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最終章

作者: 黒澤咲月

1、ゆりかご

暗闇の中で意識を取り戻した。

孤独なのに、温かくて、とても心地のいい場所だった。

ここへくる前のことはほとんど覚えていなかった。

自分の名前も、顔も、住んでいた場所も、

関わってきた人たちのこともわからなくなっていた。

覚えているのは、どうしようもない程に愚かな男であったこと。

罪人であったということ。

とても痛かったこと。

たくさん傷つき、傷つけてきたということ。

そして、後悔ばかりの人生だったこと。

ただ、それだけだ。

暗闇の中でじっとしていると、目の前に一筋の光が現れた。

私はその光に手を伸ばした。

光は次第に膨れ上がり、私を優しく包み込んでいった。

不思議なことに、恐怖を感じなかった。

「こんばんは、お目覚めですか?」

光を抜け出して、最初に飛び込んできたのは紅い天井だった。

私は、大きなベッドの上で目覚めた。

ベッドから起き上がると、

自分の直ぐ横に、執事の格好をした若い男と、

無表情で、気品あるメイド服の女が立っていた。

二人とも痩せ型で、とても美しい顔立ちをしていた。

そして彼らは、黒馬と白馬を擬人化したような姿をしていた。

「君は?」

「はじめまして、私はカエデと申します。

アナタの召使です。

私の隣にいるのは、妹のカナデです。

彼女も、アナタに仕える者。

そして、ここはアナタの為の世界です。

アナタを傷つけるものは何も無い、

アナタにとって都合のいい世界。

最後の居場所。

アナタが欲しいものはなんでも揃っていますし、

願えばなんでも手に入る。

そういう世界です」

カナデは、冷めた笑みを浮かべながら今いる場所について淡々と説明した。

私たちの他にもいるのか?と尋ねると、カエデは黙って頷いた。

「さあ、ワルツ様。

私どもに、何なりとお申し付けくださいませ」

カエデとカナデは、私に向かって深々とお辞儀をした。

彼らも、私が望んだからここに存在しているのだろうか?

ここへ来る前私は、何を願ったのだろうか?

私は、可笑しなことを考えながらベッドから立ち上がる。

「案内してくれないか?

ここ場所のことを、もっと知りたいんだ」

私がそう言うと、カエデはまた冷ややかな笑顔を作りながら扉の方へと向かった。

私とカナデも、自分のペースで彼らの後について行く。

グレーのカーペットが敷かれた長い廊下の両側には、自分たちが先ほどまでいたのと同じような部屋が幾つもある。

そのどれにも部屋番号がないことに私はすぐ気づいた。

カエデによると、ここのフロアは全て私のプライベート空間であるため、

私の許可なしに立ち入ることはできないそうだ。

最初に案内されたのは、四階にある医務室だった。

書類も医療器具もきちんと整理されている医務室のデスクには、

白衣姿の女が腰掛けていた。

私は召使の二人を部屋の外で待機させて、女医の前にある丸椅子に腰掛けた。

「はじめまして、Mr.ワルツ。

私はアカネ、この医務室に勤務している。

早速だけど、診察を始めようか」

アカネはバインダーに挟んだ用紙を私に差し出した。

一番上に”心の問診票”と書かれた用紙には、十三の質問事項が載っていた。

たったこれだけの問いで、一体私の何がわかるというのだ?

そう思いながら、私は慣れた手つきで回答を記入した。

”心の問診票

質問一、生きててよかったですか?

質問二、後悔や未練はまだありますか?

質問三、それでも幸福だったと思えますか?

質問四、復讐したい相手はいますか?

質問五、もう一度自分をやり直したいですか?

質問六、やり残したことはありますか?

質問七、忘れたい記憶はありますか?

質問八、過去をどこまで覚えていますか?

質問九、忘れたくない想い出はありますか?

質問十、生まれ変わりたいですか?

質問十一、心から幸せになって欲しい人はいますか?

質問十二、これから欲しいものやしたいことはありますか?

質問十三、誰にも言えずに抱えてきた苦しみはありますか?”

