大陸暦1962年――07 理由と価値
「私と間違えられたってことよね」
歓楽街の賑わいの中、私は言った。
「だろうな。そいつらお前の顔まで知らなかったんだ」
「だから外套で判断した」
私の言葉に二人がうなずく。
私の外套はそこらのお店に売っているものではない。王室御用達のお店のものだ。今着ているものは去年、お兄様が誕生日プレゼントにと送ってきてくれた。
それを手紙も読んでいない私が着るのもなんだかなと思ったんだけれど、前の外套が小さくなっていたのもあり仕方がなく――と言うのは流石にお兄様に悪いけれど――着ている。
これを渡してくれたビクトリアによると、このお店のものは誰でも購入することはできるらしい。だけどおそらく高価ではあるのだろう。この辺りでこのお店の衣服を着ている人はこれまで見たことがない。だからブランド名を目印にされた可能性はある。
「そうなるとあの外套を着ているのが貴女ってことをその人たちはどこかで知ったってことになるけれど、外で名前を名乗ったことがある?」
リリルの言葉に考えるも、思いつくのは一つしかない。
「あなたたちに初めて会ったときぐらいしか」
初めて修道院を抜け出したあのとき、気持ちが投げやりになっていた私はみんなに本名を名乗った。
もちろんそれはみんなのことを疑ってそう言ったわけではない。そのことは二人もちゃんとわかってくれている。その証拠に、二人はそのときを思い出すように首を傾げた。
「うーん、あのとき俺たち以外に回りに人はいなかったと思うんだがなぁ」
シンの言葉にリリルがうなずく。
「それにもう二年以上前のことだし、行動するには遅すぎるよね」
「だよなぁ。ルナだっていつまでもここにいる保障はないんだし、動くならもっと早く動くよな」
「――あ、でも」
そこで私はふいに思い出した。
「あるのか」
「名乗ったんじゃなくて、この前、男たちに絡まれたとき、ユイが私のことを殿下って」
歓楽街の賑わいに紛れるように、私は殿下の部分だけを声を抑えて言った。
ユイも外では私をそう呼ばないよう気をつけてはいた。だけどあのときは私が殴られそうになって思わず口にしてしまったのだろう。
「そいつらってまだ捕まってないんだよな」シンが言った。
「えぇ」
「でも、顔は見られてたんじゃないの?」とリリル。
「そうね。でもフードを深く被っていたし路地も暗かったからよく見えなかったのかも。それにどちらかというと私よりもユイのほうがちゃんと顔は見られてたと思う」
携帯魔灯を照らされてまで見られてたから。
「そいつらが金のために適当に容姿を言った可能性もあるな。情報量が多いと報酬が多くなる場合もあるし」
「そうなんだ」
そこで一旦、会話は止めて、私たちは歓楽街からマスターのお店へ続く道へ入った。
それからお酒で濡れた地帯を抜けて、駆け出す。そしてマスターのお店へと駆け込むように入った。
「来たか」
勢いよく入ってきた私たちに驚く様子も見せず、カウンターの椅子に座っていたマスターが立ち上がりながら言った。
「もしかして」
シンの言葉にマスターがうなずく。
「連絡は入った。今その辺を探させている。遅かったということはなにか、めぼしい情報でもあったのか」
「はい」
二人がマスターに先ほど男性から聞いたことを話した。
「わかった。お前たちは連絡があるまでここで待て」
マスターはそれだけ言うと、お店を出ていった。
私たちはテーブル席を囲んで座る。
「守備隊とかに連絡したほうがいいんじゃないの?」私は言った。
「誘拐だとそう簡単に動いてくれねえぜ」
「そうなの?」
「あぁ、現場を押さえるか、目撃者でもいない限りはな」
「さっきの人が目撃者じゃない」
「ああいう後ろめたいことがあるヤツは、証言なんてしやしないさ」
「犯罪者なの?」
「ケチな情報屋さ。犯罪者ってほどじゃねえけど、最低な人間ではある」
その理由は先ほど聞いていたので納得する。
「でも、なんで私なんかを」
「なんでってそりゃ、王女を利用するためとかじゃねえの? ほら、新聞にもたまに載ってんじゃん。反星王家とか反星府組織とか」
「それ、いつかビクトリアにも言われたけど、私を捕らえたところで交渉材料になんてなりやしないわ。私には王族としての価値なんて一つもないのだから」
今は卑屈な気持ちでそう言っているのではない。事実としてそう言っている。
それに同意するようにリリルがうなずいた。
「ルナには悪いけれど世間では貴女が修道院に入ったことを、星王が無能者の娘を見棄てたのだと言われている。そんな星王にとって価値があるかどうか不確定なルナを浚うのには流石に危険が高すぎるんじゃないかしら」
「星王家への不敬罪は死刑だしね」私は言った。
