8話‐4 孤独の先
ライトもヴァニッシュも、すでに動かなくなっているディーヴについて言及しない。
想像だけど、何となくでも理解している。エリスのバンダナやディーヴに致命傷を与えたあれは、エリスにとっては奥の手のようなものなんだろう。ディーヴ が最初からエリスのバンダナと足に魔術式が刻まれていることを知っていたら、今回の策は通用しないと判断したかもしれない。そう考えるとまたサクルドから補足があり、エルフは名前と同様にマザー=クレアから授かった肉体を大事にしているから、魔術式を刻んで身体を傷つけることをよしとしないのだという。
ディーヴを生かして帰さないと言ったのは、きっとこういうことなんだ。彼女の最期の言葉から同情していいような事情があったかもしれないとしたって……。
「そうだ、ティアー!」
「ん? ティアーも襲われてんのか?」
俺の方はとりあえず安心だと思った途端、ティアーのことが気掛かりになる。彼女や援護に向かった豊の力を信じていないわけじゃない、だからといって理屈や理性で安堵したり出来ない。
「ディーヴがそう言いました。こけおどしとも思えませんでしたので、ユイノに託したのですが……」
そうやりとりしていると、すとん、と軽い音を立てて豊が降ってきた。息つく間もなく、告げる。
「ごめん……間に合わなかった」
豊のヴァンパイア用の保護服はゆったりとした黒いローブだ。その懐に手を差し入れて、内側に隠していた何かを取り出すと、裏地の鮮やかな赤が目に入る。
俺達に確かめさせるように豊が握っているのは――黒い毛の、獣の足だった。
誰かが叫ぶように、俺の名を呼ぶ。全身の力の抜けて倒れかけた俺を、とっさにヴァニッシュが支えたんだろう……発熱とは違う、心臓からにじみ出るような熱さが他の誰でもない彼の証だ。
「敦、ティアーは無事だ。死んだんじゃない!」
珍しく性急な様子でヴァニッシュが声を上げる。本当か、とか、なんでわかるんだ、とか確認したかったけど、口や喉が動いてくれない。
「ティアーの魔力をまだ感じるからなぁ。弱ってるのは確かだが、そもそもワ―・ウルフはアンデッド種だかんな。前足一本取られたくらいじゃすぐには死なんよ……そんでユイノ、ティアーはどうしたんだ?」
「ティアーのところにいた虫は神経毒の強いやつで、右の前足をすでにやられてたんだ。捕まるわけにいかないんだって、あいつ、自分でその足を噛みちぎったらしい。俺はティアーを連れてこっちに戻ろうと思ったんだけど……」
ワ―・ウルフが前足の片方を失うという状況がどの程度のものなのか、俺にはわからない。ライトは軽く考えているように見えるが、豊の面持ちは沈痛だ。
「トール、とか言ってたかな。よくわからんやつが現れて、ティアーのことは任せろっていうんだ。ティアー自身が信用してそうするっていうから、そいつに託した」
「ああ、トールね! アッキ―んとこの! あいつに任せりゃ心配ないさ」
「ならいいんだけど……あいつ何者だ? あんな人間そのまんまのゴーレムは初めて見た」
「アッキ―はアンデッドの研究者でな、トールはその最高傑作さ」
「……敦」
ヴァニッシュは俺を手近な木に体を預けさせ、真正面から向き合う。
「……何度でも言う。ティアーは大丈夫だ。敦は自分の体を治すことだけ考えて、安静にしているんだ」
「……会いたい、顔見ないと安心できないよ……」
思い出してみる、ティアーの笑顔が何故だか遠い。ああ、今日最後に言葉を交わしたあの時に、無理にでも体を起こして顔を見ておくべきだった……。
「……ティアーのところまで歩ける体力が回復してからでないと、駄目だ。ティアーの治療にはきっと数日かかるから、今行っても会えるとは限らない。何より、ティアーは自分の為に敦が無理をしたと知ったら気に病む……わかってくれ」
痛みに耐え、すがるような。あるいは厳しく言い含めるような強い気持ち。どちらにしてもヴァニッシュの表情は真剣で、必死だった。
答えたかったけど、やっぱりつかえたように声が出せない。力を振り絞って、一回、頷くだけで精いっぱいだった。
「おう、来たな。おーい、ナウルやーい」
仰ぎ見て何者かに呼びかけるライト。ほどなくしてバタバタと慌ただしい音を立て、羽根と葉っぱをまき散らして降りてくるのは、奇妙な影。
