大陸暦1962年――01 無能の王女1
最悪の目覚めだ。
瞼を開けてすぐ、薄闇を見ながらそう思った。
ベッドで上体を起こし、涙で濡れた目元を拭う。
久しぶりに昔の夢を見た。母が死んだときの夢を。
そして現実を思い知らされたときの夢を。
シーツをめくってベッドに腰かける。すると小さく体が震えた。もうすぐ雨期が終わるとはいえ、まだ朝は肌寒い。
鳥肌が立つのを感じながら上体を動かし体をほぐす。ここのベッドは家とは違って硬いので、寝起きは必ず体が凝り固まっている気がする。そのうち慣れるものだと思っていたけれど、未だにその傾向はない。どうやら四年程度では、十年過ごした柔らかなベッドの感触を忘れられないらしい。
体をほぐし終わると、薄闇に目を凝らして向かいを見た。そこにはベッドがあるけれど人はいない。ここ三年はずっと二人部屋を一人で使っている。二人部屋と言っても左右対称に二人分の家具が設置されているので、かなり狭い。一人でも狭すぎるぐらいだ。
二人部屋であるこの部屋を一人で使っているのは、人数的にあぶれたからではない。寝起きまで誰かと一緒だなんて嫌だったからだ。だから進言してそうしてもらった。
窓の外に目を向ける。日はまだ出ていない。正確な時刻はわからないけれど、夢の所為でいつもより早く目が覚めたことは確実だ。その証拠に部屋は薄闇に包まれている。
着替えようと思ってベッドから腰を浮かす。けれどすぐに考え直し座り直した。こんな薄暗い中で身支度など済ませたら、彼女にやる気があるだなんて勘違いされてしまう。それだけならまだしも、下手したら感動で泣き出してしまうかもしれない。それは、面倒くさい。
そうなるとやることもないし寝たふりでもするか――そう思った矢先、控目に部屋の扉が二回、叩かれた。それからゆっくりと扉が開く。返事を待たずして入ってきたのは、私が寝ていると思っているからだ。彼女が来るということは、どうやらもう起床時間ではあったらしい。
寝たふりをしそびれた私は、仕方なくベッドに腰をかけたまま来訪者を見る。彼女は薄闇の中で驚いた顔を浮かべると、軽く上に手を伸ばした。天井に下げられている魔灯に明かりが灯り、部屋から薄闇が追い出される。暗さに慣れていた目が光を受けて反射的に細まった。
「おはようございます」
おっとりとした口調で、いかにも人の良さそうな微笑みを浮かべて彼女――ビクトリアは言った。
「今日はお早いのですね」
「……まぁ」
素っ気なく返す。夢を引きずっているわけではない。普段から朝はこんな感じだ。いや、朝でなくともこんな感じかもしれない。
私の返事にビクトリアは元々、下がっている眉根をさらに下げると。
「今日こそは礼拝にいらしてくださいね」
そう柔らかに釘を刺し、軽く一礼をしてから部屋を出て行った。
私はため息をついてベッドから立ち上がる。それから机の椅子にかけていた見習い用の修道着を手に取った。そう、修道着だ。
私が今いるのは、星王国センルーニアの星都にあるレスト修道院という場所だ。
レスト修道院は世界で最も古く広く信仰されている宗教であり、この国の国教でもある星教が運営している施設だ。ここでは十歳から十六歳までの少女が日々、共同生活をしながら修道女になるために勉学に励んでいる。
修道院はこの星都にも何個かあるけれど、見習いの出自は修道院によって異なるらしい。院長であるビクトリアによれば、このレスト修道院には主に裕福な平民や貴族、そして星教の特権階級である神家の人間などが入るのだとか。
そこには様々な理由はあるだろうけれど、それでも誰もが自分の意思でここにいるのは間違いない。
でも、私は違う。
私は平民でも貴族でも、神家の人間でもない。
この国の王族、センルーニア星王家の人間だ。
現星王レゼナント一人娘だ。
とはいえこれまでの長い星王家の歴史の中で、修道者になった王族もいなくはない。
その中には自らが望んだわけではなく、止む得ない事情があり王家を離れた人間もいる。けれどそこには少なからず自分の意思が働いていたはずだ。そうせざる得ない状況に追い込まれたとしても、それを最後に選んだのは自分自身だ。
だけど私は十になる歳に父によって突然、ここに入れられた。
