大陸暦1962年――03 熱
「口を閉じていいですよ」
マクレア先生に言われて私は開けていた口を閉じた。
「喉は腫れていませんから風邪ではないですね。おそらく疲れが出たのでしょう。暖かい部屋で安静にしていれば熱も下がりますよ」
「ありがとうございます。朝のお忙しい時間にお手間をかけてすみません」
「手間と言うほどのことではありませんよ」
ベッドそばに立っているマクレア先生は小さく笑うと、手でベッドを指した。
上体を起こしていた私はそれに従い、ベッドに横たわる。
「それにしても相変わらず、顔に出ませんねぇ」
その言葉にマクレア先生の横にいるルナが首を傾げた。
「いえね。ユイ、二年前にも高熱で倒れたことがあるんですよ。でもこのように顔色に変化がないものですから倒れるまで誰も体調が悪いことに気付きませんでしてね」
「確かにぱっと見ただけだとわからないわよね。でも周りはともかくなんでユイも倒れるまで気づかないのよ」
「大丈夫かと思いまして」
「その結果、倒れてるのよね!? ていうか昨夜からの寒気も熱が上がっていた証拠よ」
「殿下、そういうこと知ってるんですね」
「ユイに教えてもらったの。そうユイにね! なのにその本人がなんで分からないのかしら」
「今日も殿下が気付かなければ、そのまま生活していたことでしょうね」
その通りなので返す言葉もなく黙っていると、こちらを見ていたマクレア先生が苦笑を漏らした。
「ユイ。今日リエナが休みで助かりましたね」
「なんで?」ルナが訊く。
「以前に熱を出したとき、彼女に説教されていましたから」
「説教? リエナが?」
「えぇ。って殿下も一度、怒られたことがあるのでは?」
「え? あぁ、治療室からユイを散歩に連れ出したときのこと?」
「はい」
「あのときは治療後に安静にする意味について諭されただけだけれど」
顔は怒っていたけどね、とルナが苦笑する。
「殿下が知らなかったからそれだけで済んだのでしょう。もし今後同じことをしたらそれだけでは済みませんよ」
「そんなに怖いの?」
「怖いというか饒舌になりますね。私も怒られたことがありますがなかなかに迫力がありますよ」
「なにいい年した大人が若い子に叱られてるのよ……」呆れるようにルナが言った。「どうせ貴女のことだから反省のない顔で聞いてたんでしょう?」
「あら失礼な。私はただ彼女が饒舌になるのは珍しいので微笑ましく聞いていただけですよ。そうしたら反省が見られないとさらに怒られましたが」
あれは怖かったですねぇ、とマクレア先生が笑う。
「その光景が目に浮かぶわ」
「でも彼女が怒るのは相手のことを思ってのことです。ああ見えて見習い時代から面倒見のいい子なのですよ」
「まぁ、それはなんとなく分かる気がするけど」
「ともかくにも殿下が気づいてくださって助かりました。が、よく気づきましたね」
「え! えぇ、まぁ」
「なに慌ててるんですか」
「なんでもないわよ」
「なに怒ってるんですか」
マクレア先生は訝しげに眉を寄せていたけれど、やがてこちらを見て言った。
「それでは治療室の準備をしてきますので、少し待っててください」
返事をする前にルナがマクレア先生を手で制した。
「ここでいいわよ。私が看病するし」
「よろしいのですか」
「貴女だってリエナが休みで忙しいでしょう?」
「あらあら、明日は雪でしょうか」
「またそういうことを」
「冗談です。では、お願いしましょうかね。ユイの朝食は病人食を作っていただくようにお願いしてきますが、殿下はどうされます?」
「それなら私もここで食べるわ」
「伝えておきましょう」
マクレア先生は「お大事に」と言うと部屋を出て行った。それと入れ替わりにルナが私のベッドに腰掛ける。
「流石に一緒に寝ていて熱かったから気付いたとは言えないわよねえ」
「言ってはいけませんでしたか」
「え! 言ったの!?」
「はい。今日ではないですが、常日頃から睡眠について気にかけてくださるので、最近はルナが一緒に寝てくれるお陰でよく寝られていますと言いました」
「そうかぁー……マクレア知ってるのかぁー……」
項垂れるその様子からして、どうやら話してはいけなかったらしい。
「すみません」
「いや、うん。いいんだけど、別にやましいことしてるわけでもないし」
「やましいこと?」
「なんでもない。気にしない」
ルナは慌てて手を振るとベッドから立ち上がった。それからそばのサイドテーブルに置かれたタライからタオルを絞って額に乗せてくれる。まだ寒気はするけれど部屋が暑いほど暖められているので、乗せられたタオルは冷たくて心地が良かった。
「礼拝、始まったみたいね」
ルナが扉のほうを見ながら言った。耳をすませばかすかに歌が聞こえて来る。
「私は大丈夫ですから、ルナは日常生活を送られてください」
「ユイが大丈夫でも私は心配だから」
「でも」
「それに私も最近は真面目だったし、少しのんびりしたいの」
ルナがそう言って笑う。それが私に気を遣わせないための口実だと言うことは流石に分かった。
「さて、みんなが礼拝をしている間、私は優雅に新聞でも読ませてもらおうかしら」
ルナは扉に向かうと「すぐ戻るから」と言って新聞を取りに部屋を出て行った。
一人になり私は天井に視線を向ける。そこには天井からぶら下がった魔灯があり、ガラス越しに温かみのある光を放っている。
遠くから聞こえる星歌を聞きながら天井を眺め続けていると、ふと二年前に熱が出たときのことを思い出した。
あのときはマクレア先生とリエナ先生が交互に私の看病をしてくれていたのだけれど、お二人も忙しい身だ。ずっと見習い一人に付きっきりというわけにはいかない。寝られたとしても悪夢ですぐに目が覚めてしまう。その所為で私はその時間のほとんどを一人、治療室の天井を眺めて過ごしていた。
そのとき私はなにかしらを感じていたけれど、当時の私にはそれが自覚できなかった。
でも、あのときと同じ状況になったことで、それがなんだったのか今なら分かる。
あのときの私は――心細さを感じていた。
眠るのが怖くて、一人でいるのも嫌で、誰かにそばにいて欲しかった。
だからルナがマクレア先生に看病を申し出てくれたとき、私の心は安堵した。
寝ているときも起きているときも、一人じゃないというだけで安心感を覚える。
その影響か、もしくは部屋の暖かさによるものなのか、次第に意識が朦朧としてきた。
昨日は普通に寝たというのに、私はいつの間にか眠りに落ちていた。




