第95話 救世主たちの宴
呉市文化ホール──。
一年A組の合唱が終わった。ムーの力で全校生徒を巻き込んだその歌声は、確かに太平洋の大海獣に届いたらしい。舞台袖で光葉ちゃんが達成感に満ちた表情を浮かべるのを見て、僕は確信した。退場してロビーに下がると、青山先生が大きな丸を両手で作って迎えてくれた。あれは事前に決めていたサイン──「大海獣の動きが止まった」という合図だ。
「みんな! よくやってくれた! 全校生徒を感動させるとは思わなかった。これでミッションコンプリートだ!」
「私からも一言。みんなよく頑張ったね。人類の想い……しかと受け止めました。もう百年くらいは様子を見てるから、その間にちゃんと海を守ってね」
波多見先生が柔らかな笑みを浮かべて告げる。
「やったー! これで胸を張ってカラオケに行けるよ!」
光葉ちゃんが、舞台の上と同じ勢いで両手を上げて喜ぶ。
「本当に人類の危機は救われた? 私たちの力で?」
まだ足が震えている的場くんと見晴さんの肩を、ジェシカがそっと抱いて支えた。
「二人とも安心して。私の情報ルートでも、大海獣が去っていく報告が来てる。もう安心よ」
その言葉に皆が胸をなでおろす。しかし僕の胸には引っかかりが残った。
「歌は届いたけど、あれはあくまで僕らと大海獣のかりそめの約束に過ぎない。海を綺麗にして、この先の未来にも保たれていかないといけないんだ。大きな宿題をもらったんだよ……僕ら人類は」
「そうだね、お兄ちゃん」
マリナが真剣に頷く。
「まあ、そう深刻になるなよ。俺たちで世界を平和にして、科学の力を正しく向ければ、きっとうまくできるさ」
古新開の楽観的な声に、光葉ちゃんも笑顔で続けた。
「そうだね。できることからコツコツだよ!」
「ありがとう、みんな。私も引き続き人類には色々と発信していくから。手助けお願いね!」
波多見先生が楽しげに言うと、一年A組全員が「おおっ!!」と声を合わせた。こうして──人類救済「ムーの歌・大海獣撃退作戦」は、ついに幕を閉じた。
合唱コンクールの結果は、二年A組・生徒会長徳丸さやかのクラスが圧倒的な完成度で優勝。僕ら一年A組は「自由曲が受け狙い」と評価され、三位止まりだった。だが順位など関係ない。人類が救われ、そしてカラオケに行けるなら──!
◇◆◇
その週の土曜日。
カラオケ「まねき猫」開店時刻の午前九時。まだ商店街のシャッター街が眠たそうにしている時間なのに、店の前だけは異様な熱気に包まれていた。行列は路地を曲がり、隣の飲食店の前まで伸びている。ざわめく生徒たち、スマホで記念写真を撮り合う他校の友達、近所のおばちゃんまで覗き込んでいる。
原因は、青山先生の軽率な一言だった。(どうせ福浦のおごりだし)と調子に乗り、「どうせだ! まねき猫を貸し切る! 各自一人ずつ、友達も連れてきていいぞ!」……などと発言した結果がこれだ。教師の無責任なノリが、まさか商店街の交通を混乱させるとは思いもしなかったに違いない。
「ヒロ! 私も参加していいの?」
古新開に声をかける麗。制服の上に羽織ったカーディガンが、休日仕様で少し柔らかい雰囲気を出していた。
「ああ、青山先生のOKが出てる。それに、毎日俺の特訓に付き合ってくれたからな」
「じゃあ、お言葉に甘えて楽しんじゃうから!」
麗は嬉しそうに両手を合わせ、瞳をきらきらさせた。古新開は照れくさそうに後頭部をかいた。
僕も両親を招待した。康太郎とスヴェトラーナ博士が、まるで修学旅行前夜の中学生みたいに浮き立っている。
「ハハハハ! カラオケかぁ、久しぶりだ!」
「日本のカラオケは初めて! ありがとう、ヤスくんにマリナ!」
「うん……みんなのおかげだよ!」
舞台裏から戦場まで見てきた家族が、今はただ無邪気に笑っている。これ以上のご褒美はない。
こうして始まったのは──狂乱の宴。
朝九時から翌朝六時まで、時間無制限・歌い放題・食べ放題・飲み放題。ホール貸切のマイクは途切れることなくリレーされ、各部屋から歓声と拍手が湧き上がる。
「頼んだぞ、福浦!」
青山先生が声をかけると、福浦は胸を張って答える。
「ウニャ! わしを舐めるニャ! 大船に乗ったつもりでいるといいニャ!」
「福浦〜!」
感涙にむせぶ青山先生。教師と生徒の奇妙な信頼関係に、周囲から爆笑が起こる。
「祥子も楽しむニャ! ビール飲めニャ!」
「おおぉ!!」
祥子が勢いよくジョッキを掲げると、場のテンションはさらに跳ね上がった。
各ルームを渡り歩きながら、歌い、踊り、飲み食いするクラスメイトたち。ステージルームでは光葉がアイドル顔負けの振り付け、奥の部屋ではジェシカのコスプレ即席ライブ。どこもかしこもカオスで、カラオケ店というよりフェス会場のようだ。門限のある古新開と麗が夕方で帰ったが、大半は外泊許可をとり、朝までコースに突入していた。