全て書き終え、アカネに問診票を返すと、

アカネは、私が記入した回答に軽く目を通した後、問診票をそのままデスクに置いた。

「今日、私が知りたいことは以上だ。

君の方から質問はあるかい?」

「ない」

「それもそうか。

まだ、ここへ来たばかりだしな。

まずは、ここの暮らしに慣れていきながら、

少しずつ気持ちを整理していこう。

思い出したことがあれば、また私のところに来るといい。

嬉しかったことでも、苦しかったことでも、些細な愚痴でも、

どんな悩みでもいいから、私に言いたまえ。

私は、いつでも君を歓迎する」

「ありがとう」

また来るよ。

私はそう言って、医務室を出た。

私は、彼女の言葉を聞いて少しだけ嬉しい気持ちになった。

初対面の相手に安心を覚えたのはいつぶりだろうか?

多分、彼女のその言葉は前の私が人からかけられたかった言葉だったからだ。

私は、医務室のドアの前で待っていたカエデとカナデと共に、

次の目的地へ向かった。


2、笑えない日々に別れを告げて

次に訪れたのは、”純喫茶アルテミス”という小さな喫茶店だ。

この喫茶店を営んでいるのは、”ホタル”という若い女店主だった。

私たちはすぐに親しくなった。

私は、ホタルから受け取ったメニュー表を吟味する。

天の川のクリームソーダ、三日月ドーナツ、特性七夕ゼリー、

星雲バーガー、十二星座クッキー、月明かりのミルクティー、小惑星パフェなど、

メニュー表には星の名に関する料理が載っている。

もちろん、エスプレッソやカフェラテなんかもメニューに書いてある。

「お客さん、ご注文はどうしますか?」

「じゃ、天の川のクリームソーダ」

「はーい、喜んで!」

注文を受けたホタルは、鼻歌を歌いながら調理に取り掛かる。

久々の来客に気分が上がっているそうだ。

カエデとカナデは、それぞれエスプレッソと紅茶を頼んだ。

私は、彼女が調理している様子を眺めながら過去の自分のことを考えた。

痛みの感覚は残っていても、思い出せる記憶はあまりなかったが、

小さい頃から共に過ごしてきた三人の顔は鮮明に覚えている。

彼らとの繋がりが私を生かしてくれた。

彼らは私の光だった。

その思いは、今も変わらない。

「できたよー!」

「ありがとう」

ホタルからクリームソーダのグラスを受け取り、

早速、専用の長いスプーンで一番上のアイスを掬って食べてみる。

滑らかな口溶けに思わず頬が緩む。

アイスの下のソーダは、確かに宇宙を流れる天の川の様な色合いだが、青紫と赤紫の紫陽花を思わせるグラデーションがとても良い。

「お味はどう?」

「とても美味しい」

「よかった〜」

ホタルは、手のひらを頬にあて満足そうな表情を見せる。

その様子が可愛くて、私も思わず頬が緩んだ。

「それで、君はいつからここに?」

「あなたが目覚めるずっと前からだよ」

「ずっと前?」

「詳しいことは言えないけどね」

「そうか、残念」

私は彼女の言葉に釈然としないものを感じた。

医務室にいたアカネもそうだが、

どうやら、私がここで目覚める前からここにいる者たちは私のことを知っていて、

私に悟られてはいけないことがあるようだ。

私を傷つけるものは何もないとカエデは言っていたが、

それは本当のことなのだろうか?

みんな口裏を合わせて私を騙そうとしているのではないか?

私も誰かの考えた舞台の役者に過ぎないのではないだろうか?

