第55話 ミケランジェロと呼ばれて
羊羹を食べ終え、ぬるめのお茶をずずーっとすすった三毛太郎は、満足げに喉を鳴らすと「ふにゃ」と一声鳴いて立ち上がり、「ぽんっ」と音を立てて家猫へと変化した。再び猫の姿に戻った彼は、今度はするりと歩いていき、光葉ちゃんと向かい合って座っていたジェシカの膝へ、まるで計算された動きのようにふわりと飛び乗った。
(こいつ……まさか、女子の膝の上を狙って変身してるのか? おじさん猫のくせに……)
僕の内心のツッコミなど意にも介さず、三毛猫はジェシカの膝の上で落ち着いたポーズをとる。ジェシカは最初は少し驚いた様子だったが、肉球の柔らかさにすぐさま笑みを浮かべ、ゆっくりと毛並みに指を滑らせ始めた。
「日本の猫も可愛いものね。こいつ、毛並みもつやつやだわ」
「いいなぁージェシカさん、次は私にも撫でさせて下さい!」
黄幡さんが羨ましそうに前のめりになり、マリナもそれに負けじと声を張り上げる。
「マリナも抱きたい~! 三毛太郎はちょっと顔がおじさんみたいなのが逆に可愛いよね~」
膝の上で得意げに丸くなる福浦を見て、古新開が思わずため息まじりに呟く。
「帝国海軍の生きる伝説なんだよなー……。俺も江田島に連れ帰ってインタビューしたいくらいだ」
「まあまあ、今は福浦の話を聞こう。先日の生徒会長の様子、ちょっと変だったし。何かあるんだろ?」
僕の問いかけに、光葉ちゃんがコクリと頷いた。
「福浦くん、君が会長に“ミケランジェロ”って呼ばれてること、やっぱり関係あるの?」
ジェシカの膝の上で丸くなっていた三毛猫が、ゆっくりと目を開き、落ち着いた調子で語り始めた。
「実はニャ、わしはこの原宮高校に棲み着いてから、生徒会室で過ごす時間が長かったニャ」
「えーと……それって、なんで?」とマリナが首を傾げると、光葉ちゃんが代わりに答える。
「うちも昔、猫を飼ってたからわかるよ。猫ちゃんは家の中で一番快適な場所を選んでそこに居るの。たぶん、生徒会室が一番だったんじゃないかな」
「ってことは……この学校で一番居心地がいい場所がそこだったってことか……」
僕の感想に、福浦は誇らしげに頷いた。
「そうニャ。わしの幸運力で、いち早くストーブやエアコンを配備させて、昼寝用のソファーや給湯器まで完備させたのニャ」
「それって……私利私欲じゃない?」
思わずツッコミを入れると、福浦はぷるぷると頭を振って否定した。
「違うニャ! 生徒会室は学校の艦橋みたいなものだニャ。指揮官に幸運を与えるのが一番効果的なんだニャ」
「なるほど。理にはかなってるわね」
ジェシカが納得したように頷く。
「生徒会の仕事も手伝ってたんですか?」
黄幡さんの質問に、福浦は小さく首を振る。
「いやいや、大体は猫の姿で気配を消してゴロゴロしてたニャ。それが……この春、約80年ぶりにわしの姿を見破る者が現れたのニャ」
「徳丸会長、だね」
光葉ちゃんの言葉に「うにゃ」と強く頷く福浦。
「ちなみに以前に福浦の正体を見破った人って、どんな奴なんだ?」
古新開の問いに、福浦は少し遠い目になって語り出す。
「終戦後、復員兵を輸送する雪風で出会ったニャ。鳥取出身の変な男で、戦地で“ぬりかべ”に助けてもらったとか、妖怪には子供の頃からよく出会ってたって言ってたニャ」
「へぇー、そうなんだ」
「可哀そうに片手を失ってたから、別れるときに思い切り幸運を授けておいたが……あいつどうなったかニャー」
『ぴこーん。その人物はたぶん……『ゲゲゲ』で有名な水木先生だと思われます』
僕のAIの合成音声が軽やかに断言し、僕自身も笑いながら補足する。
「その人、戦後大成功したよ。漫画もいっぱい描いて、いい人生を全うしたって聞いてる」
その言葉に福浦は満足げに目を細めた。
「それならよかったニャ……わしも背中を押した甲斐があったニャ」
◇◆◇
