第83話 音楽室に巣食うモノ
深夜の原宮高校。
普段なら人影のない廊下を、警備員が定期的に巡回する程度。宿直の教員もいないため、校舎を包む静けさは「平穏」と呼ぶにはあまりに異様だった。非常灯の緑色の光がぼんやりと壁を舐め、ガラス窓に映る影が揺れるたび、まるで何者かがついて来ている錯覚を覚える。旧校舎の階段はひやりと湿り気を帯び、足音は鈍く反響しながら闇に吸い込まれていく。
その先頭を歩くのは──ガチの怪異、妖怪猫又・福浦三毛太郎。人間のふりをしても隠しきれない異質な気配が、後ろを行く僕たちの背筋をぞわりと撫でていく。続くのはSF研のメンバーと青山先生、そしてクラス委員カップルの的場と見晴さん。二人の顔色はすでに死人のように青白く、互いの手を握り合いながら小刻みに震えている。
そして、僕らは知っている。──生徒の前では強気で元気な青山先生が、今やマリナとジェシカに両脇を抱えられ、半病人のようにずるずると引きずられていることを。先生の口元からは小声の「帰りたい……」が何度も漏れていた。
やがて目的の音楽室に近づく。窓からは光ひとつ漏れてこない。だが──確かに聞こえる。軽快に跳ねるジャズピアノの旋律が、夜の静寂を破って流れ出していた。
「みんな聞こえるかニャ? あいつはピアノが好きで、毎晩こうやって弾きまくってるのニャ」
福浦の低い声が廊下に響く。同時に、僕の脳内補助AIが淡々と音色を解析した。
『ピコーン! この演奏はプロのレベルです』
「相当に上手いみたいだね」
「にゃははは! 年季が違うニャ。進駐軍のダンスホールでバリバリ演奏してたからニャ」
得意げに笑う福浦。光葉が小首をかしげる。
「進駐軍って?」
「知らない? 戦後に日本を占領していた連合国軍のことだよ。呉にはイギリス連邦軍──イギリス、オーストラリアやインドからも兵隊が来てたんだ」
僕が説明すると、ジェシカが驚いたように目を丸くする。
「ってことは、八十年近く……ずっと呉でピアノを弾き続けてるのね」
「でも……こんな音量、毎晩鳴らしてたら警備員が気づくだろ? 報告もないなんておかしいじゃないか……」
青山先生が震える声でつぶやく。その疑問を頭の隅に押しやりながら、僕らは福浦に導かれ、音楽室のドアの前に立つ。福浦が胸を張り、声を張り上げた。
「たのもうー! 今日はお願いがあって参上したニャ!」
その呼びかけと同時に──ピアノ演奏は刃物で断ち切られたようにピタリと止んだ。張り詰めた沈黙。耳が痛いほどの無音のなか、暗闇から少女のように澄んだ声が響いた。
「……こんばんは、三毛太郎。私に用事って珍しいのね」
◇◆◇
数秒後、音楽室に蛍光灯が一斉に点る。視界が白く弾け、思わず目を細めた。そこに座っていたのは──グランドピアノの前に腰かける、理科室の人体模型だった。血肉を持たぬ無表情の顔のまま、指先だけが微かに震え、演奏の余韻がまだ空気に残っている。
明るくなった瞬間、青山先生の絶叫が校舎に轟いた。
「いやぁー! 生きちゃいけないものが生きてるー!」
逃げ出そうとする先生を、マリナとジェシカががっちりホールド。だがジェシカ自身も蒼白で、手が震えている。
「はぁ、はぁ、はぁ……幽霊くらいは覚悟してたけど……人体模型が夜中に動いてピアノ弾くなんて、反則じゃないかしら……」
彼女の声は笑い混じりの悲鳴のようで、見ているこっちも背筋が寒くなる。
「先生、落ち着いて。私のセンサーには違う姿が見えてる」
マリナの言葉に僕はスキャナーを起動した。瞳の奥で赤い光が瞬き、情報が流れ込む。
『ピコーン!』
AIが冷静に告げる。
『こいつ、アマビエです』
「福浦……この人、妖怪アマビエなの?」
「そうだニャ。よくわかったニャ」
福浦が口角を上げる。光葉も腕を組んで頷いた。
「確かに。人体模型は依り代で、霊体は本物の人外ね」
驚愕で後ずさる者と、冷静に分析する者と。対照的な反応を前に、人体模型はギギ……と軋む音を立てながら椅子から立ち上がる。そして、まるで舞台の役者のように姿勢を正し、僕らへ歩み寄ってきた。