考えれば考えるほど疑問が湧いてくる。

だが私は、これ以上深入りしないことにした。

知らないことがいいこともある。

喩えこの先恐ろしいことが起こったとしても、

今の私は知るべきではないと思った。

「それじゃ、そろそろ行くよ」

「えー!もう行っちゃうの?」

「また来る」

そう言って私は、空になったグラスの横にお代を置いて立ち上がった。

カエデとカナデも、私の後に続く。

「二人ともありがとう。

あとは一人でゆっくり回るよ」

「そうですか。

では、ご用があればいつでもお呼びください」

「ああ、よろしく頼む」

私は、カエデたちとは反対方向に歩みを進めた。

別れる際、カナデから小型の電子マップを受け取った。

電子マップには、位置情報だけでなく、

各フロアにいる人物の名前など、この建物に関する全ての情報が記録されている。

私は、目覚めた時に聞かされたカエデの言葉を思い返す。

ここは私のための世界。

願えばなんでも手に入る世界。

彼は私にそう言った。

その意味がなんなのかはまだわからない。

けど、急がずとも真実はいずれわかる。

ここが私以外の者によって用意された場所なら、

私はその役を演じ続けていればいい。

行き先はもう決めてある。


3、命短し、それでも進め

ここは、地下にある製造所。

技術士“ザクロ”の仕事場だ。

「おう、待っていたぞワルツ」

ガタイのいい男が、大手を振りながら駆け寄ってくる。

やはり、この男も私のことを知っている。

「ちょうどいい、俺に着いてこい」

私は、挨拶もなく早々に階下にある機密保管庫へと案内された。

そこには、見たこともない光景が広がっていた。

巨大な影が、私たちを静かに見下ろしていた。

「これは?」

「これが何かは知らん。

俺はコイツを“サイクロプス”と呼んでいる」

黒くて頑丈そうな外部装甲、頭部全体を覆い尽くしている真っ赤な大きな目。

それは、四足歩行の錆びれた巨大マシンだった。

実際のサイズはわからないが、推定される全高は約五十九センチ。

これが長い間倉庫にあったのだという。

どれだけ手を加えても動かなかったそうだ。

名前の由来は、ギリシャ神話に出てくる一つ目の怪物だろう。

「安心しろ、中身は空っぽだ。

お前が来たら見せてやれとカエデに言われた」

「必要になるのか?」

「わからん。

だが、これはお前の心だ。

俺はそう、依頼者から聞いた」

私はそれ以上聞かずに、歪な姿のマシンへ歩み寄る。

そっと触れただけでマシンが作動し、

鯨の鳴き声のような雄叫びを上げ始めた。

恐怖はないが、なぜだか切ない気持ちになった。

マシンの言葉が、私の中に流れ込んでくる。

それは、周りから否定され続けた記憶だ。

“お前は普通じゃない”

“こんな簡単な事もできないの?”

“お前には失望した”

散々言われてきた言葉だ。

幼い頃から普通じゃない自覚はあった。

歪んだ世界の中で生きてきたから、

普通の生き方をしてこなかったから、

普通というものが分からなかった。

それに気がついたのは、二十五歳の夜だった。

とても寒い冬のことだった。

その日から、私はまた独りになった。

「どうした?何か思い出したのか?」

「そうか、これが私なのか…」

私は、ザクロに自身の過去を打ち明けた。

どうせ、理解されないだろうと思っていた。

耳の痛い言葉をかけられるのかと思った。

そうして欲しいと願う自分もいた。

「腹を割って本音を吐いた途端にこのザマだ。

結局、痛みは人に見せてはいけなかったんだ。

涙は独りで流さないといけなかったんだ。

その事に、もっと早く気づくべきだった」

口は災いの元。

言葉は、伝え方次第で毒にも薬にもなる。

良くも悪くも、その一言が巡り巡って自分に返ってくる。

だから、言葉には気をつけるべきなんだ。

わかっていたのに、私は何度も失敗した。

そのことをザクロに伝えると、彼は困ったように眉を寄せた。

「失敗の要因は他にもあっただろ?

いくら自分を責めても得るものは少ない。

世の中には、生まれ育った環境とか、事故とか、

自分ではどうしようもない事ばかりなんだ。

それは、お前が一番よくわかってるだろ?

そもそも、見てきた景色が違うんだから、

理解されなくて当たり前だ。

だから、自分だけは自分の味方でいろ。

お前はよく頑張ったよ。

何度も壊れるまで戦ったんだろ?

だったらもう、彼を許してやれ」

返ってきた言葉は、期待していたものと違った。

彼もまた優しかった。

私は、徐々にこの世界のことがわかってきた。

ここは、私にとって最後の居場所だ。

「綺麗事や自己責任論でどうにかなる人生なら、

それはとても幸運なことだ。

彼らは、自分の立場を理解していないだけだ。

でもまぁ、気にすんな。

正義とか、常識とか、

そういう事を口にする奴ほど歪んでるからさ」

「これをどうすればいい?」

「それは、これからゆっくり決めればいい。

コイツをどう扱うかはお前次第だ。

今はただ、リグレットを許してやれ」

私は、本当の意味で自分を許せるだろうか?

ここにいれば、私の答えを見つけられるだろうか?

