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第79話 つーん! えぇ?

 血の気を失い、横たわる麗。


 その傍らで、古新開は拳を握り締めたまま、まるで時が止まったように立ち尽くしていた。その足元には鮮血が小さな水溜まりを作り、じわりと広がっていく。マリナは即座に膝をつき、両手で彼女の胸元を押さえ込み、内蔵された医療スキャンを作動させた。AIの演算音が、微かに耳奥で電子の雨のように降り続ける。


「この傷は……遠隔操作で内部から何かを爆発させた感じ。損傷が深くて、心臓も止まりかけてる。残念だけど……」


 感情を抑えた声色に、かえって冷酷さが滲む。診断結果は、事実上の“死の宣告”だった。


「くそっ! このままじゃ麗は……!」


 古新開の声は掠れ、喉奥が焼けるように熱い。胸の奥で焦燥が暴れ、握った拳に爪が食い込む。


 その時──。ビルの入口からドタドタと足音が響き、乱れた息を吐きながら光葉が飛び込んできた。肩の横では、家猫姿の福浦が影のように寄り添い、琥珀色の瞳をギラリと光らせている。


「みんな、大丈夫!?」


 彼女の声には必死さと心配が入り混じる。


「長谷さん! 見てのとおりだ。黄幡さんが急に倒れて……」


「光葉……三毛太郎……麗は……助からないかも、よぉ……」


 マリナは唇を噛み、かろうじて言葉を紡ぐ。声は震え、涙の粒が頬を伝い落ちた。


 だが光葉は、ためらいを一切見せなかった。すぐさま麗の横に膝をつき、両手をかざして呼吸を整える。その瞳には迷いがない。


「わたしが念動で出血を止めてみる! 古新開くん! 日美子ちゃんからの伝言! 『江田島八幡宮』だよ!」


「はっ! そうか……もしかしたら効くかもしれない……!」


 古新開の脳裏に、両谷博士から手渡された小さなお守り袋の記憶が閃光のようによみがえる。彼は素早くズボンのポケットを探り当て、布袋の中から非常用の回復蘇生薬のケースを引き抜いた。指先に伝わる冷たい感触が、希望の形に変わっていく。震える手でカプセルを取り出し、麗の唇をそっと開いて押し込む。


「麗! 聞こえるか! 強化人間用の回復薬だ! 飲んでくれ! 飲むんだ!」


 しかし、麗の喉は閉ざされたまま、薬は沈まず──まるで救命を拒むようだった。光葉は即座にペットボトルのキャップをひねり、水を流し込むが──それでも喉は沈黙を保ったままだ。


「どうすればいいんだ!?」


 古新開の声は焦りで上ずり、呼吸は浅く速くなる。心臓が耳元で脈打つような錯覚すら覚え、視界がじわじわ狭まっていく。そんな彼の手元に、光葉がスッとペットボトルを押し出した。その口元には、場違いなほど軽い笑みが浮かんでいる。


「ここはもうー、アレでしょ! 古新開くん、ちゃっちゃと飲ませちゃって!」


「アレって……もしかして……口移し!? いやいやいや……俺は無理だ……恥ずかしい……!」


 古新開の顔に、一瞬で羞恥と困惑が混ざり合う。耳まで真っ赤だ。


「何言ってるのよー! 早くしないと、麗が死んじゃいそうだよー!」


 マリナの声が切羽詰まり、空気の緊張がさらに張り詰める──。


 ◇◆◇


 そこへジェシカが駆け込んできた。短い黒髪が揺れ、肩越しに背後を振り返りつつ、片手の拳銃はぶれることなく前方を捉えている。銃口をわずかに揺らしながら警戒を続け、一瞬で状況を把握するように皆の顔を見渡す。


