第二十二話 うしろの日美子様
光葉の傍らに、ふわりと羽根のような静けさで巫女姿の少女が降り立った。草をかすかに揺らしたその着地の後、少女は静かに僕たちの顔を一人ひとり見渡す。澄んだ瞳に宿るのは、穏やかさとどこか遠い時代の風格。
次の瞬間、彼女の視線がスッと悪霊の群れへと移った。まるで意志そのものが刃となったような鋭さに、僕らへと襲いかかっていた悪霊たちが、ぴたりと動きを止めた。まるで時の流れが、悪霊だけを置き去りにしたかのように。
これは一体……? 驚愕と共に視線を巡らせると、光葉は目を閉じたまま、まるで命の気配すら感じさせない蝋人形のように、その場で静止していた。いつもなら「なにこれヤバッ!」と叫んで飛び跳ねるような彼女が――この静けさは異常だった。僕の胸に、寒気にも似た混乱と恐怖が押し寄せてきた。
「あのー、君は一体……?」
僕が恐る恐る問いかけると、巫女姿の少女はほんの一瞬、目を細めて微笑んだ。
「おう、ヤスくんか」
懐かしさを含んだような声音だった。だが、次の瞬間にはきっぱりと口調を切り替え、凛とした声を放つ。
「話の前に、こいつらちょっと片付けようのう。おぬしら下がっておれ!」
有無を言わせぬ威厳に、僕らは思わず数歩後退した。少女は、固まったままの悪霊たちの前へと進み出る。夜風に揺れる白衣の裾が、どこか神々しい。
「ふんっ!」
気合とともに踏み込み、目の前の首なし鎧武者へと渾身の正拳突きを叩き込んだ。
「悪霊退散ぱーんち!」
――次の瞬間、首なし武者の胸元がパリンと割れるように光を放ち、その全身が霊波動に包まれていく。光り輝く粒子となった悪霊は、静かに霧散し、まるで命の還るように夜空へ昇っていった。そして、昇る火の玉の中には、穏やかな笑みとともに合掌する武者の姿が――はっきりと、見えた。
「これはっ……!」
僕が息を呑むと、巫女の少女はどこか誇らしげに、子供のような笑顔を浮かべて叫んだ。
「ははははは! 見たか、わしの必殺技! カッコいい? ねぇねぇカッコいい??」
その言葉に、つい僕も引き込まれ、親指を突き立てて応じた。
「めっちゃカッコいいです!」
「そうかそうか、ヤスくんは可愛いのう。じゃあどんどんいくぞ!」
少女は瞳をキラキラさせながら、悪霊たちの群れへ駆け出す。
「悪霊退散キーック!」「悪霊退散頭突き!」「悪霊退散アイアンクロー!」
もはや霊能力のド派手な見本市だった。力任せに見えて、そのすべてが“浄化”の波動を宿しており、打ち込まれた悪霊は哀しげに、しかしどこか救われた表情を浮かべながら天に還っていく。
夜空に無数の火の玉が舞い上がる光景は、どこか幻想的ですらあった。その一つ一つに、「ありがとう」「さようなら」「成仏します」といった霊たちの感情が、確かに映っていた。本物の除霊とは、こういうことを言うのだろう。
「ぴこーん」
僕の頭の中に間の抜けたAIの電子音が鳴った。
『驚異的存在消滅。お疲れさまでした!』
「終わったのか……?」
ジェシカが呆けたように呟く。彼女の肩がようやく下がった。古新開は目を爛々と輝かせ、巫女の少女へまっすぐ駆け寄る。
「すげーぜ! あんた、本物の霊能力者か!? 長谷さんの何なんだ!?」
青山先生はその場にへたり込んで、虚空を見上げながら安堵の溜息をこぼした。
「よかった……ああー、わたし生きてる……生き残ったよう~……」
その情けない声に、僕もつい苦笑しながら巫女の少女を見た。
「お疲れさまでした! めっちゃかっこよかったです! ……あの、ところで光葉ちゃん、立ったまま気絶してますが大丈夫ですか?」
少女は僕らを一通り見回し、安心したように微笑んだ。
「皆、無事でよかった。そうじゃな、このままじゃ話しづらいし、いったん戻るわ」
そう言うと、少女の身体から淡い金色の光が溢れ出し、ふわりと浮かび上がる。月明かりを受けて輝くその姿は、まるで神話の一幕のようだった。光は光葉の身体へとゆっくりと吸い込まれていき――静かに、夜が戻ってきた。
◇◆◇
しばらくして、光葉がぱちりと目を覚ました。まぶたがゆっくりと開かれ、暗闇の中でもその瞳の輝きが、どこか凛とした光を帯びて見える。
「光葉ちゃん、起きたかい?」
