第十四話 天使降臨・呉みなとまつり
数日後、大型連休の前半が幕を開ける頃。山口県岩国市。米軍岩国基地の上空に、轟音とともに一機の大型輸送機が姿を現した。機体は灰色に塗装され、まるで空そのものの一部と化したかのように滑らかに滑走路へと降下していく。
その到着を出迎える一人の少女、西条ジェシカの姿があった。US NAVYの制服を端正に着こなし、漆黒のサングラスをかけたその立ち姿には、まるで高位の将校か、あるいはハリウッド映画に登場する諜報員のような風格が漂っている。彼女は、この輸送機が運んできた“あるもの”を受け取るため、呉市からわざわざ公用車でやって来たのだった。
輸送機の機首が、油圧音を響かせながらガァーッと開いていく。そこから姿を現したのは、装甲を施された巨大なトレーラー。その異様な存在感は、滑走路の端に停められてもなお、まるで異世界の物体のように周囲の空気を支配していた。
ジェシカは一切のためらいも見せず、トレーラーに歩み寄り、迷いなく乗り込む。その姿は、まるで戦場へ赴く兵士のようであった。トレーラーは静かに動き出し、基地のゲートを通って去っていく。目的地はもちろん、彼女の“作戦本部”がある呉市。
西条ジェシカ──そのプロとしての誇りと、少女としての激情が交錯する、本気の作戦が今まさに始まろうとしていた。
◇◆◇
翌朝。呉市の中心では、春の恒例イベント「呉みなとまつり」が開催されていた。艦船の街・呉が一年で最も賑わうこの日、市役所通りは終日歩行者天国となり、パレードや音楽ステージ、屋台が街を彩る。
例年約二十万人が来場するこの祭りには、原宮高校の生徒たちも多数参加していた。ステージでダンスを披露する者。制服で行進する吹奏楽部。中にはただお祭りを楽しみに来るだけの者もいる。春の陽気と人々の熱気が交錯する中、一年A組のメンバーも、呉駅前に集合していた。
「はははっ! 来たぞ、俺っ!」
朗らかな声が聞こえ、振り返ると、古新開が大股でこちらに駆け寄ってくる。額には汗、呼吸はやや乱れているが、その顔はどこか誇らしげだった。
「来たな古新開。お前が一番遅いぞ」
僕は苦笑混じりに声をかけた。
「すまん……フェリー一本逃した」
彼はばつが悪そうに頭を掻き、視線を逸らす。
「どうせ、筋トレに夢中になってたんだろ?」
僕がジト目で指摘すると、古新開は「うっ」と呻き、観念したように小さくうなずいた。
「すまん。その通りだ」
笑いがこぼれる。その間に、光葉が首を傾げながら周囲を見回した。
「……あれ? ジェシカちゃんがまだ来てないよ」
「おかしいな。彼女は時間には正確なはずだけど」
そう言ったその瞬間、駅の北側から一人の人物がゆっくりと歩いてくるのが見えた。……一目で、空気が変わった。白のボウタイブラウスに、花柄のミディ丈スカート。ベージュのトレンチコートが春風にひらりと揺れ、上品なパンプスが石畳を軽やかに踏み鳴らす。耳元ではパールのピアスが、朝の光を受けてキラリと輝いていた。
その姿は、まさに“天使降臨”。すれ違う人のほぼ全員が振り返り、道行く誰もが息を呑む。圧倒的な存在感。どこをとっても完璧で、どこまでも優雅だ。
「あっ! ジェシカちゃん!」
光葉が弾けるような笑顔で手を振った。まっすぐこちらへと歩いてくるその人影──それは間違いなく、変貌を遂げた西条ジェシカだった。
「おはよう、みんな。お待たせ」
その声は、いつもより一段柔らかく、ほんのりと甘さを含んでいた。一瞬、時が止まる。男子たちはぽかんと口を開け、女子たちは歓声を上げてジェシカを取り囲む。
「西条さん、素敵なコーデだね!」「可愛い!」「オシャレすぎる!」
「ジェシカちゃん、オフだとこんなに可愛いんだね〜!」
光葉も目をキラキラさせながら手を取りそうな勢いで感激している。僕も、その姿にしばし見惚れていた。
