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少女と空の王女  作者: 連星れん
前編

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36/122

大陸暦1962年――07 友人とのひととき


「よしと」


 部屋の外が静かになったのを見計らって、私は寝っ転がっていたベッドから起き上がった。


「行かれますか?」


 机に向かって本を読んでいたユイが本を閉じる。


「えぇ」


 私は答えながらワードローブへと向かう。その声は自分でもわかるぐらいに弾んでいる。お店に行くのが本当に久しぶりだからだ。午後に行くと決めてから夕食のときも、夜の礼拝のときも、そして見習いたちがお風呂に行くのを待っていたこの時間も、楽しみでずっと気持ちがそわそわしていた。

 外套を取り出して身に付けていると、椅子から立ち上がったユイが少し上体を傾けて胸元を見てきた。


「殿下。ボタンが取れかかっています」

「え」


 見れば確かに上のボタンがだらりとぶら下がっている。


「本当だ」


 いつの間にと考えて、すぐに思い至る。

 暴漢に外套をめくられたときだ。あのときあいつが乱暴に引っ張ったから糸が伸びたのだ。

 あの日は反省で頭がいっぱいいっぱいだったのと、今日まで外套を着る機会なんてなかったから気づかなかった。


「上が留まらないと不恰好だし寒いわね」


 それなら修道院指定の外套でも借りて……いやでもあれ、星十字(せいじゅうじ)が刻まれているから星教(せいきょう)の人間だって丸わかりなのよね。そんなの着た人間が歓楽街を歩いていれば人の目を引きそうだし…………仕方がない。ボタンを付け直して行くか。

 なんだか出鼻を挫かれた感じがしながら引き出しから裁縫道具を取り出そうとしたとき、ユイが自分の外套を差し出してきた。


「私のでよければ着て下さい」

「え、でもそれだと貴女が着るものがないじゃない」

「私はボタン付け直して行きますので先に行かれてください。行くときにお借りしてもいいですか?」

「仕方ないわね。風邪を引かれても困るし」


 もちろんこの憎まれ口は冗談だ。ユイもそれがわかって目元を和らげる。

 私はユイと外套を交換してそれを着た。ユイと私は背恰好も体型もそう変わらないので、サイズは問題ない。


「ユイ」


 私は身なりを整えてからユイを呼んだ。

 机の引き出しから裁縫道具を取り出していたユイがこちらを見る。

 彼女が早く行きたがっている私のためにそう言ってくれたのはわかっていた。

 それに対して私は嬉しく感じているので、それならば感謝は伝えなければいけないだろう。


「ありがとう」


 ユイはかすかに目を見開くと、私の言葉に目を細めて答えた。





 裏門の衛兵に挨拶をして私は一人、修道院を出る。

 最初こそは久しぶりの外を堪能するように歩いていたけれど、その軽やかな足取りは自然と早くなり、最後には駆けだしていた。

 冷たい風を顔に浴びながら、思う。なんだか走るのは久しぶりだなと。

 レスト修道院にいたときはお店まで距離があったこともあり、走ることも多かった。

 でもこちらに移ってからはお店までの距離が近くなったのと、途中からユイも同行するようになったのもあり、いつも彼女の歩調に合わせて歩いていた。そのため到着するまでの時間は一人のときよりかかっていたのだけれど、今日はユイがいないので気兼ねする必要はない。それは彼女が邪魔だったという意味ではない。ただ気持ちの問題だ。

 そうして走れるところは走り、人が多いところは早足で抜け、お店の前へと辿り着いた。

 私は一度、深呼吸をしてから扉を開ける。


「ようルナ」


 するとすでにこちらを向いていたシンが手をあげてそう言った。

 その左隣では折りたたんだ新聞を手にこちらを見ているソルトがいて、右隣にはリリルがいる。

 久々に見たその顔に、私は思わず頬が上がった。


「こんばんわ」


 私はカウンターに近づきながら外套を脱ぐ。ほかの季節ならいいけれど、冬期は部屋が暖められているので着たままだと少し暑い。

 外套をお店の壁掛けに下げるとリリルが空けてくれた席に座った。


「あれ? 今日、ユイちゃんは?」リリルが言った。

「後から来るわ」

「なにかあったの?」

「私の外套のボタンが取れちゃって、それを付けるからって」

「あぁ、だから今日、ユイちゃんのを着てるのね」

「そうなの」


 私の前に人参ジュースが入ったコップと、ピーナッツが入った小皿が置かれる。

 私はマスターにお礼を言い、人参ジュースを一口飲んだ。今日は結構、走ったからか、人参ジュースがいつも以上に美味しく感じる。それを少しずつ飲みながらしばし乾いていた喉を潤わせていると、シンが横からにやにやと見ていることに気がついた。


