第六話『呂布の治世、亀裂の兆し』
血腥い勝利の熱狂も冷めやらぬ下邳の城で、呂布は、高々と自ら徐州牧を名乗り、その権勢を天下に誇示した。かつて丁原や董卓といった主君を乗り越え、流浪の身から一躍、一州の主に成り上がった彼にとって、この広大な徐州の地と、堅固な下邳の城を手に入れたことは、まさに生涯で最も得意の絶頂であったろう。彼は、劉備から奪った財宝で城を豪華に飾り立て、連日連夜、途切れることなく酒宴を開いては、媚びへつらう側近たちと共に、奪い取った勝利の美酒に酔いしれた。祝宴の騒がしさは、城外にまで響き渡った。
しかし、その呂布の治世は、始まったばかりだというのに、早くも暗雲が垂れ込め始めていた。彼は、生来、武勇と権力欲には長けていたが、地道な政務や民政には全く興味を示さなかった。机上の書類は山積みになり、民からの訴えは無視される。面倒な統治の実務は、全て軍師である陳宮に丸投げしていた。いや、それどころか、彼は己に媚びへつらう者、特に妻の縁者である曹氏のような能力の低い者たちを重用し、彼らが「主君のお墨付き」とばかりに、民から法外な税を取り立てたり、理由もなく財産を没収したり、弱い者たちを威圧したりするのを、見て見ぬふりをしていた。
徐州の民にかかる税は、日増しに理不尽なほど重くなり、城下では、呂布軍の兵士による些細な、しかし日常的な乱暴狼藉も絶えず、人々は恐怖と疲弊に苛まれていた。畑は荒れ、市からは活気が失せ、子供たちの笑い声も聞こえなくなり、人々の顔からは、かつて温厚な陶謙や、仁徳の劉備の下で享受していた、ささやかな安定と秩序を懐かしむ、諦めと絶望の色が濃くなっていった。
この惨状を、誰よりも深く憂慮し、心を痛めていたのは、日夜政務に追われる軍師・陳宮であった。彼は、主君の目に余る行状と、側近たちの腐敗に眉をひそめ、何度となく呂布の元へ足を運び、必死に諫言を試みた。
「呂布様! 今こそ、民の心をつなぎ止め、この徐州の地盤を固めるべき、最も重要な時でございます! どうか、この上なき奢侈をお控えになり、少しでも政務にご精励くださいませ! 兵の規律を正し、民を安んぜねば、せっかく力をもって手に入れた徐州も、いずれは民心が離反し、砂上の楼閣と化し、容易く他者に奪われることになりましょうぞ!」
陳宮は、呂布の性質を知りながらも、論理と情、そして来るべき危機を訴え、必死に止めようとした。しかし、呂布は、そんな陳宮の忠告を、酒に酔った顔で鼻で笑って聞き流すばかりであった。
「陳宮! また始まったか! 貴様はいつも口うるさいわ! 泰平など、力をもってすればすぐに来る! わしには、天下無双の武勇、この方天画戟と赤兎馬がある! 民など、力で黙らせ、従わせればそれで十分よ! 難しい政務など、貴様のような知者に任せておけば良いのだ! わしは戦場で暴れ、旨い酒を飲み、女と戯れていれば良い!」
呂布にとって、天下とは武力で奪い取る単なる獲物であり、民とはそのための道具に過ぎなかったのかもしれぬ。過去、権力者の側で力を振るってきた彼は、民の苦しみや賢者の言葉に耳を傾けることの重要性を、全く理解していなかった。陳宮は、主君のその浅慮さと傲慢さ、そして己の忠告が全く届かぬ現実に、深い絶望を感じずにはいられなかった。彼の心は、鉛のように沈んでいった。
一方、武田勝頼は、客将という微妙な立場ながらも、この呂布の悪政と、それによって苦しむ民の惨状を、黙って見過ごすことはできなかった。彼は、保護している劉備の夫人たちが、城内の様子を案じて漏らす溜息や、陳宮から聞く徐州の現状、あるいは、城下で、通りすがりの民が打ちひしがれた顔で呟く声(陳宮を通して意味を理解する)から、この地の苦しみを知り、心を痛めていた。故郷で、信玄の代から民と共に歩み、その苦楽を肌で感じてきた勝頼にとって、目の前の光景は耐え難いものであった。何か自分にできることはないか。かつて故郷で、民のために尽くしたように。
彼は、政務に忙殺され、主君の無理解と側近の腐敗に一人で立ち向かい、疲弊していた陳宮に、意を決して協力を申し出たのである。
