第67話 ジェシカの告白
僕はジェシカに手を引かれ、お祭り特有の熱気と雑踏の中へと足を踏み入れた。彼女の手は、その整った美貌からは想像もつかないほどしっかりとした筋肉質で、意外な硬さがあった。日頃の訓練の賜物だろう。その感触に、彼女が本当に、僕やマリナのために体を張って戦ってきた事実が改めて思い起こされ、自然と胸が熱くなる。
ジェシカは時折振り返って微笑んでみせるものの、普段のからかい混じりの軽さは影を潜め、いつになく真剣な表情で僕の手を引き続けていた。てっきりこのまま神社の参道を歩く、祭りらしいデートになるのかと思っていた僕の予想は、すぐに裏切られる。彼女は参道からあえて外れ、むしろ人通りの少ない堺川通り方面へと僕を導いていった。
その先にあったのは、黒光りする高級外車──まるで任務帰還中のエージェントが乗るような、非日常的な光景だった。
「ジェシカさん、これは……?」
驚きつつ車に乗り込み、シートに身を沈めた僕が問いかけると、ドアが閉まり、車は静かに動き出す。外の喧騒が次第に遠のいていく。
「まあまあダーリン、落ち着いて。別に変なことをしようってわけじゃ全然ないから」
僕の不安そうな顔に気づいたのか、ジェシカはいつもの調子で軽く微笑んだ。
「お祭りは……いいの?」
「大丈夫よ。また後で帰ってくるつもりだから」
「そう遠くには行かない、感じ?」
「行けば分かるわ」
軽いジャブのような会話が続く中、車は市役所通りを抜け、やがて国道185号線に合流する。そして目的地──呉駅近くにそびえる「呉阪急ホテル」へと滑り込んだ。 所要時間はほんの数分だった。
ジェシカに促されるまま、僕らはホテルの最上階近く、十四階にあるフレンチレストラン「ベッセ・ポワール」へと足を踏み入れた。呉港が見渡せるVIPルーム。そこに漂う空気は、祭りの喧騒とはまったく別の、静謐で高級なものだった。
◇◆◇
一方その頃──
光葉ちゃんたち一行は、神社周辺の混雑した参道を進みながら、僕とジェシカの姿を求めて視線を彷徨わせていた。
「ふふふ……見つけたわよ~、お兄ちゃん!」
マリナが先陣を切って叫ぶ。内蔵された遠方監視機能がロックオンを示すと、彼女は意気揚々と指を差す。
「マリナちゃん、グッジョブ! 見失わないよう気を付けてね」
光葉ちゃんが得意げにマリナを褒める一方で、古新開は眉をひそめて小声で嘆いた。
「あのなぁ~、あんまりこういうストーカー行為はよくないぞ? 白岳も西条を相手に不純異性交遊を仕掛けるほど馬鹿じゃないだろ」
「私もそう思うけどなー。今日は見逃してあげたら?」
黄幡さんが優しく提案するも、光葉ちゃんは即座に首を横に振った。
「いやいや……怖いのはジェシカちゃんの方だから」
「お兄ちゃん~! 心配だよう~!」
マリナも同調するように不安そうに呟いた。
そして数分後──
彼らが四つ角に差し掛かったその瞬間、マリナが立ち止まり、目を丸くして声を上げた。
「ええぇー!? 光葉……ごめん。お兄ちゃんたちを見失ったみたい」
「マリナちゃん……一体何が?」
光葉ちゃんが真剣な表情で尋ねると、マリナはしょんぼりとした顔で振り返った。
「それが……お兄ちゃんとジェシカだと思って追跡してたカップルが、違ってたみたい」
「なんだって!?」
思わず全員が驚きの声を上げる中、古新開が腕を組み、険しい表情で低く呟く。
「これは……おそらく西条の常套作戦……『偽白岳』ってやつか」
「え? じゃあーあのカップルは西条さんの手の者なんですか?」
黄幡さんの問いに答えるかのように、先ほどまで尾行していたカップルが左右に別れ、それぞれ全く異なる方向へと立ち去っていった。
――まるで最初から、尾行をかく乱するためだけに動いていたかのように。
光葉ちゃんは悔しそうに唇をかんだ。
「ガッデーム!参道と本通り、ふたつの逃走ルートを計算して……完全に撹乱されたわね」
呆然と立ち尽くす一同。光葉の尾行作戦は、開始早々に潰えたのだった。
◇◆◇
──呉阪急ホテル、フレンチレストラン「ベッセ・ポワール」。
高級感あふれる空間で、ジェシカは慣れた様子でスタッフに指示を出し、僕はその一連の所作に圧倒されながらも向いの椅子に腰を下ろしていた。やがて、美しい前菜と飲み物がテーブルに並び、静かなランチが始まる。
「ダーリン、やっと二人っきりになれたわね」
ジェシカが微笑みながら語りかける。
「うん……。ところでこんな高級なレストラン、大丈夫なの? 僕は今までこんな店来たことないし、テーブルマナーも自信ないけど……」
僕の戸惑いを見て、彼女は柔らかく笑った。
「大丈夫よ。今日は私の奢り。今までのお詫びだから気にしないで。あと、このコースはお箸で食べれるから。気楽に食事を楽しみましょう」
「そうなんだ……。でもお詫びって?」
「覚えてるでしょ? 呉みなとまつりの秘薬の件よ。本当に浅はかだったわ。ごめんなさい」
ジェシカはほんの一瞬、寂しげに目を伏せてから、静かに謝罪の言葉を口にした。
「いやいや、僕もジェシカさんに反撃して大変な目に合わせたわけだし、もう気にしてないよ」
「ありがとう。……夏休みに私が一時帰国したの知ってるでしょ? あれは実は、秘薬の効果を打ち消すための治療も兼ねてたの」
驚いた僕は、思わず身を乗り出した。
「そうだったんだ……。ちなみにどんな治療を?」
「カウンセリングという名の、『解毒&逆洗脳処置』なの。あれは辛かったわ~」
「なんか色々と……ごめん……」
「それで、今は元の状態に戻ってるから安心して」
言葉の一つ一つが、彼女の誠実さを物語っていた。そして彼女は、僕の目をしっかりと見つめながら告げた。
「その上で、ちゃんと伝えたくてここへ来てもらったの。……色々とあったけど、私はやっぱりダーリンが好き。大好きよ」
胸の奥が大きく跳ねた。冗談でも任務でもない、真剣な告白だった。
「光葉にマリナ……ライバルは強力だけど、卒業までまだ二年半あるし……ゆっくり私のことを好きになってもらうからね」
その言葉には、揺るぎない意志と、ジェシカらしいひたむきさがにじんでいた。
「ジェシカさん……」
「それを言いたかったの。さあ、食べましょう」
そう言って笑顔で前菜を一口。気品と愛らしさを兼ね備えた仕草に、思わず見とれてしまう。こんなにも真っ直ぐで、こんなにも綺麗な想いを向けられて──それでも心が揺れない男なんて、きっとこの世界にはいない。
少なくとも、今の僕は──そうだった。先のことはまだわからない。けれど、せめて今だけは── 僕は、ジェシカの真っ直ぐな気持ちに応えるように、食事に向き合った。
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