特別編 君のいた夢の続き
このページはノベルデイズのチャットノベル用に書き下ろしたエピソードなので、後半部分は会話文だけで進行します。
その日。俺は放課後に教員室へ呼び出されて、やっと帰れると思った頃には窓の外が薄赤く染まり始めていた。
「このままの頻度で遅刻を繰り返していたら、来年度の進級は辛うじて出来たとしても、そこから先はどうなるか保証出来ないぞ?」
説教というよりは説得という感じで、少なくともちゃんと心配してくれていそうな調子だった。こういうタイプの担任っていうのも、今まではご縁がなかったよな……。
「来年の保証、かぁ」
そもそも、そんなもの……至極真面目に、学生生活に取り組んだとしたって。俺達の「高校生活」に保証なんか、あり得たんだろうか。
確か、そんな感じのことを考えながら、俺は薄暗い廊下を歩いてたんだ。ティアーと屋上で会う約束をしていたから。階段を上へ上へと進んでいくと、最上階は三年生の教室が並んでいて。部活動も引退して大学受験を控えた三年生はとっくに下校していて、人気がない。
俺達の高校は屋上の転落防止対策もしているし、放課後はテニス部が部活動をしているらしいから、屋上へ出る扉は施錠されていない。何の疑問もなく、俺はその扉を開いた。
「初めまして、長矢豊くん。わたしを見つけてくれて、ありがとう」
夕暮れどきの、空の庭。そこに、自分の想像していた景色はひとつとしてなかった。
ティアーはおろか、部活動に励むテニス部員もいない。しんと静まり返っている。……いや、そもそも。放課後の屋上は使用している生徒がいるってこと、ティアーだって知ってるはずだ。俺とティアーは学校内、人目のある場所で堂々と会話するのは憚られる。
考えてみれば、この時間、この場所に。彼女に呼び出されたっていう事実そのものが、不自然じゃないか? ティアーはとっくに、敦達に付き添って、あいつの家に帰ってるはずで。
「うん。あなたの想像の通り。ティアーはここには来ないよ。わたしがあなたの認識に触れて、『ティアーと屋上で会う約束をした』って、思い込んでもらっただけだから」
屋上にいたのは、たったひとりの女生徒だった。うちの学校の女子制服は白いセーラー服なのに、秋の訪れを告げる冷やりとした風に揺れるのは見覚えないデザインの黒いセーラー服。俺の肌に触れる風の強さに対して、彼女の、緩やかに波打つ薄茶色の髪は優しげに頬を撫でてふわふわと浮くみたいで。「確かに、そこに立っている」という現実感が希薄だった。
「あんた、何者だ?」
「わたしは三年の綺音 紫。ティアーと『初めまして』は先に済ませてあるし、わたしは敦君を脅かす魔物達の仲間ってわけじゃないから。そこは心配しなくて大丈夫だよ?」
いや、いくら俺だって、こんな時まで真っ先に敦を優先出来るほど場慣れしてないっつーの。
「そうだよねぇ。今のあなたは一応、まだ、人間の体。だもんね?」
「……今、なんて」
「申し訳ないんだけど、わたし、あなたの秘密を知ってしまったの。この学校の中で、わたしに隠し事は不可能。そういう仕様なものだから」
「秘密、って」
反射的に飛び出しそうになった言葉を、飲み込んだ。「何の、秘密を」「どこまで、知ったのか」。そこのところを明言されてしまうことが、俺は……。
「怖かった、よね」
目の前にいる俺に対する、慈愛と憐憫。そしておそらくは、自身の痛みを思い出しているように。微かに目元をしかめながら、彼女は自分の胸元の布をぎゅっと掴んでいた。そんな姿を見ていたら、どういうわけか、俺も……心臓がきりきりと痛む、気がした。
「あなたの心は、わたしと同じ。過去の、きずあとだらけだったから。まぁ、何もかもが同じっていうわけじゃないけど。今は普通に、人間の体で生きているあなたと違って、わたしは魂だけでさまよう亡霊だから。心の傷の痛みだって、とっくに摩耗しちゃってるのよ」
人間の体を失ってしまうと、受けた傷の痛みは摩耗していく。心も、体も。この時の俺は知らなかったけれど、これから半年ほど後には嫌というほど思い知らされることになるんだ。
「だからわたしがあなたに求めてしまうのは、わたし達……あなたと、わたし、おたがいの傷の慰め合いじゃない。他の誰より、あなたを理解してあげることで、あなたに求められたい。必要な存在になりたいの。……どう? 信じられないくらい、自分本位でしょう?」
そう、彼女は自嘲した。だけどきっと、わかってもいたんだろう。この学校の中で、紫に隠し事は通用しないから。
俺が、彼女を自分本位と否定しないってことを。
俺だって、ずっとずっと前から、求めていたから。自分を必要としてくれる誰かに出会いたいって。
過去のきずあとも未来への悲観も、何もかもを受け止めてくれる人に繋がれることを。
『豊ったら~。わたしとの約束があるのに、使っちゃったんだ?
