#7
「来栖さん、後片づけまでしていただきありがとうございます」
「いいえ。私はマドレーヌが焼き上がるまで手隙でしたので」
「本当に助かります」
再び、オーブンがピピッとなる。
マドレーヌが焼き上がった。
貝殻型からすぐに外し、網の上に置いて冷ます。
その間に誰かに食べられないようキッチンペーパーで注意書きをし、虫除けの網を文鎮がわりに乗せておいた。
◇◆◇
「あら、直くんたちだ」
お母様が二人に手を振っているけれど、わたくしは一瞬見るだけ。
例え、来栖がいつもと変わらない表情をしていたとしても、どうしても目を合わせることができない。
彼はわたくしがまだ怒っていると思っているのかしら?
「……有紗お嬢様……」
ここ最近、聞き慣れた台詞が耳元で囁かれたけれど、その声はいつもより低くて優しかった。
久しぶりに聞いた懐かしい声。
わたくしが後ろを振り向くと照れくさそうに微笑む来栖がいた。
「お嬢様、お久しぶりでございます」
「く、来栖……」
その瞬間、お母様たちの姿はわたくしたちと同じ空間にはいなかった。
◆◇◆
奥様とお嬢様が本日の昼食を待っている。
手を振っている奥様とほんの一瞬見るだけですぐに下を向いてしまうお嬢様。
「来栖さん。有紗お嬢様に伝えたいことがあったら本音でもなんでもお話くださいね。私から事前にお伝えしていますので」
「はい」
「そろそろ着きますよ。私は来栖さんの第一声だけ聞いたら、奥様を連れて静かに引っ込みます。会話が終わったらこちらの呼び鈴を鳴らしてください」
「承知いたしました」
代理の執事には昼食の準備をしていただいたり、ティータイムの時には快くお嬢様の部屋の訪室の許可をしてもらった。
奥様にはカスタードプリンの試食をしてもらったこともあり、少し自信がついたような気がする。
やはり奥様のところは連携が凄いので、俺からは何も突っ込むことができないのだが――
「……有紗お嬢様……」
不意に出た第一声は普段は口にしないお嬢様の名前という気障なものだった。
俺からすると凄く恥ずかしいし、照れくさい。
彼女に声をかけられただけでも進歩だ。
「お嬢様、お久しぶりでございます」
「く、来栖……」
代理の執事と奥様は気配を消すように席を離れる。
「一ヶ月ぶりになりますね」
「本当ね。バレンタインデーからあっという間にホワイトデーになってしまったわ。ところで、来栖。貴方、少し痩せたような気がするわ」
「今まで慣れないところで執務にあたっておりましたので。本日の午後のティータイムにスイーツをいくつかご用意させていただきました」
「スイーツ!? 何かしら?」
お嬢様は「そのスイーツは何方が?」と首を傾げて問いかけた。
◇◆◇
来栖はティータイムにスイーツを用意してくれているとのこと。
しかし、わたくしは彼ではない執事に執務にあたってもらっている。
誰が部屋に届けてくれるのかしら?
「本日は私、来栖が伺います。お嬢様にお伝えしたいことがございますので」
「楽しみにしているわね」
来栖が午後のティータイムにきてくれることがわかった。
もしかしたら、彼はわたくしがずっと気になっていたわたくしとメイドが作ったチョコレートを捨てた理由を話してくれるのかしら。
そう思った時、わたくしのお腹が鳴ってしまった。
来栖の前でお腹が鳴るのは凄く恥ずかしい。
「そろそろ昼食にしましょうか? 奥様方も呼びますので」
彼はワゴンの上に乗せていた呼び鈴を鳴らす。
お母様とその執事がその音に反応して顔を出し、穏やかな昼食時間を過ごした。
2026/03/26 本投稿
※ 次回が最終話です。手動にて更新します。