人間と鳥を足して二で割ったような、アンバランスな姿だった。ヘソから下は羽毛で覆われ鳥の足が突き出ており、腕にあたる部位は羽。それ以外は人間。服を着ていないので、小ぶりだが女性的な膨らみのある胸が丸出しだ。内に巻くような癖のある茶髪が頬を撫でる長さで、白目がないせいかくりっとやたら大きく 見える青い瞳は主張が強すぎる。右腕……羽、とするべきだろうか……だけでかなり大きな氷塊を抱えているのだから、かなりの力持ちかもしれない。
「お疲れさん。助かったぜ、ナウル。ところでそいつは何だ?」
「ベルに、おみやげだ。そいつ、サータか」
「おお、この白いのか。本人死んじまったみたいだから確認してないけど、そうだろうな。こいつのことどこで知ったんだ?」
「シータに、きいたんだ。サータ、くれる?」
あーん、と声を出して大口を開けて待つナウル。はいはい、などと言いながらライトがその口に白いかぶと虫を投げると、満面の笑みを浮かべて彼女はそれを噛み砕いた。ばりばり、ごりごり、咀嚼する音が響く。
「うん、やっふぁうまい、サータ!」
「喋るのは食い終わってからにしろな」
その光景に耐えかねて顔をそらしたところ、ナウルの投げ落とした氷塊が重い音を立てて着地する。氷の中に何か入っているのはわかっていたが、それが人間だなんて考えもしなかった。特筆することもない、ごく普通の人間のおじいさんの眠り姿。病院の白い寝間着で、一点の苦痛も感じられない安らかな寝顔だった。
「じゃあ、あれは父親なのね」
「確かめようがないけどそんなことも言ってたっけかなぁ。あいつは人間に羽衣とられて夫婦になった鳥精霊の娘なんだがよ。夫婦はフェナサイトで暮らそうと したんだがディーヴの頭の羽があって、人間に受け入れられなくてアクアマリンへ渡ったとか。人間に気に入られたくて丁寧に話すように心掛けたけど無駄だったってぼやいてたんだよ」
「鳥精霊と人間の混血って、親ふたりよりもずーっと長命になるんだったっけ……みんな、あんな飛べもしない無駄な羽がくっついてるものなのか?」
「まさか。大体が背中あたりにでっかいのが生えてて空も飛べる。ただ、純血の鳥精霊のように羽を羽衣に変えて人間に擬態できねえってだけさ」
「運がなかったのねぇ」
「もし、病気の人間を仮死状態にして保管しといて、医療技術の発展した時代になって起こしてやれば効率がいいとか言ってたんだよなー、そういえば。冗談だと思って聞き流したのはまずかったかもな」
「それでこの事態を予測できるわけでもあるまいし、どっちだって結果は同じでしょ。それにしても、人間の血が入ると女々しくなって厄介ね。あれは病気ってレベルじゃなくて、老衰でしょ」
窓を開け放っているせいで、小屋の中での聞くつもりのない会話が耳に入ってくる。
夕方、流れてくる風が涼しくて気持ちいいから外に出たいと頼んだら、ベルが許可してくれた。体を動かさず、傍に狼になっているヴァニッシュを待機させておくという条件付きで。
視線の先、向かいの木の枝には、この上なく気持ちよさそうに歌っているナウルの姿がある。といってもその歌声は空気をひっかくような不協和音で、気持ちのいい代物ではない。俺の感性や気分の問題ではなく、ハ―ピーという種族の歌はそういうものらしい。
しかし、ハ―ピーの主食である虫は何故かその音に魅かれて集まってくる。今も、ベルが気絶させて埋めておいたというディーヴの虫が四匹、歌声に引き寄せられるように木を登ってきた。
最初にナウルの膝元にたどり着いた人間大のむかでが、甘えるようにすり寄るのを掴まえて、彼女は大きく口を開ける。その瞬間を見る気はしないので、俺は体育座りの膝に顔を埋めた。
ディーヴが百年かかりで育て上げた虫達も、ハ―ピーの手にかかればあっという間に胃袋の中に消えていく。
ディーヴが百年間、かすかな希望にすがって守り続けた父親は、ベルが一滴残らず血を吸い上げて殺した――ソースをかくまう目的は合法的にそうした餌がやって来るからよ、なんていつもの調子で言っていた――百年越しに起こされるくらいなら、眠ったまま楽にしたやった方がましだろう、というのはベルの意見だ。
そして、ディーヴは百年間を共に過ごした盟友と、また共に過ごせる日を願い続けた父の末路を知ることもなく死んでしまった。
あいつのせいでティアーは体の一部を失って、痛い苦しい思いをした。同情なんてしたくないのに、胸が痛くてたまらなかった。あいつの為に流してやる涙なんてない、だから気を抜くとこみ上げそうになる涙はどうにかこらえてみせた……。
8話終了。9話に続きます。




