第三十三話 やり遂げた男たち
準決勝、一回の表。灼熱の陽射しが容赦なく照りつけるグラウンドの上で、原宮高校は最悪のスタートを切っていた。ノーアウト満塁。しかも、ピッチャーの古新開は明らかに納得のいかない判定に翻弄され、主審からことごとく「ボール」の判定を食らっていた。
投げる球すべてが無慈悲に切り捨てられていく中、僕と古新開はバッテリーとして打つ手もなく、内野陣とマウンド上で顔を見合わせた。まともな投球すら許されない。空気はずっしりと重く、ベンチから応援スタンドに至るまで、すべてが停滞しているような錯覚すら覚える。
そんな張り詰めた場に──ひときわ凛とした声が響き渡った。
「鶴岡親分! そろそろ仕事をしてもええぞ!」
それは、ベンチ上に祭壇のごとく鎮座する日美子様──いや、光葉ちゃんの姿から発せられた、拡声器越しの一喝だった。
(……え、鶴岡? 親分??)
僕たちは揃って「???」となった。意味がまったく分からない。けれど、それはすぐに「そういうことか……」と理解される。
ベンチから、ぴょこーん! と何の前触れもなく飛び出してきたのは、これまで空気のように存在感を消していた鹿田監督だった。だが、彼の額にはピタリと貼られたお札──あの霊符が光っている。
(やっぱり! お札付きってことは、完全に憑依されてるじゃないか!)
つまり、今ベンチに現れたその男は、鹿田監督であって鹿田監督でない。恐らく日美子様が召喚した、霊界の“鶴岡親分”という野球のレジェンドが、完全憑依している状態なのだ。キョンシーさながらの動きで伝令を走らせる鹿田監督──いや、鶴岡監督──は、素早く的確な指示を出し始めた。審判に大きなポジションチェンジを告げ、野球部の布陣は目まぐるしく入れ替わっていく。ピッチャーは三条先輩にチェンジ。古新開はセンターへ。そしてキャッチャーは、野村克也憑きのあの先輩がマスクを被ることになり、僕はショートへと配置転換された。
(なるほど……僕と古新開がバッテリーを外れれば、高野連が仕込んできた不可解なボール判定も抑えられるって読みか)
グラウンド上では言葉ひとつなく、だが的確な意図が行き渡っていた。新たな布陣で試合が再開される。マウンドに立った三条先輩の目には、炎が宿っていた。北別府さんの魂を継ぐ者──その眼差しに、焦りも不安もない。落ち着いたフォームから投じられた一球は、まっすぐミットに収まる。
──その直後。キャッチャーに入った野村克也憑き先輩が、四番打者に向けて低く囁いた。
「お前の彼女さん、浮気してるみたいやで」
(は?)
四番の顔が、みるみる青ざめていく。
「な、なんだと!?」
口元が震え、バットを持つ手が明らかに緩む。たった一言で、精神がグラついているのが分かる。その囁きを超高感度センサーで拾って聞く僕も僕だが、なんというえげつない攻撃よ……僕は素直にノムさんに感心した。
(と、とんでもない情報出してきたな、ジェシカ……! ていうか、それを戦術に使うか普通!?)
だが、精神的動揺は球技において致命的だ。あっという間に追い込まれる四番に、再び囁きが落とされる。
「彼女のお相手って、おたくのエースらしいな」
(うわっ……! これ、もう戦術じゃなくて拷問だろ……)
三条先輩の鋭いスライダーが、四番のバットを空を切らせる。三振。ワンアウト!
流れが一気に原宮高校に傾きはじめた。続いての五番バッターも強打者だが、三条先輩の制球は乱れない。キャッチャーの指示どおり、キレのあるボールが次々と吸い込まれていく。
そして──また囁く。
「英語のテスト……相当ヤバい点みたいやな」
「な、なに!?」
五番の動揺は隠しきれない。バットの軌道が狂い、スイングが崩れた。だが変化球を引っかけたボールは、一二塁間の鋭いコースへ飛ぶ。
(抜けるか!?)
