7話‐2 ウンディーネの初恋
「セレナートのこと……エリス達からどこまで聞いてるの?」
「君がエメラードの水源だ、ってことだけ。これだけじゃ何のことなんだかさっぱり。そういえば、自己紹介がエリスと同じなんだ」
「エリスとセレナートは、種族は違うんだけど……起源は同じだから。セレナート達にとって、マザー=クレアに与えられた名前は、何より大切なものなんだ……」
「マザーって、母親ってこと?」
「それはもちろんだけど……マザー=クレアは母神竜。太陽竜を父に持つ、源泉竜のきょうだいの一体だよ……。まだ知らないかもしれないけど、人間と違って 魔物は全てが源泉竜を起源とするわけじゃないの。アイラが自分だけの子孫を持ったのを見て、他の神竜達にも子孫が欲しいという願望が芽生えた……でも、その行為が太陽竜によって許可されたのは、源泉竜だけ。だからアイラは、その生涯を、自分ときょうだい達のために子孫を創造することに費やしたの……」
「つまり君やエリスは、源泉竜が母神竜に頼まれて創造した魔物ってことか」
そうなると、確かに源泉竜ソース=アイラは全ての人間と魔物にとって父であったことになるな。
「神竜はとっても長生きだけど不老不死ではないから、もし自分が思いがけない場面で死んでしまったとしたら、この世界を維持出来なくなる……だからマザー=クレアは自分の分身として、セレナート達、ウンディーネを遺すことにしたの……」
「それじゃあ、水源っていうのは元々、母神竜のことだったんだな」
「そうそう……母神竜はこの世界の水源。森も人も、そして大地も……水なくしては存続出来ない。だから母神竜は、この世界の大地を担う白銀竜に並んで重大な役割を負う神竜だって言われてた。人間は気付いてないみたいだけど、人間の島にもウンディーネがいて、水を守っているんだよ……」
饒舌に語るセレナートは、いつの間にかほぼ全身をさらけ出すに至っていた。今は俺に並ぶように岸の淵に腰をかけて、水面で足を揺り動かしている。そうしていても相変わらず水に波は起こらない。
衣装の構造はエリスと同様で、鎖骨から布のようなものが直接に生えている。エリスのそれと異なるのはところどころが透けている――しかし、何故か肌らしいものは一切見えない――かつ、つま先を隠すほどに長いということだ。
尻までを覆う長さと判明した長い髪は、毛先に近付くにつれて色を変えている。頭のてっぺんは青に近い色をしているが、下に近付くに連れて緑が加わり、先端はかすかに透けるエメラルドグリーンだ。
「それにしても、そんな強大な存在である君でさえ、ヴァニッシュの銀の力をおそれるんだな……」
ヴァニッシュは、ここではどんな理由があっても争いを起こす魔物はいないと言った。それはそうだ。この島のウンディーネであるセレナートにもしものことがあれば、エメラードは水を失って滅びてしまうのだから。
ひとつの大地を支える水源でさえ、銀の力には抗えないというのなら、一介の魔物であるヴァニッシュにとっては手に余るものなんじゃないだろうか。それを言えば、俺に備わったソースの力だって同じようなもの。正直、勘弁してもらいたいよな。
「セレナートは、自分が死ぬってよくわからないんだ……」
誰にとっても尊重すべき存在であり、決して捕食の対象とならない水源なのだから、死の恐怖なんて無縁なんだろうな、と適当に想像してみる。ところが……
「だけど、もしセレナートが消えてなくなってしまったとしたら、エメラードも滅びてしまう……太古から生きてきた森が死に、ここに生きる全ての生き物の暮らしを奪ってしまう。そう考えたら、おそろしくてたまらないの……」
「たっ……ただいま……」
「おーう、おかえりぃ」
両手にバケツをぶら下げてツリーハウスまで帰り着くと、火おこしを済ませたらしいライトがくつろいでいるところだった。その傍らにはエリスの姿もあるが、待ち構えるような仁王立ちにほんのり嫌な予感がよぎる。
つかつかと俺の前へ歩み寄ると、エリスはバケツの両方ともをひったくる。
「どちらも水が半分ほどしか残っていないわね」
「う、……その、歩いてる内にこぼれてきて」