堪えきれず、私は静かに涙を流した。

涙が頬を伝い、マシンの顔に溢れ落ちた。

すると、マシンは音を立てながら機能を停止した。

私はまたマシンの体に触れてみるが、

先ほどのように反応することはなく、

そのまま長い眠りについたようだった。


4、痛いの、痛いの、飛んでいけ

三階のガーデンルームには、姿形や大小さまざまな植物で溢れている。

それらを管理しているのは、”セイナ”という庭師だ。

私は、庭園の中を散策しながら彼女を探した。

園内の植物は、どれも管理が行き届いているが、

熱帯雨林に生息している種類のみならず、

寒い地域のものや、砂漠のような乾燥地帯で見かける、

全く違う環境で育つはずの種類でも生き生きと根を張っていた。

「あら、お客さん?」

園内を散策していると、大木の陰から紅いドレス姿の女性が現れた。

美しくも正気を感じられない青い瞳と艶のある長い金髪に思わず目が奪われる。

「君が、ここの管理者か」

「そうよ、着いてきて」

彼女は、死者のような白い手で手招きをする。

言われるがままに着いていくと、

そこには、上品なアンティーク風の白いウッドチェアと丸テーブルがあった。

テーブルの上には、ケーキスタンドに乗せられた洋菓子とティーカップなどが置いてある。

「貴方のことは聞いているわ。

さあ、ここに座って」

私は、彼女とは反対側の椅子に腰を下ろした。

白を基調としたふかふかの椅子は、周りの緑と合間って心地が良かった。

セイナが空のカップに透明のポットに入った紅茶を注いでくれた。

私は、そっとカップに口をつけた。

クッキーのような独特な香りがして、紅茶とは思えないほど甘かった。

私たちはしばらくの間、会話を交わさずに鳥の囀りに耳を傾けていた。

「何か悩み事でもあるの?」

「いや、なんでもない」

「気にしないで。私は情が薄いから」

「過去のことを、思い返していた」

「傷つけられたのね」

「許すべきだとわかっている」

自分もたくさん傷つけてきたのだから、

きっと天罰が下ったのだろう。

それに、良いことも悪いことも、

相手にしたことは必ず自分に返ってくる。

形は違えど、大なり小なり誰もが経験していることだ。

それでも、相手を憎む気持ちが消えることはなかった。

私は女々しい男だった。

過ぎたことをいつまでも根に持って、

他人の悲劇を願ってきた。

それが無意味だとわかっているのに、

自らの手で傷口を抉っていた。

私はただ、同情が欲しかったのだ。

「なるほどね」

「それが自分でも他人でも、

加害者はいつか必ず報いを受けるべきだと考えていた。

君は、この考えは愚かだと思うかい?」

突然、セイナは無表情なままカップを置いて立ち上がった。

そして、ゆっくりと私の背後に回る。

彼女の綺麗な両腕が私の体を優しく包み、

私はそのまま動けなくなった。

「因果応報なんてどうでもいいわ。

私なら、自分を傷つけた奴の末路なんて考えない。

他人は他人、自分は自分。

他人の不幸より、

自分の幸せに目を向けるべきだと私は思う。

許すんじゃなくて、ただ忘れなさい」

硬直する私に暗示をかけるように囁くセイナ。

子守唄のような彼女の声に集中しているうちに、

少しずつ緊張が溶けていくのを感じた。

それは、ずっと忘れていた温もりだった。

「貴方は、これからどうしたいの?」

もう、誰かを傷つけたくない。

私は、他人の幸せを心から祝福できる人間になりたい。

そう伝えると、彼女は安堵のため息を吐きながらそっと体を離した。

「貴方の願い、私も手伝うわ」

「ありがとう」

涙を拭い、差し出されたセイナの手を取る。

この時、初めて彼女の笑顔を見た。

「ちょっと待って、忘れ物よ」

「それは?」

「これは、リグレットの証。

貴方にとって、とても大切なモノでしょ?」

庭園を離れる間際、セイナからハート型の紅い石の首飾りをもらった。

私は、セイナからもらったその首飾りを手のひらに乗せてみた。

形は歪んでいて透明感はほとんどないが、

赤珊瑚のような深みのある色がとても綺麗だった。

”どうか、私のリグレットを許して”

首飾りを見つめていると、どこからかそう聞こえた気がした。


5、もういいかい?