誰もがそう思った、その瞬間。吉田義男憑きの二塁手が、まるで瞬間移動でもしたかのような速さで追いつき、華麗にキャッチ。そのままショートの僕へ。
(来たっ!)
反射的にグラブを構えて捕球し、一塁へ送球。流れるような4−6−3のダブルプレー! ノーアウト満塁のピンチが、まさかの無失点で切り抜けられたのだった。
(凄い……これがレジェンドたちの力……)
僕は呆然と立ち尽くしながら、心の底から感動していた。父が生まれるよりもずっと前に活躍した選手たちの技術が、今この時代に、僕たちの手によって蘇っているのだ。
◇◆◇
観客席の祭壇では、青山先生がひっくり返る勢いで驚いていた。
「凄い! 簡単にピンチを切り抜けちゃいましたよ! あれはどうやったんですか!?」
青山先生の口から飛び出す感嘆の声に、日美子様はくっくっくと喉を鳴らして笑った。肩を小さく揺らしながら、まるで用意周到な策士のような余裕を滲ませる。
「かっかっかっ。祥子よ、安心せい。こんなこともあろうかと、密かに手を打っておいたのじゃ」
ジェシカが素早くタブレットを操作しながら、眉をひそめて日美子様に問いかける。
「日美子様? それは一体、どのような?」
「さっき監督を見たであろう? あれじゃよ」
「鹿田先生……なんかまたお札貼られてましたけど……あれは?」
青山先生が、まだ状況が飲み込めていない様子で首を傾げる。
「高校野球において監督の采配は大きく勝敗を左右するからのぉ。鹿田の力では全く話にならん。そこでじゃ……こっそり鶴岡親分にご出馬願ったのじゃ」
その瞬間、ジェシカの指がタブレットの検索完了の表示を弾くようにタップする。画面には一人のレジェンドの名が表示されていた。
「鶴岡一人。呉市が生んだプロ野球歴代最多勝監督。(通算1773勝)名監督と言われる通算500勝以上の戦績を持つ監督の中でも最高の勝率を誇るレジェンド……。確かに、このメンバーを率いるのにこれ以上のネームはありませんね」
「くっくっくっ。高野連も、幽霊をベンチに入れてはならんとは言っておらんじゃろ? 親分なら白岳と古新開もうまく使いこなすわ。見ておれ。ここからの采配を」
「はい! それはもうーしっかりと!」
青山先生は、いつの間にか胃の痛みを忘れたかのように、前のめりになって熱っぽく頷いた。
日美子様は堂々と拡声器を掲げ、夏空に向かって檄を飛ばす。
「おまえたち、次はこっちの攻撃じゃ。見せてやれ、その力を!」
その声に呼応するかのように、原宮高校の攻撃が始まった。
◇◆◇
相手チームのキャッチャー──さっきの四番バッター──は、まだ動揺から抜け出せずにいた。
(今、自分がボールを投げているこいつが、俺の彼女と浮気をしてる? いやいや、そんなことはありえない。だって彼女は俺に一途なはず……しかし……)
疑念という名の毒が、心にじわじわと染み込んでいく。彼はまじまじとマウンド上のエースの顔を見つめた。
(こいつ顔はいいんだよな……彼女はイケメンが好きかもって言ってたような? いかんいかん! 今は試合に集中しないと!)
ぐあーん!
エースの渾身のストレートが、彼の動揺した視線と意識を突き破るように飛んできた。キャッチャーくんは取り損ね、ボールはそのまま顔面直撃。衝撃で、まるでコメディのように後方に吹っ飛んでいく。
(恐ろしい精神攻撃だな。このバッテリー、大丈夫だろうか?)
