第58話 捜査官 青山祥子
深夜の川原石埠頭──。
潮の匂いと鉄の香りが交錯する、静寂と緊張の張り詰めた空間に、二つの影が対峙していた。
一方は「凶刃」。人間の外見をした、殺戮に特化した戦闘兵器。全身に刃を仕込み、鋼鉄の肉体を持つ戦闘型サイボーグ──その存在は、まさしく“兵器としての殺し屋”。組織内で百戦錬磨の戦果を上げ、その名を聞いただけで現場の者が動揺する“処刑人”だった。
そしてもう一人──
彼女は静かに地を踏みしめ、構えをとる。腰に下げた忍刀をすらりと抜き、呼吸一つ乱さぬまま中段に据える。公安捜査官・青山祥子。その姿は、ただの“若い女性捜査官”には見えなかった。
体幹の軸が揺るがず、無駄な力も気配も感じさせない──まさに“居合いの構え”に通じる無音の殺意。敵にとって最も厄介なのは、攻撃よりもまず、そこに漂う異様な「静けさ」だった。
凶刃は青山の情報を持っていなかった。公安の一現場捜査官に過ぎない、と──そう高を括っていた。 だが、その読みはすでに崩れつつある。
(……この女、只者じゃない)
見た目には何の装備もない。だが、身に纏う空気が違う。凶刃は数多の殺人現場を踏み越えてきた男だ。だからこそ“感じてしまった”のだ。目の前の女が、自分の常識で測ってはならない存在であると。
ガシャリ、と音を立てて凶刃の腕が変形する。肘から突き出した刃が、彼の意思に応じて回転しながら伸び、踵や肩の隙間からも鋭利なナイフが顔を覗かせた。全身を武器に作り変えられた異形の肉体──その本領が姿を現す。
(一本の刀で何ができる……?)
そう自分に言い聞かせながら、凶刃はじりじりと間合いを詰めていく。
◇◆◇
一方の青山は、冷静にその動きを観察していた。その目はまるでスキャナーだ。筋肉の張り、体重移動、呼吸、重心、武装の可動角度……すべてを一瞬で解析し、斬るべき点とタイミングを計算している。
殺し屋と捜査官──。
その刹那、張り詰めた空気が破裂した。青山が弾かれたように跳び、忍刀が風を切る。凶刃も即座に反応し、腕の刃でそれを受け──火花が散った。ギャリギャリと鋼が擦れ、鋭い音が周囲に響く。攻防は一瞬で三手四手と進み、視認すら難しい速度で繰り返される。
(速い……が、届かん!)
青山の攻撃は確かに精密だ。しかし凶刃の「刃の嵐」は、一点を狙う刺突でなく、網のように広がる殺意だ。袖や肩口、足元など、あらゆる隙間からナイフが飛び出し、それらが一斉に放たれる。青山の戦闘服が切り裂かれる音が聞こえる。針状の刃が数本、表面に突き刺さっていた。だが、彼女はまったく怯まず、くるりと身をひるがえして距離を取る。
「女……なかなかの手練れだな。だがもう遊びは終わりだ。貴様を始末したら、ここにいる全員を血祭りにあげてやる」
「言いたいことはそれだけ? ここから私も本気出すけど」
「本気だと? 見せてみろ」
凶刃の肉体からじわじわと黒い液体が滲み始めた。それは毒だった──微量で人を殺す猛毒を、刃の表面に行き渡らせている。
青山はわずかに息を吸い、構えを改めた。柄の内側にあるスライドスイッチを、カチリと親指で押し込む。
──音がした。
ごくわずかに「チチチ……」と金属の擦れ合う音。忍刀の刃が赤く光る。ナノマシンによる刃の超振動──その刃は今、殺戮を目的とした最先端の「超高振動ブレード」へと変貌していた。
次の瞬間、彼女は跳ぶ。刃と刃がぶつかる。だが──今度は違った。青山の一閃が凶刃の右腕を、まるで紙を切るように斬り落とす。悲鳴とともに、凶刃がバランスを崩す。
「なんだ!? その刀は? おい……待て……止めろー!!」
無様な叫びを背に、青山は冷徹に舞う。腕、足、そして肩口。次々と刃を破壊し、関節を封じ、身体機能を奪っていく。そのたびに金属の欠片が宙を舞い、凶刃の“殺しの機能”が一つひとつ剥がされていく。
最後の一太刀で、彼女は男の両腕を完全に断ち切った。
──沈黙。
究極の死神と呼ばれた凶刃は、がくりと膝をついた。
「あれ……動かない……壊れたのか……」
血は流れない。既にその四肢は完全に機械化されているようだった。だがその姿は、敗北と無力さを誰よりも雄弁に物語っていた。
◇◆◇
凶刃が沈黙し、辺りに静寂が戻る。
海風がざわりと吹き抜け、散乱する金属片の中で立つひとりの女──青山祥子の姿が、月光に照らし出された。手に持つ忍刀は、まだ赤く微光を帯びている。その刃が静かに唸りを止めると同時に、彼女はひとつ息を吐いて、肩を軽く回した。
「一丁あがりっと。それにしてもこの刀は斬れまくりじゃない?……白岳康太郎……とんでもない武器を作るわね」
彼女が刀を鞘に収めたそのとき、慌ただしく駆け寄ってきたのは原宮高校の校長だった。息を切らし、背広の裾をはためかせながら、その顔には驚きと安堵が入り混じった複雑な表情が浮かんでいる。
「青山先生! よくやってくれた! さすが風魔だ!」
思わず口走ったその称賛に、祥子はくいっと首をかしげてみせた。
「校長! 後は任せてもいいですか? 明日もHRからびっちり授業がありますので」
その言葉はあまりにも日常的で、さっきまで殺し屋と斬り結んでいた同一人物の発言とは思えなかった。だが、それが青山祥子という女なのだ。
「ああ、いいとも。早く帰って休んでくれ」
校長は額の汗を拭いながら頷いた。だが、次の一言に顔が引きつる。
「じゃあ古鷹、今週中にはお願いしますね〜。米沢牛、楽しみにしてますんで」
しれっと言われたその一言に、校長の頬が引きつり、背中に冷や汗が一筋伝う。戦場の中心での軽口──だが、それが逆に今の彼女の余裕を物語っていた。
その場にいた公安の隊員たちは皆、黙して頭を垂れていた。誰かが小声で「……これが“死神狩り”か」と呟く。誰もが目の前のこの女が、ただの“風変わりな教師”ではないと知った。人知れず闇を狩り、教壇では笑顔でプリントを配る──それが彼女の正体だった。
そして、呉の夜に再び風が吹いた。今度は、静かに潮の香りを運ぶだけの、平穏な風だった。
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