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別れの音が聞こえる

 敦がエメラードの指南所で訓練を始めて、十日目のことだった。今までの人生で経験のないような環境で肉体も思考もフル回転で動かし続けなければならなかった無理がたたって、ついに敦が体調を崩してぶっ倒れた。




「つーわけで、つまらんが今日は休息日ってやつだぁな~」


 ソースの肉体面を鍛える指導を担う、タイタンのライト。今日という日の退屈を憂いているのか、心の奥底から絞り出すような溜息をつく。彼は退屈を嫌うあまり、生まれ故郷のタイタン領エリシアを出奔し、エメラードにすら不満を抱いて人間の島で人に混じって勤労までしたりする筋金入りだ。いつ以来なんだか知らないが、久しぶりにソースを交えての生活の変化を味わっている。




「人間にとっての休息日って、限界を迎えてぶっ倒れたからようやく休みますっていうんじゃなく、三日働いたら一日は休んで倒れないようにします、って意味なんだけど……人間の暮らしに詳しいライトならそれくらい知ってんだろ?」


「そんなんつい最近の人間の話だろー? おいらがあっこにいた頃の人間なんか毎日休まず働いてたぞー?」


「昔の感覚か……なら仕方ない、か?」




 魔物っていうのは曜日どころか日付や年号すらどうでもいいって暮らしをしているんだから、人間の島で採用している曜日制……決まった曜日は公的に休暇が認められる……を理解しろっていうのが無茶か。魔物にとって大事なのは、自分自身の寿命。そして、この世から魔力を頼りに生きる者全てが絶滅すると伝えられる終末、「約束の日」だけ。




 なんだかんだ、その約束の日もざっくり計算するとおおよそ二百年くらいまでに迫ってたはずだけど、少なくともこの頃の俺はそんなの別にどうでもいいと思ってた。今は違うといっても元は、明日にもこの世から消えたいと思って生きてきたのに、遥か未来の種族全体の存亡の危機とか実感が湧かないし。




 実際、そんなものよりもっと身近な終焉が、俺達には迫っていたのだから。








 指南所のメンバーにとっても急に暮らしが変わって十日間、からの休息日ということもあって、誰もが無意識に気が抜けていたのかもしれない。食料の調達といった用事はあれど、戦力が分散していた状況下でそれは起こった。エメラードに暮らして長い鳥精霊のディーヴによる、襲撃。


 鳥精霊としての彼女の戦闘力は大したものではないそうで、それを補うためにディーヴは百年がかりで、自分の手足として戦わせる大量の虫を育てていた。




 この時、ティアーは敦のために薬草を採りに行くと単独行動をしていた。そこにディーヴは虫を送り込んで、彼女を捕えると宣戦布告した。




 ライトとヴァニッシュは朝食探しに出かけてしまっていて今どこにいるかもわからない。エルフという種族は血闘を禁止されているからエリスは戦力としてはそこまで期待出来ない。ろくに動けない敦とエリスを守る役をベル一人に任せてここを離れるっていうのはさすがに心配な気もしたけど……。




 今朝からなんだか胸騒ぎがしていた。ヴァンパイアという種族のそれは、月の魔力の影響を受けた未来予知の片鱗だとされている。つまり、今日のこの事態をなんとなくだけど察していたのかもしれない。感じていて、でもそれが何なのかがわかっていなくて、ひとりでここを離れるティアーを見過ごした。後になって振り返るとそれは後悔してもしきれなかった。




 こんな事態になって、敦の安全ももちろん気がかりだったけど……敦にとってティアーの存在は心の支えみたいなものなんだ。たとえ敦自身が無事にこの局面を切り抜けられたとして、ティアーの身に何かあったら精神の方に間違いなく影響するだろう。




 それに……俺だって。結局ヴァンパイアになっちまったっていうのに今、こうやって心平穏に生きていられるのは、あの日ティアーに助けられたのが全ての始まりなんだ。狙われてるのがわかりきっていて、動けるのが俺だけなのに放っておけるわけがない。






 だけど……俺はティアーがどっちに向かったのか知らないし、エリスもそこまで指示を出す余裕はなかった。俺が隙を突いてディーヴの虫の包囲から抜けられるよう、彼女に話しかけて注意を引いていたからだ。




