4話-1 封滅の式
「元気ないらしいね、まぁしょうがないだろうけど」
自分のクラスの前、廊下で珍しい人に遭遇した。前に会った時と変わらない、笑顔のまぶしいキネ先輩だ。
エメラードへ渡るには日程上の調整が必要だというので、その日まで、俺はこれまで通りに学校へ通っている。しかし、わずかな時間で様々なことが起こりすぎて気も滅入っているので、以前と同じように振舞うというのも無理な話で。
当然、学校のみんなは豊があんなことになったせいだと思っているのだろう、俺を気遣ってくれている。
報道されたくらいだから、他の学年にも俺のことは噂されていると市野が言っていた。それも、事件以降、もうひとりの渦中の人であった「海月涙」が自主退学したのだから、なおのことだ。
「豊をよろしくね。これでもわたし、あの子のこと、けっこう本気だったんだから」
すれ違いざま、そんなことを言い残した――ちょっと、いやかなり聞き捨てならない。
言及したかったが、キネ先輩はさっさと歩いていってしまう。もう休み時間も終わるので、俺も早く戻らないと。
まあいいか。気になることは、やはり本人に訊くのが一番だろうし。
俺の帰る家はもはや住み慣れたわが家ではなく、森の奥、魔物の館だ――ティアー達は出張所と呼んでいるらしい――とはいえ、単身で森をうろつく度胸も実力もない。
サクルドが俺を守る能力は、俺が魔術を理解しないと完全には発揮されないということで、俺の護衛に彼女だけでは心もとない。だからもうひとり、どこかに隠れて常に俺を見守ってくれているらしい。そして下校時間になると、黒か銀色かの違いはあるが、校門前で狼が俺を待っていて、一緒に歩いて帰るんだ。
同じ場所に、今日は私服の女の子がたたずんでいて、生徒達の注目の的になっていた。おおよそ同年代に見える、しかしワンピースにタイツに手袋にロングへ アーに目の色に、つばの広い帽子と日傘とリュックサック等オプションに至るまで。何もかもが黒で統一されていて、目立つことこの上ない。特に傘の裏地がまがまがしいと言えるような赤で、ただでさえ怪しい雰囲気を助長させている。
やや小柄で、手足が引き締まって細身で、極めて淡泊な表情をしている。顔色が白いというよりは明らかに具合の悪そうな、見知らぬ女の子――と、思いきや。
「敦」
その声は男のように低く……なんて言うのもまどろっこしい。豊の声だった。
「ティアー達は、露払いしなきゃならないからって先に行った。声は変えられないからあんまりここで話してるのもまずい。早く行こう」
「ああ、わかった」
大まかな事情はわかった。長矢豊は死んだことになっているのだから、本当の姿で外をうろうろするわけにもいかないのだろう。こうも外見をがらりと変えているのに、声だけで豊と見破れる人物と出くわすこともないとは思うが、念には念を入れて、だろうな。
「でも、何で女装なんだ?」
「女装って言うな、人聞きの悪い」
不本意らしく、口を尖らせて抗議してくる。
「こう陽が高いと俺も外に出るのはしんどくてさ。この服はヴァンパイア用の防護服なんだ。でも――まだ俺も会ったことはないけど、所長専用に作ったもんだからこのサイズしかなかったんだよ」
確かに、今の豊がこの服を着ている様を見ていると、所長さんとやらが割と小柄なんだなっていうのがわかる。
ヴァンパイアという生き物は、遭遇した人間はよほど運が良くない限りまず殺されるので、人間にとっての認知度に対してその性質はあまり知られていない。 ヴァンパイアはもちろん、ティアー達の正体であるワー・ウルフについても俺は全く知らないので、先日、サクルドから説明を受けた。
魔物の多くは日光の恩恵で魔力を回復するが、アンデッドの多くにとってその恵みは強すぎてかえって身体に負荷を与えられてしまう。だから彼らは、夜、月光浴をして魔力を回復する。
ここ数日、豊は昼は館に引きこもり、夜になると木の上で月を見に行く。だから、実はこうして話す機会も限られていた。
どんな姿にも変化して、かつ本人の声で会話ができるというのはヴァンパイアの特徴だという。物理的な制約を受けるタイプの魔物で、これは珍しいんだそうだ。俺でも言われる前にわかることだが、本来の質量より小さくなったり大きくなったりするのはおかしなことだと思う。
変幻自在というのは実態を持たない精霊なら割とよくあること。ティアー達ワ―・ウルフが人間になれるのは、詳しく聞かされていないが一応は説明のつくもので、狼の肉体ではその都合で会話ができない。しかしヴァンパイアは、手のひらサイズのこうもりにだってなれるくせに声帯は維持されるというのが不思議だ。
「仮にとはいえ、最後の学校だったろ。どうだった?」
「さすがに休学するって知られてるから、それなりに騒々しかったよ。けど、あとは別段変わらなかったな。学校自体、特別な日ってわけじゃなかったから、いつも通りに授業があったわけだし」
俺は今後、この島に帰ってくるのがいつのことになるのか、わかっていない。だから学校の方は、退学でなく休学扱いにしてもらった。あんまり長期間帰れないようだったら、その時は改めて退学になるのだろうけど。
