大陸暦1962年――02 お茶会
「この子、衛兵と付き合ってるんだよ」
「えー本当に?」
驚くルナを横に、私は紅茶を口にした。一月ぶりに飲んだ紅茶の温かさと香りが身体に染み渡る。家では毎日のように飲めていた紅茶もここでは贅沢品だ。
今日は月に一度のお茶会の日だ。
修道院では基本、見習いは三食の食事と水以外の飲食は許されていない。しかしお茶会のこの日だけは常日頃、口にすることが出来ない紅茶やお菓子を食べることができる。
そのお茶会をする場所も自由だ。ルナが以前にいた修道院では食事と同じく食堂でお茶をする決まりがあったようだけれど、ここでは自室だったり部屋を借りたりと好きな場所で過ごすことができる。
私はこれまでこの日になると、マクレア先生に誘われて院長室で過ごしていた。親しい友人がいない私に気を遣って、そうしてくれていたのだろう。それはルナが来てからも変わることはなかった。先月まではルナとマクレア先生と私の三人でお茶をしていた。
けれど今日は事前に同期の見習い、アレイとマールが私たちをお茶に誘ってくれた。ルナがこちらに移る以前にも何度かそれを断ったことがあるのに、また誘ってもらえたのはありがたいことだと思う。
その誘いを受けて案内されたのが修道院で唯一の客間であるこの部屋だった。
今、この客間には私たちとアレイとマール以外にも四人の見習いがいる。
同期二人に一つ上が二人だ。
四年もここにいるのだから顔見知りではあるけれど、誰一人まともに話をしたことがない。
このように多人数で集まるのは私も初めてのことで、最初は少しばかり緊張を覚えた。それはすでにルナと打ち解けているアレイとマール以外の見習いも同じようだった。ここにルナが来ることはみんな知っていたようで、それでも参加したということは彼女に興味があってのことなのだろうけれど、いざ本人を目の当たりにするとどう接していいのか困ったのだろう。
そんな彼女たちにルナはまず自己紹介をして、一人一人に話題を振った。
それに彼女たちも最初こそは緊張の面持ちで答えていたけれど、ルナと話しているうちにその表情は自然さを取り戻していった。そして今では対等の相手と接しているかのように和やかに会話をしている。
私が見る限りルナは特別なことなどしていない。アレイとマールのときのようにただ会話をしただけだ。それなのにルナはそれだけで彼女たちの緊張を解し、あっという間に打ち解けてしまった。
「どの衛兵?」ルナが向かいのソファに座る一つ上の見習い――エトに訊く。
「今日、正門を警備してる赤毛の」
「あぁ、彼ね。挨拶したことあるわ。優しそうな人よね」
ルナの言葉にエトが目元を緩める。
「でも衛兵と付き合うのって大丈夫なの? 先生に知られたら不味いんじゃない?」
「うん。だから普段のやり取りは手紙でしてる」
「告白も手紙でされたんだよね」
そう言ったのはエトの隣に座る、彼女の同期ロベリーだ。
眉尻を下げてエトが「うん」とうなずく。
「へぇ。まさに文通交際ね。いいじゃない」
ルナにそう言われてエトがはにかむ。
「ええと、そういうわけだから先生には内緒にしててね」
「もちろん」
ルナが微笑みうなずく。するとそれを見届けたエトはこちらにも視線を向けてきた。それに私がうなずいて見せると、彼女は安心するように微笑む。それから思い出したようにあっとした表情を浮かべると言った。
「そういえば彼から聞いたんだけど同僚の衛兵、ユイに気があるらしいよ」
気がある。
「関心を持たれるほど、衛兵のかたとお話したことはないのですが」
そう返すと、なぜかルナが笑った。
「ユイ、関心は関心でも興味ではなく好意のほうだから」
「好意」
「そう。その衛兵はきっと一目見て貴女のことが好きになったのよ」
「そういうことがあるのですか」
「あるのですかって」ルナの隣に座ってるマールが笑を洩らす。「人を好きになるってだいたいがそうじゃないかな」
「へぇ、お前は顔で決めるタイプなんだ」
マールが隣に座るアレイに向けて口を尖らせた。