 俺はヴァニッシュみたいに鼻は利かないし、タイタン族のライトほどスペックが高くないから、ティアーくらいの僅かな魔力を感知するのは難しい。敦のための薬草を採りに行くって言ってたから、薬草の群生地を知らないと……ボーンのところへ訊きに行くか? ティアーはウンディーネのセレナートと仲が良いから、ひとり歩きをする時はたいてい、彼女のいる水源へ顔を出してる。セレナートに会えば行き先を知ってる可能性もあるけど、絶対じゃない。




 どっちにしろ、そんな時間のゆとりがあるとは思えない。




「く……っそ」




 思わず、頭に爪を立てて髪をかき混ぜていた。選択に迷って気が焦る。




 その時、だった……。








『ねぇ、アーチ。「やくそう」ってなぁに?』


『薬草っていうのはね。人間が傷ついた体や、体の中に入った悪いものを追い出すのを助けるために、効果のある草を煎じて食べるものだよ。人間とアーチ達とでは、体の修復の仕方が違うからね……』






 まるで天からの助けみたいに、記憶が浮かんできた。たぶん、式竜ユイノの。


 薬草の群生地らしき場所も思い出したけど、最初のユイノがこのエメラードにいたのは遥かな過去のことだ。今も同じ場所がそうなっているかなんて保証はない……。




 一か八か、賭けることにした。これは偶然じゃなく、過去の記憶が導いてくれたんだと、信じてもいいような気がしたから。








 俺の場合、地面を直接駆けるよりその方が早いはずだから、エメラードのどこにでも根を張る木の枝を飛び移りながら目的地を目指していた。しばらく進むと微かに、ティアーの魔力のにおいを感じ始めた。




 とりあえず、場所は間違っていなかったことに安堵したけど、その気持ちも実際に辿り着いたら吹き飛んだ。




「ティアー! 無事か!?」




 そこは俺達の住むツリーハウス前の広場に似た、森の合間にぽっかりと口を開ける、木々の切れ目。太陽光の恵みのさんさんと射し込むその空間に、黒く蠢く虫の群れが埋め尽くして地面も見えなくなっていた。




 ティアーは木の根元にいて、狼の姿で唸り声を上げて虫を牽制していたが、虫にそれが通用するはずもない。これだから虫っていうのは厄介なんだ。ディーヴの使い魔が獣だったら、威嚇する狼に多少なりと恐れを抱くだろうが、虫にそういう感情はない。




 急ぎ、枝を渡ってティアーへ近付いてから飛び降りる。幸い、狼の体だから腹をすくい上げるように持ち上げて再び、木の上へ。




「……お、い。ティアー?」




 枝の上で、ティアーの顔を見て、気が付いた。口にくわえているもの。


 呆然と、右前足を掴もうと動かした手が、虚しく滑る。何があったのか、ティアーは自らそこを食いちぎっていたんだ。出血が少ないのは……俺も、こいつも、アンデッド種だから……普通に生きてる生物のそれと、この身に流れる血は、仕組みが違うから……。




 ほんの数秒だったはずだが、考え込んでしまって判断が遅れた。虫どもの動きはすばやく、木を登って、すぐ足元まで迫っていた。広場に下りたところでそこにも虫の群れ。慌てて隣の木へ移って、移って。それを幾度か繰り返す。




 そもそも今は真昼間だし、そんな動きを続けていて体力を消耗してきた。うっかり飛距離を見誤って、地面に落ちる。幸い、普通に着地出来たけど。一斉にこちらを振り向く虫どもが、揃って向かってくる。ざざざざ、っと、潮騒にも似た音を響かせながら。




 どっちへ動いて逃れたらいいのか、判断が追い付かなくて、木の幹に背を預けて座り込んでしまった。その足先に虫が辿り着きそうになった瞬間。




 目前の地面がいきなり弾け飛んで、最接近していた虫の集団をひっくり返しながら土に埋めた。なんなんだろうとまるで他人事めいてその光景を見ていると、土は津波のように動いて虫を押しのけていく。虫は土の中でも自由に動けるだろうから、盛り上がった土の塊はもぞもぞと揺れているが、そこから飛び出てくる虫はいない。




 これはおそらく、この土を操作している誰かが、虫が出て来られないよう絶えず土を調整しているんだ。虫からしたら、出られそうで出られない、蟻地獄じみた檻みたいなものだろう。




「ふぅ……大丈夫?」




 こんなに場を荒れ狂わせているというのに、その当事者らしき者は存外、呑気に現れた。ふわふわと柔らかな茶髪に、穏やかな眼差し。上はシャツに下のズボン、どっちも白で、魔物の島の中にあっては割と異質な人間の衣服。




「呑気って、これでも音を聞きつけて急いで来たんだよ? 息を乱してないからゆっくり来たなんて思われるなら心外だなぁ」




 尖らせた口からぷぅ、と音まで出して空気を漏らしながら、頬を膨らませて不満を表明してきた。確かに心の中では思ったけど、俺は口にしたわけじゃないぞ?