その様子を見て、光葉ちゃんは仕切り直しとばかりに、いつものゴッドファーザーモードに入る。瞳の奥に強い光が宿った。
「福浦くん、生徒会長のことをもっと詳しく話してくれないかな」
その言葉に、福浦の顔が引き締まり、静かに語り始めた。
「徳丸さやか……あの娘は、生まれながらにして強大な運と霊感を備えた存在だったニャ。わしは油断して大猫姿を見られてしまい……ついに“ミケランジェロ”という名前まで付けられてしまったニャ」
「それって……名前をつけられるのがまずいの?」
僕の疑問に、光葉ちゃんが冷静に答える。
「名前には言霊の力が宿るっていうからね。下手に呼び名を与えると、支配権が生まれることもあるわ」
「そのとおりニャ。今でも“ミケランジェロ”と呼ばれると、どうしても従わされるような感覚になるニャ」
福浦の言葉に、SF研メンバーの表情が一斉に引き締まる。今までの和やかな空気が、まるで一瞬で冷や水を浴びせられたかのように緊張感に包まれた。
「さやかはよくわからないがお前たちが好んで使うパソコンやスマホを駆使して何かをやってるみたいで、わしの幸運力が凄まじい勢いであの画面に吸い込まれていくのニャ」
福浦の語気には怯えにも似た圧があった。冗談めいた調子の裏に、本人にしかわからない危機感が滲んでいる。
「わしが近くにいるだけで、液晶の画面がピカッと明滅して……背筋がゾワゾワするニャ。どうも“向こう側”と繋がってる気がしてならんニャ」
思わず僕たちは顔を見合わせる。見えない何かに繋がっていくデータの流れ、それを「吸い込まれる」と形容する猫又の言葉の重みが、じわじわと胸の奥を圧迫してくるようだった。
「なんだか危険な香りを感じるわね。ネットの世界はある意味で別次元……そして無限に広がる底なし沼みたいな所でもあるわ」
ジェシカさんの声は低く、慎重だった。普段は気楽そうにしている彼女だが、今はプロの顔だった。情報の闇を渡る諜報員としての経験が、その言葉に陰を落とす。彼女が“危険”と断じることの意味は、重い。
誰もが息を呑む中、古新開が重く口を開く。その視線はまっすぐに福浦へ向けられていた。
「それで福浦は生徒会室から逃げ出したってわけか」
問いかけは鋭く、だがどこか理解を含んでいた。福浦は静かに頷いた。
「うにゃ!そして校内徘徊の末、わしがたどり着いたのがこのSF超常現象研究会だったニャ」
「私たちならなんとかしてくれる、そう思ったの?」
光葉ちゃんの問いに、福浦はやや照れくさそうにうなずいた。
「まあそんな所だニャ。(数奇な星の下に生まれた面白い奴らがこんなに集まった場所があるとは、わしも驚いてますニャ、汗)」
「三毛太郎がここに居たいなら、いつまでもいていいよー!」
マリナが抱きしめるように福浦を撫で、光葉ちゃんもにっこりと微笑んだ。
「そうだね。エアコンも完備したしね」
「ありがたいニャ。正式に入部するニャ! だから……徳丸さやかから、わしを匿ってほしいニャ!」
「わかった。ようこそ、SF研へ──福浦くん!」
「待って、光葉ちゃん! それだと生徒会にクラブ昇格の申請ができないよ!」
僕の指摘に、光葉ちゃんは一瞬顔色を変える。
「……うっ、忘れてた。どうしよう、ヤスくん……」
そんな中、福浦はニヤリと笑う。
「心配いらんニャ。来年の生徒会長はたぶん長谷さんだしニャ」
「「ええぇぇーーー!?」」
「長谷さんを差し置いて誰が立候補するのニャ?」
イタズラっぽいその目を見て、僕らは……なぜかその未来が現実味を帯びて見えてしまった。
「と、とりあえず……会長にどう説明するか考えよう」
「うん……そうしよう」
こうしてSF超常現象研究会に、人間の皮を被ったとんでもない問題児(猫又)が一匹、正式加入したのだった──。
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