「聞こえが悪い言い方しないでよう。第一印象はって意味。もちろん中身も大事だよ」
「あたしは性格は二の次かなー」向かいのソファに座る同期のステラが言った。「付き合うならやっぱ顔が一番っしょ。ね? カーラ」
「え……!」
ステラの隣に座っている同期のカーラは話を振られて驚くと。
「わ、私は、そういうの、わからないから」
言葉に詰まりながらそう答えた。
「えー? よく恋愛小説をにやついて読んでるのにー?」
「に、にやついてない……!」
顔を赤くして抗議するカーラに周りが笑う。
「でも顔が緩む気持ち、私わかるな」マールが言った。「女の子が主人公の恋愛小説に出てくる男の人って全てがカッコいいもん」
それにこくこくとカーラがうなずく。
「そりゃ女受けするように書かれているからな」
アレイの言葉にマールが苦笑する。
「身も蓋もない言い方だけど、そうだね」
「それにそういうのが受けるってことは世の女の子も結局は、なんでも持っている男のほうがいいってことだろ」
「夢のない言い方だけどその通りではあるよね。私も中身が大事と言った手前あれだけど、やっぱり顔もカッコいいほうがいいもん」
「そして逆もしかり!」
ステラは人差し指を突き出して元気にそう言うと一転、はぁと息を吐いた。
「女の子もやっぱり顔だよねー顔が良いと得するよねー」
「情緒不安定か」
項垂れたステラにアレイが苦笑する。
「あら、ステラだって可愛いじゃない」ルナが言った。
ステラが項垂れたまま上目遣いでルナを見る。
「ほんとー?」
「えぇ。愛嬌がある顔で私は好きだけど」
「ルナ。迂闊なこと言わないほうがいいよ。こいつ惚れっぽいから」
アレイに親指をさされたステラが顔を上げてうんうんとうなずく。
「そうそーすぐ好きになっちゃうよー」
「顔が一番じゃなかったの?」
「もちろん顔も大事ー」
「てことは私、顔は合格ってことかしら」
「超合格ー!」
「それは光栄ね」
二人のやり取りに周りが笑う。
「でもー付き合うならやっぱりー男がいいなー」
そう言いながらステラはクッキーを手に取ると、口に放り込んだ。
「衛兵で空いてる子、いないの?」エトに向けてルナが訊く。
「いるいない以前に、若い子が少ないから」
「基本的に既婚者ばかりだよね」ロベリーが言った。
「言われてみれば以前いたレスト修道院も若い衛兵はほとんどいなかったわね。いても女性だったし。やっぱりその辺、女だらけの場所だから考えられて配備されているのかしら」
「だろうな。若い男だらけだったら見習いたちが勉強よりもそちらに夢中になりそうだし」
特にこいつ、とアレイがステラを指さす。
ステラはそれに気づかず、クッキーの次にスコーンを頬張っている。
「まぁ、若い男の人がいなくても恋に夢中な子はいるけど」
マールの言葉に、ルナが苦笑した。
「あぁ。どこも同じなのね」
「同じ?」
「以前の修道院にもそれらしい子がいたから」
「それらしい子」
思わず口に出してしまうと、ルナが「同性で付き合ってる子」と教えてくれた。
同性で交際をするなんてことがあるのだなと少し驚く。いやでもここにいるのは多感な時期である思春期の人間ばかりだ。そんな人間が対等な異性のいない環境下に置かれたらそういうことも起こるのだろう。
……そういえば子供のころにもそういう話を聞いたことがある気がする。あれはいつのことで、どんな内容だっただろう――……。
「でもルナが前いたところって良い家の子ばかりだったんでしょ? そういうとこの子って決められた人と結婚するのが当り前なんじゃないの?」
マールの疑問にルナがうなずく。
「そう聞くわね」
「別に結婚するっても卒院後のことだろ? それまでは誰と付き合おうと勝手じゃん」
「もしかしてアレイって結構、遊び人?」
身を守るようにマールが自分の腕を抱く。少し芝居がかった動作だ。
「違う。客観的な話だよ。あと私は同性に興味はない」
「知ってる」
「知ってるのかよ」
