6話‐5 森の島エメラード
「――なんか落ち込んでるな。何かあったのか?」
夕方、起き出してきた豊に指摘される。例の場所から戻ってきたら、ライトにもティアーにも似たようなことを言われた。
今日のところは俺の一番近くで護衛する役にあるらしいヴァニッシュは、俺の傍から離れなかった。今は足を投げ出し、所在なくたき火を眺めている俺の―― 出会い頭に言ったように、エリスは今日はゆっくり休んでいろと指示した――足の上に腹を乗せている。狼の身体の重みと同時に、心臓がほんのりと熱を帯びる感触。実際はそんなことはないだろうが、不要な魔力がそこからにじみ出ているような気がして、いくらか心が落ち着いた。
何でもないよ、なんて心にもないことを答える。当然ながら豊も、それが本音とは思っていないようで、
「ベルの奴がおまえを呼んでるんだ」
気遣うような声に、心配してるんだなとわかる表情で、そう告げる。ベルという相手と自分との立場上、俺に拒否権はないし、豊も進言出来るような命令じゃないんだろう。
「いいよ、行ってくる」
「一筋縄じゃいかない相手だぞ。無理するなよ」
「わかったよ。ありがとう」
昼間、最初に使った時よりも暗澹とした心地で、俺は縄ばしごを握った。
先刻、通り雨があった。強い勢いで雨が降り、十分ほどしたら何事もなかったように晴れ上がっていた。
縄ばしごを上りきり、入り口から頭を出して見た夕方の空は、何とも中途半端な色をしていた。毒を持った赤い太陽を覆い隠すために視界いっぱいに薄紫のシーツを広げたような、まがまがしい色だった。
ふと視線を感じ、その方向へ顔を向けると、ティアーが小屋の壁に寄りかかってこちらを見ていた。弱々しい笑顔がそこにあって、俺はつい、
「何かあったのか」
先ほど、豊が俺にしたのと全く同じ言葉をかけていた。ああ、俺もこんな顔をしていたのかなと思う。
「ううん……何ていうか、ベルと話してるとつい口が軽くなっちゃってさ。ほんの少し疲れちゃった。それだけだよ。そろそろ夜ごはん獲りにいかなきゃね」
スカスカの空元気なのは明らかだったけど、気がつかないふりをして彼女を見送った。自分が滅入ってる時に無理して気を使ったところで、共倒れになるのが関の山だろう。
そういえば、魔物に戸をノックする習慣なんてあるのかなー、と小屋の入り口を叩いてから思い至る。内から「どうぞー」と気の抜けた返事があったので、とりあえずよしとする。
小屋の中は外見の印象より広く見えた。天井も、ライトが直立してぎりぎり足りるくらいには高さがある。この場所は主に寝床ということだが――昨晩、世話 になったオルンの家の寝床のように、床一面に木の葉が敷き詰められている――みんなで休むにはやはり狭いようにも思える。
西側の壁に小さな窓があり、まがまがしい夕暮れが小屋の中もじんわりと染めている。窓のさんに両肘をつき、頬杖をして外を眺めている彼女の髪色は、まさしく先ほどまで眺めていた空と同じ色をしていた。濃い夕焼け色とすみれ色が同居した、不思議な色。
髪形にしても、長い部分は腰まで、短い部分は耳のあたりまでと長さの不揃いなざんばら状態だ。しかしながら切り口はまっすぐなので、極めて適当に鋏を入れでもしたらこうなるんじゃないかなと想像してみる。
衣服はエリスやライトのそれと違って、人間の島でも買えるようなきちんとした洋服だった。真っ赤で飾り気のない、長袖のワンピース。サイズが大きいのか袖口が余り、手の指先しか見えていない。髪と同様、スカートには統一感のないスリットが無数に刻まれている。
魔物にとって外見年齢が意味をなさないのはわかっているけれど、人間でいえば二十代後半から三十代前半くらいだろうか。
所在なく扉の前に立ち往生する俺へと向き直り、ベルは口を開いた。
「はじめまして、おチビちゃん」
人を小馬鹿にするようなニュアンスと、ささやかな不機嫌をにじませた表情。そうしたとっつきにくい雰囲気が、彼女の第一印象の全てだった。