「上出来ね。初日だからこんなものでしょ。その水は全て、あなたの好きなように使いなさい。梯子の横に溝を掘ってあるからそこへ置いて。ヴァニッシュ、ティアーがなかなか戻らないから様子を見てきてくれる?」
ヴァニッシュは頷くと、黙々と服を脱ぎ狼の姿でいずこかへと出かけていった。朝早くからてきぱきと指示を飛ばすエリスの様子に、やはりベルよりもリーダーの素質を感じさせる。あえて口にはしないけど。
「セレナートの印象はどうだった?」
最後の力、というつもりで――情けない話だが、水を入れたバケツを両腕に森を歩くのは意外な重労働で、朝っぱらから力尽きてしまいそうなくらいだ。朝食前で空腹だから、というのも過酷さに拍車をかけてる気がする――バケツを所定の場所まで置きにいく最中、エリスがそう訊ねてくる。バケツを置き、たき火の前で腰を落 ち着けてから言葉を返す。
「最初は取っ付きにくい感じかと思ったけど、意外と話しやすかったよ」
「あれは他人が気になってどうしようもないんだなぁ。人間、特にソースであるおまえさんらに対しては」
「好奇心旺盛なのは歓迎すべきなんだけど、ウンディーネの使命には逆らえない。あの場所を離れられないから、とにかく人の話を聞きたがるのよ。どうせ毎日顔を合わせることになるんだから、それなりに相手をしてやってくれないかしら」
「そんなことでいいんだったら、喜んで。……それはいいけど、ソースの話は特別っていうのは何で?」
人間の島の話を聞きたい、というのもわからなくはないけど、魔物より遥かに短い時の中でしか生きられないソースの話なんかより、魔物の話の方が面白いんじゃないかなぁと思う。
「話せば長くなるんだけどな、実は……」
「ライト」
狙い済ましてシモネタを言うような表情で嬉々として話し出そうとしたライトを、エリスが制止する。
「そもそも、ウンディーネという生き物は感情を備え持っていない。マザー=クレアの役目を遂行する為だけに創られたのだから、感情なんて不要なのよ。魔物には珍しい話じゃないわ」
「けど、セレナートに感情がないようには見えなかったぞ」
「ウンディーネは恋をすると、それをきっかけに感情が芽生えるんだとさー」
ふてくされた調子で告げるライトに、
「三百年ほど前だったかしら。セレナートはこの島へ来たソースに恋愛感情を抱き、感情に目覚めたのよ」
こう、エリスが続いた。
エメラードに来て三日目、こんな早々に、魔物の恋話なんてものに触れることになろうとは。かなり意外だったが、それは甘酸っぱいものとは言いがたかった。
「三百年前といえばちょうど、魔物と人間の争いの真っ只中だったわね。コロン……あ、セレナートの恋の相手の魔物名よ。あれは争いの中に生き、争いの中で死んだわ。だからセレナートもソースの身を案じるのよ。今の世……いいえ、人間の島は平和そのものだっていうのに、それさえ知らないものだから」
三百年前は、魔物と人間が例の不可侵条約を締結した頃だ。その直前には搾取される一方だった人間が反旗を翻し、魔物に挑んだ長い長い戦いがあったと伝えられている。
「大方のソースは人間の歴史には残らないよう活動してきたんでコロンのことは知られてないけどな、あいつは反乱軍の戦力の中枢にいた。あれが戦死しちまっ ていよいよ対抗する術を失ったからこそ、あーんな道理に合わない条約を呑むしかなかったんだな、人間も。アクアマリンの連中も不可侵を宣言するなんて随分 と折れたもんだが、またソースに暴れられるのも面倒だと思ったんだろうよ」
同じソースに生まれたというのに、俺は呑気な時代にいるものだ、と思う。もしそんな時代に生まれていたとしたら、俺は一体どんな生き方をしたんだろうか。……なんて、考えても仕方がないか。今でさえ自分の将来なんて考えてもいないのに。
「ところで敦、この音、聴こえるかい?」
「音? ……何も聴こえないけど」
「確かめるまでもないでしょう、まったく。ライト、明日、敦の道中はあなたに任せるから」
「あいよー、っと。それにしてもあいつらおっそいよなぁ。腹減ったぁ」
あくびをしながら返事をすると、ライトは仰向けに寝転がった。




