9話‐2 森の生霊
……その女の子は、「巨悪を野に結び封じる」という意味を込め「結野様」と名付けられました。
ゆうの様はその命と引き換えに、どんなに凶悪な魔物であろうと大地に封じることが出来ました。その封印は何者にも解かれることのない、類稀な力でした。
ゆうの様は生まれた時から自らの宿命を受け入れ、定められし時まで心穏やかに過ごされました。民に心配をかけぬように気配りをされて、いつでもかわいらしい笑顔を見せてくださいました。
依里が魔物に襲われたのは、彼女の十回目の誕生日の宴の席でした。魔物は闇色に染まった骨竜でした。ゆうの様は恐れず立ち向かい、民に犠牲を出すことなく定めを全うされたのです……
「なんだこれぇ。ばっかみたいな話!」
当時の絵師の手記から借用したという挿絵と共に、その文章を読み終えた俺の感想がコレだ。
「敦くんはこの話のどこが嫌いなの?」
俺の反応に、透は彼らしくない不満そうな顔を見せた。
「いくらみんなのためだからって、なんで十歳の女の子がひとりぼっちで死ななきゃなんないんだよ。この子にだってお父さんとかお母さんとか友達とかいたはずだろ? 小さな女の子だけを魔物と心中させて他のみんなは幸せに生きてるなんて不公平じゃんか。それでこの子を犠牲にして助かったやつらは反省もしないで、いい話でした~、みたいに語りついだりして。だからばかみたいだって思う!」
「でも、自分を犠牲にしたゆうの様がどう思ってたかなんて、ぼくらにはわからないよ」
「どういうこと?」
「たとえば自分がみんなの為に死んでしまっても、ぼくが死んだ後にたくさんの人がぼくのことを覚えていてくれたらうれしいって思う。現にゆうの様の名前は、今でもみんなに大切にされてるじゃないか。だけど、それはぼくの感想とゆうの様がそう思っているかもって想像の話だから、敦くんがそう思うのが間違いだって言うわけじゃないよ」
当時の俺は今以上に遥かに子供だったから、思いがけない透の反論にふてくされる態度を明らかに、その日は彼の部屋を去ってしまった。
そんなことがあってすぐに狼のティアーとの出会いがあったから、俺はますます、透と会って話す機会を減らしてしまう。
透は自分からあれやこれやと話すのではなく、人の話にひたすら相槌を打っている印象があった。相手を攻撃するような発言はおろか、反論さえしてこない。今にして思えば、自分の意見を押し殺していたのかもしれない。
そんな彼だから、自ら反論して、喧嘩……というには穏やかすぎるとは思うが、とにかく。口論のようなやり取りにまでなってしまったのはあの日の「ゆうの様」の一件が最初で最後だ。だから、透のことを振り返ろうとするとどうしても、この苦い出来事が鮮明浮かんでくるのがしんどかった。
神様だとか勇者だとか、物語の中で、まるで生まれながらに突出していたかのように語られるものが嫌いだった。その為に犠牲になった人間の物語なんて、実話だろうが作り話だろうが冗談じゃないと思っていた。
そんな俺がよりにもよってソースだなんて、誰が決めたのか知らないがまったくもって皮肉な運命だよな……。
積もる話はさておいてと前置きしてから、透は手招きをして俺を誘った――本人にとってはどうでもいいことなのかもしれないが、胸から腹まで開けた状態で歩き回られるのは見ていてちょっと落ち着かない――それに従って着いた場所は、石小屋の入り口の前だ。
扉も石で出来ていて、薄い板状をしているらしい。人間のように機械を使えるわけでもあるまいし、どうやって石か岩を板状に出来るのか想像も出来ないが。さらにその扉にはびっしりと魔術式が刻まれている。
「ミクちゃーん、開けるよー」
コンコン、間を開けてまたコンコン、透は拳で計四回戸を叩く。さらに数秒の間を置くと、透は両手のひらを扉に押し付けた。すると、石の扉は消失し、同時に小屋の内からは何やらこもった匂いが噴出して、俺は腕で鼻をかばう。