「そうね。反組織がそこまで危ない橋を渡るとも思えない。王族を誘拐なんてしてしまったら、組織ごと取り潰される理由が出来てしまうから」
シンが腕組みをしながら唸る。
「俺は頭悪いからその辺よくわかんねぇけどよ、それでもルナに価値があるって思ってるヤツらがいるんじゃねえのか?」
「価値……」
少し考えて私は思いついた。
「もしかして、無能者は裏でなにか価値があるんじゃないの?」
私の言葉に二人は、はっとして、次いで気まずそうな顔をした。
「あるのね」
二人は目を見合わせていたけれど、やがてリリルが観念したように口を開いた。
「無能者が裏で高く取引されているというのは耳にしたことがあるわ」
人身売買――法律で禁止されている行為だ。
「なんのために?」
「事実かどうかはわからないけれど、人間より知能や身体能力が高いとされる無能者を研究するためだとか、無能者の血や臓器には病を治す力があるとか、あとは……性奴隷。無能者は妊娠しないとされているから」
「クソ野郎が考えることだ」
吐き捨てるように言うシンに、リリルが苦笑して続ける。
「無能者はそのことを隠して生きている人も多い。だからこそ高値で取引がされている。でもそんな中でも誰もが知っている無能者がいる」
「私ね」
リリルがうなずく。
「後は無能者を崇める邪教みたいなのがあるって噂も聞いたことがあるけれど」
無能者なんかを崇めてなんの意味があるのかと不思議に思ったけれど、その疑問を飲み込んだ。今はそこに追及している場合ではない。
「それで密やかに同士を探してるとも」
「そうなんだ」
私にも変な価値があることだけはわかった。でも、どんな理由があるにせよユイが私の代わりに浚われてしまった事実は変わらない。
……そうだ。全ては私の所為だ。
私が急いたりせず、自分でボタンを付けて二人で出かけていればこんなことには――。
その後悔が顔に浮かんでいたのか、シンが「大丈夫だ」と言ってきた。
「マスターは顔が広いんだ。きっと見つかる」
見るとシンとリリルが私を励ますように笑っている。
私は後悔の気持ちを抑えて、なんとか二人に微笑み返した。
そのあとは会話も途切れ、沈黙の中で待っていると、少しして入口の扉が開く音がした。
マスターが帰ってきたと思い、勢いよく立ち上がり振り返る。
するとそこにはマスターではなく、ソルトとマクレアの姿があった。
「マクレア……」
マクレアがこちらに歩み寄ってくる。
「……ごめん、また私の所為でユイが」
きっとマクレアは怒っている――そう思った私は彼女の怒りを受けるべく俯いた。
「顔を上げてください」
だけど私の前で立ち止まった彼女にそう言われて、おずおずと顔を上げる。
見上げたマクレアの顔は真顔だった。でもそこには以前、叱られたときのような怒りなどは浮かんでいない。
「殿下、あの子は修道院に入ってからというもの、貴女が来るまで規則を破ることはもちろん、私の言うことに反することは一度もありませんでした。貴女を迎えに行くにしても決まった道以外は通らないように強く言っていたのです。
でも彼女はその言い付けを破った。貴女のもとに行くために。自分の意思で違う道を通ることを選んだのです。それは今まで人形のように生きていたあの子には考えられない行動です。私はこれを悪いことだとは思いません。今回のことも貴女の所為ではありません」
「マクレア……でも、ユイになにかあったら」
「そうならないよう、なんとかします」
「え」
なんとかする……?
その返しに驚いていると、どこから入ってきたのか小鳥が飛んできた。
白く丸い胴体に羽が赤色の、尾が長い小鳥だ。その小鳥は一直線にマクレアが伸ばした指に止まる。見るとその背には小さな筒が背負われており、そこからマクレアは紙を取り出した。
小鳥がマクレアの肩に移り、彼女はその小さな紙を開く。
「確認できました」
「どこですか?」リリルが訊いた。
「北区画、壁近、灰地区二十七番地」
それを聞いてシンが小さく舌打ちをした。
「こりゃ、あいつに金払ってやらねえといけねぇな」
あいつとは先ほど話した情報屋の男性のことだろう。どうやら情報だけでなく、浚ったやつらが灰地区にいるという予想も間違ってはいなかったらしい。
「さあ、行きましょう」マクレアは紙をポケットに収めるとこちらを見た。「貴女も来るでしょう?」
それにリリルが驚く。
「マクレアさん。流石にそれは危険じゃ――」
「当り前でしょう」
リリルの言葉を制して私は言った。
私の代わりにユイが浚われたというのに、ここで大人しく留守番なんてできるわけがない。
マクレアは見上げる私を少し見据えたあと、背を向けて歩き出した。
私たちも彼女のあとに続いてお店を出た。




