5話‐3 魔物の中の人間
結局、下りたのは俺達四人だけで乗船する者もないようだ。
森へ入るヴァニッシュと別れて、俺達はツタンの向かった小屋へと歩いていた。砂浜を通り、ガーゴイル達の横を通り過ぎても、彼らは微動だにしない。同じように、段々と小屋に近付いてきてもツタンが動き出すようには思えなかった。
小屋を目前にしたところで、タイミング良く、カンテラを持った小柄な中年男性が出てきた。小さいとはいえ全身にしっかりと筋肉がついていて、まるでだるまのようなシルエットだ。柔らかそうな髪が頭頂部にだけ生えて、固そうな髭が顔の下半分を隠している。
「長旅ご苦労。よく来たな、ソースに新入り。ああ、名前はいい。どうせすぐ使わなくなるんだから」
「名前を使わない? なんで」
「うーんと、あたしよりわかりやすく説明してくれるのがいるから詳しく言わないけど。要するにあたしが人間名を使ってたように、敦も魔物名をつけてもらって、エメラードではそっちで呼ばれるようになるってこと」
そういえば、ティアーという本名を知ってからは彼女を「涙さん」という、仮の名前で呼ぶことはなくなったんだよな……。
「そう複雑そうな顔をしなさんな。本名が名残惜しいってのはわかるが、フェナサイトに帰ればその名で生活するんだ。魔物名は魔術式を描くのにも使うんだから、マジックアイテムのひとつだとでも思ってりゃいいだろうよ」
「えーと、オルンさんですよね……」
「オルンだ。魔物の名前を知ったら、余計な飾りはつけないでそのまま呼んでやりな」
あまり思い出したくないけれど、柴木先生が「魔物に敬称はない」って言ってたっけ。要するにそういうことか?
「オルン。俺の魔物名はユイノだ」
「そうか。よろしくな」
「ああ」
つい先日まで人間だったとは思えない、魔物を相手にしての堂々たる豊の態度……って、ちょっと待て。
「魔物名ってやつ、もうつけてもらったのか? 豊は」
「前世からの名前でしょ? もう思い出したんだ」
「ああ。船の中で寝てる時に」
輪廻転生ってのがあるのかないのか、人間は定義していない。前世の記憶を確かに持っている、と証明した人間がいないからだ。いくら口上で「私は前世の記憶を持っている」と訴えてみたところで、それを他人に認知させる手段は存在しない。
「前世の記憶って……マジなのか?」
「何も珍しいことでもない。魔力を持ってるもんなら誰だって前世の記憶を持ってるさ。ま、詳しいことは中で話してやるからさっさと上がりな。ティアーにゃ食糧調達を頼む。昼にエリスが来てな、そう言付かったよ」
俺と豊を小屋の中へ押しやりながら、オルンはティアーへ指示する。と、少し嫌な予感はしたのだがティアーはその場で狼の姿に戻ったらしく、オルンはティアーの脱いだものを抱えて入ってきた。
こう賑やかなやりとりがあったっていうのに、ツタンがぴくりとも反応しなかったのが、ほんの少し気掛かりだった。
「ところでさ、俺もユイノって呼んだ方がいいのか」
やや逡巡した様子を見せて、豊は答える。
「――いや。敦には今まで通りに……なんとなくだけど」
そうだな。俺もなんとなくだけど、魔物名をもらったとしても豊には敦って呼んでもらいたいような気がする。人間の、ごく普通の友達同士だった頃を偲ぶ、数少ない形見のようなものだから。
小屋に入るとその部屋には窓がなく、カンテラの小さな灯火だけが頼りだった。何だかんだで月やら星やらの光が降っていた外よりも闇が濃いが、何故だか室内にいるというだけで奇妙な安心感があった。
もう一部屋あって、こちらはかなり強力なあかりがついているのか、ドア下のすき間から伸びる光の筋がかなり濃い。カツン、カツンと石を削るような音が絶えず聞こえてくる。
「悪いがこっちの部屋には寝床しかないんでな。適当に座ってくれや」
寝床、とおぼしき部分は、おそらく敷き布団くらいの厚みに葉っぱが積まれていた。