「皆さん、こんばんは。一年A組の子たちだよね? 私は初めてじゃないけど、みんなには初めまして」
「あっ、どうもご丁寧に……ありがとうございます」
僕は条件反射で頭を下げる。後頭部に冷や汗が伝うのを感じながら。
「どうしたのかな? 合唱コンクールのこと?」
アマビエ様は事情を察しているらしい。声音には妙な余裕がある。
「そうなんです! 音楽センスのある助っ人を探してまして……」
光葉が説明すると、アマビエ様は「ふふ」と鼻で笑い、肩をすくめた。人体模型の骨格をまとったままの姿は妙にシュールだが、その仕草だけは不思議と女らしい。
「ああ、わかるわー。君たちのクラス……酷いもんね」
言葉の端々に苦笑する響きが混じっているのは気のせいではない。的場はたまらず前のめりになり、食い気味に答えた。
「そうなんです! 話が早くて助かります!」
声は安堵と焦りが入り混じって震えていた。見晴さんはそんな彼の手を握りしめ、唇を噛んでいる。
「昼間に人間に化けて助けてもらうことって、可能でしょうか?」
恐る恐る尋ねる見晴さん。視線は床に落ち、両手の指先が胸元でぎゅっと絡み合っている。頼りたい気持ちと、相手が異形である恐怖とがないまぜになっていた。
「そうねー。手伝うのは構わないけど、この姿じゃ無理よね」
アマビエ様は人体模型の頬をトントンと指先で叩き、苦笑いする。その仕草のたびに骨格がカタカタ鳴り、場の緊張をさらに引き上げる。
「アマビエちゃんには変化の力はないし、今は実体も持ってないニャ」
福浦が補足するように口を挟む。その声には、どこか「わかってるだろ」という気楽さが漂っている。
「……ってことは、何かに憑依すれば可能性はあるってことかな?」
僕が思わず口にすると、場に重苦しい沈黙が落ちる。誰もが想像してしまったのだ──どこかの人形やマネキンが、合唱コンクールで笑顔で動き出す光景を。
「でもダーリン、等身大の人形に入ったらすぐバレちゃうわよ」
ジェシカが眉をひそめて苦笑する。緊張のなかに皮肉を混ぜるのは、彼女なりの防御反応なのだろう。 行き詰まる僕ら。音楽室に沈黙が落ちた。窓の外から吹き込む夜風がカーテンを揺らし、誰も答えを出せないまま、時間だけが過ぎていく。
◇◆◇
そんな空気を打ち破るよう──マリナが勢いよく手を上げた。
「はい! はい! はい!」
ぱっと弾けるように元気な声。暗く重かった空気が、その瞬間だけ破られた。全員がギョッとして振り返る。思わず青山先生でさえも、涙目のまま「な、なにごとだ……」と口を開く。
「マリナ、どうしたの?」
僕が恐る恐る問いかけると、マリナは目を輝かせてにっこり笑った。
「お兄ちゃん! あれなら行けるんじゃない?」
「……あれって?」
みんなが首を傾げる中、マリナは胸を張って自慢げに宣言した。
「うちの開発中の家事用アンドロイド! 康太郎パパがベリーダンサー衣装を通販で買って、ラーナママにジト目で怒られてたヤツ!」
一瞬、沈黙。そして次の瞬間、光葉が「ぷっ」と吹き出し、ジェシカと見晴さんが顔を真っ赤にしてうつむいた。
「はっ……そうか! あれなら完全に人間にしか見えない! 霊体と科学の融合……変態親父が泣いて喜びそうだ……」
僕が思わず納得すると、光葉の目がギラリと輝く。
「ヤスくん、明日にでも頼んでみようよ!」
「よくわからないけど、人前で演奏できるなら協力するわ」
アマビエ様は肩をすくめ、どこか楽しげに微笑んだ。……人体模型の顔なので、相当怖い笑みに見えたけれど。
「じゃあ明日、わしも一緒に白岳家へ行くニャ」
「「お願いします!」」
的場と見晴さんが揃って深々と頭を下げた。
「やめろー! これ以上、予測不能な危険分子を増やすんじゃないー!」
青山先生の悲痛な叫びは、結界に遮られて虚しく弾かれる。全てが校舎の闇に吸い込まれ、どこにも届くことはなかった。
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