第二十一話 悪霊さんこんばんは
江田島市、砲台山の山頂付近は、漆黒の帳に包まれていた。時刻はすでに深夜0時を回り、月明かりだけが照らす中、冷たい風が草むらを揺らし、何か不穏な気配を感じさせる。その静寂を破るように、僕らは恐怖の肝試しを開始した。
先頭を進むのは、まるで遠足の先導役でも任されたかのように元気いっぱいな光葉。彼女は両手に懐中電灯を構え、スキップでも始めそうな勢いで歩を進めている。心なしか、その足取りには期待感すらにじんでいる。彼女いわく、今までにUFO、幽霊、怪物……あらゆるオカルトに出会ってきたらしい。最初は冗談かと思っていたが、話を聞けば聞くほど、まったくの嘘とも思えないのが恐ろしい。
「引き寄せ体質」という本人談に違わず、光葉が行く先には何かが起こる。にもかかわらず、彼女自身はいつもピンピンしていて、傷ひとつ負ったことがないという。悪霊にすらスルーされるタフネスぶり。これはもう、強運とかいうレベルじゃない。
そんな彼女の後ろを、僕が「邪神召喚装置」と名付けられた謎のフライパン型アイテムを抱えて続く。録画担当のジェシカは、慎重にビデオカメラを構えながらその後ろを歩いている。さらにその背後には、まるで高圧洗浄機のような謎の機械「邪神殲滅装置」を背負った古新開。そして最後尾には、やや腰の引けた様子で、手に持った懐中電灯を頼りに歩く青山先生の姿があった。
ふと、僕の体内にある補助AIが作動し、「ぴこーん」という微かな警戒音が響いた。対人レーダーが示す視界の端には、茂みの陰に身を潜める複数の人影が浮かび上がる。どうやら、古新開が手配してくれた幽霊役のエキストラたちらしい。
僕は後ろにいる古新開に小さく親指を立てて「OK」の合図を送る。古新開は頷き、ポケットからスマホを取り出すと、すぐにグループLINEへ「GO」のメッセージを送信した。あとは、光葉がどれだけ反応してくれるかがカギだ。
やがて、僕らは山頂の戦争遺構の入り口付近までやってきた。その時、光葉が突然立ち止まり、振り返って僕の目をまっすぐ見つめてきた。彼女の瞳は、期待に満ちてキラキラと輝いていた。
「ヤスくん! そのフライパン使ってみようよ!」
まさかの提案に僕が面食らう。
「え? ここで?」
そう尋ねると、光葉は一歩僕の方へ身を乗り出してくる。
「ここ広いし邪魔するモノも無いから、何か召喚できてもいい映像になるんじゃない?」
なるほど、彼女の言うことにも一理ある。どうせ親父の謎発明だ。大したことにはならないだろう……と、僕は楽観的な気持ちで頷いた。そして、持参してきたフライパン型の装置を、朽ちた砲台の台座跡の中央にそっと置いた。全員がその場から少し距離を取り、じっと様子を見守る。空気が静まり返り、緊張が走る。
(頼む! 変なのだけは勘弁してくれ!)