「なにその顔」

「いやぁ? しばらく見ないうちにユイと仲良くやってるんだなって思ってよ」

「まだなにも話、してないじゃない」

「聞かなくてもわかるさ」

「なんでよ」

「だって以前のお前なら絶対にユイの外套なんて借りなかったし、ボタンだって自分でやるっつって付けさせなかっただろ」


 図星を突かれて、思わず口を結んでしまう。

 それにシンがしたり顔で笑い、リリルも微笑ましそうにこちらを見ている。ソルトも真顔なのにこちらを見る視線がどことなく柔らかい。みんなには最初、ユイを邪険にしているところを見られているので決まりが悪い。

 これ以上、(つつ)かれてはたまらないと、ほかの話題を振ろうと考えていたらソルトのそばにある新聞が目に入った。


「その新聞、今日の?」

「あぁ」

「見せて」


 手を伸ばしてくれたソルトから新聞を受け取る。


「最近は修道院で読んでるんじゃなかったのか」

「明るいうちは人が読んでるから、基本的に治療学の授業中か夜に読むのよ。今日はまだ読んでないの」


 とはいえここでわざわざ読む必要はないのだけれど、今日は一つだけ確認したいことがあった。


「通り魔のこと載ってた?」私はソルトに訊く。

「あぁ。二(ぺーじ)目の右下だ」


 その記事を見つけて見やすく折りたたむ。


「こいつの所為で随分と修道院に閉じ込められちゃったわ」


 そう言いながら私は記事を見た。そこには犯人が壁区(へきく)で遺体で見つかったと書かれている。自宅にあった日記に犯行のことが書かれていたので、それで犯人と特定したらしい。


「犯人、死んだんだ」


 マクレアは捕まったと言っていたけれど……まぁ、死体でもそう表現するのかもしれない。


「自業自得ってやつだろう」シンがそう言ってお酒を飲んだ。「そいつには前科もあったしな」

「そうなんだ」


 新聞にはその辺りのことは書かれていない。


「あぁ。前にも似たようなことしてたんだよ」

「へぇ、それなら恨みでも買っていたのかしらね」


 私は折りたたんだ新聞をカウンターに置く。


「ってそういやルナ」シンが思い出したように言った。「マクレアさんから聞いたぞ? 外出禁止のときに外に出て男に絡まれたらしいじゃないか」

「もう、お喋りね」

「無事だからよかったけどよ、気をつけなきゃ駄目だぜ」

「わかってる。それに関しては心から反省してる」

「本当に気をつけてよ」リリルが心配そうな顔を浮かべて言った。「貴女もユイちゃんも可愛い顔してるんだから」

「ついでに私も入れなくていいんだけど?」

「ついでじゃないよ」リリルが笑う。「もちろんユイちゃんは本当に綺麗な顔をしているとは思うけれど」


 それは私も最初から思っている。

 そして時々ふと思うのだ。その顔をどこかで見た気がする、と。

 その度にどこで見たのだろうと考えはするのだけれど、今のところ思い出せてはいない。

 それでも何度目かの記憶を探っていると。


「でもユイちゃんと系統が違うだけで、ルナも将来美人さんになるよ」


 リリルがそんなことを言ってきた。


「それはどうも」


 私は気恥ずかしさを誤魔化すために気のない返事をしてジュースを飲む。それから横でにやにやしているシンの脇腹を肘で小突いておいた。

 そのあとは久しぶりに会ったこともあり、お互いに最近あったことを話した。

 とはいっても私が話せることといえば修道院生活のことしかないわけで。

 そしてそうなると、どうしてもユイの話が多くなるわけで。

 その度に両脇から微笑ましそうな視線が飛んで来て参った。

 そうして話が尽きないままに話していると。


「ユイちゃん。来ないわね」


 壁の時計を見たリリルがそう言った。

 私も時計を見る。話に夢中で気がつかなかったけれど、ここに来てからもう二時間近くが経っている。


「本当ね。ボタン一個つけるのに何時間かかってるのかしら」


 そう口にしてふと思い出す。


「そういえば以前にマクレアが言ってたわ。ユイは不器用だって。まさか上手く付けられなくて何度もやりなおしてるんじゃ……」


 あの子、真面目だしありえなくもない。


「今日マクレアさん、泊まりの当番なのか?」シンが言った。

「えぇ」

「それならマクレアさんが止めたのかもな。遅くなると一人じゃ危ないし」


 そうかもしれない。出かけるときも帰ったときもユイは必ず、院長室に報告しに行っているから。


「ほら。ルナもそろそろ帰んないと。送るぜ」


 シンがカウンターの高い椅子から降りた。それにリリルやソルトもそれぞれ続く。


「ありがとう」


 私はコップに残ったジュースを飲み干すと、マスターに「ごちそうさま」と伝えて椅子から降りた。



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