5話‐2 魔物の中の人間
翌日、同じような流れでエメラードが見えてきた時もすでに日は沈んでいた。
アクアマリンから船が出て、安全を確信したヴァニッシュと豊が部屋に戻ってくると、四人揃って盛大にため息。これでエメラードまでは安心して休める、なんて言ってからまた丸一日経過したってことだ。適当に数えて四十八時間、個室に缶詰状態はちょっと滅入るよなぁ……。
「ところで、着いたらどうするんだ? まさかすぐに森に入るわけじゃないだろ」
身体がなまると言いつつストレッチをしている豊が訊ねると、ヴァニッシュは、
「……俺はベル達に報告しに、先に戻る。連れてきたソースのことは、初日はいつもオルンに頼むらしいから、今回もそうしよう。護衛はティアーと豊に任せる」
と、淡白に答えながらどこかほっとしたような表情。
「オルンって?」
「船着き場から見える位置に住んでるドワーフだよ。ガーゴイル職人なんだけど、って言ってもわからないよね。そうだ、もう甲板に出ていてもいいんじゃない?」
「……そうだな」
ティアーとヴァニッシュはそう言うが、まだエメラードは小さく島の影が見えるくらいで、そう急ぐこともないんじゃないかと思う……けど、別に反対する理由もないので、深く考えず従うことにした。
甲板に出ると、すぐに異常に気がついた。が、ヴァニッシュや豊は何てことないという顔で、ティアーに至ってはそいつらに向かってにこやかに手を振っていたりする。害はないんだろうと判断し、改めて空を見上げる。
船からの白いあかりの中に浮かび上がるのは、十体ほどの石像だ。二足歩行の大柄な獣にコウモリのような羽が生えている。それらを彫刻で毛並みまで再現するというのもなかなかの腕前だとは思うが、かつ空を飛ばせるというのは何かすごい技術でも施していたりするのだろうか。
「あれが、ガーゴイル。職人が石に魔術を刻んで、一刀一刀に魔力を込めて彫ってって、完成したらこうやって自分の意思で行動できるようになるんだ」
「へー。石なのに感情があるんだ。そりゃすごいな」
「……割と高度な魔術だから、誰にでもできるわけじゃない。それに、自由意思があるとはいえ術者の定めた命令に背く行動はできない」
「こいつらの場合、アクアマリンからやって来る船の見張りくらいしかすることがないってことさ。あと万が一、アクアマリンの連中が船団で攻めてきた時、先頭に立って突撃することになってるんだっけ?」
どうでも良いことのように語る豊に、ヴァニッシュは頷く。人間の側からすると、アクアマリンとエメラードの魔物は仲が良いわけじゃない、くらいのことしか伝わっていないので、こういった理解が及ばない。豊の態度から察するに、現状、アクアマリンとエメラードが全面戦争になる可能性は低いと思っていていいんだろうか。
「おーい、ツタン~!」
ティアーが呼び掛けると、空を飛ぶ石の群れの中から一体が甲板の俺達の前まで降りてきた。魔術を込めて丁寧に仕上げる――のかと思っていたが、目前にすると意外に造形の粗さが見えた。細かい部分が潰れているし、特に目立つのは二対の羽の大きさが揃っていないところだ。
「イヨッ、おかえりティアー。げんきそうでなにヨリ」
「そっちこそ。エトは元気?」
「おうヨ、もうじき弟分がかんせいしそうダヨ」
身長は俺やティアーとそう変わらず、ティアーはガーゴイルの額を撫でてやっている。言葉を発してはいるが、声色は固く口も動かない。こういうところは石像らしいといえばらしいかもしれない。
「アンタがソースかい?」
ガーゴイルがぎこちなく首を動かし、こちらを見やり、ついでに人差し指で俺を指す。正直、どうやりとりをすればいいものかとまどうけど、こうまでされて無視するわけにもいかないのでとりあえず頷いておく。
「ソーカソーカ、エトのイイ話し相手になってクレルかなー」
「どうかなぁ。あたしだってろくに話したことないし」
「……たぶん、つもる話もあると思う」
「そう? そういえば、ヴァニッシュとは比較的、よくお話するよね、エトは」
オルンは今日お世話になるドワーフで、このガーゴイルはたぶんツタンというんだろう。じゃあ、エトって? そう思って訊ねてみると、
「エトはエメラードにいるただひとりの人間だよ。オルンに師事してガーゴイル職人の見習やってるの」
「ツタンはエトのしょじょさくってヤツだー。オルンと違って一体ツクルのに何年もかかってサ。もうじき、ようやく二体目が完成しそうなカンジ? かな」
「ふーん……なんの為にエメラードに来たんだろうな。エメラードにいたらいくら作品を作り上げたところで、誰からも評価されないのに」
俺の抱いた疑問をそのままに、豊が口にしていた。
魔物だったらどうだか知らないが、人間にとって自分の生み出した作品に社会的評価が付与されるのは喜ばしいことだし、生きがいにだってなりえる。
「……エメラードでどんなに素晴らしい作品を残したって、風雨にさらされていずれ自然に還るだけ。エトはそれでかまわないと言っていた」
ティアーの言い様から察するに、エトさんとやらは随分と無口な人らしい。けど、ヴァニッシュにはぽろりと本心をこぼしているようだ。まぁ、確かに打ち明けごとをしやすい空気感な気もするけどな、ヴァニッシュは。
エメラードの船着き場へ停まると、ガーゴイルは一斉に砂浜へ降り立つ。そして、そのまま動きを止めた。ツタンだけはやや遠目に見える、木造の小さな小屋の屋根へ着地した。
エメラードの港へ着いても、人間の船員は誰も降りなかった。縄ばしごを渡され、下りるなら勝手にやってくれ、と言われるが、その口調に嫌味は感じられない。まるで当たり前のような口ぶりなので、腹も立てようがない。
港はフェナサイトとアクアマリンで見たそれとは全く趣を異にしていた。というより、港としての体裁はほとんど整えられていない。陸から伸びる木製の桟橋があるだけで、ただの砂浜としか言い様がない。灯台もないのに無事に到着したというのもさりげなくすごいような気がする。……あとはガーゴイルの石像の群れか。危うく忘れそうになったが、これだって俺の常識の範疇からは外れてしかるべきだったっけ。異常現象に慣れつつある自分がちょっと悲しい。
船からの光をそのまま跳ね返してしまいそうな森の影に圧倒される。エメラードの第一印象は、漆黒そのものだ。人工的な光によるアプローチが一切ないんだから。普段、そんな光に囲まれて生活してきたから、それがないことがこんなにも恐ろしいなんて知らなかった。
「敦、大丈夫?」
知らずに硬直していた身体が、ティアーの呼びかけにに正気を取り戻す。振り返ると、ヴァニッシュが縄ばしごの設置を終えたところだった。
(2024年3月追記 エトさんのエピソードはあまりにも時代遅れで「若い人にはわからない」の領域になってしまったので、非公開になりました。名前だけでこの後登場しません)