家族は今の家に住み、アネキは普通に学校へ通うのに、俺だけ休学するというのはどういうわけだとまことしやかに囁かれている。事実、学校側に提出する言い訳を考えるのにかなりの時間を費やす羽目になった。ティアー達いわく、ソースうんぬんの事情はあまり人間に話さないで欲しいということだから。
「柴木隆はどうしてるんだ?」
「どうしたもこうしたも、何事もなかったように保健室にいるよ。何をしてくるでもなし」
おそろしくて保健室に近付く気にはなれず、保険委員のクラスメイトに探りを入れたのだが、柴木先生は常と何一つ変わった様子はないようだった。
ついでに常時張り付けたかのような固まった笑顔について質問してみたら、本当にいつもああだから気にならないと言われた。まぁいつも仏頂面でいられたら気分も悪いだろうが、いつも人当たり良く笑っている分には問題も少ないのかもしれない。俺だって、あんな状況下でなければ不自然と思わなかったんだろう。
「そういえばさ、結局、豊とキネ先輩の関係って何だったんだ? 今日たまたま会って、おまえのことよろしくって言われたんだけど」
この言い様だから、仲が良かったのは本当なんだろう。豊がダムピールだってことも含めて、事情は知っていそうだったから、島を出るにあたって挨拶なりしていかなくていいんだろうか。
「紫もなー、けっこう複雑な事情があるからな……少なくとも、たぶん、俺はもう二度と会えないだろう。敦ならまた会うこともあるかもしれないし、知りたいってなら事情は本人に訊いてくれ」
「特別知りたいっていうのはないけどさ……」
二度と会えないっていうのは、どういう意味なんだろう。そう言う豊の表情を見やると、どこか寂しそうに見えたりもする。
「――関係っていうか、少し、尊敬はした。もっとこう、恨むとか憎むとかしても罰は当たらないだろっていう目に遭ったっていうのに。自分の運命を前向きに受け止めて、あんな風に笑っていられるなんてさ」
豊をもってして、あんな目と言わしめるって……彼女の人生によっぽどのことがあったんだろうと想像できた。だとしたらこれ以上の詮索は無用だと思った。
人間の島をまとめるフェナサイト政府は、アクアマリンの魔物達と不可侵条約を結んでいる。人間からアクアマリンの魔物達への、一方通行な物資の援助はその条件だ。今ではアクアマリンは完全自給自足ではなく、人間の送る食糧などで生活の半分近くを賄っているらしい。
そのため、人間の島からアクアマリンへは頻繁に船が出ている。それも距離的に最短となるここ、東部に限らず。西部、北部、南部にそれぞれ港を据えて対応している。
しかし、一般人は観光でさえ魔物の島へ行きたいとは思わないので、その船に乗るのは政府の船乗りと一部の物好きだけだ。人間が魔物の島へ移住も認められているので、夜逃げしたり、勇気があるのか命が惜しくないのか魔物を研究する学者などが、一般客の代表的なところだ。
一方、人間の島からエメラードへ渡る航路は存在しない。アクアマリンからでさえ、月に一度と決められている。エメラードは完全自給自足で、かつアクアマリンにもフェナサイトにも無関心。島から出ようとする者の方が珍しいくらいなので、高い金を払って航路を便利にしたところで意味がない。
それでも、少なくてもエメラードを出る用事のある奴もいるし、アクアマリンからエメラードへ移住したがる奴だっているとのことで、月に一度だけ必ず船を出すという取り決めになったんだとか。
だからこそ、俺達の出発はアクアマリンからエメラードへ直行の船が出る日に調整する必要があった。船は人間の管轄なので不可侵条約の範囲にあり、アクアマリンへ到着しても上陸せず船に引きこもっていれば、安全にエメラードへ渡れるのだ。
俺達の暮らしていた街から最寄の港へは、列車を乗り継いで半日はかかる。到着した時にはもう日が暮れていた。
アクアマリンまで渡る貨物船は、漁船と比べると大きさはけた違いだ。間違えようもないのだが、ティアーは船の前に立って、俺達に気がつくと手を振った。
「ティアー、そんな格好で寒くないのか?」
「んーん、あんまり。それにエメラードは年中熱いから、今から厚着してるとめんどくさいよ」
港町は冷たい海風が吹き、夜というのもあって俺の思っていたより肌寒い。ティアーはいつも通り、生地の薄いワンピースだ。
「だけど、アクアマリンは人間の島よりも寒いだろ」
「豊って、アクアマリンに行ったことあるのか?」
「いや……ただ、知ってるだけさ」
なんだかますますうつろな表情になった豊が気になって、深く追及する気にもならなかった。
「ここからアクアマリンまで丸一日以上あるから、豊も着替えちゃっていいと思うよ」
アクアマリンに着くのは明晩ってことだろう。
俺の荷物を運んでくれていたらしいティアーが、リュックサックを差し出す。俺は学校の制服、豊は女物の洋服。この姿のままうろつくのは居心地が悪いよな。
「ごめん、運ばせちゃって」
「いいよー、これくらい」
荷物を受け取ろうとした時、隣で黒い影みたいなものがゆらめくように動くのが視界に入った。豊が前へ倒れこみ、膝をついていた。
「豊、大丈夫か?」
「あ、ああ……何てことない」
僅かに息を乱しながらも立ち上がる。その様子は、やっぱりどちらかというと大丈夫そうには見えない。
そんな豊を、ティアーは真剣な面持ちで見つめる。どこか咎めているようなその雰囲気に、豊も険しい目線を返す。少しばかり、険悪な空気を感じた。