対面する相手に漠然とした恐怖を抱かせる存在感に、俺はすくみあがってしまう。そんな様子を見かねたのか、
「獲って食おうってわけじゃないんだから、そう脅えることはないじゃない……でも、若いっていいわねー。お肌もつやつや、血色も良くって。さぞかし飲みごたえのある血が流れているんでしょうねぇ」
表情を変えずにそんなことを言ってみせる。発言の矛盾に突っ込みたいところではあるが、そんな余裕は俺にはない。
「あ、あの。俺に用って?」
「別に、用はないよ」
「……は? 呼んでるって聞いてきたん、だけど」
この威圧感の前に、一瞬、敬語で話すべきか迷ったが、昨夜のオルンのアドバイスを信じることにした。
「顔を見たかっただけよ。単なる顔合わせ。アタシとアンタじゃあ生活時間が正反対だから、放っておいたら何日もお互いの顔を知らないままになっちゃうかもしれないでしょ」
「それもそうだけど……」
「今になって話すべきことなんて思い浮かばないのよね。アンタの人となりは人づてに聞いちゃってるものだから。アンタからはどう?」
「俺は……あなたに会ったらひとつだけ、訊きたいことがあったんだ」
「へぇ? なになに?」
嬉々とした声。しかし、顔の表情は、どこか攻め立てるように歪む。危うく気圧されそうになるも、踏ん張って、俺は言葉を続ける。
「どうして、ソースを助けようなんて思ったんだ? アクアマリンの魔物がソースを殺そうとするのには、思想も利益もあるからわかるけど。エメラードに住むいち魔物が、ソースの未来のために尽力することに得があるとは思えないんだ」
「――先に確認させて欲しいんだけど、なぜそう思うの、得がないって」
「ソースと関わったら、本来、遭う必要もない危険に巻き込まれることだってあるんじゃないかな、と思ってさ」
「……ははぁ、さてはビビったわね。初めて魔術を使ったものだから。誤爆して傍にいる身内まで殺しかねないんじゃないか、なぁんてさ。小心者ねぇ~」
「な、なんでそれだけでそこまで見抜けるんだ?」
「アタシがこの五百年で何人のソースと過ごしてきたと思ってるのよ。あの場所で魔術を体験させるのは毎度おなじみなの。そしてその反応もある程度、パターン化しちゃってるわけよ。自分の力に戦慄するか、調子付くか。アタシとしてはかわいげがないのよりは少しばかし、落ち込んでくれる方がよっぽど好感が持てるわ」
どうやら小心者呼ばわりはどちらかというと褒め言葉のつもりだったらしい。
「それにねぇ、たった一日でアンタに何が判断できるっていうのやら。アタシ達は何も、ソースに無償で奉仕したろうってわけじゃないのよ。ソースと関わることでアタシにはちゃんとおこぼれがあるし、ライトはアタシに付き合ってるだけ。エリスちゃんは他人と話すとか、教えるのとかが好きらしいわ。退屈しのぎってことよ」
エリスは役目だからそれをするんじゃなく、説明好きだからその役目についていたってことか。確かに、今日、顔を合わせただけじゃあそこまでわからないよな。
「アタシ達はアンタ達、ソースの為に生きてるわけじゃない。いつだって自分の為に生きてるのよ。だからアンタがいくら危険になったって、自分を犠牲にしてまで守ったりしないわ。だからアンタが余計な心配をすることないし、自分の人生のことだけ考えてりゃいいのよ」
「そっか……そうなんだな。ありがとう、ベル」
「だから、礼を言われるようなことじゃないってーのに」
「しょうがないだろ、言いたいんだから」
ま、いいけどねと呟いて、ベルは視線を窓の外へと戻した。これで用は済んだ、さっさと出ていけという意思表示な気がする。
彼女は、第一印象こそ良いイメージを与えるとはいえない。また、言葉や態度の端々に悪気をたっぷり含ませる。だけど、決して根っからの悪人ではないし、自称するほど自分本位に生きてるわけでもないんじゃないかな、と思った。
「ところでさ、ベルにとっての利益って結局、何?」
退出する前に、最後の疑問を投げてみた。返事は期待していなかったけれど。
「ひと月かそこらでわかるんじゃない? 例年通りならね」




