3話‐3 現人源泉竜
「敦君は、神竜族についてどの程度まで知っているのかな?」
「どの程度、って……学校の授業、歴史とか古典とかで習う範囲くらいしか知りませんけど」
それはこの世界の創世神話なのだが、単なる絵空事ではなく根拠のある歴史として、今に伝えられている。学校で習った通りをそのまま信じるなら、魔物側にとって神竜族の存在は今も信仰の対象であるらしいのだが、人間の島のそれはすっかり廃れてしまった。
千年以上も前、神話時代。今俺達の生きるこの大地を、生き物の生きられるようにしたのは一体の「神竜」だった。最高神とも呼ばわるかの竜を「太陽竜マスター=マリア」という。その太陽竜には十体の子供がおり、ある者には空を、ある者には海をと、それぞれ守護する役を与え、この世界を統治させていた。
その十一体の竜を総称して、「神竜族」と呼んでいた。また、神竜族に直に使える者達を「竜族」と呼んでいた。
……とまぁ、もっと真面目に勉強していた奴ならどうだか知らないけど、俺が覚えているのなんて、こんな最低限の知識だけだった。
「敦さま、源泉竜さまのことをご存じですか」
「それが神竜族の一体だっていうなら、たぶん授業で一度くらいは聞いてるかもしれないけど、覚えてないよ。十一の神竜にはそれぞれ名前があるんだろ?」
「源泉竜ソース=アイラはね、人類の生みの親である神竜だよ」
ジャックさんの説明で、うろ覚えの知識に刺激を受ける。太陽竜が世界を作ったといっても、ややこしいけれど、この世界の全てを太陽竜が作ったわけじゃなかったこととか。
「それでもって、神竜族の中でも、ひときわ悪名で知られているのもまた源泉竜ソース=アイラというわけだね」
「悪名だなんて……人聞きが悪いですよ、もう」
ジャックさんの言い様に、サクルドは小さな頬を不服そうに膨らませて抗議を表す。
「でさ、その神竜だの、源泉竜だのが、どう俺に関係してくるわけなんだ? 昨日のヴァンパイアは俺のことを『ソース』なんて呼んでたけど……」
悪名高い神様の名前で呼ばれてるって、ひょっとしてろくでもない立場だったりするのだろうか。
「そんなことありませんっ」
俺の心が読めるというサクルドは、それを証明するかのように、思っただけの心情を否定してきた。
「……この世界には、はじめ、竜以外の生物は存在しませんでした。私欲を持たない彼らが他者を侵すことは一切なく、世界は何も生まれず失わず、永遠の時の中に平穏が約束されていました」
竜は俺達のように、何かを食べ続けないと生きられないわけではないという。しかし、消費と生産はひとつながりのもの。おそらく、何も消費しない竜達は何かを積極的に生産することもなかったのだろう。
「そんな世界に、源泉竜さまは竜以外の生物を誕生させました。退屈をまぎらわすために愛で、庇護すべき対象として竜よりもずっと脆弱な存在を求めた――それが、人間」
「……わざわざ弱い存在として作った、ってことか?」
そりゃあ、魔物だの竜だのに比べたら、俺達人間は身も心も弱い存在なんだろう。自覚はあるけど、あえてそうされたなんていうのは迷惑な話だな、と思う。
そんな風にされなければ、現状みたいな、魔物の脅威に晒されて生きることはなかったのかもしれない。しかし、そもそもその源泉竜がいなければ人間という存在さえなかったと思うと文句も言えないのかもしれないけど。
「現在の価値観にたとえると、人間がペットを飼うようなものだったかもしれない。神竜族、竜族は完成されすぎた存在だったから、それよりもずっと弱い、ある程度の捕食活動をしなければ生きていけない弱い存在を、愛玩生物として作り出したのだからね」
「た、大した趣味してるな、源泉竜って」
そこまであけすけに言ってしまうと、正直な話どん引きなんだが、そんな俺に対しての説得はサクルドさえ諦めた様子だった。納得していなさそうなのは表情でわかるが、言及はしてこない。
「……しかし、本来、私欲を持たない『竜』しか存在しなかった世界に、私欲を持つ他の生物を作り出してしまったことは、この世界に混乱をもたらし た。アイラは人間に、神竜族ほどに絶対的なものではないにしろ知能を与えたから、神々の支配に異を唱える人間も出てきた。だから、太陽竜はアイラに罰を与えた。彼の羽を落とすことで、神竜族としての役目を剥奪したんだ」
サクルドやジャックさん、そして俺が喋る度、それぞれの顔を目で追うばかりで関心を見せなかったヴァニッシュだったが、ここで口を開いた。
「神竜さまはそれぞれに固有の能力をお持ちでした。源泉竜さまの場合、それは『無限に湧く魔力』だったのですが、羽を落とすだけではそれまでを奪うことは出来なかったんです。魔力の源は、羽ではなく、魂に宿っていたのですから」
「神竜といえど、それぞれの持つ魔力は有限だった。最高神であるマスター=マリアさえそうだったんだ。まぁ、彼は限りといっても途方もない魔力量を持っていたけどね。源泉竜の、何をしても尽きない魔力というのは脅威だよ。その魔力でもって、ソース=アイラは、人間やそれ以外の生物を生み出したんだ。だからすべての人間は、わずかとはいえその魂に魔力を宿しているんだよ」
「……魔物と違って、その魔力を全て失ったからといって、命をも失うわけじゃないけれど」
人間の寿命は肉体の限界だけど、魔物の寿命は魔力の枯渇だ。だからこそ、人間が魔物に太刀打ちするのは難しい。ただでさえ魔物の方が肉体が頑強で、ちょっとやそっとじゃ倒れてくれないというのに、魔力さえ残っていれば復活の芽が残っている。
「結局、源泉竜は神竜としての命を失っただけで、人間を生み出した力を失ったわけじゃない。それでは罰として弱いだろう? だから太陽竜は、源泉竜に新たに『魔物を作り出すこと』を命じたんだ」
「魔物を生み出すことが、どうして罰になるんですか」
「源泉竜の寵愛する『人間』を、それより一段は強く、しかし神竜、竜族よりは劣る『魔物』という存在に監視させることで、世界の均衡を保つつもりだったんだよ」
「ああ、その後の展開は……」
こればっかりは、人間に生まれてその歴史を把握していない者はいないだろう。神々ほどではない目の上のたんこぶ。神話時代の人間達は、自分達の生活を抑圧する魔物達と戦うことを選び、戦争が起こったんだ。そして、勝利は叶わなかった。その頃の教訓やおそれが、現在、人間が魔物に刃向うことを難しくしている。
「そうですね。当時の人間は魔物と戦うことを選びましたが、羽を奪われた源泉竜さまには寿命が残されていませんでした」
「基本的に、源泉竜は人間びいきなところがあるから、魔物と戦わんとする人間に、アイラは切り札を残したのさ。彼の魂に宿る、無限の魔力を、ただひとりの人間に継承した」
「……それが、君だ」
「……は?」
ただでさえ、ぼそっと喋るものだから聞き取りにくいヴァニッシュの声だ。何かの間違いかもしれないし、思わず聞き返していた。
「源泉竜さまが、無限の魔力を継承した人間のことを、『現人源泉竜』、ソースと呼びます。敦さま、あなたはそのソースの生まれ変わりなのです」