第十六話 堕天使の誘惑
──呉みなとまつりのカオスから、数日。その間、西条ジェシカは学校に姿を見せず、大型連休の後半も何事もなく静かに過ぎていった。僕はというと、あの日の騒動でジェシカとの関係に勘違いしてしまった光葉ちゃんに、何度も何度も土下座レベルで謝り倒した。 その甲斐あって、なんとか許してもらえたのだが……許してくれた顔のまま、彼女の頬は連休中ずっとぷっくりと膨らみっぱなしだった。
「しばらくの間は距離置くからねっ!」
そんな捨て台詞を残し、光葉は家族と田舎に帰ってしまった。僕は久々に完全な一人時間を手に入れたわけだが……心は、どうにも晴れなかった。 ──西条ジェシカは、大丈夫だろうか。 あの強引な作戦、あのキス(しかも初キス)……そして、最後に僕の方が仕掛けた“逆転の一手”。思い出すだけで胸がざわつく。
(あれがファーストキスって、なんか納得いかない……!)
僕の脳内で「ぴこん」と効果音が響く。
『西条ジェシカとの初キス、メモリに保存しました。』
(あああぁー! 青春の日の淡い思い出でいいんだよ!)
『何度でも再生可能です』
(じゃないんだよぉー! 血涙!)
これから本当の運命の相手と出会ったら、どうしてくれるんだよ!?
『メモリの容量はまだ99.999%空白です』
(そんなにスカスカなのか!?)
──この先、僕は何を、誰を、どう記憶していくのだろう? 光葉と、いつか本当にキスできる日が来るのか? そのとき、このキスの記憶は……どうなる?
◇◆◇
連休明けの水曜日。予想外にも、西条ジェシカは普通に登校してきた。制服にスラックス、いつもの知的でキリッとした雰囲気──何も変わっていないように見えた。だが、僕の前に立った彼女は、教室中の注目を集めながら、静かに口を開いた。
「白岳くん。この前のみなとまつりでは、みっともない姿を見せてしまって……ごめんなさい」
その声は、以前よりも少しだけ穏やかで、温度があった。
「カーニバルの熱気と日本の湿気にやられたのかしらね。ちょっとだけ、理性のタガが外れてしまったわ」
クスクスと笑うクラスメイト、息を呑む女子たち。そして──光葉が、じーっとこちらを睨んでいた。
「ちゃんと反省してるのよ。ここは日本だし、清らかな交際を大切にしないとね。……次からは段階を踏んでいくわ」
まるで恋の宣言のようなジェシカの台詞に、教室の空気が一気にざわついた。僕は苦笑いを浮かべながら、右手を差し出した。
「じゃあ、これからも……友達としてよろしく」
ジェシカはその手を、少しだけ強く、でも丁寧に握り返してきた。 ──手のひら、熱っ! その手のぬくもりは、どこか変化を感じさせた。彼女の表情はクールなままだけど、内心は、きっと……。
そんな様子を見ていた光葉が、勢いよく割って入ってきた。
「ジェシカちゃん! 白岳くんは渡さないよ! 今日からライバルだね!」
その瞳はキラキラと燃えている。ジェシカは、不敵な笑みを浮かべて言った。
「ああ、光葉。私も負けないさ」
そして──
「なあヤスアキ。私たち、もうキスした仲だしな」
「はあああああ!?」
その瞬間、教室は静寂に包まれ、光葉の悲鳴が響き渡る──。
(うわああああああああああ!! それ言う!? それ今ここで言う!?)
「キス……だと……!?」
顔面真っ赤な光葉の目が、僕をロックオンした。次の瞬間、僕の自己防衛AIが全力で警報を鳴らし始めた。
『緊急回避推奨。逃走ルート:廊下→階段→屋上→ダストシュート』
(なんで最後がダストシュートなんだよ!?)