なんの説明もなく、なんの意思確認もなく、問答無用で家を――星城を追い出された。
最初は大いに戸惑った。
これまでとは真逆とも言える生活環境に。
これまで関わることがなかった家の外の人間、同年代の子たちとの共同生活に。
そしてこれまで信頼しきっていた父の、仕打ちに。
それでも親を疑うことを知らなかった少女は、父を信じて待った。
私に話せない事情が父にもあるのだと、これはきっと私のためなのだと、ここでいい子にしていれば父が必ず迎えに来てくれると、健気に思っていた。
でも、一年経っても現状はなにも変わらなかった。
父が迎えに訪れるどころか、手紙など連絡をよこすことすらも一度もなかった。
流石に世間知らずな箱入り娘でも、そこまできたら気づかざる得ない。
私は父に、捨てられたのだと。
この国が――星王家が始まって以来、初めて生まれた無能者である私を、父は疎ましくなったのだと。
その事実に至ったのを境に、私は全てを諦めた。
父を盲信することも、現状を嘆くことも、いい子でいることもやめた。
礼拝には気の向いたときだけ参加し、修道院の規律も守らなくなった。
無能者の王女に気を遣う周りにも嫌気がさして、まともな応対もしなくなった。
このように純粋で、人見知りで、少し気が弱かった王女は、この四年ですっかり変貌してしまった。
そのお陰なのか、はたまた今の私にはそぐわないと思われたのか、生まれつきの体の弱さもどこかに飛んでいき、今は至って健康体だ。まぁ、これについては癒し手――星教で言う治療士――でもあるビクトリアに、年を重ねたことにより体が強くなったのだろうと診断されたけれど。
着替えが終わると、洗面道具を持って自室を出た。
まだ日は昇り始めたばかりで外は暗いけれど、通路は十分に明るい。壁に設置された魔灯が外通路を照らしているからだ。
魔灯はただの照明ではない。明かりを発する照明魔道具の一種だ。
照明魔道具は魔法の源である粒子が含まれた鉱石をその名の通り照明用に加工したもので、粒子の流れを変えることで点灯させたり消灯させたりすることができる。
その光度は火を使う松明などに比べて強いのと、魔法の素養がなくとも体内に粒子さえあれば誰にでも扱えるため、星都では中心街から城壁近くの地域まで広く普及している。
でも、その誰にもに、私は含まれていない。
体内に粒子を持たない無能者は、子供でも扱えるような簡単な魔道具さえも扱うことができない。
だから先ほどのように院長のビクトリアがいるときには彼女が、いないときにはほかの先生――ここでは職員の修道女をそう呼ぶ――がわざわざ自室の点灯と消灯にやって来る。
……全く、自室の明かりすらも一人でつけられないなんて本当、滑稽だ。
そう内心で自笑しながら外通路を進んでいると洗面所が見えてきた。その入口には四人の見習いの姿がある。
談笑していた彼女たちは私に気がつくと、一人を除いて緊張した面持ちになった。でもそれをなるべく表情に出さないよう努力はしている。上品な微笑みをその顔に浮かべている。だけどそんなことをしたところで無意味だった。
私は人より視力が良すぎるため――そう異常に良いために、眼球や皮膚の些細な動きまでもが鮮明に見えてしまう。
人が隠そうとしている感情が、表情から読み取れてしまう。
見習いたちが私に気を遣うようにわずかに頬が引きつっているのも、腫れ物に触るような目をしていることも、自分より劣ったものを見るような目をしていることも全部、わかってしまう。
このような感情を向けられたのは、なにも見習たちが初めてではない。
思い返せば家にいるときも、ときおりそんな表情で見てくる人間はいた。
けれどそのときの私にはその目や表情の動きが、どの感情に分類されるのかを知らなかった。
限られた生活範囲で家族の愛情に守られて育った私には、その顔に浮かぶ真実というものが見えていなかった。
だから世界は優しさのみで構成されているのだと本気で思っていた。
誰もが自分を愛してくれているのだと、本気で信じていた。
でも母が死んだのを切っ掛けに、少しずつ私は気づいていった。
この世界にあるのは、優しさだけではないことを。
そしてここに捨てられて思い知らされた。
この世界は私のような特異な存在には特に、優しくないのだと。