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第三十六話 ド変態科学者の真骨頂

 玄関で崩れ落ちる少女を、僕はかろうじて受け止めた。ぐったりとしたその身体は、真夏とは思えないほど冷たく、凍えた金属のような感触さえある。肌からは生気というものがまるで感じられなかった。僕の中のAIは即座に警報を鳴らし、緊急事態を告げてくる。


(このままだと、彼女は……)


 考えるよりも早く、僕は彼女を抱きかかえ、ぐずつく床を蹴って客間のベッドへ急いだ。腕の中の彼女は軽い……けれど、その重さの意味が恐ろしくもある。ずぶ濡れのレインコートを脱がせると、その下から現れた軍服――見慣れぬデザインはあちこち破れ、滲む赤色が生々しく浮かんでいた。


 ただ事ではない。僕は咄嗟に声を張り上げ、父を起こしに走る。


「父さん!! 救急車! 救急車呼んで!」


 その声に、寝室の奥から不機嫌なうめきが返ってきた。


「なんだよー、いい夢見てたのにー」


「父さん! それどころじゃないよ。この子、もしかして死にかけてるかも! 体温がどんどん低下してる!」


 僕の焦った声に、父の表情が一変する。さっきまで寝ぼけた顔でふてくされていた男が、一瞬で研ぎ澄まされた眼光を宿した。


「どうした? 診せてみろ」


 言うが早いか、動きが切り替わる。まるでスイッチが入ったかのように、彼はたちまち医者の顔になる。父――白岳康太郎は、天才的な科学者であると同時に、現役の医学博士でもある。いつもは変態じみた実験や謎の研究に夢中だが、その手にかかれば瀕死のヤスデでも生き返るという噂がある(誰が言ったのかは知らない)。


 死んだように眠る少女の状態を手際よく観察し、父は険しい顔をこちらに向けた。


「この子は普通の病院では手に負えないぞ。ここでなんとかするしかない」


 胸がずしんと重くなる。やっぱり……。


「……この人……やっぱり普通じゃないのか」


 僕がつぶやくと、父はあっさりと肯定する。


「ああ。お前と同じサイボーグだ。どこから来たか聞いたか?」


「うん。ロシアって言ってたよ」


 その言葉を聞いた瞬間、父の眉間にさらに深いしわが刻まれた。


「ふむ……なるほどな。こいつは厄介だぞ」


 父の低く呟くその一言に、嫌な予感が背筋を這い上がる。僕はすぐに問い返す。


「どういうこと?」


 父は僕の目をまっすぐに見つめたまま、慎重に言葉を選んでいるようだった。


「靖章。今から言うことをよく聞け。この子はロシア製のサイボーグだと思う。あの国のサイボーグは基本的に兵器だ。だから必ず『特殊な制御装置』が埋め込まれている」


 その言葉の意味が、脳の奥に冷たく沈み込んでいく。


「ヤバいやつ?」


「そうだ。下手に手を出すとこの子も死ぬが、ついでに俺たちも巻き添えで爆死するだろうな」


「ええっ!? そんなにヤバい装置があるの!?」


 父は、ただ静かに頷いた。


「まあな。軍事用の最高機密だらけだから、ロシアからしたら保険ってわけだ」


 彼の声には皮肉すら混じっていない。ただ淡々と事実を語る声だ。その冷酷な現実に、僕の中からふつふつと怒りがこみ上げる。


「可哀想すぎる……この子も元は人間なんだろう? こんなひどいこと、僕は許せない」


 思わず拳を握り締める。けれど、父の声は冷静を崩さない。


「気持ちは分かるさ。だが、ここは冷静に考えて判断しよう。やれることは2つだ。ひとつは残念だが、このまま放置して状況を固定し、防衛省に通報して引き取ってもらう……だ」


「それで助かるの?」


 僕の声が震える。


「分からん。下手したら不発弾扱いで処理される可能性もある」


「そんなっ!?」


 父の目は変わらない。冷静で、非情で、でも誤魔化しがない。


「もうひとつは……俺とお前が命を張って、この子の中にある特殊装置を外して手当てする……だ。だが、俺もロシア製のサイボーグは情報でしか知らんし、実物を目にするのも初めてだ。成功するかどうかは全くわからん」


 命がけの選択。その言葉が、部屋の空気を一気に重くする。でも、僕はもう決めていた。父の瞳の奥にある、あの癖のある光。あれは確かに知ってる。


「考えるまでもないよね。世界中の科学者から『ド変態』(←科学者間で言う最高の誉め言葉らしい)と称えられた白岳康太郎が……こんな面白い実験材料を誰かに引き渡すなんてありえないでしょ」


 僕がそう告げると、父は口元を緩め、ニヤリと満足そうに笑った。


「ふっ……はははは。よく分かってるじゃないか。こんな面白いモノを誰が譲るかよ」


 その顔を見て、僕も自然と笑みが浮かぶ。


「僕も手伝うよ。AIが補助してくれれば、助手くらいはできるはずだから」


「おう、頼むぞ。手はある方がいい」


 僕らは、言葉少なにうなずき合った。その瞬間から――命を賭けた、少女を救うための戦いが始まったのだった。


◇◆◇


 舞台は、呉市の旧市街から呉越峠を越えた先――大空山の奥深く。人里離れたその山の西側に、ぽつんと建つ一軒家が白岳家だ。しかしその見た目に騙されてはいけない。父――白岳康太郎が、この地をただの住まいにしているはずがない。地上に見える家屋など、巨大なケーキのてっぺんにちょこんと乗ったイチゴに過ぎない。


