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少女と空の王女  作者: 連星れん
中編

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大陸暦1963年――07 信頼


「失礼いたします。殿下、お迎えが参りました」


 扉を開けてそう言ったのはマクレア先生だった。

 お迎えというのはシンたちのことだ。日中に稽古がある時には、みんながルナの送迎をしている。マクレア先生が去年の誘拐未遂事件のことを踏まえて、日中でも一人で出歩かないほうがいいと判断してのことだ。


「慌ただしくてごめん」


 ルナがソファから立ち上がる。続いて立ち上がろうとしたアオユリを手で制した。


「いえ、無理を通したのはこちらですから。お忙しい中、お時間を割いていただきありがとうございました」

「こちらこそ会えて嬉しかったわ。これに懲りずまたお茶をして頂戴」

「喜んで」


 ルナがこちらを見る。


「ユイ。行ってくるね」

「はい。お気を付けて」


 ルナは微笑むと、マクレア先生と共に客間を出て行った。

 それを目で見送ってから、アオユリがカップを手にする。


「なんの取り柄もない、ね」


 目を伏せて微笑するその顔には、どことなく陰りがあるように見えた。そう。初めて彼女がここに訪れ、生まれてすぐの記憶があると話していたあの時と同じような。


「あの、彼女に悪気は」


 私の言葉にアオユリは視線を上げると、笑みを漏らした。


「あぁ、ごめんなさい。気を悪くしていたわけではないの。むしろ逆」

「逆」

「感心していたの。表情一つでそこまで見抜くなんて。しかもわたくしが自覚なかったことまで」


 自覚なかったこと。


「殿下って貴族事情には疎いのよね?」

「はい。なので最近は私に訊いてくることが多いです」

「ルドレシアのことも?」

「私が知る限りでお伝えしました」

「ということは貴女も本当に知らないのね」

「すみません。一応、貴族の歴史は一通り学んだつもりなのですが」


 勉強不足を恥じていると、アオユリがおかしそうに笑った。


「無知という意味で言ったわけではないの。ただ知らないほうが珍しいから新鮮で」

「新鮮」

「興味がおあり?」

「あ、いえ」


 私は慌てて視線を下げた。

 興味が湧いていないと言えば、嘘になる。でも、ルナが言ったことや、アオユリが見せた表情から考えると、それはきっと触れられて心地良いものではないはずだ。その気持ちを単なる興味本位で侵すことなどしたくは、ない。

 だけど私の心配をよそに、アオユリは朗らかに言った。


「遠慮しないで。貴族の間では有名な話よ。今さら隠すことでもないわ」


 アオユリは紅茶を飲むと、受け皿とともにカップをそっと机に置いた。


「でもその前に、わたくしは貴女のお話が聞きたいわね」

「私の」

「えぇ。ヴェルズナの悲劇について」


 瞬間、胸が締め付けられた。彼女が口にした言葉に反応するように。


「あの事件については、昔も今もさまざまな憶測が飛び交っている。だけど所詮はどれも人の噂。どれが嘘で、なにが真実かは、当事者にしか分からない。

 わたくしはね、その真実にたいへん興味があるの。ああ、もちろん無理強いはしないわ。あの事件が貴女にどれほどの悲しみや苦しみをもたらし、人生を大きく変えたのかは、想像に難くない。もし話してくれるにしても、可能な範囲で構わない」


 あの日のことについては、事件のあとに何度も訊かれた。事情聴取で、そして親戚にも。

 私はその度に、眠っていてなにも見ていないと言った。お母様との約束を守るために、生きるために、嘘をつき通した。

 その約束は今でも私の中に存在しているけれど、以前のように私を縛ってはいない。それはルナのお陰で、自分で生きる意思を持てたからだと思う。

 だからといって無闇に話していい内容でもない。真実を口にすれば、真実が公になってしまえば、私に良くしてくれた叔母様を苦しめることになってしまうから。


「一つ、訊いてもいいですか」

「えぇ」

「それを聞いて、貴女はどうなさるおつもりですか」

「どうもしないわ」


 あっさりとアオユリはそう言った。


「ただ、わたくしの気持ちの置き場所が明確になるだけ」

「気持ちの置き場所」

「ヴェルズナの悲劇について、安易な憶測や嘘を広める人に遭遇したときにね。だってなにが真実か分からなければ貴女の味方もできないし、そういう人を批判したり軽蔑したりもできないでしょう? いえ、嘘か本当か以前に、軽率な発言をする人にはそもそも初めから、良い印象はいだいていないけれど」

