大陸暦1962年――07 空の色
「やめなさい!」
「だれだ……!」
怒りの形相で、ユイを蹴り上げていた金髪の男がばっとこちらを向く。
「どう……して」
金髪の男はユイを怪訝そうに見やると、はっとしてまたこちらを向いた。
「まさか」
「そう。貴方たちがお探しの人間よ」
「イルセルナ王女、殿下」
「どうやって、ここに」
私がここに来るとは思いもしなかったのだろう。金髪の男も、ほかの男たちも狼狽えている。
私はユイを連れていったらしき男三人を見た。
「その人たち、彼女を連れ去るところをばっちり目撃されてたの」
金髪の男が三人を睨む。彼らは気まずそうに身を縮める。
「私と話をしたければ彼女から離れて」
男たちは見合うと、少しずつユイから距離を取った。
「代表は貴方?」
私は金髪の男を見る。
「そうです」
先ほど怒り狂っていたのが嘘のように彼は冷静に答えた。
表情を見る限りでは、少しは私に対して敬意を持っているらしい。そしてその立ち姿からはほんの少しばかり気品も見て取れた。
「貴方、貴族?」
そう言うと、驚くように金髪の男が目を開いた。
「元です。捨てられましたから」
「どうして?」
「殿下と同じ無能者だからです」
同じを強調して彼は言った。同類意識を私に持たせるためだろう。
私は周囲を軽く見回す。壁の隙間からでは確認できなかったけれど、部屋の両隅にも人がいる。ユイを抜いても七人だ。マクレアの予想よりも多い。
「無能者は貴方だけ?」
「いいえ。全員です」
「本当? 気配がちゃんと視える人がいるけど」
マクレアは『視えにくい』のがいると言ったのだ。全員がそうだとは言っていない。
「あぁ、殿下はご存じないのですね」
金髪の男は懐から小さな瓶を取り出すと、私に見せてきた。
「それはこれのお陰です」
「なにそれ」
「粒子が詰められた瓶です。無能者は偽装のためにだいたいこれを持っています。まぁ一般人は気配の読みかたなんて知らないので無能者だとバレることはないですが、自分らみたいなのを狙っているヤツらにはわかってしまいますから」
そんなのがあるんだ。知らないことはまだ多い。
「それで殿下。お話しさせていただいても?」
金髪の男は瓶を懐にしまいながら言った。
「無能者に庇護の法を、簡潔に言えばそういうことでしょう?」
「それも、聞いてらしたのですか」
「最初からね」
金髪の男の微笑みがわずかにひくつく。ユイとの会話を、そして彼女を暴行するところを見られていたことに気まずく感じたのだろう。
それでも彼は冷静を装い、話を続けた。
「無能者がどれだけ差別され疎まれてきたか、それに対しての私たちの憤り、無能者として生んだ親を恨む気持ちも全て、殿下にはおわかりになるでしょう?」
「わからないとは言えない。私はなにも生まず、なにも残せない自分の体質を、自分を特異なものとして見る人たちも、そしてそれを受容している世界も嫌いだから」
「なら」
「だけど」
笑顔になりかけた金髪の男に、私は言葉で強く制した。
「私は無能者として生まれたことを両親の所為にしたことはないし、誰かに守ってほしいと思ったことも一度もない。全ての無能者が守られるべき弱いものだとも、与えられて当然だとも思わない」
「な、なんでだよ。俺たち魔法が効かないんだぞ。普通のヤツらは死なないような怪我でも下手したら死ぬんだぞ」
別の男が言った。
「誰だって死ぬときは死ぬわ。持っている彼女だって私が止めなければ死んでいた。そうでしょう?」
「それは……」
「彼女を見てみなさい。これが守られるべき弱い人間がすること? 与えられて当然な人間がすること?」
「自分を守るためにはそうするしかないときはあるだろ」
金髪の男が言った。もう敬語はやめたらしい。
「えぇ。そうね。でもそれができるのなら少なくとも貴方は弱い人間じゃない。本当に守られるべき弱者っていうのはね、自分を守るために人を傷つけようとする意思すらも持てないのだから。そういう人を貴方も目の当たりにしたことがあるんじゃないの?」
金髪の男がぐっと口を結び、周りの男たちが気まずそうな顔を浮かべる。その反応だけで確信する。こいつらが普段からも無抵抗な人間に暴行を働いていることを。
それだけでなく自分よりも弱い者を痛めつけて、その人たちに施されたものを奪ったりもしているのではないだろうか。先ほどの『貧しい人たちには支援しても、俺ら空っぽにはなにも与えてはくれない』という言い方からしてそんな気がする。
「貴方たちには行動を起こせるだけの強さはあった。自分たちの境遇を変えたいという強い気持ちはあった。それなのにそれを全く罪のない子を傷つけるために使った。人違いならそのまま返せばよかったものの、自分の気持ちの鬱憤晴らしに彼女を傷つけ、挙句に殺そうとまでした」
私は一歩前に出る。
「なにが神に見放された人間よ。施しを与えられるのは当然よ。貴方たちのしていることは、自らの体質や境遇を盾にして弱者や持っている人間を傷つける理由にしているだけ。ただの臆病者の卑劣漢よ」
金髪の男の眉間が痙攣する。
「それに、どんなに貴方たちに立派な大義があろうとも、私は友人を傷つけた人間の尊厳を守る主張ができるほど、出来た人間ではない……!」
「――こぅの空っぽがぁ……!」
顔を真っ赤にした金髪の男が腰の剣を抜いて斬りかかってきた。
「それは貴方もでしょう?」
私は不敵に笑って見せて、男が振り上げた剣を見る。
