フェイド・イン
21話「君という夢の終わり」で敦が寝ている間の出来事です。
高校二年生になる直前の春に敦がソースになってからこっち、激動の日々だった。それでも一番しんどかったのは直近のこの一か月間だったな。
紆余曲折あってアクアマリンに来る羽目になった俺達は、一時は敦も地下牢に幽閉されるわ瀕死の重傷を負うわで、心身共に半死半生の目に遭っていた。それから、アクアマリンを含めこの海域の存続の危機に直面し、無限の魔力を持つソースにしか務まらない儀式を執り行うことになった。
その儀式に必要なのが魔力だけなら良かったんだが、敦は儀式によって生命力をごっそり抜き取られて、あの日から昏睡状態に陥っている。命がけの儀式であることを承知で自ら志願したのは、アクアマリン政府に恩を売ることで、自分だけでなく俺達の身の安全を確立するためだった。ソースも、ヴァンパイアという種族もアクアマリンでは賞金首だから、儀式が成功したら俺達個人をその対象から除外しろと主張して、盟主ハイリアと契約を交わしたのだった。
アクアマリンにいる「人間を診られる医者」は、出張診察は絶対しないと掲げているので、一度だけ診療所へ運んで診察を受けた。行きは俺が、帰りはアクアマリンで知り合った仲間が背負って。
アクアマリンはごく狭い島なので歩いてもそんなに時間はかからないし、敦はすっかり肉が薄くなって体重も減ったのか、背負って歩くのもちっとも苦でなくて、それが逆にやりきれない思いにさせられた。
診察の結果、ただ眠っているだけで命に別状はない。ただ、ソースになってから今までの精神的な負担が積もりに積もって、眠りに逃避して目覚めないのではないかということだった。魔物の島じゃあ人間の島みたいな医療水準はないから、このまま目覚めなかったら栄養も摂取出来ないし、それこそ命に関わる。
敦の寝かされる宿は盟主ハイリアに指定されている。エメラードの、直接床に寝る生活に比べたら遥かにマシだが、質素なベッドの上で眠り続けている。別にずっと見ている必要もないんだが、仲間内で交代で敦に付き添っていた。誰にも知られぬまま息が止まってました、なんてことになったら悔やみきれないから。
「はあ~……」
今日もこれっぽっちも目覚めそうな気配がなく、椅子に座って項垂れたまま、深い溜息が出る。どれだけ呼びかけても、早く起きてくれよと願っても、進展がないしんどさを思い知った。かつてはむしろ、俺の方がそうやって、敦を困らせてたんだけどな……。
「お疲れのようだな……」
この部屋には眠っている敦と俺以外、今は誰もいない。はずなのに、突然に声が聞こえてきてさすがに驚き、反射的に立ち上がる。いつの間にか、敦の腹の上に見知らぬ子供が座っていた。見知らぬ……いや、見覚えが、ある。
「まさか、フェイドか?」
「おお、御明察。それで、えーと。君の名はなんだっけ……」
その返事こそ、まさにフェイドであることを示している。こいつは何故か、ヴァニッシュ以外の名前をすぐに忘れて、俺達は何度も自己紹介を繰り返す羽目になったんだ。
「ユイノだよ」
「そう、ユイノだ。いつぞやは世話になった……」
「そんなのどうでもいいから。なんでここに……言っちゃ悪いけど、あの時死んだんじゃなかったのか? しかもちょっと縮んでるし……」
「話せば長くなるし、だいぶややこしいと思うんだが……」
フェイドを十年間に渡って生かしてきた「金のかけら」は、夢幻竜のかけらでもある。夢幻竜は安息を司る神で、世の中のあらゆる負の感情を浄化する役割にある。
「金のかけらを与えられたものは、常に負の感情ばかりを見続ける夢幻竜のために、現世の幸せな夢を届けなければならない。まぁ、俺は自分にその務めがあるとは知らずただ十年生きただけなんだが。その十年の生き方が夢幻竜の神器達によって認められて、なんと、ナイトメアとして任命されてしまったのだ。ぱんぱかぱーん……」
「え~……」
フェイドが死んだ時の俺達の悲しみはなんだったんだ。余計な効果音も相まってぶち壊しじゃないか?
