第84話 訪問 白岳研究所
深夜の音楽室でアマビエ様と話した翌朝。僕と光葉ちゃんは、並んで原宮高校の正門をくぐっていた。
今日は土曜日。平日とは違い、空気にどこか緩さが漂っている。それでも、補講や部活動のために登校している生徒の姿がちらほら見えるあたり、名門進学校らしさを感じる。朝の光が校舎のガラス窓に反射し、きらきらと揺れていた。
昨晩の出来事が現実だったのか、ふと疑いたくなるような穏やかな朝だった。そんな中、正門前には制服姿のジェシカが既に待っていた。背筋を伸ばして立つその姿は、どこか警戒しているようにも見える。 僕たちは軽く挨拶を交わし、無言の合意のもと職員室へと歩き出した。
目的はひとつ。 ──青山先生に車を出してもらい、白岳家へ向かうこと。職員室に到着すると、目に飛び込んできたのは、机に突っ伏してぐったりしている青山先生の姿だった。肌は青白く、目の下にははっきりとしたクマが浮かび、表情から生気が抜け落ちていた。「先生、生きてる……?」と本気で聞きたくなるほど、見るからに昨晩のダメージを引きずっていた。だが、それでも先生は僕たちの頼みに応じて、レンタカーのミニバンを用意してくれた。この人、本当に根は優しい。
その足で僕たちは、理科室へと向かう。音楽室は既に吹奏楽部が朝練で使っていたため、集合場所は変更となった。廊下の突き当たりにある理科室。その前で、学生姿の福浦三毛太郎と──人体模型姿のアマビエ様が肩を並べて待っていた。模型とは思えないその圧倒的な存在感に、空気が一瞬ピンと張り詰めた。動いていなくても、そこに立っているだけで視線を惹きつける“異質”さがある。
「福浦~、おはよう。待った?」
僕が声をかけると、福浦はいつもの飄々とした笑みで返してきた。
「大丈夫ニャ。わしらはあれから夜通し、怪異仲間と宴会してたしニャ」
「そうなのよー! みんな私の新しいボディに興味津々でねー」
アマビエ様が自慢げに言うが、その見た目が見た目なだけに、どこか場違いなユーモアになっている。
光葉ちゃんがピクリと反応し、戸惑ったように眉をひそめた。
「アマビエ様はその姿で行くんですか?」
目を輝かせて問いかける光葉ちゃんに、アマビエ様は首をかしげながら返す。
「これじゃダメかな?」
表情は読めないが、声音はあくまで無邪気。
その空気を和らげるように、僕が補足した。
「目立ったりしなければ、ただの人形ですし、いいと思いますよ」
言葉に続くように、ジェシカが僕の背後で無言の「こくこく」を繰り返している。ひとまず納得した空気が場に流れ、僕たちは福浦を先頭にして職員駐車場へと向かった。
が──
道中、廊下ですれ違う生徒たちの反応は予想通りというか、想像以上だった。人体模型が普通に歩いているだけで、通りすがりの生徒が目を剥き、足を止め、次の瞬間には「ひぃっ!」とヒステリックな悲鳴を上げて全力で逃げていった。その後ろで「うそでしょ!?」「今動いたよね!?」「いや声聞こえたし!」と阿鼻叫喚。廊下がちょっとした地獄絵図になっていた。
アマビエ様はというと──まるでそれを楽しむように、ギギギと首を鳴らしながら、逃げる生徒たちに陽気に呼びかけた。
「みんなー、おはようー! 朝ごはんちゃんと食べた?」
……この瞬間、さっきよりさらに大きな悲鳴があがった。
「ひぇぇー!」「うぎゃぁー!」
アマビエ様の挨拶と同時に、廊下はスプリント大会さながらの逃走劇に早変わり。残された僕たちは、軽く引きつった顔でその背中を見送った。
「ううぅー……悲しい。こんな姿なばっかりに……」
しょんぼりと項垂れるアマビエ様。その背中がやけに寂しく見えて、僕は思わず声をかけた。
「アマビエ様、元気を出して! 僕が親父を説得して、素敵なボディをなんとかしますから!」
その言葉に、隣の光葉ちゃんも拳を握って応援する。
「そうですよ! 月曜日には生まれ変わった姿を、無知蒙昧な大衆に見せつけてやろうじゃないですか!」
二人の励ましに、アマビエ様が胸を張って笑顔──らしき表情を浮かべた。もちろん顔は硬質のままだが、その雰囲気はどこか明るい。