青山先生は額に冷や汗を浮かべながら、心の中で切実に祈る。
「はやくぅー! スイッチ押してよヤスくん!」
光葉のせかすような声が飛ぶ。ジェシカは録画を始めており、カメラをしっかり構えている。
「ダーリン、いつでもいいわ。録画はばっちり出来てるから」
僕は深呼吸し、覚悟を決めた。
「よし。スイッチオン」
その瞬間、フライパンの取っ手部分にあるボタンを押す。すると、ブゥン……と低いうなり音が響き、フライパンの内部が金色の光に満たされ始めた。まさかの展開に、僕も思わず声が漏れる。
「いやぁー、ホントに何か出そうだなぁ」
古新開はにやりと笑いながら、背中の装置を構え直した。
「何が出ても大丈夫だ。俺がぶっ倒す!」
僕は地面に置いたフライパンから一歩下がり、緊張しながら成り行きを見守った。その直後、体内アラートがけたたましく鳴り響いた。
『周囲の磁場に異変発生! 高濃度・高出力の霊体反応アリ! 衝撃に備えよ!』
補助AIが警告を叫ぶ。
「え? マジで何か来るみたいだ! みんな気を付けて!」
警告を発した僕の声に、光葉は興奮を隠せず歓声を上げる。
「うひょー! やったねヤスくん! 何が出るかな? わくわく!」
それとは対照的に、青山先生は見る見るうちに顔色を失っていく。
「止めてぇー! 変なの出たらどうするのよー!」
ジェシカは冷静さを保ちながらも、どこか鋭い目つきでカメラを構える片手でレザーバッグを開き、中から銀色の自動拳銃を抜き取った。その動作には、一片の迷いもない。
「何が来ても私が守るわ、ダーリン」
――そして、悪夢の幕が静かに上がろうとしていた。
◇◆◇
光り輝くフライパンの中から、禍々しい瘴気をまとった影が、ぼこり、ぼこりと泡のように湧き上がってきた。漆黒の煙に包まれて、まず現れたのは大鎧に身を包んだ首なしの武者。その背後から、全身が焼け焦げ、黒炭のようになった軍服姿の男が現れ、そのすぐ横には飢饉でやせ細った百姓風の影がのたうつように現れる。
時代も姿も違うが、どれも一様に、無念の想いをまとった「未成仏」の気配が濃い。まさに、死に切れなかった存在たちのカーニバルだ。それらの霊体たちは、呻き声も立てずにフライパンの口から次々と這い出てきて、あっという間に等身大に膨れ上がった。気づけば僕たちの周囲は、まるで異界のパレードでも始まるかのように、重く、陰鬱な気配で埋め尽くされていた。
「いやぁー、出すぎじゃない!?」
僕は思わず声を上げた。冗談で済ませたかったが、どう見ても悪霊の群れ。場違いなフライパンが、明らかに異常な力を引き出してしまっている。 青山先生は、顔を真っ青にして叫んだ。
「呑気なこと言ってる場合じゃない! どうするのよコレ! あぁー死ぬわ! 悪霊に取り憑かれて死んじゃうわよ!」
辺りを取り囲むように、悪霊たちはじりじりと間合いを詰めてくる。ぞくりとした悪寒が背筋を走った。僕の内蔵レーダーはフル稼働状態で、レッドゾーンに達している。古新開の仕込んだエキストラの皆さんは、事態を察して蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。あれはもう、「演技」どころの騒ぎじゃない。そりゃそうだ。リアル幽霊が出たら、誰だって逃げる。
「大丈夫。ここは私に任せて」
ジェシカの声が静かに響く。彼女は冷静にレザーバッグの中から自動拳銃を取り出し、構えると、最も近くにいた首なし武者に照準を合わせた。
「BAN!」
乾いた発砲音が闇に響いたが、銃弾は首なし武者の胴体をすり抜け、虚空に吸い込まれた。
「こら西条! むやみに発砲するな! 江田島にも警察いるんだからな! ちゃんとサイレンサー(消音機)付けろ!」
青山先生が半ば怒鳴るように叱責したが、ジェシカの額には焦りの汗が滲んでいる。
「そうでした……でもそんな余裕ないです!」
彼女は再び発砲する。しかし、物理攻撃はまるで効果がない。
「クソ! これならどうだ! みんな目を瞑れ!」
ジェシカはそう言い放つと、バッグから閃光弾を取り出し、手慣れた動作でピンを抜いて霊体の群れの中心に投げ込んだ。
パアァアッ!!