「だってそうだったら四年も同室の私に手を出さないはずがないもん」
「すごい自信だな」
目を丸くするアレイにマールが微笑む。
「じゃあじゃあーもしー? 修道院で付き合った子が本気で好きでもー卒院したら絶対に別れないといけないってことー?」
ステラの疑問に紅茶を飲んでいたルナがカップを下げて答えた。
「私も神家や貴族事情に詳しいわけではないから確かとは言えないけれど、そうなるんじゃない?」
「んーそれはちょっとかわいそだねー」
「で、でも」ステラの言葉にカーラがたどたどしく反応した。「それ以外は、恵まれてるし」
「だな。私もお金か愛、どちらかだったらお金を選ぶかな」
アレイの言葉にマールもうなずく。
「私もどちらかと言えばお金かな。結局、愛だけじゃ生きられないわけだし」
ロベリーもそれにうなずいていて、エトは困り顔を浮かべている。
「あたしは両方欲しいー!」ステラが手を上げて言った。
「欲張りか」
「それが可能なら誰だってそれを選ぶよ」
アレイとマールの指摘にみんなが笑った。
それから紅茶にお菓子と一息入れたあと、アレイが口を開いた。
「そういやルナはさ、前のところに好きな子とかいなかったの?」
「私? 私はほら、みんなご存じのとおり、つい最近まで反抗期だったから」
ルナがおどけるように肩をすくめる。それにみんなが揃って笑う。
「それに目を向ける余裕も無かったわね」
「許嫁、とかもいないの?」カーラが訊いた。
「どうかしらね。私はそういうことを知る前に修道院に放り込まれたから。でもいないと思うわよ。無能者を欲しがる酔狂な貴族なんていないだろうし。あぁ、卑屈な意味ではなく現実的な意味でね」
「なんで無能者だといけないのー?」
「なんでってそりゃ、跡取り問題とかあるじゃん」
ステラの疑問にアレイが答えるも、彼女は首を傾けた。それにアレイは口を閉じて困ったように苦笑する。それは彼女だけではない。ステラ以外の全員がそうだ。おそらく無能者の体質のことを当人の前で口にするのに気が引けているのだろう。
そんな彼女たちの気持ちを察してか、ルナ自身が笑顔でそれを口にした。
「無能者は子供が出来ないの」
「えーそうなんだー」
ステラは驚くと、少し考えた素振りを見せてから「でも逆によかったかもー」と言った。
「よかった?」
「うんだってーそれって好きでもない人と結婚せずに済むってことでしょー? てことは好きな人と結婚できるってことじゃんー」
ステラの言葉にルナは目を瞬かせると、笑みを零した。
「そうね。そういうことになるわね」
「だから元気出してこー」
「えぇ、ありがとう」
可笑しそうに笑うルナを見て安心したように、みんなの表情も緩む。
「あぁでも王族だからといって、みんながみんな政略結婚なわけではないわよ。私の兄は幼馴染との恋愛結婚だったし」
「へぇ、そうなんだ」アレイが言った。
「結構、有名な話、だと思う」とカーラ。
「あ」とステラが声を上げる。「あたし奥さん新聞で見たことあるよ! なんか可愛かったー」
「なんかって」
「将来の星王妃殿下だよ。もう少し言いかたあるでしょう?」
呆れるアレイとマールに、周りも笑う。
「でも実際、シャルロッテお義姉様は外見だけでなく内面も可愛らしい人よ。私にもよくしてくれたし」
「そういえば王太子殿下って結婚が早かったよね」ロベリーが言った。
「えぇ。十五の時ね。そのとき私はまだ三歳だったからあまり覚えていないのだけれど、あとから聞いた話によれば両親もお兄様に急ぐ必要はないのではないかって言ってたみたい。でも、お兄様は彼女以外と一緒になるつもりはないからと早かれ遅かれだと言ったらしくて――」
ぐいっと前のめりになったみんなにルナが顔を引く。
「食いつくじゃない」
「だってそういう話、普通じゃ聞けないし」
ルナに一番、顔が近いマールがそう言い、ステラが手を上げる。
「王子様の恋バナ、聞きたーい!」
それにその場の全員がうなずく。
「好きねぇみんな」
ルナは苦笑しながらも、続きを話し始めるのだった。