 本体は地下にある。父の執念と情熱でアリの巣のように拡張された白岳研究所。その中心に据えられた超高性能AIを頂点とするこの要塞には、自動防御システム、自家発電装置、深層研究施設、そして“謎の空間w”とやらまで完備されている。国家どころか、世界有数の研究機関を地中に詰め込んだ狂気の館だ。


 その地下研究施設は、同時に医療機関としての機能も備えている。冷たい金属の手術台に、今はロシア製のサイボーグ――あの少女を静かに横たえた。父の指示のもと、びしょ濡れの軍服を丁寧に脱がせていく。露わになった彼女の身体は、見るも痛々しい状態だった。肌には無数の傷跡。特に頭部には、鋭利な何かで開けた穴が何か所も残っている。


「可哀想に……辛かっただろう。この傷はほとんどが自傷だ」


 父の呟きは低く、深い共感を含んでいた。


「どうして……?」


 問いかける僕に、父は少し間を置いてから静かに答える。


「どうやってここまでたどり着いたのかは分からんが……逃げてからずっと、この子の身体に組み込まれていた発信機や追跡装置を、ひとつひとつ壊していったんだよ。自分で、だ」


 その言葉に僕は息を呑む。父は続ける。


「その最中、頭の中ではおそらく……死ぬほどつらい警告音が鳴り続けていたはずだ。それでもこの子は止まらなかった。よく頑張った。強い子だ」


 その静かな言葉は、鋭利な刃のように僕の胸を締め付ける。


「父さん、早く助けてあげよう」


「――ああ、任せておけ。伊達にお前の身体で日々実験を繰り返しただけじゃないって所を見せてやるぜ!」


(……今日だけは、僕の身体をオモチャにしてることを許すか……うーん……ギリ許す)


「お願いします!」


「よし! やるぞ……死ぬときは一緒だぜ!」


 父がふざけた調子で拳を握る。


「ヤバそうになったら逃げるから」


 僕も笑って返す、心はもちろん本気ではない。


「えぇー、薄情ものー」


 冗談めいたやり取りを交わしながら、二人で笑い合った。重苦しい空気を少しでも和らげようとする、精一杯の人間らしい抵抗だった。だが、手術が始まると、父の顔から一切の軽口が消える。今この場にいるのは、あの“ド変態”と恐れられた天才科学者、白岳康太郎だ。


「メス。レーザー。次、ナノカテーテル」


 次々と指示を飛ばしながら、父はまるで精密機械のように、少女の身体に張り巡らされた“危機”を解体していく。血の気も引くような危険な装置群。それはまるで時限爆弾付きの立体パズルを、命を賭して解いていくような作業だった。僕はその横で必死に補助する。AIのサポートをフル活用して、父の動きを先読みし、必要な道具を瞬時に差し出す。


「すごい……これが、親父の真骨頂かっ!」


 思わず声が漏れる。だが父は何も言わない。その目はただ、目の前の命に集中していた。


 そして――長時間にわたった超精密手術の末、ついに少女の身体から、致命的な制御装置――“首輪”が取り除かれたのだった。


◇◆◇


 3日後――清潔な白いベッドの上で、少女はそっとまぶたを開いた。部屋は静かで温かく、どこか現実感のない、夢のような場所だった。


 それでも、確かに分かる。身体の奥から走っていた激痛は和らぎ、脳を焼くような警告音も、そして訳もなく身体を震わせていた恐怖も――すべて、嘘のように消えている。


「……首輪は?」


 彼女はかすれた声で、内部の補助頭脳AIに問いかけた。返ってきたのは、場違いなほど間の抜けた効果音――ぴこーん。そして、かつては軍事用に調整されたはずの冷酷無比なAIが、まるでビデオゲームのような口調で告げた。


「現在、この身体に害をなす装置・機構・プログラムは、すべてありません。よかったねw」


「えっ!?」


 そのあまりの変化に、思わず上半身を起こしかける。今まで命令と戦闘アルゴリズムしか口にしなかった“それ”が、急にゆるキャラと化している。


(私は……どうなったの? この賭け……勝てたの? 本当に?)


 まだ半信半疑のまま思考を巡らせていたその時――病室のドアが静かに開いた。小さな物音。振り向いた先に立っていたのは、あの夜、支えてくれた少年。彼の顔を見た瞬間、少女の中に張り詰めていた何かが、ふっと緩んだ。


「よかった。目が覚めたんだね」


 その一言が、信じられないほど優しく心に沁みた。


「ありがとう……わたし……生きてる?」


 震える声で問いかけると、少年は穏やかに頷いた。


「もう心配ないよ。今は何も考えずに、身体を休めて」


 その言葉に、止めていた感情が一気にあふれ出す。彼女の瞳には、溢れるように涙が宿った。


「僕の名前は白岳靖章っていうんだ。よかったら、君の名前を聞いてもいいかな?」


 静かに問いかけるその少年に、少女はまっすぐ目を合わせる。その眼差しには、はっきりとした決意があった。


「マリナ……。私の本当の名前よ。私のことはマリナって呼んで」


 その瞬間、かつて“人形”と呼ばれた少女は、ようやく“人間”としての第一歩を踏み出したのだった。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!

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