白岳家ももちろんオール参加。
「わあ、白岳くんのお父さん、歌上手いですねー!」
「ハハハハ! どんどん行くぜ!」
女生徒たちが感心すると、康太郎は十八番を絶叫熱唱。マイクを離さない姿は、ほとんどロックスター。
「この方がマリナちゃんのお母様!? お若い! そして美しい〜!」
「あらあら、恥ずかしいわよ〜。年甲斐もなくはしゃいじゃってごめんね〜」
男子生徒たちがスヴェトラーナ博士に群がり、ファンコールが飛ぶ。博士は照れ笑いしつつも、カクテルを片手にご機嫌そのものだった。
その一方で。
「青山先生〜、飲んでますか? もっと飲みましょう〜!」
「よーし! その挑戦、受けて立つわ!」
波多見先生と青山先生は、別室で謎の飲み比べ勝負を繰り広げていた。床にはすでに空いたグラスが転がり、店員が引き気味に氷を補充していた。
◇◆◇
そして翌朝。
長い宴も、営業時間終了とともに幕を閉じた。歌いすぎて声が枯れた者、床に大の字で眠り込む者、最後までデュエット勝負をしていた者──。まねき猫の各部屋は、戦場の後のように散らかっていた。外に出ると、朝日が容赦なく照りつける。クラスメイトたちはゾンビのような足取りで三々五々解散していった。僕ら白岳家&光葉ちゃんもタクシーを手配してもらい、荷物を抱えて乗り込むところだった。
「先生! 福浦! 本当にありがとうございました! また月曜日に!」
僕が後部座席から声をかけると、青山先生はまだ酔いを引きずりながらも親指を立ててみせた。
「ああ! 白岳にも助けられた。ありがとうな」
そのときだった。背後から店員の声が響く。
「幹事の方ですね。お会計をお願いいたします。総額〇〇万円になります」
店員は長時間の対応でげっそりした顔をしていた。伝票の束を掲げ、容赦なく青山先生に突きつける。
「了解したニャ!」
福浦が胸ポケットから金色に輝くカードを取り出した。まるで決戦兵器を取り出すかのように。
「これで頼むニャ」
テーブルの上に置かれた瞬間、カード?はライトに反射して眩しく光る。だが、店員は一瞥しただけで表情を固くした。
「……あのー、これじゃ会計できません」
「ええっ!?」
福浦の耳がぴくりと動き、丸い瞳が見開かれる。まさかの展開に、青山先生と波多見先生も「え?」と声を揃えた。
「なんだニャ? このゴールドカードじゃダメなのかニャ?」
カード?の表面には「壱両」の額面と金座の責任者「光次」の文字、花押が刻まれている。
店員は深いため息をつき、机を指さした。
「あんまりふざけないでください。お会計に『小判』を出されても困ります」
そこには、いつの間にかピカピカに光る小判が一枚置かれていた。一見して時代劇の小道具のようだが、どう見ても質感は本物だ。
「にゃんだと!? これは本物の慶長小判(時価百六十万円以上)だニャ!」
福浦は胸を張るが、店員は冷ややかな目で見返す。
「日本銀行券でお願いします」
「おいおい……福浦……大丈夫か!?」(猫に小判って、ベタすぎるだろ!)
青山先生は額を押さえ、呻く。
「仕方ないニャ。ほら……これでどうだニャ?」
福浦が謎の財布から取り出したのは、古びていながら新品同様の紙幣。厚みのある和紙の感触が、異様な威厳を放っている。
「あのー、見たことのないお札を出されても困ります」
「ニャンだと!? この大黒百円札(旧兌換銀行券百円札、時価千五百万円以上)じゃダメなのかニャ?」
福浦の声がどんどん大きくなる。店員の眉間には、はっきりと青筋が浮かび、声も鋭くなる。
「そろそろ冗談はよしていただかないと、警察を呼びますよ!」
青山先生は真っ青になり、波多見先生は横でクスクスと笑っている。
「福浦! 現代の金はないのか!?」
「80年前から学生一筋だから、学食の食券しかないニャ」(涙)
「ふーくーうーらー!くぅーすいません。これでお願いします」
血の涙を流しながら、青山先生が自分のクレジットカードを差し出す。こうして会計は無事に終わり、再び魂が抜けて気絶している青山先生が残ったのだった。
「青山先生〜、ごちそうさまでした〜!」
波多見先生が楽しげに手を振る。その横で、抜け殻となった青山先生が床に転がった。タクシーの運転手まで苦笑いしている。
「みんなー、気をつけて帰ってね〜。青山先生は私が教職員寮まで送っていくから」
波多見先生は店員に笑顔で頭を下げる。
「むぅー、わしのゴールドカードが使えないとは……誤算だったニャ」(苦笑)
「三毛太郎~かわいそうだから、祥子ちゃんに一枚あげて」
「そうだニャ。元気出すニャ!」
福浦はしょんぼりしつつも、青山先生のバッグにそっと小判を一枚忍ばせるのだった。
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