「うんうん……そうだね! わたし、頑張るわ!」
「にゃはははー! その意気だニャ!」
軽快な福浦の声に背中を押されながら、僕たちは職員駐車場に到着した。青山先生はすでにミニバンの運転席に乗り込み、重いため息をついていた。
(先生、きっと気が進まないんだろうな……)
僕たちはスライドドアを開けて後部座席へ。その直後、アマビエ様は助手席のドアを開けて、ちょこんと座った。 ──よりによって、先生の隣に。 そしてまた、あのギギギ音と共に首をゆっくりと先生の方へ向ける。不気味な笑顔(物理)と共に、挨拶が飛んだ。
「青山先生~、よろしくお願いします」
「いやぁー! 怖すぎる~! お願い! 前を向いてて! あと黙っててくれる? じゃ、じゃないと事故りそう……」
目を剥いて叫ぶ青山先生。その叫びがあまりにもリアルで、僕は咄嗟にかばうように言葉を返す。
「先生! アマビエ様が傷つきますから、もう少しフレンドリーに対応してくださいよー!」
「わかった! わかったから! みんなー、出発するぞー!」
諦め半分、叫び半分の声を上げて、青山先生はミニバンを発進させた。
「呉の街を見るのも久しぶり。楽しみだわー」
「それで助手席に座ったのかニャ?」
福浦の鋭い(というか悪ノリ気味の)ツッコミが入る。その瞬間、先生の肩がピクリと震えたのを僕は見逃さなかった。
こうして、僕たちを乗せた車は大空山の白岳家──父の研究所へと向かって走り出す。信号待ちで停車するたび、隣の車からの視線が突き刺さる。助手席の人体模型を見た通行人たちが、ぽかんと口を開けたまま固まったり、スマホを取り出したり。中には「ぎゃっ」と悲鳴をあげて車線変更する車まで現れる。 ──僕の高性能イヤーには、そんな反応が漏れなく拾えていた。
◇◆◇
やがて車は呉越えの峠を越え、大空山の頂上へ続く道を進み──僕たちはようやく白岳家にたどり着いた。重厚な門の前。玄関のアプローチには、寝坊して出遅れたマリナがふくれっ面で立っていた。両手を腰に当てて、ふくらんだ頬がまるで怒ったハムスターのようだった。
「みんな、おはようー! お兄ちゃんの意地悪~」
出迎えるなり、僕を指差して不満をぶつける。
「マリナが寝坊するのがいけないんでしょ」
冷静に返す僕。だが、マリナは反論の手を緩めない。
「起こしてくれてもいいのにー」
ぷいっと顔を背けるマリナに肩をすくめながら、僕は話を切り替える。
「まあまあ。それより父さんは?」
「研究室でスタンバイしてるよー!」
マリナの元気な返事に促され、僕たちは玄関を抜けて白岳家の中へ足を踏み入れる。
普通の家──に見えるのは表面だけで、奥へ進むとすぐに現れる秘密のエレベーターが全てを物語っていた。向かう先は、地下に広がる研究施設。かつての呉の軍事施設の構造をそのまま利用した、異様なスケールの地下拠点だ。──ここは、通称「大空山要塞」。我が家ながら、そのネーミングは伊達じゃない。
「はぁー。初めてヤスくんの家に来たけど、こんなすごい施設だなんて……」
思わずため息を漏らす光葉ちゃん。その視線の先には、重厚な鋼鉄製の扉。エレベーターはどこまでも深く降下していく。
「これが噂に名高い、変態の館……」
ジェシカは肩をすくめながら、どこか呆れたような口調でつぶやいた。
「邪気がビンビン感じられるニャ」
福浦はひげをぴくぴくと動かしながら、床を踏みしめて地鳴りのような何かを感じ取っている様子。
「ええ、この感じは相当ヤバいわね……」
アマビエ様までもが、人体模型の姿のまま、やや引き気味に警戒していた。
「え? 我が家ってそんな感じなの?」
僕が戸惑いながら問い返すと、光葉ちゃんが床をじっと見つめながらぽつりと呟く。
「この更に地下に、何かあるみたいな……」
「いやー、怖いから止めて!」
ぞくりと背筋を震わせる青山先生。顔色が明らかにワントーン下がった。
「先生、大丈夫だよ。幽霊じゃない何かだと思うし」
マリナがさらりと放った言葉は、まったくフォローになっていない。むしろ、先生の顔色をさらに悪化させた。
「何を隠してるのか……一度親父を問い質してみよう」
