第108話 秋の遠足、再び
僕がフェリーの客席から目を覚ますと、揺れる窓の向こうに宮島の桟橋が近づいていた。
ぼんやりと景色を眺めているうちに、「ゴン」という軽い衝撃が船体を伝ってくる。接岸の合図だ。肩にトンと衝撃。クラス委員の的場くんが笑いながら僕をつついた。
「白岳、着いたよ。よく寝てたな。また遅くまで勉強でもしてたのか?」
のんきな声に、僕は慌てて背筋を伸ばす。
「いやいや~そんなことはないんだけど……」
寝ぼけ声が情けない。どうやらずいぶん深く眠っていたらしい。
「みんな降りてるぜ。早く行こう!」
「ああ、そうだな」
言いながらも、胸の奥で奇妙な戸惑いが膨らむ。さっきまでの記憶──血と火花、戦いの余韻。それに比べて今はあまりにも平穏すぎる。制服もまるで新品同様、傷ひとつない。体内バッテリーもフル充電状態。本当に時間が巻き戻されて、僕らの世界に戻ってきたのか……?
フェリーを下りて桟橋を渡ると、観光客のざわめきが押し寄せてくる。家族連れや外国人観光客がカメラを構え、鹿がのんびりと人の間を歩き回る。まるで戦いなんて最初から存在しなかったかのような賑わいだ。胸が熱くなる。広場では、1年A組やSF研のメンバーが僕を待っていた。
「ヤスくん、遅いよ! 早く参拝しよう!」
真っ先に声を上げたのは光葉だった。両手を腰に当て、ぷくっと頬を膨らませながら、だけど目尻は心配そうに揺れている。怒っているというより、待ちきれずに寂しかった子供みたいな表情だ。
「ダーリン! 今日はエスコートよろしくね!」
すぐさまジェシカが身を乗り出してきた。さら艶の髪をひるがえし、いたずらっぽくウインクまで飛ばしてくる。わざと大げさに腕を差し出す仕草は、どこか舞踏会のプリンセスみたいで、周囲の観光客が「おおっ」と振り返るほどの迫力だ。
「みんな! お兄ちゃんはわたしのだから~ね?」
最後にマリナが、僕の腕にぴょこんと飛びつくように抱きついた。潤んだ瞳をうるうるさせながら、子供っぽい甘え声を響かせる。まるで本気で宣言しているようで、周囲のクラスメイトたちが「ははっ」と笑い声を漏らす。
――いつもの掛け合い。騒がしくて、温かくて。その光景に、僕の胸は妙にじんとした。……彼女たちには、あの並行世界での戦いの記憶は残っていないのだろうか? 周囲を見回すと、古新開と麗の姿がない。疑問に眉をひそめると──
「あの二人ね……とっくに猛ダッシュで参拝に行ったわ。弥山に徒歩で登るって張り切ってね」
見晴さんが少し呆れ顔で教えてくれた。なるほど、あの二人らしい。青山先生はというと、クラスメイトたちに囲まれて厳島神社へ引っ張られている。かっこよくて美人な先生は、やはり人気の的だ。
参道に目をやると、波多見先生がスタスタ歩いているのを見つけた。僕の視線に気づいたのか、にっこり微笑んで軽く手を振ってくれる。その背中には──家猫姿の福浦がしがみつき、ぶるぶる震えていた。歩く気力すらないらしい。
……あの妖怪コンビは、どうやら向こうの宮島のことを覚えているようだ。もしそうなら、僕も同じ。となると──僕もいよいよ同じ怪異クラスなのか?そんな考えがよぎったが、両手を女子たちに引っ張られ、あれよあれよという間に厳島神社へ連行される僕だった。
大鳥居を背景にスマホで写真を撮り、みんなで参拝を終える。「今後の運勢を占おう」とばかりにおみくじを引くと──
「やったー! 大吉だ!」
光葉が飛び跳ねるように紙を掲げ、子供みたいに嬉しそうに笑う。
「ふふふ……私も大吉よ」
ジェシカはさらりと艶やかな黒髪を耳にかけ、余裕の笑みを浮かべながらおみくじを見せる。
「あれ? 私も大吉だ!」
マリナは目を丸くしてから、僕の袖を引っ張り無邪気に声を上げた。
次々と上がる歓声。僕も恐る恐る開いたおみくじには、やはり「大吉」の文字。
「なんだろう? このおみくじ、大吉しか入っていないのかな?」
