蛇足 (宿題編0/5 父と子)
長らく、本編の最後「蛇足」というタイトルで公開していますが、没エピソードの宿題編を書けたので改題します。
この情報が「蛇足(知らなくてもいい裏設定)」になってしまっていたのは、宿題編を書けそうになかったからです。書けたとなるとこの情報は「宿題編の序章」という扱いになると思います。
波乱のない人生などないのかもしれないが、私達夫婦のかわいい娘と息子は、ふたり共に困難ある運命のもとにに生まれてしまったように思う。
その原因の一端に、私達夫婦の職業ゆえに定住の出来ない生活の道連れにした影響もあったかと思うと、子供達には申し訳ないことをしてしまった。
娘は人間関係に大苦戦したし、息子はその正反対。人間関係を要領よくこなすことに慣れすぎてしまった。それなりの人付き合いこそするものの、ごく自然な心からの友人というものを作らない。親しくなりすぎると、別れてから喪失感に苦しむからだろう。
そんな息子に変化があったのはやはり、私達一家が特定の地域に定住出来るようになってからのことだった。
娘が新しい学校で親友と思える出会いに恵まれ、息子も彼女と交流を持つようになった。
子供達の暮らしぶりを楽しいものにがらりと変えてくれた彼女に、私は深く深く感謝していた――しかし、彼女に手を引かれて息子が飛び込んだ世界は、とんでもない場所ではあった。
どうやら息子は、波乱な人生どころか人類にただひとり選ばれた、数奇な運命の持ち主であったらしい。魔物どもから命を狙われ、人に知られれば畏怖されるであろう、魔物をも凌駕する無限の魔力。いわゆる現人神と呼んでもさしつかえのない、そういった存在に生まれたということだった。
彼女と息子からその説明を受けた時、その手の知識に通じていないためにまるで理解が追いつかなかった。ただ、我が子ながら不憫なまでの重責を負ってしまったものだと。この子の先行きに自分は頼りになってやれそうにないと、残念な思いがあった。
二十歳、人間社会での成人を迎える誕生日には、どうか息子とふたり、酒を呑んで語らいたいものだ。そんな私の戯れ言を覚えていてくれたのか、二十歳の誕生日を目前に、息子は人間の島へ一時帰郷した。
その上、自ら繁華街の店に予約を取り付けて私を案内する。
息子の選んだ店には、覚えがあった。数年前、春先の新人歓迎会の店に選んだものの、塩の味が強すぎるばかりが印象に残ったやきとり屋だった。おいおい、その話はおまえにもしたじゃないかとぼやいてみせたが、もう一度食べればわかると店内へ背中を押された。
私が入った当時とは代替わりでもしたのだろうか。店主は私の知る妙齢の女性でなく、まだ三十代手前と思われる男性だった。その彼と親しげにやりとりもするし、こんな繁華街で遊び慣れでもしているんじゃないだろうな。そう疑ってみるも、かる~く笑い飛ばされた。
かくして、アルコールを摂るのは初めてだという息子と生ビールを乾杯する。口にして味わう息子の感想は、
「なんだ。思ったより大したことないや」
思ったより、というのは、二十年もの間もったいつけた割にはといった意味なのだろう。まぁ、思春期に仲間同士、秘め事のように済ませた初めての味と比べたら大したことない、というのは頷ける。
大したことないと言いつつ、次第に酔いは回ってくる。顔を赤らめてけらけらと笑う息子に、こちらの顔も気持ちも緩んでくる。それと同時、相反した、どろどろと陰鬱な澱みがいずこから湧き上がってくるのを自覚する。
息子にはいつか、私の過去の過ちを話さなければならない。そのような気がしていた。それは彼ら姉弟の父として、妻と築いた家庭の柱として、あまりに頼りなく弱々しい私という個人の闇であった。
叶うならばこのような事実、誰にも明かさず墓の中まで持ち込んでしまいたい。それを許さないのもまた、私自身の感じている罪の意識に他ならない。
私は高泉の本家、三人兄弟の次男として生まれた。高泉は雪深いフェナサイト北部の、とある地方ではそれなりに知られた名家だった。戦前にはいち地域の地主を任され、魔物達の襲撃にあっては前線に立ち指揮をとって戦った。
魔物との戦いも、地主の制度もなくなった現代の世で高泉が家名を守るために選んだのは、医学だった。
私達兄弟は、高泉の名を継ぐあらゆる者がそうしてきたように、生まれた瞬間から医師の道へ進むことが定められ、そのための教育が一貫して為されていた。それを疑問に思うことさえなく私は生きてきた。
高泉の家の教えは、決して優しくはなかった。
そんな家に生まれてしまったことが何よりの不幸だったのだろう……末の弟は生まれつき、頭の回転が遅かった。何をやらせても人並みには出来ない、どのような物事も当たり前に記憶することが叶わない。知的障害も疑われたが、医学を心得る高泉家が自ら徹底して診断しても、既存の病名、症例を当てはめることが出来なかった。
まぁ、病名の有無など些末なことだ。高泉家は、そんな弟を救済するつもりなど最初からなかったのだから。
家でも学校でも、それ以外のどこででも。弟は心ない蔑みや仕打ちに耐えなければならなかった――唯一の例外が、同郷で、不出来な私を夫と選んでくれた心優しい女性だったが。