ユイノの力。封滅の式!』
「……ごめん……」
『言い訳、あるんでしょう? 自分の口で弁解しなくていいの?』
(わざわざ言わなくたって、
心を読んでて知ってるくせに……)
「……紫とした約束を、忘れてるわけじゃないんだ……けど」
『いざ、敦君の身が危ないって思ったら、なりふりかまわず。とっさに体が動いちゃうんでしょう』
「そう……」
『いいよ。許してあげるから。
わたしが好きになった豊は、最初っから敦君ありきなんだもの。
自分にとって特別で、大切な人を守るために、我を忘れて必死になれちゃう。
豊のそういうところが好きだから
豊だって、同じでしょう?
あなたにとって、ティアーは……敦君が大好きで、彼のために一生懸命に生きようとしていた。そんなところが好きだったんだよね』
「……そう、だな……」
『……指先、なくなっちゃったね。可哀想に……痛かったよね』
「……痛かった、けど。それより。頭ん中に指でも突っ込まれて、でたらめにかき混ぜられてるみたいな。わけ、わかんなかった」
『……ねえ、豊。わたしはね。人の心も過去も見通せるけど、未来だけは見えないの。
だからね。もしも、これから先。何かが起こって、豊が封滅の式を使わなくちゃいけない……そんな風になったとしたら。
わたしとの約束は、優先しなくていいから』
「……」
『もちろん、豊が元気に長生き出来て、わたしとの約束を叶えてくれる。それがわたし達にとって一番良いっていうのは前提。
だけど、もしも豊が、それを使ったとしても。わたしはいつまでも、ずっと、豊と一緒にいられるから。
それだけだって、わたしは幸せだもの』
━ ユイノが封滅の式なんか使わずに済むように、何度だって考えるから……
━ 自分の望みのために豊を利用するっていうなら、俺は絶対に許さない。
『あなたって、素直に甘えるのが下手だから。だけど、こうやって、ね。
夢の中で会うわたしにだけは……「痛かった」って弱音を、隠さないで教えてくれる。
敦君とは違うけど、わたしだって、あなたにとって特別。そう信じていられるから、何年だって待っていられるんだよ?』
「……レムレスは心を読めるから、紫には隠しごとしたって意味がない。それだけじゃないか……」
『だったら、わたしが亡霊になってさまよった、虚しかったあの日々も……無駄じゃなかったって、思えるのよ。少しでも、豊の役に立てるなら、ね』
「……紫……」
『……うん』
「……ありがとう。紫がいるから、俺は……さっきまでより、封滅の式が、怖くなくなった気がするんだ……」
『……おたがいさま。わたしのような。死への怖れを鈍らせるだけの亡霊を。そばにいさせてくれて、ありがとね』