「みんな無事か? 麗は?」


「古新開くんが回復薬を飲ませるの。それに賭けるしかないわ」


 ジェシカの目が一瞬細くなる。状況は一目で理解したらしい。


「古新開! 早くやれ! まだ戦闘は終わってないぞ!」


「くぅー! 俺には無理だ……マリナ、頼む!」


 古新開の必死の視線に、マリナはふいっと顔をそむける。鼻先を天井に向け、腕を組み、あからさまに拒絶のポーズ。


「つーん!」


「ええぇー!?」


 間抜けな声が戦場の張り詰めた空気を一瞬だけ和らげた。だが古新開はすぐに次の候補に向き直る。


「じゃあ長谷さん!」


「つーん!」


 光葉はわざとらしく肩をすくめ、くるりと反対方向を向く。背中越しにも、ふわっと膨らんだ頬の“拒否”が伝わってくる。


「なんでー? 女の子同士の方が自然だろー! ジェシカ、頼む!」


 ジェシカは銃を構えたまま、口角をほんの僅かに上げると、そっぽを向く。その態度は、戦場でも動じない冷徹さと、ちょっとした悪戯心の両方が混じっていた。


「つーん! 早くやれ、お前の役目だ!」


 次々と背を向けられ、古新開は言葉を失う。額にじっとり汗が滲み、唇が乾く。


「俺がやるのか……」


「麗が死んでいいの? 君しか助けられないんだよ!」


 光葉の真剣な声が、胸の奥に突き刺さる。その瞬間、古新開の中で、羞恥よりも責任が勝った。


 彼は深く息を吸い、表情を引き締める。


「わかったぜ……麗、すまん!」


 ペットボトルを口に傾け、一口含む。そのまま躊躇なく麗の唇に重ね、水と薬を押し流す。わずかに喉が動く感触が唇越しに伝わり──「コクン」という小さな音が耳に届いた。


 数秒後、マリナがぱっと顔を輝かせる。


「古新開……やったよ! 麗の身体が修復を始めた! AI予測じゃ、完全回復まであと30分くらいだね!」


「うんうん、よかったよー!」


「よーし、よくやった古新開!」


「俺用の薬が麗にも効くとはな……運がよかったぜ」


 安堵の息をつきながら呟く古新開。その足元では、福浦がじっと座り込み、尻尾をゆらりと揺らしていた。


 ──20分後。福浦が横たわる麗の頬を「ペロリ」と舐める。その瞬間、長いまつ毛がわずかに震え、ゆっくりと瞳が開かれた。


「……わたし……どうなったの?」


 古新開はすぐにその手を取り、ほっとした笑みを浮かべる。


「俺の回復薬が奇跡的に効いたみたいだ。もうしばらくしたら動けるぜ」


「麗ちゃん、もう大丈夫だよ!」


 光葉の瞳には、喜びの涙がきらめいていた。


「麗〜、よかったよー! あなたも、誰かに操られてたんだよね……私、わからなくて、ごめんね……」


 ジェシカが短く頷き、視線を古新開とマリナに向ける。


「マリナ! 古新開! ここは私と光葉にまかせて! ダーリンを頼むわ!」


「おおー! 行くぜ!」


「お兄ちゃん、待ってて!」


 ジェシカの号令と共に、古新開とマリナはビルの外へと駆け出す。靴底がコンクリートを叩く音が、暗がりの奥へ吸い込まれていった。


 ◇◆◇


 その頃、僕、白岳靖章は駐車場で改造人間・黄幡遼と対峙していた。


 夜気は湿り、遠くの街灯がアスファルトの上に淡い輪を描く。その薄明かりの中心で、遼は更に人間の形を捨て、獣へと姿を変えていく。骨格がきしみ、筋肉が盛り上がり、皮膚を押し上げて剛毛が噴き出す。黒と白がまだらに入れ替わり、光を吸う漆黒と雪のような白が鮮烈なコントラストを描く。分厚く伸びた腕は人間の太腿ほどもあり、握られた拳には鋭い爪がきらりと反射した。牙をむき出しにした顔からは獣特有の湿った吐息と、生暖かい血と肉の匂いが漂ってくる。


(これは……熊の改造人間なのか?)


 息を呑む僕の目に、毛色の境界線がはっきりと見える。漆黒と純白──それは北極の王者シロクマと、山林の猛者グリズリーの色彩を併せ持つ。


(この戦闘力……間違いない……グリズリーとシロクマをハイブリッドにしたんだ……!)


 遼は咆哮と共に踏み込み、巨大な腕を振るう。鋭い爪が空気を裂き、僕の顔面すれすれを通過する。次の爪は低く、足首を狙ってくる──咄嗟にバックステップし、紙一重でかわす。風圧だけで頬に鈍い痛みが走った。何度も何度も爪が襲いかかる。瞬発力は恐ろしく、わずかな反応の遅れが命取りになる。だが、しばらく応戦しているうちに気づいた。動きが、ほんのわずかに鈍ってきている。


 その瞬間、僕の補助頭脳AIが軽い電子音と共に冷静すぎる診断を口にする。


《ぴこーん! こいつ……大熊猫です!》


「え!?」


 脳裏に、あの笹をむしゃむしゃ食べている姿が浮かぶ。 ……ジャイアントパンダだと!? 改めて見れば、確かにその丸い耳と、目の周囲を覆う黒い模様は、戦場にはあまりに似つかわしくない。それでも全身は分厚い筋肉に覆われ、爪は岩をも砕けそうな鋭さを誇っている。


 だが持久力がないのか、目の前のパンダ怪人は、息を荒くし、大きく肩で呼吸していた。


「ぜぇ、ぜぇ……ちょっと待ってくれ……」


(中国諜報部……こいつでいいのか……?)


 生死を分ける戦場の真ん中で、僕は目の前の“可愛い顔”を見つめながら── 本気でパンチを叩き込むべきか、一瞬迷ってしまったのだった。


(ちょっとぉー可愛いんだが)

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