それから目を離さず、振り下ろされた剣を横に避けた。
――そうだ。前に殴られそうになったときは目を瞑ってしまったからいけなかったのだ。その軌道をちゃんと目で捕らえていれば、大きな動作ならば避けられないことはない。
でもそれは最初だけだ。剣に素人の私が、次にどう攻めてくるかわかりようがないものをいつまでも避け続けるのは難しい。だから素早く男の横に移動して、膝の後ろをなぎ払うように強く蹴ってやった。
「な――」
男が体勢を崩して後ろに倒れ込む。
それを見て、それまで動揺していた仲間たちの一人が剣を抜いて走ってきた。
私はその場から動かず上を見る。すると上空に大きな影が見えた。それは私の前で着地して、男を素手で殴り飛ばす。
マスターだ。彼は私を守るように男たちの前に立ちはだかる。
それを合図にしたかのように、左右の扉からシンとソルトとリリルが部屋に飛び込んで来た。残り五人の男たちも剣を抜いて応戦する。
そのうちの二人がこちらにやってくるも、一人はマスターがあっという間に殴り飛ばし、そして一人は後ろから飛んで来た光の槍に貫かれて吹っ飛ばされた。
振り返るとマクレアがこちらに手を伸ばしている。魔法を使ったのだ。
それからシンとソルトとリリルが一人ずつ男を倒し、場は制圧された。
私はそばに立つマスターを見上げる。
「ありがとう。体格に似合わず身軽なのね」
「上にいることに気づいていたのか」
「えぇ。気配ってやつ? 私も視えたかも」
そう。金髪の男と話しているうちに、なんとなくそれが見えた気がしたのだ。
とはいえそれが気配だとして、いるのはソルトだと思っていたけれど。まさかマスターもここに来ているとは思わなかったから。
「それより」
みんなが連中を縄で縛り上げている中、私はユイに駆け寄った。
「マクレア」
「えぇ」
同じくそばに駆けよって屈んだマクレアがユイに手をかざす。彼女の口から出るのは聞き慣れない言葉の羅列だ。なにを言っているかはわからないけれど、ユイが歌う星歌と同じ古代言語――紋語だということはわかる。魔法の発現に必要な紋語を唱えているのだろう。
その間、マスターがダガーで後ろ手に縛られたユイの縄を切ると、彼女をゆっくりと仰向けに寝かせた。痛みからか、ユイの顔がわずかに歪む。
彼女の白い肌は見る影もなく赤く腫れていた。
それが痛々しくて、そして彼女をそんな目に合わせてしまった自分が情けなくて、泣きそうになる。でもここで泣いては彼女が責任を感じるかもしれないと我慢した。
「どうして私だって嘘をついたの?」
喋らせたら辛いかなと思いつつも、それを訊かずにはいられなかった。
力ないユイの瞳がゆっくりとこちらを向く。
彼女が嘘をついたのは私のためだ。それはわかっている。
でもユイがなにを思ってその行動に至ったのかが、わからない。
だけどそれを訊きながらも、彼女の返事は予想がついていた。
わからない――きっと彼女はそう言う。
自分の行動の意味がわからない、と。
でもユイの口から出たのは予想外の言葉だった。
「いや、だった……から」
「え」
「奪われるのが……いやだったから」
「私を……?」
ユイは肯定するようにゆっくり瞬きをすると、私から視線を外して上を見た。
「殿下に言われて、ずっと……考えていました。貴女と……過ごす日々で生まれる『わからない』は……なんだろうと。なぜ……貴女を見てしまうのだろうと……。そして思い出したんです……子供のころによく……空を見上げていたことを……」
「空」
「……でも……あのときから……全てを、失ってからは……空を見上げることはなくなった……。見上げても……私にはもうそれが……青くは、見えなかったから……」
私にはユイが言いたいことがよくわかった。
私もお母様が亡くなってから一時、それまで心動かされていたものになにも感じなくなっていたから。
誰かが弾くピアノの音色が聞こえてきても、あれだけ好きだったピアノの音でさえも、悲しく感じていたから。
それと似たようなことが彼女の中でも起こっていたのだろう。
彼女は家族を失ったことで、世界が鮮やかに見えなくなったのだ。
世界というものは、その人の心に影響されて変わるものだから。
「だけど、貴女の目を見ているうちに……思い出したんです……空の、色を……。そして先ほどやっと……思い出しました……青い空が、好きだったことも……」
ユイの瞳が再び私を見る。
「私はそれを、そばで見ていたかった……守りたかった……。もう二度と……この気持ちを……空の色を……失いたくは、なかったから……」
「だから身代わりになったの?」
ユイが小さくうなずく。
「……この人たちが何者かわかれば……守れると、思ったから……」
情報を仕入れるために、私だと偽ってここまで来たのか。なかなかに無謀なことを考える。
「それなら最後までちゃんと成りきりなさいよ」
あいつらは私の顔を知らなかったのだ。
とりあえず私の振りをしたまま話に同調して、それからどうにかして帰ればこんな目に合わずに済んだだろうに。
そもそもユイだって最初はそのつもりだったはずだ。なのになんで。
「……立ったので」
「え」
「殿下を……空っぽだというから……腹が」
私は思わず笑ってしまう。
彼女が私のために怒ってくれたのが嬉しくて。
そして彼女が感情を自覚できたのも嬉しくて――泣きそうになる。
「……馬鹿ね」
それでも涙を堪えながらそう言うと、ユイはそれを認めるように小さく笑った。




