7話‐3 ウンディーネの初恋
昨日のエリスの予告通り、今朝の水汲みの護衛にはライトが当たることになった。道中から、普段どっしりと構えたイメージのライトにしては妙に殺気だってる様子が見受けられたのだが、セレナートに挨拶をするやいなやこんなことを言い出した。
「さて……敦、おいらはちょいとここいらへんを見てまわってるから、セレナートと仲良くして待っててくれや」
「は? ちょいとって、どのくらいだよ」
「う~ん、けっこうかかるかもわからんなぁ。……てなわけでセレナート! あとよろしくな~」
「う、うん……わかったよ」
キャラクターに似合わず逃げるように去っていくライトを見送ってから、
「ごまかされたように見えないか? 今の」
「ごまかしたのは当たりだけど、まぁ……仕方ない、かな」
暗に同意を求めたのだが、そんなセレナートにも言葉を濁される。
「あなたには聞こえなかったと思うけど、昨日かすかに、何かを研ぐような音がしたの……とても遠くから。そういう時っていつも、彼女がソースのこと、狙っているみたいだから」
「彼女?」
「高山の方に住んでる、人食いを好む魔物なの。だからソースは格好の餌と思ってるみたいで、たいてい毎回撃退されるんだけど懲りないんだ……そうだ、エメラードは山に近付くにつれて危険な魔物が多くなるから、ひとりで近寄らないようにしてね」
将来的にはどうなるかわからないが、エメラードに来てから俺は単独行動をしたことはなかった。けれど忠告はありがたいものだった。
「ところでさ……昨日はあれから何してたの?」
「昨日はとりあえず、オルンがナイフに刻んだ火の魔術式の読み方を教わって、威力をおさえて発動させられるようになったんだけど。丸一日かけてそれが精一杯だったよ」
それぞれの紋章の意味を覚えて、脳裏で正確に描き出さないと魔術は発動しない。そも、実際はそれに加えた更なる手間があるそうだが、ソースである俺はショートカットして魔術を扱える。とはいえ、最初の一歩で苦戦するのは当たり前で、いくら魔力が無尽蔵でも努力以外に魔術を会得する術はなく、むしろ膨大な魔力をコントロールすることそれ自体が難しかった。
幸い、ヴァニッシュに触れると魔力が使えない状態でだだ漏れになってしまうのを利用して、昨日は魔力を最小にして火を出すことに成功した。今後はヴァニッシュの力を借りずに自分で魔力をコントロール出来るようになることが最初の課題となる。
「ふぅん……順調、だと思うよ? 今の人間はひとりひとりが手厚い教育を受けているんだってね……ひと昔前は、読む概念から教えないといけなかったから」
「そうなんだ。――俺からも訊きたいことがあるんだけど、いいかな」
「なぁに……?」
そう言うセレナートの目は、どことなく俺の話を聞いている最中よりも輝いて見えた。
「セレナートが好きだったっていうソースって、どんな人だったんだ?」
そんな彼女の瞳に、陰が射す。それを知ってか知らずか、一瞬だけさっと目を逸らし、再びこちらに向き直る時には元に戻っていた。ひたすらに綺麗で曇りのない、すがすがしいばかりの目の表情に。
「悲しい人だった……世界にこれっぽっちの希望も持たず、その瞳にはいつだって、絶望しか映していないの。だけど、どうしてかいつも静かに笑っていた。その奇妙さに、私は生まれて初めて、個体に対して興味を引かれたんだと思う……そこまで徹底的に絶望した生き物を見たのも、初めてだったから」
なんだか、出だしからエリス達からの伝聞でイメージしていた人物像とはかけ離れていた。本来感情を持たないはずのウンディーネが恋心を抱き、人類の未来をかけて戦い抜いた生涯……なんて、一体どんな人格者なんだ、と思っていたから。
「だから、思わず言葉をかけてしまっていたの……何があなたをそうさせたの? って。教えてくれなかったけどね。この絶望は決して解消されるものではないとわかってる。だから、それを誰かに伝えて巻き添えにすることはない。自分が胸の内に抱えたまま死んでいけばいいんだ、ってね」
「何ていうか、達観した人だったんだな……人間だったら、何も考えられないような不安があったら、誰かに愚痴を言いたくなる時もあるだろうに。というより、話すだけで気が楽になることだってあるのにな」
とはいえ、今は亡きソースがどんな経過で絶望するに至ったかがわからない今となっては、こんなことを言っても仕方がないんだろうけど。豊がダムピールである自分に悩んでいたところで、その不安を同じ人間に伝えるなんて出来るはずもなかった。将来的に豊がヴァンパイアになってしまうと知れ渡れば、どんな迫害を受けるかわかったものじゃない。
