特別編 蛇足を重ね
チャットノベル版のための書き下ろしを、なろうに先行公開します。
ヴァンパイア被害によって妊娠した女性は、関係機関に相談すれば秘密裏に公的支援を受けることが出来る。ヴァンパイアと人間の混血、ダムピールの胎児は堕胎されると細胞の一片までつぶさに研究素材として活用されることになる。人間社会の、ヴァンパイアに対抗する策を見つけるための礎となる。
被害に遭ったことを両親にも友人にも相談出来なかった妹……長矢恵の今後について対応出来るのは、兄である私以外にいなかった。恵の希望で公的機関に直接相談するより先に、インターネットや図書館の書籍等で調べて、私はそれらの情報を得た。
「……あのヴァンパイアに対しては憎悪しかない、けれど……。この子自身には何の罪もないのに……届け出たら、体を粉まで刻まれて、ただの『情報』にされてしまうのね……」
私から与えられた情報を得たその瞬間、恵に湧いた感傷。それを根拠とした判断が正しかったのかわからない。何せ彼女は心身ともに、疲れ果てていたから。
しかし。私の心持ちは、妹から相談を受けたあの時から今、現在に至るまで。僅かばかりも変わっていない。
彼女自身の判断に付き添い、否定しないこと。そしてその子が生まれるのなら、伯父としてごく平凡に接していくのだと。
覚悟の上で産んだつもりであっても、現実問題として。生まれた男児……豊は、長矢家の血筋を思わせる面影が一切見えない顔立ちだった。あまりにも、恵を害したヴァンパイアに似すぎていた。
我が子の顔を見るだけで不意に襲い来る、被害経験のフラッシュバック。一日を通して、恵が正気を保てた日というのはどれくらいあっただろう。確実なのは、そうでなかった日の方が割合としては圧倒的に多いということ。
生活費を稼ぐために就労に打ち込んでいる時だけは、過去が見えずに心安らかでいられると恵は言う。豊の乳幼児期は、日中の養育は私が担うことが大半だった。
まあ、それも別に構わないが。元より子供というのは生まれてきた以上、無条件に慈しまれるべきであるし。それがたったひとりの妹の子であるならなおさらだ。
豊が中学生になる、前年。私は唐馬 梢という名の女性と親しい仲になった。彼女は好という幼い長女とふたりで暮らしているが、自らの手の及ばない地にいる長男と生き別れだという。
法的に認可されてはいないが、後見人に近い立場として長男を見守ってくれている方から「現在も無事に暮らしている」という報告を受け取るだけの関係。
私と梢さんは、長男との関係がきちんと定まるまでは入籍をしないという約束の上で、共に暮らすことになった。入籍はしなくとも共に暮らす以上は、好は私の子供として養育していくことになる。
「内縁であっても、実兄さんはこれからは梢さんの夫で、このみちゃんの父になる。私達は今までのように、兄さんを頼っては駄目なのよ」
家を訪ねて、恵と豊に梢さん達のことを相談すると、恵は淡々とそう告げた。彼女の隣で俯き、肩を落とし。不安げに身を縮めさせる豊に向かって。
「……うん。わかった……」
「豊……大丈夫かい?」
「……大丈夫。なんとかするから」
か細く、見るからに頼りなげで心配しかなかったが。やはり、「大丈夫」ではなかった。この子はひとに助けを求めるというのが得意ではなく、ひとりで抱え込んでしまう傾向にある。それは一般的に、「幼少期に何ら気兼ねなく、両親に甘えられる環境になかった子供にあらわれやすい気質」とされる。
つまりは私達の責任に他ならなかった。
中学二年の終わりにあの事件があって、数か月後。負った傷も治りきらない痛ましい姿で、豊は友人を連れて私達の家を訪ねてきた。彼の同年代か少し年上に見える、手足の細く背の高い、白い服の少女。耳より長いくらいの黒髪に、緊張したような表情と受け答えで私に挨拶する。
「ティアーちゃんっていうんだよぉ」
「えっ?」
私より先に少女……ティアーさんと会話を楽しんでいたであろう好は、彼女に先立って私にその名前を紹介した。
自分は腕に覚えがあるから、夜道でも豊を守って帰れる。華奢な少女の体に不釣り合いな主張をして、ティアーさんは豊を家まで送ってくれるという。奇妙ではあるが、なぜだか彼女の言うことを疑う気持ちにならなかった。真摯な眼差しで真っ直ぐこちらを見つめてくるから、きっと、その約束を守ってくれるのだろうと信じられた。
「ティアーちゃんはねぇ、人間じゃないけど、たぶん豊兄ちゃんのこと助けてくれると思うよぉ?」
好は時にこうやって、不思議な予言めいたことを口にする。それも、そうやって口にした予想や憶測が外れたことも、私の記憶にはない。
「……ああ、恵かい? 豊はもう、そちらに帰ったのかな」
「……まだ……だけど」
「実は今、こんな話があってね……」
「……」
好から聞いた話と、私が今夜、直に接したティアーさんの印象を電話で伝えた。その情報を受けて、恵は……豊の母として、どう判断したのか。
それを私が今、この時点で明白に語ってしまうのは、おそらく蛇足というものだろう。