「もう中に入っていいのか?」
「まだだけど、この匂いは敦くんにはキツイかなーと思って。換気してるんだ」
石小屋の中は薄明るい。天井からツタがぶら下がっていて、中央に空いたそこそこ大きな穴に続いている、そのツタがかすかに光を放っているのだ。
「ミクちゃんってのは?」
「本当は匠ちゃんっていうんだけど、男の子みたいな名前だからって嫌がるんだ。だからみんなにミクちゃんって呼んでもらってるんだって。ぼくより先にゴーレム化の実験をしたんだけど、どっちかっていうと失敗だったみたいで。日光の魔力供給だと体が保たないから、昼間は小屋に閉じこもってるしかないんだよ」
透の話し口は時にまどろっこしいところがあって、肝心な部分が後回しになったりはぐらかしたりする。今回は後者のような気がしたから、
「ゴーレム化っていうのを、透も受けたのか? だからエメラードにいるのか」
自分から本題を切り出すことにした。
「――うん。そうだよ。ティアー達と同じで、ぼくも一回死んでるよ。それをアッキ―に助けてもらって、ここで暮らしてるんだ」
「渡にいちゃんや、お父さん、お母さんはどうしてるんだ」
控えめながらもにこやかに応対していた透の表情が、ひやりと凍りついたようになる。何と答えるのか、唇が動いた刹那に。
「おう、敦! アッキ―が入っていいってさ!」
室内の穴からライトが顔を出し、呼び掛けた。
「それじゃあ、ぼくはまたひなたぼっこしてようかな。心配しなくても、君が気にしてることは後できちんと答えるから。早くティアーに顔見せてあげなよ。あ、それとさ」
にやり、茶化すような笑顔は実に透らしくなくて新鮮だ。しかしどこか不慣れというか、からかうには毒気が足りないぞと言いたくなるような微笑ましさがある。さわやかな奴は何をやらせてもさわやかになるってか。
「ティアーが持ってる小瓶、敦くんがあげたんだって? 彼女、あれをさ。無事な方の手でぎゅーっと握りしめちゃって放さなかったんだよ」
「ん? どしたんだよ敦」
「どうって、何が?」
「いやぁ、一瞬、顔がゆるんでるように見えてさ。気のせいかねぇ」
ライトは首を傾げているが、おそらく見間違いではないのだろう。いろんな意味で喜んでいる場合じゃないっていうのに、俺も現金というか不謹慎というか……。
換気扇があるわけでもないから、入り口を開放したくらいでは小屋にこもった悪臭を完全には取り去れなかった。口呼吸に頼り鼻息を止めれば耐えられる程度に落ち着いただけましなのだろう、きっと。
ちょうど暗がりになっている場所に居て姿は見えないが、小屋の隅から人の息遣いが流れてくる。走った後のように大げさに荒いわけではないが、湿った息遣いだとすぐにわかる音で、いかにも具合が悪そうだと思う。
「ティアーは今、寝かせてるからな。静かにな」
「わかった」
「おいらの後に続くか先に下りるか、どっちがいい?」
「後でいいや」
穴に収まった状態の本人に訊かれたら、たいていは後でいいと思んじゃないだろうか。
ツタを頼りに下りた先は思いのほか広々としていて、少なくとも小屋の面積の三倍以上はあるだろう。ライトが立っていても天井までにいくらか余裕がある。足の着いた地点は隅っこのようで、空間の中央は地面から生えて天井までつながっている無数のツタに囲われている。
岩を積んだ層のような壁に、地面にはでかでかと魔術式を描くように並べられた小石。想像するに、小屋の周囲に広がっていた岩場にあって、ここだけはぽっかり穴が空いているような状態だったんじゃないだろうか。その上にどうにか石で小屋を建てた。わざわざこんな不便そうな岩平原を選んだ理由ばっかりは、俺の知識だけで推測しようがない。