僕がそっと声をかけると、光葉は無言のまま、ゆっくりと体を起こし、こちらに顔を向けた。 だが――その瞬間、僕ら全員が息を呑んだ。確かに見た目は光葉。しかし、その表情にはあの金色の巫女少女と同じ、毅然とした気配が宿っていた。あの茶目っ気たっぷりな光葉の雰囲気はどこにもなく、まるで別人のような厳粛なオーラを放っている。
光葉と外見は同じでも、その中に宿る「魂」が違う――直感でそう確信できた。明らかに、いつもの元気で陽気な光葉とは異なる、凛然とした気高さを持つ「彼女」がそこにいた。
「皆、よく聞け」
ぴしりと空気を切るような声が響いた。その威圧感に、僕らは条件反射で背筋を正す。
「いくらこの娘がオカルトうんぬんと、はしゃいでおっても、あんな危険な機械を使って悪霊を呼び出すとは言語道断じゃ! ヤスくん!」
雷鳴のような叱責に、僕はビクッと肩を震わせた。視線が、炎のような厳しさでまっすぐ僕に注がれている。
「帰宅したら康太郎の頬を一発張り手しとくのじゃ! まあ、わしがこの世に具現化して事なきを得たが、今後は慎むように!」
その迫力に、僕も古新開もジェシカも、まるで小学生に戻ったかのように顔を見合わせ、揃って正座した。
「申し訳ございませんでした……」
僕が深く頭を下げると、彼女は腕を組んでふんっと頷いた。しばし沈黙が流れ、ようやく僕が恐る恐る口を開く。
「いやぁー、本当に助かりました。ところで、貴女は一体?」
少女は静かに微笑み、当然のように名乗る。
「わしか? まあ、わかるじゃろ? 長谷光葉の守護霊じゃよ。本名は神原日美子という。光葉の先祖に当たる存在じゃ」
その名に、古新開がぽんっと手を打つように反応した。
「どうりで長谷さんにそっくりなんだ! 雰囲気は全然違うけど!」
ジェシカは小首を傾げ、興味深げに尋ねる。
「守護霊って?」
そこでようやく、腰の抜けていた青山先生が少しだけ気力を取り戻し、淡々と説明する。
「西条には馴染みがないか。守護霊とはその人に付き添い、その人を見守ってる存在と言われている。この方は長谷の事をずっと守っておられたのだろう」
青山先生の言葉に、僕の中でひとつの疑問が、確信へと変わっていく。
「もしかして……今まで光葉ちゃんが平穏無事にオカルトやらに突っ込んでたのは、日美子さんが守ってたから?」
日美子はむんっと胸を張って頷いた。
「当り前じゃろ! わしがおらなんだら、とっくの昔に昇天しておるわ! それにしてもこのバカ娘は……ええぇーい、思い出しても腹が立つ!」
ぶるぶると肩を震わせ、怒りに声を震わせる日美子。だが、僕が慌てて声をかける。
「日美子さん、どうどう、落ち着いて。可愛い子孫なんでしょ?」
その一言で、日美子は我に返ったようにハァハァと息を整え、徐々に落ち着きを取り戻した。
「はぁはぁはぁ……そうじゃった……」
僕が言葉を継ぐ。
「なんとなく事情は分かりました。それでこれからどうなるんです? 光葉ちゃんは戻ってきますか?」
「それは問題ない。今も光葉はちゃんとこの時間を共有しておるからの。わしが守護霊の位置に戻れば、本来の光葉になる」
その言葉に、古新開が深く息を吐いて座り込んだ。
「それを聞いて安心したぜ……俺の誤爆で彼女がどうにかなったら、切腹するかと思ってたからな」
日美子はくすりと笑みをこぼし、ややトーンを和らげる。
「古新開には礼を言っておこう。結果オーライじゃが、わしの実体化に成功したのはお前のおかげじゃ。強一郎にもな。明日から三日連続で茶柱を立ててやるわ」
「うっす! あざーす! 博士、絶対喜ぶと思います!」
そのやりとりに場が少し和み、日美子はすっと立ち上がる。
「では、続きはまた明日な。ジェシカ、祥子、行くぞ。寝不足は美容の敵じゃ」
そう言い残すと、光葉の姿のまま、日美子はスタスタと夜の野営地へと戻っていった。その背中は妙に頼もしく、そしてちょっとだけ可愛らしかった。
「古新開、撤収しようか」
僕が声をかけると、古新開は肩を竦める。
「そうだな。仕込みの皆さんにはまたフォローしとくわ」
「すまんな、うちのフライパンが……」
「いやいや、俺の高圧洗浄機も役に立たず申し訳ない」
ふたりで苦笑しながら、とぼとぼとテントへと歩き出す。夜風は少し冷たかったけれど、どこか心が温まっていた。
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