ここへ来てから半年が経過した。

ここの暮らしにも慣れ、色々と勝手がわかってきた。

新しい友達ができた。

欲しいものも全て手に入れた。

みんな、私を一切否定しなかった。

今まで私が望んできた景色が広がっていた。

私は常に満たされていた。

真っ白で何も無かった外の世界に色がついた。

そして、いつの間にか孤独感も消えていた。

一つだけ不可解な事があるとすれば、

私の体は徐々に退化していることくらいだ。

最初の頃は進行が遅かったせいで気づけなかったが、ここへ来てから三ヶ月後に症状が目に見えて現れ、今ではすっかり子供の姿へと変貌した。

推定できる年齢は八歳くらいだろう。

知能の変化は見れないが、この体ではできることも限られてくる。

前まで平然とこなしていた事が急に難しくなり、困る場面も増えてきた。

もちろん、自分で出来ることは自分でやるが、

部屋の掃除は、猫の妖精さん達が手伝ってくれている。

普段は、妖精さん達が部屋の掃除をしている間、

こうして三階の旅人図書館で優雅に読書を嗜んでいる。

ここは、考え事をするのにちょうどいい場所だ。

私は時々、ここで創作活動をする。

「うにゃ〜」

黒猫の“カノン”が、私の足下で構って欲しそうに鳴いている。

カノンもまた、猫の妖精として図書館での役割が与えられているのだが、

この図書館の管理者である“アリス”が不在の時は、

自分の仕事をサボって私にべったりくっついている。

「こんばんは」

聞き慣れた声がしたので振り返ると、

召使のカナデが読み途中の本を覗き込んでいた。

「これは、輪廻転生のお話しですね」

「君は、生まれ変わりについてどう思う?」

「私はとても良い事だと思います。

未来へ希望を託すというのは、

人の本能でもありますから」

仏教の教えによれば、転生先は前世での行いの結果によって決まるとある。

その教えや倫理観が善行への原動力になり、

世界の均衡を保っているといっても過言では無いだろう。

だが、願う理由は本当にそれだけなのだろうか?

「ワルツ様は、どうお考えですか?」

「来世はいらない。

どんなものに生まれ変わっても、

苦しいことには変わりない。

そんなの私は御免だよ」

遅かれ早かれ、人は誰しも痛い目を見る。

痛いのはもう嫌だ。

どんな結末を迎えようと、

人生は一度きりでいい。

だからこそ、今を精一杯生きないといけない。

その気持ちは、今も昔も変わらない。

理不尽な過程を生き、不条理な結果に終わる。

何も悪い行いをしていないのに、

罪人の如く虐げられる。

彼処は、そういう者達が何億も存在している世界だった。

“お前が不幸せなのはお前のせいだ”

“変わる努力をしないお前の責任だ”

そういう綺麗事だけではどうにもならない事情を抱える者も少なくない。

だからこそ、輪廻転生の概念が必要だった。

私も嘗て、来世という希望に想いを寄せていた。

「なになに?何の話??」

珍しく口数の多いカナデと二人で語り合っていると、図書館司書の“アリス”が戻ってきた。

アリスの外見は、団子結びにした白髪と丸眼鏡が特徴的で、赤色をベースにした奇抜な服装が目を引く。

高身長でスタイル抜群なせいで、見れば見るほど違和感を覚える。

「ちょうどよかった。

アリスは、来世があるなら何になりたい?」

私はアリスの方に本を寄越して言った。

アリスは本を受け取り、浅いため息をついた。

「愚問ね、私は私のままでいい。

私は、今の自分が一番好きだから」

「自信があるんだな」

「それは違うわ。私は全てを諦めたのよ。

貴方も私くらい生きれば分かるわ」

アリスは、私の肩に手を置いて不敵な笑みを浮かべた。

アリスの笑顔は、哀しさを含んでいた。

彼女も、同じ世界にいたのだろうか?