「ぼくにはわかるんだよ。そういう音が聞こえたからね」


「よくわかんねえけど、気分を害したなら謝るよ。せっかく助けてくれたのに」


「いいよ、恩を売りたくてしたことじゃないからね。それよりティアーをなんとかしないと……」


「そうだけど……」




 未だ蠢く、山盛りになった土を見上げる。


「落ち着かない? だったらもう、終わりでいいかな」




 土のてっぺんから、一匹だけ、カブトムシの幼虫を黒くしたような虫がぽーんと飛び出す。そいつが地に着くより早く。


 目の前で土が圧縮した。耳を覆いたくなるような、内側で何かが大量に潰れるような音がする。土が紫色に染まっていく。体液が滲み出しているんだろうか……。




「驚いた? そう見えないだろうけど、ぼくって結構強いんだ~」


「驚いたんじゃなくて。土の中の状況想像したら気持ち悪いんだよ」


「あはは~、知ってる~」




 そういう音がしたからね、って、ついさっき言ったばかりの言葉を繰り返す。もはや口癖みたいなものなんだろうか。要するに、こいつはその音とやらで、俺の内心を読んでいるみたいだな。




「遅くなっちゃったけど、初めまして。ぼくはゴーレムのトールだよ」


「俺はユイノ……ゴーレムって、そういう見た目じゃないだろ?」


 ゴーレムっていうのは魔術師が土を捏ねて作る、自立行動する人形じゃないか。こいつはどう見ても人間そのものの見た目をしている。




「今は説明してる場合じゃないけど、ぼくは特別製だからさ。それよりティアーをぼくのマスターに見せないと、一刻も早く。傷口からどんどん、命が漏れてくよ……」


 トールは痛切な面持ちで、そっと、ティアーの欠けた右の前足に触れた。たぶん、その箇所はもう痛んでいないだろう。それよりももっと問題なのは、その傷口から魔力が漏れていくことだ。何らかの治療でそこを塞がない限りそれは止まらない……そして。




 生き物ならやりようによっては治癒して防げる傷口も、ワー・ウルフみたいなタイプのアンデッドの場合、完全に塞ぐのは難しいってことだった……。




 トールをゴーレムとして作ったマスターとやらはアンデッド種の研究者で、ティアーの体を診られるという。治すことは出来なくても。ティアー自身もトールについていくというので彼に託して、俺はツリーハウスへ戻ることにした。もう元には戻せない、狼の前足だけ預かって。




 ティアーはこの場では狼の姿から戻らなかったから、トールが彼女の音を聞いて、何が起こったのか教えてくれた。ティアーを囲んでいた虫は神経毒を持っていたやつで、すでに右の前足をやられていた。毒が全身に回るまでに急ぎ、足を噛みちぎることにしたんだと。納得のいかない主張だったが、そこを責めている時間の余裕があるはずもない。




 トールがたまたまこの近くを歩いていたのは、ティアー達がソースを連れ帰って来たので挨拶しようと思ってこっちへ向かっていたから。それが今日じゃなく明日だったなら、ティアーだけでなく俺もどうなっていたかわからないな。もちろん、この時はそんな悠長に話している時間は惜しかったから後日、ティアーの見舞いのためトール達の住処を訪ねた時にその事実を聞かせてもらった。




 トールは一匹だけ、ディーヴの虫を持ち帰った。マスターのアンデッド研究の役に立つかもしれないから、とのことだった。こんな状況であまりにも冷静な判断だな、と思うが、その研究のおかげで今のぼくが生きているからなるべく協力したいんだよとトールは苦笑する。




 命を救われたから、その人に尽力したい。俺達みんな、同じようなことしてるんだな……俺も笑いたかったけど、とてもそんな気になれなかった。


 ティアーがこれからどうなるかを思うと。それを敦が知ったらどうなるか考えると。そして……自分は助けられておいて、ティアーの危機に間に合えなかったことを思って。心の奥底が虚しさでかさかさに乾く、その音が聞こえるような気がした。

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