もしかして、これがエメラードの魔物の標準的な寝床なのか? といったささやかな不安を込めて豊を見やると、深くため息をついて頷いた。
「詳しいことを説明するのはエリスの役割だからかいつまんで言うが、転生すっと、記憶は魔力に、感情は肉体に宿る。魔力名ってのは本人の魔力を解析して、魔力と相互反応する韻を組み合わせてつけられるもんだ。だから魔物になっちまった以上、前世の名を名乗るのが確実だ。いい名前をすでに貰ってるのに、 手間をかけて新調するこたぁないだろう」
「でも、たとえば豊みたいにヴァンパイアになったとたん前世の記憶が入ってきたりしたら、けっこう混乱するんじゃないか?」
思い出したのは船の中、と言っていたから「とたんに」とは違うだろうけど。もしかして、俺の血を吸って魔力を回復したのがきっかけだったりするのだろうか。
「記憶だけあっても他人事と同じだよ。その時の気持ちは持ってないんだから。たま~にいる、魔力と肉体揃って転生した奴なんか質が悪いらしいけど。なんでも、前世で恋人だった相手に押しかけてとかなんとかさ」
「魔物に限らず、人間の中にも魔力を持って生まれる者はいる。そういうのは前世の記憶も持っているだろう」
前世からの恋人、なんて設定はドラマとか映画とかでもよく見かける。だからといって、現実にそんな記憶を持っている人がいるなんて話、人間は誰も信じない。
もしかしたら、そうした物語を伝えようとした人達は魔力――前世の記憶を持っていたのだろうか。そうして、その事実を人間に伝えようとしても一蹴されて、誰からも相手にされなかった。なんてこともあったのかもしれないと想像すると、なかなか気の毒な気がする。
「外の見張りはユイノに任せよう」
「ああ。わかった」
オルンにそう命じられ、豊は特に疑問もなく小屋から外へ出ていった。
「エメラードに着いたっていうのに、見張りが必要なことでもあるのか」
「おいおい、ソースよ。エメラードについてどう聞かされているんだ?」
薄暗いので表情ははっきりとわからないが、少なくともオルンの声色からは呆れている様子がわかる。
「どうって……アクアマリンの魔物はソースが人間の中にいるのを嫌がっているけど、エメラードの魔物は人間を守ろうとした、その……源泉竜の意思を尊重するって」
「間違っちゃいないが、別に積極的に人間を守ろうなんて慈善精神で生きてる奴なんざそうはいない。俺の知る限り、ティアーとヴァニッシュだけだな」
「エメラードで待ってるっていう、ティアー達の仲間は違うのか」
「ああ。会えばわかるだろうがそんなに甘やかしてくれる連中じゃないさ。アクアマリンの連中がソースを狙うのは思想上の理由からだ。エメラードの連中は、 単にソースを千載一隅の最高級食材と思ってるんだよ。この世にたったひとり、神竜に匹敵する魔力を備えた肉体だからな。そりゃあ、単に人間の肉には変わりは ないんだが、それだけご大層な付加価値があれば美味いもん食ってる気にもなるだろうよ」
……すると、何か。最初に襲ってきたヴァンパイアみたいなのがこの島にはそこいら中にいると。そう思えってことか。しかも、気の持ちようなんかで食材として付け狙われるなんて冗談じゃない。
「でも源泉竜って、魔物達にとっては父親みたいなものなんだろ? よく食おうなんて気になるよなぁ」
「ソースはアイラに選ばれた人間というだけで、我らが父であるなどと考えられん。また、アイラの選んだ人間がソースにふさわしいかどうか、その判断は今、生きている俺達の役目さ」
厳しい言葉の連続に落ち込み、うつむいたところで、
「まぁ、これは俺の直感に過ぎないが。その点において、おまえに問題があるとは感じられん」
思いがけず、初めてオルンの優しげな声がかけられた。顔を上げると、あくまでほんのかすかな変化ではあるが、その表情は柔らかなものになっていた。
具体的に俺の何を評価してくれたのかは、どこか照れくさくて聞き返さなかったけど、認めてくれたんだなという事実は素直に嬉しかった。