ずっと気になっていたのだが、

結局、今回もそこまで聞く事ができなかった。

「ワルツ様、そろそろ夕食のお時間です」

「じゃ、このまま食堂に向かうか」

窓の外は綺麗なオレンジ色に染まっていて、

壁に掛けられた木製の時計を見ると、

短針がギリシャ数字の“Ⅴ(ご)”を指していた。

私は、元の本棚に本を仕舞い、

二人を引き連れて図書館を後にした。

夕食の時間になったので一階の大食堂まで降りると、みんなが食事を前にして私を待っていた。

「よっ、早く座んな。

お前の分はよそっておいたぜ」

食堂には、全フロアのみんなが揃っていた。

私は、ザクロとホタルの隣に座った。

私の分の食事は、ザクロが席まで運んでくれていた。

今日のメニューは、牛肉入りのクリームシチューと自家製胡麻ドレッシングを掛けたツナサラダだった。

ここの料理は、食堂を仕切る料理長のレオンと猫の妖精達が丹精込めて作っている。

レオンの作るメニューは、今まで食べた物の中で最も美味しいと思える。

素直な気持ちを本人に伝えると、彼は照れくさそうに鼻を啜った。

「ワルツ様にそう言って頂けて僕も嬉しいです。

お代わりもありますから、沢山食べてくださいね」

頂きますと手を合わせ、アンティーク調のオシャレなスプーンで掬ったシチューに口をつける。

ワイングラスに注がれた炭酸水も、

よく冷えていて美味しかった。

そして、食事の時間も楽しかった。

みんなの日々を聞くことができてよかった。

夕食後、私は気分転換に外へ出てみた。

夜風に当たりながら草原の中を歩いていると、

満月が私に語りかけているかのように辺りを優しく照らしていた。

草原には、ルミナリエの花が揺らめいていた。

その様子が、愛を歌う子供たちのように思えた。

私は、花たちの歌声に日が昇るまで聞き入っていた。


6、みちしるべ

機械人形の”ラズリ”は、晴天の空に向かって白旗を上げる。

心から、愛と平和を叫ぶ幼い少女のように。

建物の最上階、自然保護区域となっている森林を抜けた先に彼女はいる。

木々に囲まれながらひっそりと佇んでいる白い建物で、

彼女は日々研究をし、その多くをここにある自然のために過ごしている。

「こんばんは、ワルツさん」

「よう、今日も祈っているのか?」

「はい、いつか届くと信じています」

「そうだな、届くといいな」

私は自然の声に耳を澄ます。

そよ風が木々を揺らし、小鳥の囀りが、

今日も平和であると教えてくれる。

「ちょうど、話し相手が欲しかったんです。

ワルツさん、一緒にお話しませんか?」

「ああ、もちろん」

ラズリに連れられて研究施設の中へと足を踏み入れる。

建物に入ってすぐにある広間の床のタイルは、

オセロのように白黒のツートンカラーで規則正しく嵌め込まれている。

床も窓ガラスも綺麗に掃除されていて埃一つ見当たらない。

私は、広間中央にある螺旋階段を昇り、

二階の彼女の仕事部屋まで案内される。

部屋全体を見渡すと、作業机と簡素な椅子の他には、

休憩用の二人がけソファーが一つと、

医療や生物に関係のある学術書や書類の山が整理された状態で部屋の隅に並べられているだけだった。

「こちらにおかけください」

私とラズリは、部屋の隅に置いてある青色のソファーに腰を下ろした。

陽の光が小窓から差し込んで、飾り気のない部屋をドラマチックに見せている。

きっと、ラズリもこの景色が好きなのだろうと私は思った。

「あまり元気がないようだが、どうしたんだ?」

「いえ、大した事ではないのですが…」

「どんなことだ?」

「私は以前、幸せの形は人によって違うのだと聞きました。

けど、まだ私にとっての幸せが分からないのです」

返答に困り、書類の山を見つめながらしばらく考え込んだ。

私も、幸せとは何かを長い間探していた。

確かに、幸せの定義は人それぞれだし、

環境の変化や時間の流れによってその定義は簡単に書き換えられる。

そして、他人が勝手に干渉できるものではない。

その答えは自分の中にしかないのだ。

だが、いくら歳を重ねても本当の幸せというものを見つけられずにいた。

「ワルツさんには愛する人がいますか?」

「もちろん、愛する人はいた」

「どんな方でしたか?」

「それは、家族や友人だ。

みんな、私にとって大切な存在だった」

気づいた時には、その全てを失ってしまっていた。

そして私は、独りで生きているわけではないと気付かされた。