弟が目の届く範囲内にいた頃の私は、ごくごく当然のように高泉の家に染まっていて、自分の愚かしさを自覚していなかった。
家名の面汚し、足手まとい、出来損ない……ありとあらゆる罵詈雑言を、弟の心に刻みつけていった。そんな自分に初めて、ささやかすぎる疑問を抱いたのは、ついに弟が家を出された時だった。
二度とこの家に帰るな、高泉の名はもうおまえと関わりがないのだから、すぐに忘れなさい。
父の別れ、いや、突き放しの言葉にさえ、弟は恨み言ひとつ吐かず、小さく笑んで頷いた。ちくり、注射針を刺したような痛みを覚えたけれど、その場で忘れてしまった。気がつかない振りに努めたのだ。
婚姻、長女の出産と、家族との営みを通して初めて、己の罪を自覚し始めた。
弟にあのような仕打ちをした私が、のうのうと、愛する家庭を築いている。ひとりの人間の存在を平気で踏みにじった、そんな私の育てる子供達が、果たしてまっとうな人になってくれるのか。そんな不安に襲われた。
少なくともこのまま高泉の家系に属したままでは、子供達に私と同じような罪を背負わせることになるかもしれない。それをおそれて私は家を捨てた。これまで何よりの指標であった医学もひと息に忘れ去った。
疑念と不安が一気に噴出することになったのは、長男が生まれてまもなく、魔物の島からの使者が――とはいえ、そこで暮らしているという人間の男性だったが。彼は私と同年代に見えた――弟の忘れ形見を抱いて来訪した時だった。
高泉の家にも報告をしたが、そんな子供はいらないと追い返されたので、おそらく親権は私が持つことになるだろう。赤の他人の子供を引き取ろうというのに、至極当然のように彼は言った。
本家と話がついているのなら、何のために、わざわざ私を訪ねたのか。その疑問に青年は表情ひとつ動かさずに続けた。
知らせてあげるべきだと思った。あなた達家族から手酷く扱われ、愛情と呼べるものを与えられず、迫害され住処を追われた少年は。それでも何ひとつ恨みはしなかったと。私達の人生に眩しい思い出を残してくれた、唯一無二の親友であった……と。
それはつまり、他者からどのような悪意を向けられても、それに染まらない強さを弟は持っていたということだ。高泉の家の教えに抵抗なく染まり、守るべき弟に手を差し伸べることさえしなかった私は。救われない人間というのは、私達が出来損ないと罵ったあの子ではなく、他ならぬ私達自身だったのだ。
私が何よりおそろしかったのは、息子の面立ちが私以上に、在りし日の弟の面影を濃くしていくことだった。
日増しに弟に似ていく息子に、これこそが、あの子を見殺しにした私への罰なのではないか。この人間の島で受け入れられなかった弟の悲痛が、私達へ復讐し ようというのではないか。いつか私から、息子を取り上げようというのではないか。それは罪悪感のもたらした被害妄想に他ならないけれど、気の迷いと切り捨てることが私には出来なかった。
そうでないとしても、父がこのように弱く罪深い人間だという事実は、息子を、娘をきっと失望させるだろう。その思いは常に、私の心の隅に置かれていた。何ひとつ気に病んでなどいない、そう見せかけながらも後悔の念に苛まれ、私は生きてきた。
だからこそ、私は決めたのだ。息子が二十歳を迎え、私達の手から心身共に巣立つその日。私の罪を洗いざらい打ち明けようと。
私が話す間、息子は口をつぐみ、神妙な顔をして耳を傾けていた。時折頷いたり、焼き鳥の串をつまんで口に運んだりとしつつ。
「その弟さんてさ。名前はなんていうの?」
話し終えたその時、ぽつり、息子はそんなことを呟いた。
「『あきら』だよ。高泉、亮」
息子は、気の抜けたような、口元の緩やかな笑みを浮かべた。そっかー、とこぼらしつつ。今度は私の方が首を傾げる番だったが、
「今度さ、父さんに紹介したい人がいるんだ」
「……彼女でも出来たか?」
私達の娘を救い、息子を導いてくれたあの少女は、すでにこの世に亡いという。こちらとしては慎重に選んだつもりの言葉に、息子はますます破顔一笑してみせる。
「残念だけど、そういうのじゃないよ。ただ……そいつに会えば、亮さんもその子供も、父さんのこと恨んでなんかいないって一目でわかると思ってさ」
「魔物の島の涙さん」、これで完結です。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
追記 没にしていたエピソードを追加したのでここで終わりませんでした。
引き続きお読みいただけたら幸いです。
せっかくなので本編に入れられなかった謎を解説。
14話冒頭、高泉家に招かれたシュゼットがいきなり落ち込んでいた理由。
シュゼットはツヴァイクと感情が繋がっている。
↓
高泉父と対面したことで、ツヴァイクが
「この人が、死んだアキラの兄か……」
と思って落ち込む。
↓
シュゼットも落ち込む。
と、いうわけでした。
……わかるかこんなもんっ!!ヽ(゜Д゜)ノ
【念のため明記する情報】
↓
梓の父親のアキラさんは敦の父親の弟。
梓と敦はいとこ。