目を閉じていても分かるほど、あたり一帯が白く焼き尽くされるような閃光に包まれる。だが、次に目を開いた時、そこに立っていた悪霊たちは、まったく動じることなく、なおも迫ってくる。事の異常さにようやく気付いたジェシカは、悲鳴を上げた。
「いやぁぁぁー! 来ないでぇー! わたしホラーダメだからぁ!」
ジェシカが叫びながら後ずさる。勇敢なエージェントの仮面が剥がれ、年相応の少女のような悲鳴をあげた。その様子に、光葉は目を輝かせていた。彼女のテンションは爆上がりである。
「これよこれ! 面白くなってきたじゃない!」
そう言って指をパチンと鳴らす。
「古新開くん、出番だよ! あとジェシカちゃん! カメラちゃんと回してよ! 映ってなかったらお仕置きだからね!」
ジェシカは涙目で頷きつつも、カメラをしっかり構え直した。
「はっはっは! 任せろ! この古新開宙夢の力を見せてやるぜ!」
古新開は笑いながら背中の高圧洗浄機もどきのスイッチを入れた。グウゥウンという不気味なモーター音に続き、青白い電流のような光がビリビリと走る。彼は放水ノズルのような先端を悪霊たちに向け、トリガーを引いた。
ビュゥッ!!
光線が一本、まるで雷の矢のように悪霊を貫く。震えるように身体をよじる霊体。 だが次の瞬間、事態は一変する。 悪霊は「消える」のではなく、「固まった」。うめき声を上げる暇もなく、それはもはや人の形を成した実体へと変貌していく。
「うわっ! キモっ!」
思わず僕が叫んだ。完全にヤバい。
「古新開! 効いてないぞ、殲滅装置!」
「あれ? おかしいな? 設定スイッチ間違えたか? すまん白岳、ちょっと設定確認するから実体化した奴はぶち回しておいてくれ!」
「しょうがないなぁ……みんな僕の後ろへ!」
僕は前に出て、首なし武者と対峙した。武者はスッと刀を抜き、無言のままこちらに斬りかかってくる。
「ぴこーん」
AIの冷静な声が脳内に響いた。
『実体化した悪霊を確認しました。脅威度A。戦闘力C。制圧は可能ですが、成仏させられません。とりあえず、朝まで頑張ればお帰りになると思います』
(お帰りになる!?)
「みんな、朝まで頑張らなきゃ消えないみたいだ!」
青山先生は絶望に近い声で叫んだ。
「朝までだと!? 無理無理無理! 死ぬってばもう!」
光葉はまるで遠足中の子供のように、目をキラキラさせていた。
「すごい展開だね! これは撮れ高は最高だよ!」
僕は目の前の首なし武者をひたすら受け流し、蹴り倒し、地面に叩きつけ、また次を受け止める――といった応戦を繰り返す。しかし「倒す」ことはできない。ただひたすら、耐える。やがて古新開が再び機械のスイッチを入れた。
「待たせたな! 今度こそ大丈夫! 行くぜ悪霊ども!」
再び光線が放たれるが――何も起こらない。
「あれ? おかしいな?」
「古新開、どうした?」
「うーん、こいつやっぱり異世界人とか宇宙人用なのかもな。悪霊には効きが弱いみたいだ……」
「どうするんだ、古新開!」
その時、事態がさらに悪化した。一体の悪霊が、光葉に向かって跳躍する。
「光葉ちゃん!」
「間に合わない!」
ジェシカの声と同時に、古新開は咄嗟にトリガーを引いた。ビームが光葉を直撃する。
「すまん! 手元が狂った!」
古新開の叫びと同時に、光葉の身体がまばゆい黄金色に輝き始めた。その身体から、光の粒子がふわりと舞い上がり、天へと上昇しながら形を変えていく。そして、その光はやがて巫女装束をまとったもう一人の「光葉」へと収束し、地面にすとんと降り立った。
その顔立ちは凛とし、神々しい気配をまとう――
「なんと! わしの姿が実体化するとは……とんでもない技術じゃのう」
彼女は、まるで当然のように、傍らの光葉と共に立っていた。
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