「ちなみに若返っているのは、夢幻竜の神器達は幼体で、自分より大きい者は嫌いだと。ナイトメアに選ばれた者は十二歳の姿に変えられてしまうんだ……」
「勝手に任命しておいて、我儘すぎるだろ」
「ナイトメアの能力によって、戻りたい時は元の姿にも戻れるが……」
「ややこしいっていうよりわけがわからねえよ、もう」
そもそも、ナイトメアっていうのは夢を介して人間を害する夢魔だって聞いてたけど、フェイドみたいな性格でそんな役目が務まるものなんだろうか。
「ナイトメアというのはあくまで、夢幻竜にすら浄化しきれないほどの負の感情を解消するため個別に対処する役目なんだ。夢幻竜の負担を軽減するためなら、その対象を害して死まで追いつめるのも良しと認められている。逆に、徹底的に関わって浄化し尽くしてしまうのもまたしかり……」
「つまり、フェイドは後者の方で適性が認められたってことでいいんだよな? 夢幻竜の神器達に」
「そういうことだ……」
そこまで説明されたら納得も出来た。フェイドの生きてきた十年間。体にあれほどの苦難を抱えていても、誰ひとり恨まず、ささやかな幸せが何よりも大事だと信じて過ごしてきた。こんな人材は稀有にも程がある。
「幸いなことに、俺が死んだ時に金のかけらと共に銀のかけらがくっついてきたそうでな。ヴァニッシュは夢魔ではないが、俺の影として補佐してくれることになった……」
「マジかよ……」
ここまでくると出来すぎた話って気もするが、朗報といっていいと思う。おそらく、ヴァニッシュが抱き続けた「自分のせいでフェイドを不幸にしてしまった」という誤解は解けたはずだし。
「それでヴァニッシュは、今、彼の夢の中に入って語りかけている。夢から覚めるように。だからきっと、まもなく目覚めるだろう……」
えーと、彼の名前はなんだっけな……なんて言ってるけど、教えたところでまた忘れるんじゃ意味ないと思うけどな。
俺に伝えたいことは全て言い終えたと、フェイドは夢の世界へ帰ると言って姿を消した。ちょうどそのタイミングで、
「豊~、ちょっといい? 紹介したい奴がいるんだけど」
隣の部屋から、梓に声をかけられた。梓はアクアマリンに住んでいる人間で、俺達がこっちに来てからは全面的に助けてくれた。何故かというと、こいつはあの「支竜アース」だから。
封滅の式に魂を封印されたせいで、俺と違って最初のアースの記憶は一切見えないらしい。けれど、そのおかげで過去の記憶に影響されない。アクアマリンという小さな島を、小さな体で駆け回って、誰に対しても親密で。白と灰色しかない陰気な街並みの中で、梓の髪に現れた稲穂のような魔力の色と屈託ない笑顔は、まるで自ら光を放つように輝いていた。
最初のユイノが自分の全てを捧げた甲斐があった……その犠牲は報われたんじゃないかと思わされる、あの頃のアースがそのまま光を取り戻したような人間性だった。
「こいつが前に話した、オレより強いアクアマリン住みの友達! 名前は江波 聖っていうんだ」
「よろしく」
端正な顔立ちだけど淡泊な表情で、たった一言の挨拶と共に頭を下げる。その目からは、その挨拶が口だけで、向かい合う俺への関心の薄さが見受けられる。関心持って欲しいとはこっちも思ってないから別にいいけどな。
梓と同様、髪に魔力の色が表れているから、魔術を使うために長く伸ばしている。水色の線の細い髪を後頭部で縛って垂らしている。
なんでだろう。間違いなく初対面のはずなのに、どっかで見た顔のような気がするのは。
ここ最近の事情を知らない聖のために梓が説明している最中に、隣の部屋では無事に敦が目を覚ましていたらしかった。