第四十六話 真夏の鬼ごっこ
ぎゅっと手を繋いで走っていく僕と光葉ちゃん。その最中にも、僕のレーダーとセンサーはフル稼働していた。
パン!
乾いた破裂音とともに、僕らの目の前にそびえる電柱にペイント弾が命中する。真っ赤な塗料が、まるで血飛沫のように散り、コンクリートにじわりと広がっていく。
(いくら演習用の模擬弾といっても、当たればただじゃすまないだろー)
背筋がひやりとする。ジェシカの狙撃の腕は、恐ろしく正確で冷徹だった。
「光葉ちゃん、ちょっとごめんね」
僕はそう声をかけるやいなや、彼女をお姫様抱っこで抱き上げた。体内に秘めたパワーを数%解放し、脚力を一気に強化する。スニーカーがアスファルトを蹴るたびに、景色が風のように流れていく。その勢いで、堺川の川幅数メートルをひと跳びに越え、中通りのアーケード街へと駆け込んだ。
「すごいね、ヤスくん! あの川を飛び越えちゃうなんて。オリンピックなら金メダルも余裕だね!」
興奮したように目を輝かせる光葉ちゃん。その笑顔に少しだけ救われた気がした。
「ははは。サイボーグ部門があったら日本代表で出てもいいかもね」
この南北に商店街を覆うアーケードなら、狙撃の射線は通らないはず。ひとまず身を潜めるには十分だ。
──そう思っていたのに、予想外の存在が僕の視界に入る。
先ほどバスに同乗していた老婆が、後方から音もなく距離を詰めてきていた。そして前方には、汗をぬぐいながらのんびりと歩くお爺さんが、こちらに向かってくる。どちらからも、ただならぬ殺気を感じて思わず息を呑んだ。
老婆は腰の曲がった姿勢をすっと正し、買い物袋から黒い棒状の何かを取り出す。その動きは迷いがなく、明らかに訓練されたものだった。一方、お爺さんも背筋をしゃんと伸ばし、コンビニ袋からスプレー缶を抜き出して構える。その目が、まるで戦場の兵士のように鋭く光る。
僕のAIが緊急分析を始め、冷静な声で告げる。
「前方の人物には脅威度Bの催眠ガスがあります。後方の人物には脅威度Bの高電圧スタンガンを確認」
(このままじゃ光葉ちゃんが危ない……!)
「もしかしてジェシカちゃんの手の者なの? ヤスくん! CIAに目にモノ見せてやるチャンスだよ!」
目を輝かせて言う光葉ちゃんの無邪気さが、逆に恐ろしい。だが、そんな悠長なことを言っている間にも、二人の工作員はじりじりと距離を詰めてきていた。
「くっ! こうなったら!」
僕は再び光葉ちゃんを抱きかかえると、その場から全力で真上にジャンプ。アーケードの天井の隙間を突き抜け、屋根の上に着地する。熱い鉄の感触が靴底に伝わり、僕は一瞬だけ周囲を確認してから、呉駅方面へと跳躍しながら移動を開始した。
しかし、その逃走も長くは続かなかった。再び、視界の隅に赤い閃光。ビシッ!と音を立てて、ペイント弾が僕らの進行方向の壁に炸裂する。
(僕らの位置をこうまで正確に……)
その時、わずかな風の動き。僕のセンサーがその微細な変化を捉える。
AIが叫ぶ『光学迷彩ドローンを上空に発見したよ』
僕は光葉ちゃんを一旦降ろし、近くの屋上に立っていたテレビアンテナを根元から引き抜いた。そして、隠れていたドローンめがけて正確に投擲する。
命中。
「あん! もうーダーリンったら! 追跡ドローンを落とすなんて。一機何千万円すると思ってるのよー(涙)」
ジェシカの遠くからの悲鳴が、風に乗って届く。
「仕方ないわ。私が出るしかないみたいね」
「下に車は回しております」
「ありがとう。全諜報員は包囲の輪を維持したまま追跡。絶対にキスを阻止するのよ」
「はっ!」
(もう~この娘はどんだけ本気なんだよ……)
部下の嘆きも気にせず走り出すジェシカだった。
◇◆◇