「陳宮殿…わしは…この地の者では…ない…異邦の身なれど…この地の民の…苦しみを見過ごす…ことは…できぬ…」
勝頼は、言葉を選びながら、しかし強い決意をもって語りかけた。
「微力ながら…何か手伝える…ことがあれば…力を貸したい…故郷では…父…信玄…治水…開墾…教え…見てきたゆえ…」
勝頼の、拙い言葉の中にも込められた真摯な思いと、具体的な申し出は、希望を失いかけていた陳宮にとって、まさに干天の慈雨であった。
「おお…! 勝頼殿! それは…まことに…有難きお言葉…! 某…一人では…限界を感じておりました…ぜひ…貴殿の…その…お知恵を…お借りしたい…!」
陳宮は、目の前の異邦の武将に、再び希望を見出した。こうして、陳宮は勝頼の助言と協力を得ながら、疲弊した徐州の立て直しに、わずかな望みをかけて着手した。
勝頼は、陳宮のために、武田家が長年培ってきた独自の治水技術――信玄堤に代表される、石や木の杭を巧みに配置し、水の勢いを正面から受け止めるのではなく、そっと受け流し、洪水の被害を最小限に抑えるという画期的な堤防の築き方――の原理を、土と小石、木の枝を使って簡単な模型を作り、図を描き、身振りを交えながら、言葉の壁を越えて陳宮に懸命に説明した。また、荒れ果てた土地を効率よく開墾し、必要な場所に灌漑用水路を整備する方法についても、故郷での具体的な実例を挙げて語った。それは、自然の力を畏れ、民の暮らしを守ることを第一に考える、日本の知恵であった。
陳宮は、その異国の知恵の合理性と、何よりも民の生活を第一に考えるその思想に深く感銘を受け、目を輝かせた。彼は、勝頼の助言を徐州の実情に合わせて応用し、早速、難航していた毎年の河川氾濫を防ぐ堤防修築工事や、荒地の開墾に着手した。特に、勝頼の助言に基づいた新しい堤防の築き方は、これまでのやり方では防げなかった洪水を防ぐことに大きな効果を発揮し始めた。
勝頼は、単に城内で助言するだけでなく、時には粗末な服に着替え、自ら鍬を手に取り、泥まみれになりながら、汗水流して働く民衆と共に汗を流した。異国の、それも高貴な身分のはずの武将が、身分を顧みず、民のために泥にまみれて働く姿。それは、当初、困窮した民衆を驚かせ、畏怖させたが、やがて深い尊敬と、そして何よりも強い親近感へと変わっていった。
「あの東瀛の将軍様は…口先だけではない…本当に我らのことを…我らの苦しみを…考えてくださるお方だ…」
「呂布様とは…大違いだ…劉備様が去ってから…こんな希望を感じたのは…初めてだ…」
そんな、勝頼への感謝と、呂布への失望を込めた声が、民衆の間で囁かれるようになる。勝頼の人望は、ゆっくりと、しかし着実に、日増しに高まっていった。
しかし、この勝頼と陳宮による、民政への地道な取り組みと、それに伴う勝頼の人望の高まりは、当然、酒宴に明け暮れる呂布の耳にも入った。彼は、自らが全く顧みない民政という分野で、異邦人の勝頼が民衆の支持を集めていることに、かつて劉備が民心を得た時と同じような、そしてそれ以上の、激しい嫉妬と、そして底知れぬ警戒心を抱き始めた。
(陳宮め…やはり何か良からぬことを企んでおるのではないか…? あの異邦人と結託し、民衆の支持を背景に、わしから徐州を奪うつもりか…? わしの足元を、あの東夷の将に掬われようというのか…?)
一度芽生えた猜疑心は、呂布の単純な頭の中で雪だるま式に膨れ上がっていった。彼は、陳宮を呼びつけては、些細なことで詰問し、勝頼の行動に様々な制限を加えようとし始めた。「あの東夷の将に、兵を率いさせてはならぬ」「民衆との交流を禁じろ」といった、理不尽な命令が下されるようになる。
徐州の空には、再び暗雲が垂れ込め始めていた。下邳城の内部に生まれた、呂布の暴政と根拠のない猜疑心。主君を支えきれず、しかし民と勝頼に希望を見出す陳宮の苦悩。そして、民衆の、ささやかな、しかし確かな期待を一身に集め始めた異邦の将、勝頼。この歪な三角関係は、内側から、そして外側からの圧力によって、やがて避けられぬ破局へと向かっていく。その、呂布軍内部の亀裂を、天下を窺う外敵、特に曹操のような男が見逃すはずもなかったのである。