9話‐1 森の生霊
「あのさ、ライト……」
「んー? 何だよ敦、どうかしたか?」
「やっぱりこの扱いは大げさなんじゃあ……」
巨人の小脇に胴体を抱えられ、手足を揺らしながら浮遊感に酔ってきた俺がついに抗議すると、ライトは何じゃそら、と不満そうにこぼしてみせる。
「ちゃあんと説明したろー? アッキ―の住処まではけっこう時間がかかるんで、おまえさんの足に付き合ってたら日が暮れちまうってな!」
「いやそうだけどさ、いつまでもみんなに頼ってばかりいられないじゃんか」
「んなこたぁわかってるよ! ただし、今の段階でそれを言うのはちょっとしたうぬぼれってもんだろ」
ライトの言うことももっともなので、そこで俺は引き下がるしかない。
浜辺からツリーハウスまでの道のりとはまた違う、むしろあれは生ぬるい程度なんだと思い知らされるような荒々しい道中を、ライトは跳ねるように駆けてい く。大小様々の岩が地面を覆い隠すような場所に入って、もうどれくらいになるだろう。確かにこんな場所を今の俺が歩いていけるかといえば無理としか言いよ うがない。森の島エメラード、なのに木の一本も立っていない、地平線……岩平線? が拝めるような場所もあるんだなぁ。
「おう、見えた見えた!」
うつむいていた頭を持ち上げて前方を確認すると、信じがたいことに見渡す限り岩ばかりのこの場所に家が建っている。家の材料はやや両手のひらに余るくらいのレンガのように形を整えた石を積み重ねたものだ。
「あれ、手間がかかってるんじゃないか?」
「ああ。石をわざわざ四角に整えてるだけで気が遠くなるもんで、作業にはいつもより多く時間をもらったっけな~」
苦労話の割に、ライトはどこまでも楽しげだ。よっぽど家作りが好きなんだろうな。
ライトは家の玄関先で俺を放して立たせると、挨拶してくるからしばらく待ってな、と言い残して石の家へ入ってしまう。
この中にティアーがいるんだ、そう思うと落ち着かなくて――俺は意味もなく、家を一周するのを目指して歩き始めた。
岩ばかりの地面は高低差が激しく、靴底から伝わる感触が固すぎて、さらに転んだらダメージ大だろうなぁといった気疲れもあって歩きにくい。
大した距離もないのに家の裏手に回ったところでもう嫌気が差していて、しかしそんな思いはそこで見たものに驚いて消し飛んだ。
不安定な岩地面の上で、誰かが寝ている。さぞかし背中も頭も腰も痛くて寝心地悪いだろう、と俺は思うが、おそらく魔物だろうから痛みなど関係ないのかもしれない。
一見すると、そいつは人間と大差ない姿をしている。着ているものは人間の島で買ったと思われる白いワイシャツに黒いズボンといたって平凡。短い髪にはかなり癖があって毛先が四方八方を向いているが、柔らかそうな茶色と髪質が手伝って触るといかにもふわふわと気持ち良さそうな頭だなぁ、と思わず気持ち悪い想像をしてしまう。
問題は、シャツのボタンを全て外して開けっぴろげにした、やや貧弱でつるりとした胸板だ。本来、鎖骨がありそうな位置からへその下あたりまでが裂け目があり、開かれて中が丸見えになっている。人間の上半身が開いてあったら耐性のない人間だったら目を背けたくなるだろうが、彼の場合それは問題にならない。
近寄って、覗きこんでみる。胸から腹が裂けていても、その中に何もないのだ。いや、何も、というのは間違いで、臓器の類がない代わりに裂け目から除いているのは石版だった。俺には解読出来ないけれど、魔術式だろうと思われる記号が刻まれている。
そして、本来肉の断面であるはずの場所は水気の少ない、しかし引き締まった土のような質感が見て取れた。あまり想像はしたくないが、土で人の形をつくった上で人間の皮膚のようなもので表面を繕った、なんてことをしているのかもしれない。
それにしても、どこか覚えのある寝顔だなと漠然と感じたところで彼は目覚めた。黒い目をしばたたかせた後、俺に気がついて目が合う。体を起こして、のんびりと呟く。
「敦くん?」
何で俺の名前知ってるんだ、あ、ティアーに聞いたのかも。なんて思ったその時、俺の名を呼んだその声が、記憶を刺激した。
暗い感じではない、けれどどこか沈んだところのある、声変わり前のようなハスキーボイス。
