第88話 嗚呼 波多見遥の歌声よ
全校朝礼が終わり、体育館を後にする僕ら。
その背後から──校長先生の、声を抑えながらも怒気をはらんだ叱責が響いてきた。
「青山くん! あのアンドロイドのプログラミングはどうなってるんだ!?」
僕の高性能集音能力は、その一部始終を余すことなく拾ってしまう。(すいません青山先生……。合唱コンクールが終わるまでになんとかしますから、どうか耐えてください……!) 胃の辺りをぎゅっと押さえつつ、校長に責め立てられている青山先生に、心の中でそっと手を合わせた。 合掌──。
教室に戻り、授業が始まる。僕は数学の教科書を開きつつも、胸の奥底に不安を抱えていた。──うちのアンドロイド教師の授業、大丈夫なんだろうか?そんな心配をよそに、遠く音楽室の方から、ノリノリのピアノ演奏と波多見先生の歌声が響き渡ってきた。その声は、僕のサイボーグ耳を使うまでもなく、教室全体を包み込む。最初は「やけに響くなぁ」くらいに思っていたが──すぐに違和感へと変わる。その声は、ただの歌声ではない。心の奥を直接震わせるような、抗えない波動を孕んでいた。
「ぴこーん! 強力な催眠音波が発生中! 該当する音波を遮断! 発生源を直ちに停止してください!」
補助頭脳AIがけたたましく警告を鳴らす。(え? 催眠!?)気づいた時にはもう遅かった。教室のクラスメイトたちは皆、うっとりと顔を緩ませ、瞳は半分閉じられ──魂ごと歌声に絡め取られていた。
「みんな! 大丈夫か?」
慌てて声をかけるが、返事はほとんど返ってこない。
「お兄ちゃん……! 私は音波ガードが働いたけど、この歌声、一体なんなの……?」
マリナの声も震えている。だが彼女の隣の光葉とジェシカはもう、恍惚の表情で口元に微笑を浮かべていた。
「おい、古新開! お前も──」
振り向くと、古新開も机に頬杖ついて、うっとり顔で昇天寸前。僕はためらう暇もなく、アッパーカットを一閃した。
ばこーん!
「痛ってぇな! 何するんだこいつー!」
痛みのショックで、古新開の瞳がハッと覚醒する。どうやら魅了が解けたようだ。
「まあまあ、それより周りを見ろ! 波多見先生が暴走してる!」
僕が指さす先、窓の外にまで響く歌声は空気を震わせ、机の上のプリントさえ小刻みに揺らしていた。 廊下をのぞけば、隣の教室の連中も机に突っ伏し、うっとりしたまま動かない。これはもう校内全域が巻き込まれている。
「おおっ!? これは一体!?」
古新開は額に冷や汗を浮かべ、目を剥いて立ち上がる。状況が呑み込めず、ただ声を震わせるしかない様子だ。
「実は、福浦の紹介で妖怪アマビエ様をうちの家事用アンドロイドに憑依させたんだが……」
息を切らしながら、僕は簡単に説明する。が、自分で言ってても意味不明すぎて頭が痛くなる。
「言ってることがイマイチ分からんが、この現象は怪異の仕業か!」
古新開は拳を握り、まるで妖怪退治でもするような顔になっていた。
「そうだ! 今まで人体模型で、ラジオ音声みたいな声を出すのが限界だったのに、アンドロイド化で人工声帯や増幅装置を得たから──こんな結果に……!」
言いながら僕自身も鳥肌が立つ。要するに、怪異にテクノロジーが合体した結果、学校全体を制圧できるほどのチート級歌声が生まれてしまったわけだ。
説明していると、マリナが机をガタッと鳴らして立ち上がり、顔を青ざめさせて叫んだ。
「早く止めないと、校内全ての人たちが活動停止しちゃうよ!」
その声が唯一、まだ理性を保っている証のように響く。
「仕方ない! 手伝うぜ、白岳!」
古新開の瞳に闘志が宿る。ようやく“戦闘モード”に切り替わったらしい。
「よし、みんなで音楽室へ行こう!」
僕も決意を固め、三人で一斉に教室を飛び出す。
──ちなみに福浦は机に突っ伏したまま、ぐうぐう寝ていた。まさに平常運転。歌声も催眠も効かない様子は、ある意味で最強すぎる。
(おい! お前は無敵か!)