僕がぽつりとそう呟いた、そのタイミングで──
「ガーッ!」という金属音が鳴り響き、エレベーターの扉がゆっくりと開いた。目の前に広がるのは、白岳研究所の中心部。広大な吹き抜け構造の地下ホールで、まるでSF映画のセットのように白と金属の無機質な光が交錯する空間だ。
その中央に、二人の人物が立っていた。ひとりは──世界中の科学者たちから“ド変態”の称号を欲しいままにする男。白岳康太郎。僕の父だ。もうひとりは──天才科学者にして、僕の義母でもあるスヴェトラーナ博士。
「はっはっはっ! よく来たな愚民ども! 我が研究所へようこそ!」
朗らかな笑顔で腕を広げる父。どこか誇らしげに場を迎え入れている。
「皆さん、お久しぶりです。その節はご迷惑をおかけしました」
その隣で、柔らかくも落ち着いた口調で頭を下げるスヴェトラーナ博士。
目の前に現れた“異常な日常”に、青山先生はすかさず深く頭を下げた。
「どうもご丁寧なご挨拶、ありがとうございます。こいつらがまた無茶ぶりしたみたいで、申し訳ありません……」
肩をすくめ、恐縮する先生に、父が満面の笑みで返す。
「なんのなんの! 興味深い研究対象をよくぞ提供してくれた!我が手で世界を震撼せる成果をお見せしよう」
「ほほほ……あなたったら、子供みたいにはしゃいじゃって」
夫婦漫才のようなやりとりを交わすふたり。その様子を、福浦がぴくりと鼻を鳴らしながら、ぽつりと呟いた。
「白岳……お前んちの邪気の元凶は、全てこいつだニャ」
その視線の先には、当然のように父・康太郎が立っている。
「え? そうなの? ……うーん、確かに今日はトーンがおかしいかも」
僕は思わず聞き返してしまう。まさか、うちの親父が“邪気の発信源”だったなんて……。
「おおよそ人間の域をはるかに超えてるわね……」
アマビエ様の言葉には、若干の恐怖と皮肉が混じっていた。
すると──光葉ちゃんが僕の肩にポンっと手を置き、表情をきゅっと引き締めた。そして、顔がスッと変化する──神原日美子様モード、つまり霊能力者人格へのスイッチだ。
「ヤスくんよ。こいつヤバいぞ。わしがちょっくら浄化しておいてやろう」
「くらえ! 悪霊退散パーンチ!!」
振りかぶった右拳が、躊躇なく父の頬へと突き刺さる。
『パコーン!』
まさにクリティカルヒットの音。その瞬間、父の身体から黒くねばついた気のようなものがぼわっと弾け、空気の中へと霧散していく。
「なんだよー! いきなり殴るなんて~!」
ぶつけられた当人は、頬を押さえて情けない声を上げた。
「あなたー、大丈夫!?」
駆け寄るスヴェトラーナ博士。彼女の声には心配と呆れが半々。
「ん? なんか身体が軽い……」
頬をさすりながら呟く父。まるでストレッチでもした後のような爽快さが漂っている。
「貴様……もう少しで魔王になっておったぞ」
日美子モードの光葉ちゃんが、低い声で断じた。
「ええぇー!?」
その一言に、僕たちは固まった。
「だからー! 訳の分からない異空間に扉を繋げたりするからー! 止めてって言ったでしょ!」
スヴェトラーナ博士が絶叫。まるで日常茶飯事のように言っているのがまた恐ろしい。
「うーん……さっきまで俺の中で滾って(たぎって)いた『全世界を制覇し全人類を統合するという野望』が萎えちまったなぁ」
父がぼんやりと、そんなことを口走ると──
「わしらがここに来なかったら、世界はどうなっていたのかニャ……?」
「あんまり考えたくないなぁ……」
福浦とアマビエ様が、同時に身をすくめた。
──図らずも、僕たちは世界の危機を回避していたらしい。もはやツッコミを入れる気力すら湧いてこないのだった。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!
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星は何個でも構いません!(むしろ盛ってもらえると作者が元気になります)
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