年かぶりなんだよね。積もる話もあるって感じ?」
「まあねー……」
忘れていたわけじゃないけど、透のこともあるんだった。ほんの少し疲れも見えるけれど、いつも通りに元気なティアーの様子に俺は安心して、悪く言えば気が抜けた。彼女と別れてから数日の気疲れが抜け落ちるようだった。
ライトとティアーが夕食を探しに出るのを見送ろうと、俺も一緒に外へ出る。透は小屋の壁に寄りかかって座り、シャツのボタンをきちんととめているので先ほど全開にしてあった胸の中がどうなっているのか、今はわからなかった。
「よぉ、お疲れさーん」
「今日は何もなかったから、別に疲れてないよー」
「けど、ずっと見張りをひとりで任せちゃってるんだし、ねぎらわないとね」
「ティアー、今日は元気だね。昨日までの落ち込みようが嘘みたい」
「もー、そういう意地悪なこと言わないの!」
ライトやティアーと自然に会話している透の姿は、何だか感慨深かった。俺の知っていた透は、同年代の友達が存在しない土地柄、俺や家族とくらいしか話しているところを見られなかったから。
石平原には木がまったく生えていないから、空が広く広く感じられる。エメラードは年中夏の陽気で、青空の時間が長い。今も、まだまだ日暮れまで時間がありそうだった。
「明日もいいお天気だよ」
「今からそんなことがわかるのか?」
「わかるよ。そういう音がするからね。君が今、どんな気持ちでいるのかも聞こえてる。ゴーレムは音に敏感だから」
どうしてだろう……透は人間の島で家族と共に暮らしていたあの頃よりも、生き生きとしているような気がする。死の恐怖がなくなり、ベッドに縛られた生活は終わったとはいえ。家族を失い故郷から遠く離れて、そう割り切れるものだろうか。
「不安なんだね。もしかして、エメラードに来てから仲間が側についてないの、初めてなのかな」
「お察しの通りだよ」
情けない話だが、透の言う通りだ。エメラードに来てからは、俺にはひとりきりの時間というものがなかった。ティアー、豊、ヴァニッシュだけでなく、ライトもエリスも気のいい奴らだったからすぐに打ち溶けられて。俺は彼らが側にいて守ってくれることに慣れきっていたのだ。
「でも、心配いらないよ。ここにいる間はぼくがみんなを守るからねー。あ、知らないと思うけど、ゴーレムって元は兵器みたいなものだからけっこう強いんだよ」
少し誇らしげに言った後で、透は小さくため息を吐いた。口で言うような誇りとは程遠い、沈んだ表情を覗かせて。
「せっかくティアーがいないんだし、いいこと教えてあげようか」
「いいこと?」
「彼女に口止めされてるんだけどね、こっちは君が知っていていいことだと思うから。知りたいなら話すよ」
「……知りたいよ、正直に言うと」
ティアーが秘密にしたがっていることを聞き出すのに、罪悪感もあった。が、結局迷ったのもほんの一瞬で、好奇心に負けた。
「依里にいた頃にさ、きみが山の方で泣いてるのを大人が見つけたことがあったよね」
「あー……あったなぁ、そんなことも」
そう答えると、忘れたふりしたって無駄なんだけど、なんて透は意地悪っぽく煽ってくる。
「あんなところで何をしてたんだろう、何かあるのかな……って思ったから。ぼく、おかあさん達の目を盗んでこっそりあそこへ出かけたんだ。そしたら、そこに素っ裸の女の子がいるから、もうびっくりしちゃって」
「素っ裸? 俺、そんなの知らないぞ……あ」
「わかった?」
「ひょっとして、ティアーなのか?」
うんうん、と満足そうに頷く透。
「本人はいらないって言ったけど、人間の島にいて裸のままじゃ困るって説得して、おかあさんのワンピースをこっそり持ってって着せてあげたんだ。それから何日かかけて話を聞いて、事情がわかって。落ち着いてきたら、今度はきみに会いたいって頼まれたよ」
「俺に……」
「そう。敦くん、ティアーに名前をつけたのはいいけど、自分の名前教えてあげなかったんでしょ。それもぼくが教えたんだよ」
そういえば、依里での俺と狼のティアーの関係は、こっちから一方的に話しかけるだけだったから、わざわざ名乗ったりしなかったんだ。狼相手に自分の名前を嬉々として伝えるのもおかしなことだし……そんないい加減な気持ちで相手しておいて、「友達」なんて。振り返ってみれば図々しい気がしてくる。
「だけど、あの大地震からしばらく、敦くんは元気がないっておにいちゃんが言ってたからさ。元気になった頃を見計らってティアーをごみ山から連れ出したんだ。……今さら言ってもしょうがないかもだけど、それがまずかったのかも」
それほど深刻ではないが、透はちょっと落ち込んだような顔をした。
「ティアーは、元気にしてる敦くんを見て、自分のことを忘れてきみが立ち直ったと思ったんだよ。だからきみに会わないまま、エメラードへ向かうことにした。忘れられるのは寂しいけど、それで敦くんが元気になれるんならその方がいいってね。だけど、きみは別にティアーのことを忘れたわけじゃな くって、心の奥底で引きずってた。そうでないとごみ拾いに精を出したりしないでしょ?」
先手を打たれなければ反論するつもりだったが、確かに。あまり認めたくないが、あの体験がなかったら……部活動で一人きりになってもなお、ごみ拾いに執着する俺はいなかっただろう。趣味らしいものでもあれば他の部活を選んだかもしれないが、あいにくとそういうこだわりもなかった。
「だから、本当は敦くんが自分のこと忘れたわけじゃなかったって知って、ティアーは本当は嬉しかったんだ。でもそれが敦くんの足かせになっているのも現実だったから。素直に喜べなくって、複雑な気持ちだったみたいだよ。ぼくがあの時、すぐにでも敦くんに会せてあげれば、何年も誤解し合うこともなく……ふたりはずっと一緒にいられたかもしれないなー、って思ったんだ」
「そんなの結果論だろ。八歳の俺が、狼と思ったら人間……じゃなくて、魔物か。魔物でしたー、なんて言われて、元通り友達気分で接するかなんてもうわからない。さすがに脅えるかもしれないじゃん」
「きみの性格からして、その可能性は低いと思うなー。第一、それで脅えるなら野生の狼に気安く近寄ったりしないんじゃない?」
「う……まぁ、そうとも考えられるけど」
あれは、狼じゃなくて野良犬だと思ってたっていうのもあるけど。どちらにしてもかみつかれる危険性に違いはないのか。




