第72話 古新開の切り札
死闘の末、瀕死の重傷を負った古新開宙夢。
僕たちは彼を連れ、西条ジェシカの高級マンションへと逃げ込んだ。応急処置のあと、リビングの広々としたソファに横たえた古新開。その呼吸はまだ浅く、顔色も蒼白い。僕は再び彼の身体状態をスキャンする。センサーが拾う鼓動は、先ほどよりもわずかに力強さを取り戻していた。
そして──驚くべき変化が僕の目を奪った。皮膚に刻まれていた傷跡が、時間を巻き戻すようにゆっくりと癒え始めている。胸部の損傷も、内部で修復が進んでいるらしく、損壊していたはずの臓器が回復に向かっていることが明白だった。
(これが……強化人間の超回復能力か……!)
それは常識では考えられないほどの回復スピードだった。
やがて、古新開がゆっくりと瞼を持ち上げ、かすかに動く手で僕に何かを伝えようとする。ジェスチャーで示されたのは、胸ポケットだった。僕はその指示に従い、彼の長袖シャツのポケットを探る。そこにあったのは、使い込まれた江田島八幡宮の小さなお守り袋だった。
「白岳……すまん……その中に治療薬が入っている……それを飲ませてくれ……」
「わかった。これだな?」
僕は布袋の中のケースから慎重に一錠のカプセルを取り出した。ジェシカがすぐに水を用意してくれ、それを古新開の口元に持っていくと、彼はわずかに首を動かして嚥下する。
しばらくして──彼の顔色がみるみるうちに改善していくのが目に見えて分かった。さっきまで青白かった肌に血の気が戻り、胸部から腹部にかけて、体内のどこかで「しゅー……しゅー……」と、まるで細胞が再構築されていくような、かすかな駆動音──
(回復している……これは、まるで機械のような……)
僕の補助AIが即座に診断結果を出してくる。
『再生者能力・リジェネレーターが発動しています。完全回復まで、残り時間は約10分です』
その報告に、思わず肩の力が抜けた。僕は深く息をつく。マリナも、そしてジェシカも、ほっと安堵の表情を浮かべていた。
(……こいつ、こんな切り札を隠していたのか……)
まさに起死回生の回復劇。僕たちは古新開の意識が戻るまで、しばらくの間をマリナに任せ、その隙にジェシカとともに青山先生から届いた“敵からの要求”について、詳しく確認することにした。
──青山先生からの報告は、重く、厳しいものだった。
事件直後、原宮高校の固定電話に一本の連絡が入ったという。電話を校長が受けたところ、通話口の相手はこう言った──「SF研の女子生徒二名を拉致監禁している」「解放の条件は、白岳靖章の完全な設計データの提出だ」と。
つまり、僕の肉体を構成する全ハードウェアと、AIの中枢を含むソフトウェアのすべて──それを、まるごと渡せというのだ。そんな情報が、もし敵の手に渡ったらどうなるか。僕にはすぐに分かった。それは、あらゆる軍事バランスを覆すレベルの危険なデータ。常人には扱えないどころか、使いこなせば国ごと傾かせるほどの力を秘めている。
「仮に中国が仕掛けてきているとしたら、奴らの狙いはサイボーグ技術の発展だろうと思うわ。あの国は強化人間の分野では遺伝子改造や生体強化で世界トップクラスだけど、サイボーグ技術は旧ソ連ベースで、アメリカや日本に10年は遅れてる」
ジェシカが冷静に状況を分析する。
「データを渡さなきゃ、光葉や麗の命が危ないの?」
マリナが震える声で尋ねる。
「そのつもりの交渉だろうな。僕たちの一番痛い所を突いてきた……」
ちょうどそのとき、ジェシカのスマホが衛星通信で反応した。
「たった今、国家公安委員長とうちのトップが協議に入ったみたいだわ。ダーリンのお父様にも支援要請をしているって」
「親父か……!? まあ、僕のデータを管理してるのは、父さんだからな……」
「ダーリンのデータなんて絶対渡さない! そして、光葉たちも助けてみせるわよ!」
「ああ。卑劣な罠には屈したくない」
そこへ、リビングからマリナの叫び声が響いた。
「お兄ちゃん、ジェシカ! 古新開が目を覚ましたよ!」
僕とジェシカは同時に立ち上がり、急いでソファへと駆け寄った。
◇◆◇
僕らが駆け付けると、古新開はのそりと体を起こし、大きく背伸びをしながらこちらを見た──まるで、昼寝から目覚めたかのように。