「渡にいちゃん?」
「いやー、違うよ。惜しいけど」
彼が立ち上がると、俺よりいくらか背が高いようだとわかる。
「じゃあ、まさか……透、なのか」
透は渡にいちゃんの弟だ。彼の面立ちは確かに渡にいちゃんより透のそれに近いとは思う。しかし、万が一透だとしても様々な条件を鑑みると、目の前の「同年代くらいの若い男」が透であるとは考え難い。渡にいちゃんだとしても二十代になっているはずだから、最後に顔を合わせた数年前から時が止まったような姿はいぶかしいものだけど、可能性としてありえないとまではいえないから。
「よかった、一応覚えててくれたんだね」
彼の名前を口にするまでにかかった時間が、そういう不安を抱かせたのだろうか。いや、まさかおまえがここにいるはずがないっていう前提が結論を導き出すまでに邪魔をして……などと弁解しそうになって、思いとどまる。
「透が、なんでここに……?」
魔物の住む、原生の森の島エメラード。こんな場所で昔の、人間の知り合いにばったり出くわすなんてありえないし、何より……
「こっちこそ、びっくりしちゃったよ。まさか君がソースだなんて」
いや、人間の島にいたとしたって、透に会えるなんてことは起こりえない。
五年も前に、透は生まれ持った病によって、死んでしまったのだから。
それなのに。物腰の穏やかな笑顔の中にほんの少し、見過ごしてしまいそうなくらいかすかに。何かに耐えているような、我慢しているような陰のさしている……その笑みは、俺の知っている在りし日の透そのものだった。
渡にいちゃんと透は、俺が狼のティアーと過ごした依里地区で唯一の未成年。俺とアネキは半年もしないでまた転居したから実質、その集落で唯一の子供だった。依里は完全なる農村で若者は次々と都心部へ出ていってしまうからだ。
人間の島ではこの五十年程で特定の地域への人材流出が急速に進んでしまい、問題になっている。具体的には、政府の内部で何やら動きがあるとかで、様々な分野の技術者が島の中央区に集約した。ほぼ同時期に、娯楽施設に乏しい農村や漁村よりも繁華街のある都会的な地区への人気が高まり、過密地域と過疎地域の二極化は深刻なレベルに至る。
俺の両親は、末端もいいところだが役人で、そうした取り残されつつある地区の再開発を促したり、調査したりする仕事をしている。だから俺達はフェナサイ ト中を転々とする生活を強いられて、子供心に迷惑に感じたこともある。現在は少し地位が上がったとかで、今住んでいる地区の責任者をしているため定住が可能になった。それでもたまによそから呼ばれて出張していたりもするのだけど。
そういうわけだから、俺は子供が少ない場所で暮らすのに慣れていた。それでもさすがにひと家族ふたり兄弟が唯一なんて地域は後にも先にも依里だけだ。しかも透はいつもベッドの上で、歳は離れているけど一緒に遊んでくれる渡にいちゃんといる方が楽しいな……なんて残酷なことを、幼い俺は当たり前のように思っていた。
それが酷い考え方だと自覚したのは、透の訃報と、二人の両親の失踪が伝えられた時。透の死が医師に確認された日、夜になると悲観した両親が透の亡骸を持ち去っていずこかへ姿を消してしまったというのだ。
渡にいちゃんというもうひとりの子供がいながら親がそう行動したというのにも驚いたけれど、……結局のところ、俺は透が大人にもなれずに死んでしまうこともあるかもしれないという事実を、真剣に考えられていなかったんだ。
いくら重い病気だと聞かされていても、誰もがみんな当たり前のように時間が流れて、いつかは大人になるものだと思い込んでいた。だって、何か悪いことをしたわけでもないのに子供の内に死んでしまうなんて。「そんなの不平等じゃないか」……そう、思っていたんだ。
あれは確か、狼のティアーと出会う数日前だった。透の部屋を訪ねたら、彼はベッドの上で渡にいちゃんの教科書――もちろん、というのも悲しい話だが、依里に学校はない。俺も透も渡にいちゃんも、役所が派遣した家庭教師に勉強を教わっていた――を借りて読んでいた。
「何か面白いこと書いてあった?」
「うん、『ゆうの様』のお話とかさ。依里に古くから伝わるお話なんだって」