「そうなんだよね……だから、ウンディーネには感情がないのだから、あなたの痛みをさらけてくれても大丈夫よ、って言ってみたんだ……始まりは、同情だったんだよ。魔物は単体で強いから、どんな絶望も適度にあしらうことが出来る。人間は単体で弱いけれど、群れとなることで絶望を見ない振り出来る。そのどちらにもなれないあの人は、この世界の誰よりも弱いんだと思ってた」
そう語るセレナートの表情は、最初に顔合わせをした時よりもさらに恥じ入るように見えた。……話の流れからわかるような気がするけれど、いわゆる若気の至り的なことを語っている雰囲気なので、そりゃあ恥ずかしくもあるだろうなぁ……と思う。
「その時にね、言われたんだ……『せっかく感情が持てたんだから、安売りすることはないよ。感情がないんならそんなことは言えないんだから』。セレナート はそれが感情なんだって、指摘されるまで気がつかなかった。今思うとお馬鹿さんだけど、初めてなんだからしょうがないよね。そして、気づいてしまった途端に押し寄せた感情の奔流は、勢いが強すぎて怖いくらいだった……そんなセレナートを誰よりも気遣ってくれたから、いつの間にか、他の誰よりも失いたくない人になっていたんだ」
どちらかと言えば寂しげに、セレナートは息をつき、うつむく。かと思ったらすぐに顔を上げ、
「ねぇ、セレナートのことはひとまず置いといて……あなた、ティアーのこと好きなんだよね!」
「ちょっと待て、どこから仕入れたのさ、そのネタは」
「ティアー達が帰ってくる前にねー、エリスが教えてくれたんだよ……だからあなたにあまりちょっかいを出さないようにってね!」
今までにないテンションではつらつと話すセレナートに圧倒されたまさにその時、
「いやー、今日のところはしっぽを出さなかったなぁ、あのばーさん。待たせちまって悪かったな、敦」
渋い顔をしたライトが戻ってきてしまう。俺にとってはこの上ないタイミングだった。
「続きはまた明日な、セレナート」
「はぁーい……ま、明日まで楽しみをとっておくのもいっかぁ」
もちろん、こちらから散々セレナートのことを詮索したのだから、話さず済まそうなんてつもりはなかった。明日までに自分の気持ちをまとめておかないとな。
言葉に出さず、意識だけで謝意を伝えると、サクルドは同じようにしてこう返した
――敦さま、必要としていただけることを嬉しく思っても、迷惑に思うなんてこと、ありえませんよ。わたしがこうして魔物達の営みに触れることが出来るのは、あなたに必要とされる時だけなのですから。
情けないことに、ソースをつけ狙っているという存在が具体的に明らかとなってからこっち、サクルドが実体化したまま姿を消さなくなった。彼女は俺が求めていないと姿を現さない。要するに、平静を装っているつもりで俺は内心、怖れまくっているというわけだ。
「珍しいなぁ、夕飯前からおまえさんが起きてくるなんてよ。なぁ、ベル?」
夕食の材料である鹿の肉をさばきながら――昨日からティアーが食糧調達に時間をかけていたのは、狙いどころな鹿の群れを見つけたからだったらしい。今日になってその群れを襲い、ヴァニッシュとふたりで何度も往復して十数匹ほどの鹿の亡骸を運んできた――ライトが、五人がかりでせっせと肉をさばく俺達を木陰から眺めているベルに訊ねる。同じヴァンパイアである豊は夕暮れどきから起きてくるが、ベルは完全に日が沈むまで小屋を出てこない。まぁ、俺にとっては判断材料が昨日一日しかないのだが、ライトの口ぶりからしていつものことだったんだなとわかる。
「あのばーさんの匂いがちらついて、気分良く眠れないのよね。まったく、いまいましいったらないわ」
「その……ばーさんって、そんなに強いのか?」
「特別強いというわけでもありませんが、長く生きているので経験豊富で、機転が利きますから、こちらも油断してはいられませんね」
肉をさばくのに慣れていない俺も、肩に乗るサクルドの指示を頼りに肉をさばくのを手伝っている。もちろん、魔物と違って素手で出来るわけもなく、オルンに貰った石ナイフを駆使しての作業だ。
「おいら達が活動を始めたばかりの頃なんだが、まんまとソースをかっさらわれたこともあってな。あいつには悪いことしちまったと今でも思い出すわ」
「わざわざエメラードまで死にに来たようなもんだな」
素手で肉をさばきながら、豊は辛辣なことを言ってのける。俺も同じように思うが、口にするのははばかられるなと思った矢先のことだ。