「ですがこれは」

「分かってる。これはわたくしの心の中での話。聞いても口外するつもりはないわ。それに、それがなくともわたくしは純粋に、貴女のことが知りたい」


 その言葉をどこまで信じていいのか――私は揺らぐ気持ちでアオユリを見る。彼女は真っ直ぐ見返してくる。

 その目を私はこれまでにも見たことがあった。そう、ルナも時折、そういう目をすることがある。

 大事なことを伝えるときや、私と向き合うときに、目に同じ光を湛える。

 瞳の色は違えど、同じ強い意志が見える。

 先ほどルナは、アオユリに自分の気持ちを隠すことなく伝えていた。それはルナが、アオユリを信頼できる人間だと判断した結果だと思う。

 そんなルナを私は信頼、している。

 自分のことで心の余裕がなかったはずなのに、私のこともきっと煩わしく思っていただろうに、それでも私のことを心配して気遣ってくれた彼女のことを。

 勝手な行動をし、迷惑をかけた私のことを助けにきてくれた彼女のことを、信頼している自覚はある。

 そのルナがアオユリを信頼できる人間だと判断したのならば、私も彼女を信じてみてもいいかもしれない。


「分かりました。お話します」


 私は話した。あの夜に起こったこと、そのあと自分の心に起こったこと、どうして修道院に入ったのか、どのようにルナと出会い今に至るのか、それらのことも全て。

 そうして話し終えると、真剣に聞いてくれていたアオユリはうなずいた。


「ある程度は想像していたのだけれど、真実はそれ以上だったわ。この場で使うのは少し不適切かもしれないけれど、今、事実は小説よりも奇なりという言葉を初めて実感してる」


 紅茶を飲んで、アオユリが机にカップを置く。カップの中は空だった。おかわりを注ごうとティーポットに手を伸ばすも、彼女に手で制される。

 アオユリは自分で紅茶を注ぎながら言った。


「図書館で貴女とお話をしていたときもね、不思議には思っていたの。貴女、自分の感情に自信がないような様子を何度か見せていたから。でも、今の話を聞いて納得したわ。貴女が殿下を助けたいと思う気持ちも、殿下が貴女に向ける顔の意味もね」


 ルナが私に向ける顔の意味?

 意味が分からず小首を傾げると、アオユリが小さく笑った。


「殿下が貴女に気を許されてるって意味」


 続けて「まぁ、おそらくそれだけではないでしょうけど」と含み笑う。

 それにまた首を傾げたくなったけれど、彼女の次の言葉でその気持ちは飛んだ。


「それにしても、あのルイク卿がね」

「叔父に、会ったことがあるのですか」

「えぇ。何度か。わたくしの主観は――言わないほうがいいわね」


 急な息苦しさに襲われながら、私は辛うじてうなずいた。叔父様の何に関しても知りたくないと、私の心が訴えているのが分かる。

 アオユリは心配げに眉尻を下げると、一転、端正な眉を寄せた。


「正直なところ、わたくしは今すぐにでも断罪してやりたい気持ちだけど」

「それは、やめてください」

「分かってる。わたくしを信頼して話してくれたんだもの。貴女が望まないことはしないし、家に、いえこの命に誓って貴女の気持ちを裏切るつもりはないわ。でもそのことで、いえ、そのことでなくとも困ったり、力を貸してほしいと思ったときは遠慮なく言って頂戴。力になるから」

「ありがとうございます」


 アオユリは微笑みを深めると紅茶を飲んだ。



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