無償で与えられたもの、その価値に失ってから気づくことが多かった。

「では、貴方にとって幸せとはなんですか?」

「私にとっての幸せは、私を大切に想ってくれる人がそばにいることだ」

「答えを見つけられたのですね」

「君も、見つけられるといいな」

私は、微笑みながらこくりと頷いた。

ラズリの言う通り、この世界に来てから答えを見つけることができた。

宝物は、すぐ近くにあったのだ。

「もう一つ質問してもいいですか?」

「うん、いいよ」

「私たちに心は必要だと思いますか?」

「心が必要かどうかはわからないが、

知る必要のない痛みは今まで沢山あった。

痛みの種類や大きさは違えど、

あの世界で生きる多くの人が抱えていた」

苦しいのは自分だけじゃない。

赤の他人からそう言われた事もあった。

当時の私は、その台詞が大嫌いだった。

人生とは苦行の連続で、叶わない事だらけで、

届かない事ばかりで、なのに壊すのは容易くて、

優しさに甘えて打ち明けてみたところで、

結局、自分の苦しみは自分にしかわからなくて、

だからこそ悲しいのだと、心の中で何度も叫んだ。

まだ若かった頃は、心など、痛みの絶えない世界には不必要であると思っていた。

その考えは、今にして思えば自分に酔ってるみたいで恥ずかしい事だった。

周りは苦しいとわかっていても、どんなハンデを背負っていても、

理不尽な言葉を投げかけられても、

痛みに耐え、培ってきた知恵と自分の武器を活かしながら大切なもののために奮闘し、

例外はあれど、大抵の人がそれに見合った対価を得るだろう。

そんな中で私は、足を止めることを選んだ。

何もないまま大人になったせいで、多くの代償を支払うことになった。

横を見れば誰もいないし、下を見れば崖っぷち。

見上げるだけで現実を突きつけられたような不快感に襲われる。

そんな日々が長く続いた。

惨めな自分を受け入れるのがとても怖かった。

ラズリにわからないと答えたのは、

過去の自分が下した結論に対して確信が持てなくなったからだ。

私も、気づかないうちに随分と変わってしまった。

あの頃の私は、もう何処にもいないのだ。

「それじゃ、もう行くよ」

「わかりました。

では、私があの場所まで案内します」

「ああ、頼む」

私たちは、ソファーから立ち上がり、

忘れ物がないかキチンと確認してからラズリの仕事部屋を出た。

研究施設を出た後、私は自室に戻らず森林の中をラズリと共に進む。

行き先は、研究施設から南方にあるペルセウスの丘だ。

私たちが施設を出る頃には、夕日は沈みかけていた。

ベージュとブルーのグラデーションがあまりに美しく、

歩を進めながらその景色にしばらく見惚れていた。

「今夜は新月か…」

やがて、この世界に夜が訪れた。

私たちは、丘の麓までたどり着いた。

再び空を見上げると、無数の恒星がまるで私たちを導くように瞬いていた。

そして、何千億もの恒星が集まってできた天の川。

そうだ、私はこれが見たかったんだ。

見上げた先にある光景は、世界中にあるどの宝石よりも美しかった。

「迎えがきた。ここでお別れだな」

「どうか、お気をつけて」

その台詞は、私に明日が来ないことを意味していた。

私は振り返り、涙をこぼしながらラズリに微笑んだ。

ラズリも私と同じ顔をした。

「さよなら」

私は、ラズリとこの世界で生きる者達に別れの言葉を告げ、

温かな光に包まれながら旅立った。

私が最後に抱いた感情は、彼女達に対する愛と感謝だった。


7、匿名からの贈り物

私は再び闇に囚われた。

闇に支配された海の中を只管彷徨い続けた。

それなのに、恐怖を殆ど感じなかった。

闇を抜け、軈て真っ白な空間にたどり着いた。

そこには、青い瞳の白猫が行儀よく座っていた。

「シェリー、君だったのか」

私は、目の前にいる白猫の事をよく知っていた。

私の管理者であるシェリーの目的は、

私を救い、私という物語を終わらせる事だった。

あの世界はその為の舞台だった。

そして私も役者の一人に過ぎなかった。

やはり、あの世界は作り物だった。

私の本当の正体は、

とある男の記憶を埋め込まれた機械人形だ。

シェリーが所属する生命活動倫理委員会の重要プロトコルにもそう記されていた。

その手順は以下の通りだ。

・生体ユニットを規定のネットワークに接続

・残存している個体ごとの心理状況を計測し、

神経情報を項目ごとにカテゴライズ