ヴァンパイアは血液以外を口に出来ないのだが、豊は夕食の手伝いには参加する。今晩からは、俺達が寝ている間に朝食の食材を獲りに出かけることに決まった。
ティアーとヴァニッシュは、先程から黙々と肉をさばく作業をしている。こういう場面でヴァニッシュが大人しいのはいつものことだが、ティアーが少し沈んだ表情なのに気付いて心配になる。
エリスは最初にさばいた二頭をかついで、どこかへ出かけてしまった。
それにしても、この量の肉を一斉にさばいているとなると、血生臭さは半端じゃない。魔物にとっては日常なのかもしれないが、俺は意識が遠くなるような感覚におそわれていた。エリスが気を利かせて顔の下半分を覆う布を貸してくれた上でこの体たらくだった。
「敦……ちょっと、いい?」
「ん? どうしたんだよ、ティアー」
おずおずと、明らかに気が引けた様子でティアーが俺に言葉をかける。
「セレナートに会ったんだよね、どう思った?」
「どう、って……人見知りをするのかと思ったら、話しやすいし、人が良さそうだなーと思った」
あと、単純に、人間の目から見たら美人だと思う。エリスのような、職人が丹念に手入れした刀身のような鋭さのある美しさとは正反対の、自然にして完璧な球体のような、丸みのある美しさとでも言うべきか。
――お言葉ですが、敦さま。表情に出ていますよ。
こういう場面で便利な、サクルドからの忠告。別にやましいことを考えていたわけではないのだが、ティアーの顔を見るとどういうわけかますます落ち込んでいるようだった。
「あのさ、敦……あたしのことどう思う?」
呆然とし、俺が言葉を失っている間に、ティアーは周りの状況に思い至ったらしい。ヴァニッシュはきょとんとし、豊はあっけにとられた顔をし――きっと、 俺も同じような顔をしてるんだろうな。ベルとライトはといえば、いかにも面白がっているようなにやけ顔で、今にも追及を始めそうな予感がする。
「やっぱいい! 今のなし、なしだから! ……お、お肉洗ってくるっ」
さばき終えた肉を適当につかむと、脱兎のごとく、川の方へ駆けていった。入れ替わりに、反対方向から戻ってきたエリスの姿が見える。両腕を組んだ上に黒い布をのせているようだ。
「ちっ、さすがに逃げ足が速いじゃねぇか」
「何の話?」
「若者の甘酸っぱいお話はからかいがいがあるわねぇ、って話よ」
「程々にしておきなさいよ。それで、ヴァニッシュは何をそんなに嬉しそうにしているの?」
当然といえば当然ながら、ティアーに注目していたので誰もヴァニッシュの変化に気がつかなかった。彼にしては珍しく、いかにもわかりやすい表情をしていた。喜びの一色で、幸せを噛みしめるような、安息の表情だった。
「……ティアーが幸せそうだから、嬉しい。俺も、ずっと望んできたことだから」
「そう……」
今の流れでどうしてそうなるのか、俺には今いちわからないのだが、エリスは納得したようだったので話はそこで終わってしまった。
俺よりヴァニッシュやティアーと付き合いの長い豊なら何かわかるかもしれないと、意見を求めるつもりだったが、見ると豊は考え事をしていそうだったので諦めた。何故か、普段のヴァニッシュに負けないくらい、複雑そうな表情をしていた。嬉しいといえば嬉しいけど、喜んでいいのかわからない。そんな 、心の声が聞こえてきそうな……。
そんな豊の状態を知ってか知らずか、エリスは豊の前に立つと、黒い布を彼の頭にかぶせる。
「あなたの上着よ。必要な魔術式は全て織り込んであるから、昼に動く必要のある時は使いなさい」
「これ、どうしたんだ?」
「ここから北西にまっすぐ進んだところに、こういうのに長けた魔術師が住んでてね。ベルの服を頼むついでに作らせたのよ」
「そっか……礼を言いに行ってもいいのかな」
「今から出てもかまわないんじゃないかしら。あれはどちらかといえば夜型だから」
「わかった。行ってくるよ」
さばく作業の途中だった肉をライトに預け、豊は渡された黒い上着をさっそく着込む。鎖骨の辺りを紐で結び前は開いたままの、ゆったりとした服だ。布の裏地は、やはりまがまがしさの強く感じられる赤だった。
出かける豊を見送ると、両手に肉を持ったライトが寄って来た。
「なぁなぁ、敦。今晩から、おいらの方の特訓も始めるかい?」
「待って、ライト。今夜、敦にはさせなきゃいけないことがあるのよ」
とりあえず、肉体的にかなりの厳しさと伝えられているライトの特訓は今日のところは避けられそうだ。なんて内心でほっと一息ついていた俺は、このすぐ後にエリスから受け取る難題に、己の甘さを痛感させられることになるのだった。