「ああ、やっぱり綺麗だな……」
その呟きを拾ったかのように、僕の補助AIが突如アラートを発した。 ──『西条ジェシカを恋人にする10の方法』── 頭の中で表示されたそのシミュレーションに、僕は無意識に身を乗り出す。……が、どう見ても僕の恋愛経験値では歯が立たなそうだった。
「このシミュレーション、絶対に親父の趣味だ……」
がっくりと肩を落とす僕に、すっと近づいた光葉が、ツンとわき腹をつついてきた。
「なんだよ、光葉ちゃん」
「デレデレしてるよ、ヤスくん」
その口調にはわずかに拗ねた色が混じっている。
「ごめんごめん。でも……誰だって見惚れると思うよ」
「……まぁ、たしかに。ぐぬぬ、私も本気出せば──」
唇を尖らせる彼女が可愛くて、思わず笑みがこぼれる。
「まあまあ、気を取り直して行こう。みんなOK?」
そう言いながら、僕はそっと光葉の右手を取り、柔らかく握った。 ──(君も素敵だよ)── 声に出さずに想いを伝える。きっと、届いていると信じながら。さあ、祭りはこれからだ。
◇◆◇
私、西条ジェシカは──生まれ変わった。本国から緊急手配された、ハニートラップ専門の精鋭部隊「魔女の接吻」。そのトレーラーの中には、最先端の美容テクノロジーとCIAお墨付きのメソッドが詰まっていた。顔の筋肉を細かく調整する超音波マッサージ、高濃度プラズマによる毛穴リフト、美容ホルモンを最適化するナノ注射。最上級の施術を受けた私は、かつての自分とは完全に決別していた。
さらに、ハリウッドで数々のスターを手がけたトップスタイリスト陣が、私の容姿・骨格・肌トーンすべてを分析し、完璧なファッションとメイクを構築。鏡の前に立ったとき、自分でも思わず息を呑んだほどだ。 ──爆誕。「超絶美少女モード」起動。 これで落ちない男子高校生なんて存在するのかしら?
そして、もう一つの切り札が、今この手のひらの中にある。CIA上層部すら眉をひそめる危険アイテム……秘薬。いわゆる「惚れ薬」。本来なら任務に使用することすら許されない代物だが、今回は特例として許可が下りた。
その効力は、即効性かつ絶大。経口投与により、対象の脳内恋愛中枢に直接作用。白岳の身体にまだ「生身の部分」がある限り、理論上は完璧に効く。ペンタゴンでのAI予測でも、成功確率は99パーセント。しかも──効力は最長三年間。副作用も、依存性も、なし。文字通り「夢の薬」だ。最悪の場合、向こう三年、いや、一生を共にすることになるかもしれない。
(……まあ、今の私のルックスなら、薬の力なんて必要ないはずだけど)
私は自信を持ってそう断言できる。それでも、戦場において武器は多いに越したことはない。この「呉みなとまつり」が、私の決戦の舞台。長谷光葉から白岳靖章を奪い返す、その瞬間が迫っている。
──ただ、一つだけ引っかかっていることがある。最初は任務として、彼を観察していただけだった。渡米前、CIA本部で収集した彼の身体データと生活ログ。それらを眺め、敵の可能性をシミュレートするだけだった。
けれど──実際に会い、会話し、彼の素直さ、優しさ、そして時折垣間見える強さに触れるうちに、いつの間にか私は、感情のコントロールを失っていった。
(これって……恋?)
そんなはずがない。私はエージェントだ。感情に流されることなど、あってはならない。これは単なる護衛任務── ……そう自分に言い聞かせながら、私は白岳のすぐそばに立った。
そして、彼の視線がこちらに向く。頬を少し染めて、戸惑ったように微笑むその顔。ふふっ。可愛い奴。あとは、彼と長谷光葉の距離を断ち切るだけ。二人きりの空間へと持ち込めれば──勝負は、そこからだ。
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