第54話 福浦三毛太郎の身の上話
光葉ちゃんの膝の上でちゅーるを幸せそうに食べていた三毛猫──否、福浦三毛太郎は、ぺろりと最後の一口を平らげると満足げに喉を鳴らし、尻尾をふにゃりと揺らしながら「ふう」と一息ついた。
そして、膝からぴょーんと軽やかに床へ飛び降りると、床の上に着地するやいなや「ぽんっ」と不思議な音と共に、再び人間の姿に変化する。あまりにも自然すぎる変身に、もはや誰も驚かなくなっていた。
人間──クラスメイト・福浦三毛太郎の姿に戻った彼は、座卓の上に置かれた「間宮羊羹」をじっと見つめる。羊羹の漆黒の艶と、丁寧に切り揃えられた断面。それにじっと目を細めた福浦は、何か懐かしそうな表情を浮かべた。
「長谷さん、わしにも羊羹くれニャ。お茶はぬるいので頼むニャ。猫舌だからニャ」
どこか甘えるような、しかし堂々とした口調だった。
「いいわよ。羊羹ならたくさんあるからね」
光葉ちゃんはやさしく微笑み、すぐに羊羹を丁寧に切り分けて皿にのせる。その隣で黄幡さんが気を利かせて、ケトルの蓋を開けて湯気を逃がしながら、お茶を冷まして福浦の湯飲みに注いだ。
「福浦ってやっぱり猫舌なんだなー。猫本人から初めて聞いたけど」
僕が半ば冗談めかして言うと、福浦は羊羹をぱくりと咥え、うっとりとした顔で目を細めた。
「うにゃー。昔食べた間宮の羊羹を思い出すニャ。なかなかいい味に再現してるニャ」
福浦の口からふわりとこぼれたその言葉に、僕らは顔を見合わせる。
──間宮羊羹。旧帝国海軍の給糧艦〈間宮〉が作っていた伝説のスイーツ。それを再現した銘菓は今また呉の土産物として有名だ。だが、当時を知る者でないと「本物の味」なんて言葉は出てこない。
「福浦は昔……そう、戦時中とかに食べたことがあるっていうのか?」
古新開が椅子から少し乗り出して尋ねると、福浦は懐かしげに羊羹の断面を指先でなぞりながら、ぽつりと口を開いた。
「そうだニャ。わしが物心ついたのは、明治も中ごろだったニャ。この呉の町で帝国海軍が少しずつ大きくなっていく頃だニャ」
それはまるで古い映画のフィルムが回り始めたような、不思議な語り口だった。
◇◆◇
福浦三毛太郎は、呉の海辺の漁村で生まれた。珍しいオスの三毛猫として、生まれながらに“特別”だった。漁師の親父さんに飼われ、船に乗って海を渡り、毎日新鮮な魚を食べてのびのびと育った福浦。しかし、齢二十を過ぎた頃──ふと気づけば尻尾が二又に分かれ、妖怪・猫又へと変化していたのだという。
飼い主が亡くなってからは放浪の旅へ。そして“食いしん坊の猫又”の運命の出会いは、再び訪れたこの呉の町で起きた。
──それは、海軍飯だった。
まだ日本が貧しかった時代でも、海軍の兵食は栄養満点で美味だった。福浦は常時人間の姿に化けるため、呉市の東にそびえる野呂山──弘法大師ゆかりの霊場へと籠もった。山伏に紛れて昼夜を問わず山野を駆け巡り、寝食も惜しんで読経に励む日々。そうしてついに、“神通力”をその身に宿すことに成功したのだ。
日本海軍が急速に台頭し、やがて世界三大海軍の一角として名を連ね始めた明治の終わり頃──三毛太郎は、修行によって得た神通力を駆使し、水兵や士官の姿に変化しては、堂々と軍艦に乗り込むようになっていた。
その存在はやがて、艦内外の者たちの間で“あるあだ名”とともに語られるようになる。
「呉鎮守府の海軍猫」。
それが、彼に付けられた異名だった。
不思議なことに、三毛太郎が姿を見せるようになってからというもの、彼の乗る艦は決まって航海が順調で、演習の成績も申し分ない。天候に恵まれ、事故も少なく、艦内の士気まで高まるという。まさに“招き猫”の効果が如実に表れていた。
やがて、呉の海軍関係者の間では、ひそひそとした噂話が飛び交うようになる。
「誰かはわからないが──幸運の招き猫が、人間に化けて艦に乗り込んでいるらしいぞ」
その噂は次第に都市伝説のような色を帯びながらも、信仰に近い形で定着していった。
そしていつしか、艦の人事異動や新造艦の就役のたびに、調理担当の兵たちは名簿上の人数よりも“必ず一食分多く”食事を用意し配膳するようになった。その一皿が跡形もなく平らげられていれば──その艦には“海軍猫”が乗っている証拠として、乗組員たちは胸を張り、静かに喜びを分かち合ったという。
◇◆◇
語る福浦の目は、どこか誇らしく、それでいて少し寂しげでもあった。
「そうだったんだ。でも今はなんでこの学校に? 海上自衛隊もあるのに」
光葉ちゃんが不思議そうに問いかける。
「わしは大東亜戦争中も色んな艦に乗って戦地に赴いたニャ。……わしの幸運の力で、一人でも多くの戦友が無事に呉へ帰れるよう願いながら、ニャ」
その声には、ささやかな祈りの残響があった。
「瑞鶴や大和にも乗ったことあるニャ。でも最後は雪風という駆逐艦に乗ってたニャ」
「雪風だって!? あの大戦中に数々の激戦をほぼ無傷で生き抜いた幸運艦だぞ! お前が力を与えてたのか?」
古新開が目を見開く。福浦は微笑みながら首を横に振った。
「いやいや、わしにそこまでの力は無いと思うニャ。ただし、わしに関わった者にはそれなりのラッキーが起こるニャ。それが巡り巡って、大きな幸運になることもあるかもしれんニャ」
「それってもしかしてバタフライ効果?」
ジェシカさんが思わず身を乗り出す。
「蝶の羽ばたきが巡り巡って何か大きな事態に繋がるっていうヤツですよね?」
黄幡さんも目を輝かせて頷く。福浦はうんうんと頷き返す。
「戦後は復員兵を運んだりしてたが、雪風も連合国に引き渡され……わしはもう戦争や軍隊が嫌になったのニャ。……それで、未来を担う子供たちのためにこの力を使おうと思って、この原宮高校に棲み着いたのニャ」
「どうして原宮だったの?」
僕が尋ねると、福浦は窓の外を見つめながら、ゆったりと語った。
「ここからは、わしの好きな呉の港がよく見えるからニャ。……それだけで、十分ニャ」
マリナが瞳を潤ませながらぽつりと言った。
「三毛太郎って……いい妖怪だね。ごめんね。もう追いかけたりしないから」
「福浦、僕らに正体がバレたけど大丈夫? これからもずっと居てくれるのか?」
僕の問いに、福浦は少し真剣な表情で答えた。
「まあ、お前たちが大っぴらに騒がなければ大丈夫ニャ。ただ、ひとつ相談に乗ってほしいのニャ」
その言葉に、空気が少しだけ引き締まる。光葉ちゃんがまっすぐに彼を見つめて言った。
「福浦くん、それってやはり徳丸会長の事かな?」
その名を聞いた瞬間、福浦の表情がわずかに翳り──そして、静かに、深く頷いた。
三毛太郎と徳丸会長──そこには、まだ誰も知らない因縁が眠っている。僕らはまた、不可思議な嵐の中心に足を踏み入れようとしていた──。
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