光葉の何気ない言葉に、僕はすぐにピンときた。これはきっと──宮島の女神様からのご褒美だ。みんなで顔を見合わせて笑い合い、もう一度本殿に深く拝礼した。
◇◆◇
次は観光タイム。お土産屋や飲食店が立ち並ぶ通りへ足を踏み入れた瞬間──
「君たち、原宮高校のSF研だろ?よかったらうちの店に来てよ!ごちそうするよ!」
「みんなこれ食べて!はい、揚げもみじ饅頭!」
「おうおう!SF研の者じゃろ?お茶でもジュースでも、好きなの持って行けや!」
「帰りにまたきんさい。もみじ饅頭、お土産に用意しとくけんね!」
「わしが作った民芸品のしゃもじじゃ。これも持って帰ってのうー!」
島民たちが次々に声をかけ、両手いっぱいに差し出してくる。あまりに唐突な大歓迎に、僕らは目を白黒させた。
「ええええ?? なんなんだろう、ヤスくん?」
光葉が戸惑いながらも僕の袖をつかむ。
「こんな歓迎されることあるの?」
ジェシカは首をかしげ、きょとんとした顔。
「ぱくっ……うーん~揚げもみじ饅頭、めちゃくちゃ美味しいー!」
マリナは早速かぶりつき、幸せそうに目を細めていた。
手渡される土産物、笑顔、温かい言葉。気づけば両手がふさがるほどの荷物になっていた。僕らは謎のVIP待遇を受けながら、島内観光を存分に楽しんだ。
◇◆◇
夕方。集合時間になる頃には、抱えきれないほどのお土産を持ち、桟橋に立っていた。そこには多くの島民が集まり、まるで祭りのように僕らを見送ってくれている。
時間ぎりぎりに、古新開と麗が息を弾ませて戻ってきた。顔は汗だく、両手には土産袋をこれでもかと抱えている。
「白岳~、お前もか? どういう訳か、めちゃめちゃお土産をくれたんだが……?」
古新開が苦笑しながら紙袋を持ち上げてみせる。中身はもみじ饅頭やらしゃもじやらでパンパンだ。
「なんか恐縮しちゃうんだけど」
麗が小さく息を整え、涼しい顔で袋を差し出す。けれど、その頬はほんのり赤く、走ってきたのが隠しきれない。
「ははは……よかったら貰ってあげて。詳しくは帰りのフェリーで話すよ」
僕は自分の両手いっぱいの荷物を見下ろしながら肩をすくめた。
「また俺たち、何かした?」
古新開は頭をかきながら笑う。その姿につられて僕も思わず笑みを返す。不思議そうに首をひねる二人。僕らは点呼を済ませ、帰りのフェリーへ乗り込もうとした。
そのとき──島民の列から二頭の鹿が進み出てきた。立派な角を持つ牡鹿と、ぴかぴかの毛並みをした子鹿。見間違えるはずがない。佐伯親子だ。小さな子鹿は紅葉ちゃん。僕は駆け寄り、深く頭を下げる。
「佐伯さん、紅葉ちゃん、今日一日楽しかったよ。本当にありがとう」
すると紅葉ちゃんが近寄り、僕の頬をぺろりとひと舐めした。次の瞬間、頭の奥に声が響いた。
(靖章さん、ありがとう。また会いに来てね)
紅葉ちゃんの潤んだ瞳が夕陽にきらめいた。
「白岳!早く来い!置いていくぞ!」
別れを惜しむ間もなく青山先生の怒声が響く。
「はーい! すぐ行きます!」
慌てて振り返り、フェリーへ駆け込む。船がゆっくりと桟橋を離れると、島民全員が手を振って見送ってくれていた。胸に込み上げるものを感じながら、その光景を焼き付ける。
「ぴこーん! 島民から異質のオーラを検知しました。スキャンしますか?」
補助頭脳AIの声が割り込んでくる。
「うん、スキャンして」
視界に浮かんだデータに、僕は息をのんだ。島民たちの頭には──鹿耳と神鹿角が、誇らしげに輝いていたのだ。
(みんな人鹿族……そうだ!今度また奈良に行ったら、向こうでもスキャンしてみよう)
そんな期待を胸に抱きながら宮島を後にするのだった。
こうして、僕らの秋の遠足は無事に幕を閉じた……けれど、胸の奥では新しい予感が静かに芽吹いていた。
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