だが、迷っている暇はなかった。僕は即座に教室を飛び出した──。
◇◆◇
その日は、中間考査の試験範囲が発表され、教室の空気は一気に張り詰めたものになっていた。にもかかわらず、僕の隣の席では、西条ジェシカがちらちらと僕に視線を送ってくる。時には意味ありげに微笑み、時には派手にウィンク。そのたびに、前の席で振り返って見てくる光葉が、ふくれっ面で頬を膨らませる。
(……おかしいな。地味に生きて、硬派を貫く予定だったんだけどな)
僕の机の周りにだけ、なぜかラブコメの風が吹き荒れていた。そしてそれを面白がるクラスメイトたちの目線が、今日も地味に痛い。
放課後、僕はジェシカと一緒にクラブ棟へ向かった。光葉は掃除当番で少し遅れて来るらしい。好都合だ。この時間を使って、ジェシカに聞いておきたいことが山ほどある。
「西条さん、あれから体調とか大丈夫だったの?」
僕の問いかけに、ジェシカはフッと唇を吊り上げて微笑んだ。
「ふふふ。君は、あんなことをした私の心配をしてくれるのかい?」
「いやまあ、あれは……弾みというか、その、ごめん。でも一応、薬を飲ませた張本人としてはさ……」
「ご心配なく。見ての通り、私は元気さ」
たしかに、その笑顔も口調も、いつものジェシカだ。
「それは良かった。でも、改めて確認してもいい? 君って、やっぱりアメリカの諜報員か何かなんだよね?」
僕の率直な質問に、ジェシカは一切の逡巡なく頷いた。
「そのとおり。CIAのジュニアエージェント。任務は君の監視と護衛。でもね、先日の失敗で、任務から外されるはずだった」
その口調は、さっきまでの柔らかさとは打って変わって、冷静そのものだった。
「でも報告を受けたポーカー大統領が、なぜか私の留任を示唆してくださったの。理由は……『面白そうじゃん』」
「ノリ軽っ!」
思わず突っ込みを入れる僕に、ジェシカは肩をすくめて見せた。
「彼は君にご執心みたいだから」
「……それ、まったく嬉しくない」
溜め息を吐きつつ、僕はジェシカを見つめた。
「じゃあこれからは、無理やり僕を従わせようとかしないでほしい。普通に過ごせるなら、それでいいよ」
だが次の瞬間、ジェシカが僕の体を壁に押しつけ、顔の両脇に両手をついた。両手壁ドンだ。至近距離。顔が近い。ヤバい。
「変わってない?」
その瞳は、確かに熱を帯びていた。
「いいえ、変わったのよ、ダーリン。朝からずっと感情を抑えてたの。もう限界」
ジェシカはゆっくり目を閉じ、突き出した唇をこちらに向ける。
(いやいやいや! この人、やっぱり僕に惚れてる!?)
頭の中に警報音が鳴り響く。
「キスしてくれないと、ここから逃がさないから。さあ」
拒める男がいるか? 目の前に、美少女イケメン女子が、キス待ちモードで迫ってくる。 ふらふらと僕の唇が近づいて──
「たのもうー!! 白岳はここか??」
ドアが音を立てて開き、古新開の大声が室内に響いた。ジェシカと僕の姿を見て、彼はその場でフリーズ。
「すまん、お取込み中だったか……」
その瞬間、ブチ切れたジェシカの瞳から理性が消えた。レザーバッグからメリケンサックを取り出し、両手に装着すると──
「貴様! 朝から抑えに抑えてた私の恋路を邪魔しやがって! 死ねヤァ!!」
「ぐはぁ!」
古新開の頬に、強烈なフックが炸裂。連打、連打、連打。
「西条さん、やめてぇぇぇ! 古新開が死んじゃう!」
「大丈夫よ、ダーリン。こいつ、強化人間だから」
「えっ、そうなの?」
ジェシカの横から呻きながら古新開が答える。
「そうなんだが……いつバレた?」
「うちの情報網を舐めんな。マグナムぶち込まれたくなきゃさっさと消えろ、ピーピング野郎!」
「すまん……わざとじゃないんだ……。続きはごゆっくり。今日は退散するわ。またな、白岳」
ヨロヨロと退室する古新開。僕は思わず彼の背中に呼びかけた。
「悪かったな、古新開!」
それでも笑って去っていくあたり、さすが強化人間だ。
「じゃあ、続きを──」
ジェシカが再び僕に迫る。その顔はもう完全に戦闘(恋愛)モード。
「いや無理無理! タイミング悪すぎ!」
その時、ドアが再び開き、光葉が元気に登場した。
「お待たせしましたー!」
ジェシカは光速で僕から距離を取る、しかしその表情には露骨な名残惜しさが滲んでいた。
「じゃあ、今日の同好会活動を始めるよ!」
光葉がカバンから取り出したのは、今日も変わらずSF超常現象オカルト総合雑誌「マー」。
(光葉ちゃんがいると、ジェシカの恋愛攻撃を防げる……つまり、同じ空間にいる時間が長ければ──)
僕は、光葉のオタクトークに全力で付き合う覚悟を決めた。
◇◆◇
職員室。クラブ棟の部室を映す監視カメラのモニターを眺めながら、青山祥子がぼやいた。
「おいおい、どうした西条!? 例の『みなとまつり事件』の後遺症か?」
モニターには、白岳に壁ドンするジェシカの姿。さらに乱入してきた古新開を、メリケンサックでフルボッコにする映像が映っている。
「なに? 古新開……空気読めなさすぎ。いいとこだったのに」
ジェシカの狂気じみた連撃に呆れつつも、画面の続きが気になる教師青山(公安警察の潜入捜査官)。
やがて、場面は一転し、部室で「マー」を読み上げる光葉と、それにうんざりしながら付き合う白岳の姿へ。祥子はモニターを見つめたまま、遠い目でつぶやいた。
「あぁ~、興味ない話を聞くの……つらいな……。早くビール飲みたい……」
今日も原宮高校の青春は、波乱と混沌と少しの笑いに満ちていた。
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