◇◆◇
廊下を走り抜けながら、隣の教室をちらりと覗く。──やはり教師も生徒も、全員が虚ろな顔で波多見の歌に酔いしれていた。チョークを握ったまま棒立ちになっている先生までいて、まるで夢遊病者の群れのようだ。背筋に冷たいものが走る。
「この歌声は、どこまで届いてるんだろう?」
僕が息を切らしながら呟くと、窓ガラスがびりびり震える。音圧はさらに強まっている。
「校外まで響いてたら洒落にならねえぞ!」
古新開が叫ぶ。顔が青ざめ、額に汗がにじんでいた。マリナは両耳に手を当て、特殊センサーを起動させる。彼女の表情は険しく、こめかみに汗がつっと伝った。
「催眠魅了効果は校外にも響いてるみたい……! まだ交通事故とかは発生してないけど……」
その一言に、僕の心臓が凍りつく。──想像してしまったのだ。街中のドライバーがハンドルを握ったまま魅了され、車ごと突っ込んでいく未来を。
「急がなくちゃ! 行こう!」
僕は奥歯を噛みしめ、足に力を込めた。
「おうっ!」
古新開も迷わず応じる。三人で一斉に駆けだす。
音楽室に近づくにつれ、歌声はさらに濃密になり、廊下全体が共鳴しているかのようだった。蛍光灯がジジッと瞬き、音波に耐えきれず震えている。
──意を決してスライド扉を開け放つ。
その瞬間、全身が衝撃波に叩かれたような錯覚に包まれる。音楽室の中央では、ピアノを軽やかに奏でながら、波動とも声ともつかない“歌”を発している波多見先生の姿。生徒たちは全員、目の焦点が外れ、魂ごと抜け落ちたように椅子に座り込んでいた。
「波多見先生! ちょっと演奏ストップしてください!」
僕の声に、波多見の指がふっと止まる。途端に空気の振動が収まり、耳の奥に残響だけがじんじんと残った。
「白岳くんじゃない。どうしたの? 君らの授業はまだだよ」
先生は悪びれもせず、首をかしげる。その無邪気さが逆に恐ろしい。
「あのー……言いにくいんですけど、歌声が響きすぎて校内がすごいことになってるんですー」
マリナが恐る恐る告げる。声がかすかに震えていた。
その横で古新開が、波多見を凝視しながら呟く。
「この先生ってアンドロイドなのか? どう見ても人間にしか見えないが……」
「先生の歌声には、何か妖力とかあるんだと思うんですよ! みんな、魂が抜けかかってますけど……」
僕が説明を付け加えると、波多見はあっけらかんと笑って言った。
「そうみたいだねー。いやぁ、ごめんね。ムー帝国の海底神殿で歌ってた時の感じでやっちゃったから。ほら、目障りな船を難破させるときの、ね?」
(さりげなく恐ろしいこと言ってるなぁ……!)
「久々にいい声出したのでノリノリなのはわかりましたけど、これじゃ原宮高校全体が活動休止になります! 普通に歌うとか、伴奏だけとかなんとかなりませんか?」
僕は必死に訴える。耳の奥にまだ余韻が残っていて、気を抜けばすぐ魅了されそうだ。
「はいはい、わかりましたよ。次からはちゃんとするからね」
波多見先生は、まるで「ちょっと張り切りすぎちゃった☆」みたいな軽さで返事をする。その態度に、思わず膝が崩れそうになる。
「それと、みんなを目覚めさすのってどうしたらいいですか?」
僕が机に突っ伏している生徒たちを見回しながら問いかける。
「一人ずつ叩き起こすしかないですかね?」
古新開が拳を握り、前の席の男子を揺さぶろうとするが──。
「仕方ないなぁ。私の責任だし……。これから『ムーの目覚めの歌』を歌うからね」
「そんな便利な歌があるなら、お願いします!」
僕とマリナが同時に叫んだ。藁にもすがる思いで。
「うん。じゃあ歌うわね」
ピアノの旋律が再び鳴り響く。しかし先ほどとは違う──軽やかで澄んだ調べ。波のさざめきのように音が教室へ広がり、空気が柔らかく震えた。
すると、うつろだった生徒たちのまぶたがぴくりと動き、瞳に光が戻り始める。
「あれ? 俺は一体何を……?」「何かしら……夢を見ていたみたいな……」「おおぉー! なんだか目が覚めて、頭がシャキッとしてくるぜ!」
ざわめきが生まれ、教室が再び活気を取り戻していく。
「先生、ありがとうございます! じゃあ、後でうちのクラスの合唱練習の方、よろしくお願いしますね!」
僕は深く頭を下げた。
「よかったね、お兄ちゃん。原宮高校が再び目を覚ましたね」
マリナが小声で笑いかける。安堵と緊張の入り混じった声だった。
胸をなでおろし、教室に戻ろうとしたその矢先──。
「ああぁー! しまったわ! えらいこっちゃ! どうしましょう!」
突然、波多見先生が素っ頓狂な悲鳴を上げた。鼓膜がびりっと震える。
「先生、どうしましたか?」
僕が振り返ると、彼女は半泣きの顔で告白した。
「白岳くん……思わず……ムー帝国の眠れる大海獣も目覚めさせちゃった……かな」
「え?」「は?」「ん?」
僕とマリナと古新開、三人同時に声を上げる。頭が真っ白になった。
その直後──補助頭脳AIがメインコンピューター経由で、耳元に不穏なニュースを告げる。
『たった今、南太平洋の某所で海底火山が大噴火。偵察衛星からの情報によると、巨大な謎の物体が海中を移動し始めた模様』
……いやいやいや! 「目覚めの歌」で目覚めるのは生徒だけにしてくれ!?
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