原宮レジェンド打線は、そんなギクシャクした相手バッテリーに容赦なく襲いかかる。ヒットが連打され、たちまち満塁。そしてバッターは、あの長嶋茂雄憑きの先輩だ。相手エースのど真ん中の絶好球を長嶋憑きの先輩は平然と見送る。次に投げられた決め球の、フォークボール──地面をかすめるようなボール球を、彼は意とも簡単にすくい上げた。 打球は見事なタイムリーヒット。 観客席から大歓声が巻き起こる。
(なんであれが打てるんだろう? 本当にミスターは意味が分からん……)←誉め言葉
原宮打線はこの日も爆発し、点差は一気に広がっていった。そんな中、僕に打順が回ってきたとき、再び祭壇から総監督の声が飛ぶ。
「ヤスくんよ。今までご苦労じゃった。ここは好きに打ってええぞ。それで交代じゃ」
ジェシカが、タブレットから顔を上げて問う。
「日美子様、よろしいのですか?」
「試合はほぼ決まりじゃ。ここでヤスくんが打ったとて、奴らもう何も出来まいよ」
僕は、この夏──最後の打席に立った。
バントの構えを解き、バットを立てる。僕の中でAIが回転を上げ、センサーが捕球タイミングを予測する。加速装置も──気分だけでも──フル起動だ。身体の全機能を集約して、この一打に賭ける。
フルカウント。投げ込まれるボール。
ストライクゾーンギリギリを抜けるその球を──
フルスイングで、叩いた。
バットが、ボールを捉える。快音が球場に響き渡ると同時に、打球は鋭く弾かれ、青空に向かって一直線に突き抜けた。打球推定速度200キロ。飛距離? もはや誰も測れない。
悠然とダイヤモンドを一周して、僕の特命は終わった。
焼けた土を蹴ってホームに帰り、静かにベンチへ戻った僕は、交代を告げられるとそのまま奥の長椅子の端へ腰を下ろす。まるで体内のバッテリーが、任務完了のサインとともにスリープモードに入ったかのようだった。
それから、続いてホームランをかっ飛ばしてきた古新開が、汗を拭いながら近寄ってくる。彼も同じく、特命を全うしてベンチに戻ってきたところだった。
「あぁー、終わったな」
古新開がぽつりと呟く。その声には、全力を出し切った者にしか出せない、微かな充実感が滲んでいた。
「そうだな」
僕も小さく頷きながら、野球帽を外して額の汗を拭う。
「でも楽しかったよな」
白い歯を見せて笑う古新開。日差しが彼の髪と表情を明るく照らして、どこか少年っぽさが戻っているようにも見えた。
「試合はなw」
僕はつい笑って返す。確かに、試合は楽しかった。だが、それ以外の「特命」は……過酷すぎた。試合以外のハードな出来事──毎日の300球やキョンシーの霊界レジェンドたち──どれも正気の沙汰じゃなかったはずなのに、今となっては、妙に名残惜しい。
「俺たち、決勝戦は食中毒で欠場ってことらしいぜ」
古新開が、茶目っ気たっぷりに笑って言った。
「それじゃあ仕方ないわ」
僕は目を細め、同じように微笑む。理由は苦しいが、それもまた"表の世界"の都合なのだ。顔を見合わせて、二人でクスクスと笑い合った。肩を並べてベンチに座るその時間が、どこか心地よい。
原宮高校は、大差で強豪校を打ち破り、堂々と決勝戦への駒を進めた。これまで支えてきた僕たちの役目は、ここで一区切りだ。
(決勝は僕たち抜きだ。だが、今の彼らならきっとやってくれる。僕らの夏は、まだ終わらない。そして──早く、光葉ちゃんの、あの屈託のない笑顔が見たい。あわよくば、ジェシカと水着デートも……。)
僕は、胸に静かに湧き上がる確信と、少しの妄想を添えて──照りつける陽光の先、まばゆいほど青い夏の空を、ゆっくりと見上げていた。
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