・リアルタイムでの継続的な監視とメンテナンス

・新規データの収集

・システムの安定化と記録の再整理

・全データの消去及び本体の破棄

シェリーが書き留めていた生命活動倫理委員会記録部報告書によれば、あの世界で目覚めたのも、

あの世界で過ごした日々も、

全ては、シェリーの計画だったのだ。

私は、彼女の手のひらで踊らされていたのだ。

真実を知っても尚、怒りは一切湧いてこなかった。

恐怖や不安、怒りといった負の感情も全て私の中から除去されているからだ。

「私は、生きた証を残せたか?」

そう言いながら、白くて小さな彼女を抱き上げた。

彼女は黙ってそれを受け入れた。

私は、彼女の体を胸に抱き、

フワフワの毛並みを優しく撫でてみた。

彼女の体はとても温かかった。

そして、彼女は綺麗な声で囁いた。

「言葉は永遠よ。

過程や結果がどうであれ、

これまでの自分を誇りなさい」

私は深く頷いた。

幸福とは何なのか?

家族の在り方とは何なのか?

私は、それをずっと自身に問い続けてきた。

私は、当たり前が欲しかった。

万人が口にする普通というものに憧れていた。

だから、生まれながらにして与えられた戒律を何度も破ってきた。

逃げる事も必要だと信じて抗った。

結果は火を見るより明らかだった。

やり場のない怒りを抱えてきた。

私は、自分の手で自分を救いたかった。

けど、私を救ったのは他人の言葉だった。

とても悔しかった。

惨めな気持ちでいっぱいだった。

それはきっと、自分の意志ではなかったからだ。

それに、救われたのはほんの一瞬だけだった。

私はまた、闇に囚われてしまった。

私は、人に執着した生き方をしてきた。

そして、自分に合わないやり方に固執し続けた。

友も家族もお金も失い、

どうにもならなくなってから漸くその間違いに気づいた。

だが、今は全てどうでもよくなった。

私は過去の私がしてきた選択に対し、

これ以上否定も肯定もするつもりは無い。

あの人を想い続けるのも辞めた。

結局、賢い生き方はできなかった。

大人になっても愚かなままだった。

それでも、これで良かったんだと思いたかった。

「最後の願いを聞いてあげる」

「もうない」

「本当は?」

「静かに終わりたい」

「わかったわ」

欲しいものは粗方手に入った。

やりたい事もやり尽くした。

得た分だけ失ってきたが、私の人生は幸福だった。

考え方を変えてみた。

少しだけ気が楽になった。

自分を許そうと思えた。

叶った願いを一から数えてみた。

苦しかった事も一つ一つ思い出してみた。

これまで何度も選択を間違えた。

数え切れないほどの後悔をしてきた。

人から蔑まれ、嫌われ続けた人生だった。

それでも私は幸せだった。

私は、自分の為に生きることができた。

これでようやく、この言葉を口にできる。

私は十分生きた。

私が残せるものはなくなった。

私の役目は、ここで終わったのだ。

偽りの世界に別れを告げよう。

私は今、無に帰りたい。

ただ、溶けて、無くなりたい…。

「お手柔らかに」

「安心して、痛みは一瞬よ」


【…がログアウトしました】


【アンインストールを開始】


【しばらくお待ちください】


目を閉じると、

彼の記憶が脳裏に映し出される。

それを、一つずつ辿っていく。

父親の怒声。

祖母に頭を下げる母親の姿。

いつまでも消えない傷跡。

人格を否定するような言葉。

害虫たちが這い回る天井や壁。

煙草の匂い。

埃まみれの壊れたテレビ。

手を伸ばしても届かなかった、

万人が当たり前に謳歌している幸せの数々。

逃げたいと願い続けた日々。

自分に失望して離れていく友人たち。

いつまで経っても終わらない不幸。

繰り返される罪と罰。

私のじゃないのに、その全てが懐かしく思えた。

“私は罪人だ。

戒律を破った罪人だ。

大切な人たちを裏切った屑だ。

これは私だけの終焉だ。

本当は、もっと生きたかった。

それでも、自分を愛してくれた人には、

私に優しさをくれた人には、

幸せになって欲しいと心から思う。

本当に、ありがとう。”

それは、彼が私に残した最後の言葉だった。


【アンインストール完了】


【…に関する全ての記録を終了します】


【お疲れ様でした】


END

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