「おう! 白岳! サンキューな、おかげで生き返ったぜ!」
元気な声。まさに別人のような快復ぶりだ。
「心配させやがって。しかし、凄いな、お前の再生能力は」
「両谷博士が持たせてくれた薬のおかげだ。瀕死の時だけに使うことが許可されてる」
「古新開……よかったわ。ここで死なれたら死体処理班(遺体を人知れず完璧に消去するスタッフだw)を呼ばなきゃって……。面倒なことにならずに、ひと安心したわ」
ジェシカが肩をすくめて笑う。古新開が引きつった表情で抗議する。
「死体処理って、、せめて供養くらいしてくれよ!」(涙目)
「もうダメージも大丈夫なの?」
マリナが無邪気に古新開の胸をツンツンと突きながら確認する。
「やめろー! くすぐったいから!」
そのやり取りにひとときの笑いが戻る。
「それより古新開。病院へ行かずにここまで運ばせたのは、何かあるのか?」
僕が訊ねると、古新開の表情が引き締まった。
「そうだ。少し深刻な話をするぜ。俺を瀕死に追いやった刺客なんだが……あれは黄幡麗だった」
一瞬で空気が凍り付く。古新開の報告を聞いた瞬間、僕たち全員の顔色が変わった。
「なんですって!?」
思わず叫んだのはジェシカだった。立ち上がる勢いで椅子がギィと軋む。彼女の瞳は驚愕と怒りでぎらついていた。
だが、マリナは少し戸惑った表情を浮かべながら、言葉を続ける。
「ちょっと待って、身長や体型は違ってたよ。刺客の方が背も高いし、手足も長かった」
マリナは自分の目の錯覚を疑うように、眉を寄せて天井を見上げた。あの時の戦いの記憶データを、必死に脳内メモリから引っ張り出している。
その隣で、古新開が険しい表情のまま呟く。
「強化人間には俺もそうだが、顔や体型を変える能力があるんだ。たぶん、あれが麗の戦闘モードだったんだろう」
口調は淡々としていたが、怒りの火種が言葉の奥で燻っていた。信じた相手に裏切られた事実を、彼自身もまだ完全には飲み込めていないのだろう。
僕は、険しい表情のまま問いかける。
「なぜ麗さんが……?」
その一言には、全員の疑念と困惑が詰まっていた。誰もが、信じたくない気持ちと、事実を受け入れなければならない現実の狭間で揺れていた。
「彼女の身元は何度も確認したわ。普通の日本人女子高生で、怪しいところはなかったんだけど……」
ジェシカは唇を噛みながら、過去の調査結果を脳内で再確認するように言った。
「何も無いのが逆に怪しい、とか?」
僕の言葉に、ジェシカが小さく頷く。完璧な無垢は、時に最も不自然だ。
「もしかして、SF研に近づくためにストーカー事件を自作自演したのかな?」
マリナの一言に、全員が顔を見合わせる。その可能性が現実味を帯びてしまうことが、誰よりも悔しかった。
「あり得るな……」
古新開が唸るように呟いた。かつての彼女の笑顔と、戦闘時の無慈悲な動きを思い返しているのかもしれない。
──空気が、急速に緊迫していく。僕らの間で一気に緊張が走る。だが今は、感情よりも行動が必要だ。
「白岳……現状はどうなってる?」
古新開が真剣な眼差しで僕に訊ねる。その瞳には、かつての迷いが消えていた。
「光葉ちゃんの命が危ない感じだ」
僕の口から出た言葉は、重く冷たく、場の空気をより一層引き締めた。
「俺は彼女にリベンジするぜ。そして、長谷さんを助け出す!」
古新開は拳を握り締め、決意を込めて前を向く。その背中からは、痛みを乗り越えた男の意志が滲み出ていた。
「わたしもやられっぱなしじゃ悔しいよ! 一緒にぶっ飛ばそう!」
マリナも拳を掲げ、戦う意思を表す。その瞳には怒りと使命感が燃えていた。
「身代のデータ引き渡しの件は青山先生に任せて、私たちは光葉を追うわよ」
ジェシカがリーダーシップを発揮し、即座に役割分担を決める。すでに戦闘態勢に入っていた。
その言葉に、全員がうなずいた。
僕はその言葉を聞きながら、強く思う。──この仲間たちとなら、絶望の中でも戦える。光葉を、必ず取り戻す。
今、僕たちの光葉救出作戦が幕を開けた。
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