僕らは中通りのアーケードの屋根を駆け抜け、低層ビルの屋上を飛び移りながら、呉駅方面を目指す。 向かうは、大和ミュージアムの裏手──海に面した広い大和波止場だ。今の時間なら人も少ない。逃げ切るか戦うか、どちらにしても選択肢はそこにしかない。
僕のレーダーは、さきほどの変装工作員たちに加え、周囲から数人のプロフェッショナルな足音を捉えていた。そんな中、スマホが震える。
「ダーリン! 光葉とキスしたらその場面を録画して青山先生に見せるわよ。新学期早々に停学なんて悲しくならない? 大人しく解散すれば許してあげる」
(くっ! 下手にキスしたらマジで停学になるかも……)
光葉ちゃんが僕の腕の中で、しゅんとした声を漏らす。
「ごめんね、ヤスくん。日美子ちゃんが勝手な約束したばっかりに……」
「それは感謝こそすれ、気にしてなんかないよ」
僕の言葉に、光葉ちゃんは一瞬驚いたような表情を浮かべた。
「そうなの?……うっ! また声が!」
額に汗をにじませ、身をよじる光葉ちゃん。
「日美子ちゃんの『チュッチュせい』攻撃がぁ~! 今か今かとめっちゃ楽しみにしてる念波が痛い~」
半泣きになって告白する彼女が可愛くてたまらない。
「大丈夫かい? 一刻も早くキスしないと……」
(ナイス日美子様! これはもうご期待に添うしかない!)
「ヤスくん……ひとつだけ合法的にキスする方法があるの。ちょっとお手数かけるけど、私の予知が間違いなければ今日はコレしかない。大和波止場に急いで!」
「よくわからないけど、わかったよ!」
僕は光葉ちゃんを抱きかかえたまま呉港に面した海沿いの公園・大和波止場へ到着する。
すると大和ミュージアム側からジェシカを筆頭にCIAの屈強な諜報員が数名現れる。これはもう逃げ場なし、万事休すか、と僕は思った。
そのとき光葉ちゃんが僕の手を離れて全力ダッシュでジェシカに向かって駆け出す。そして手にしていたエコバックをポンとジェシカにパスすると、元気よく「行ってきまーす」と叫んで、右手の柵を乗り越え呉港に飛び込んだ。
ドボン!と海に沈む光葉ちゃん。泡が立ち、水しぶきがはじけ飛ぶ。
「!?」
僕とジェシカの叫びが重なる。
「えぇー! 光葉! 大丈夫か? 私が悪かったから! 浮かんできて!」
焦るジェシカを尻目に、僕は即座に水中用センサーを展開。彼女の位置を正確に特定し、海へ飛び込む。
水圧。冷たさ。視界の揺らぎ。
海底に沈みゆく光葉ちゃんに追いついた僕は、彼女の身体を抱き寄せる。そして、光葉ちゃんがゆっくりと目を開いたその瞬間、彼女の唇が重なってきた。 これは──救命のキス。 そして……特別なファーストキス。 僕は彼女の口に空気を送りながら、その身体を支えて水面へと浮上する。
波止場に引き上げられた光葉ちゃんは、目を閉じて横たわっていた。
「ダーリン! 光葉は大丈夫なの?」
「そのはずだけど……あれ? 息してない」
「早く! 人工呼吸を!」
「僕がやる!」
AIがリズムを示し、僕はそれに従って再び唇を重ねた。 すると…… 光葉ちゃんがぱちりと目を開け、にやりと微笑む。そして今度は、自らの腕で僕の首を引き寄せ、柔らかく、確かに、キスをした。
「あああぁぁ、こいつ、確信犯か!」
ジェシカの絶叫が響く。僕はそのまま脱力して地面にへたり込んだ。すると光葉ちゃんは元気よく起き上がり、ジェシカにこう言った。
「ジェシカちゃん、ありがとうね。そのバックの中身……着替えなの」
ジェシカもまた、僕と同じように気が抜けたように膝をついた。 やはり長谷光葉には、誰も敵わない。 そんな幕切れの真夏の鬼ごっこだった。
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