大陸暦1962年――05 夜市と過去
「さてと」
まずはマクレアから頼まれた本を取りに行かないと。
そう思い大通りを見渡す。すると商店街の手前右側にそれらしき本屋を見つけた。小さな店構えの本屋だ。
誰もが大通りの先に向かう中、私たちはその小さな店へと入る。
店内は薄暗く狭かった。客の姿もない。まぁ、今日という日のこの時間に本屋へ来る人間はなかなかいないだろう。
私は店の奥を見た。そこには小さな人の姿がある。年配の女性だ。彼女はカウンター向こうの椅子にちょこんと座って、穏やかな微笑みを浮かべたまま目を瞑っている。
カウンターに近づくと女性が目を開けてゆっくりとこちらを向いた。私はお金と一緒に入っていた注文書を出す。すると女性はすぐに本を出してきた。小さな本だ。それを受け取ってお金をカウンターに置くと、年配の女性はなにも言わず微笑んだまま頭を下げてきた。こちらも釣られて軽く礼を返す。なんとなく声が出しづらい雰囲気だったので、そのまま一言も発することなくお店を出た。
外に出ると喧騒が一気に耳に入ってきた。そういえば本屋の中はまるで隔離された空間のように静かだったけれど、礼拝堂みたいに防音結界でも張ってあるのだろうか。
そんなことを思いながらなんとなく受け取った本の表紙をめくる。そこには見慣れない文字の羅列が並んでいる。それは背表紙も同じで、題名が読めないのでなんの本かがわからない。
「なにこれ」
思わずそう口にすると、ユイが少しだけ本を覗き込んできた。
「スピラナス語です」
スピラナス語は魔法と星歌でも使われている古代言語の正式名称だ。
言いにくいからか、はたまた長いからなのかは知らないけれど、普段は紋語という略称で呼ばれることのほうが多いらしい。
「題名からしてエルフ族の娯楽の歌、テュラフエリアを書き集めたものかと」
「テュラフエリア?」
「精霊歌のことです」
「あぁ。でも精霊歌って魔法じゃないの?」
確か精霊歌は大昔の古代大戦で絶滅した精霊族が編み出した大規模精霊魔法だったはずだけど。
「本来の精霊歌は魔法です。ですがエルフ族が娯楽で歌う歌も精霊歌、テュラフエリアと呼ばれています」
「へぇ、なんか紛らわしいわね。それにしてもあの人、こんなものどうするのかしら」
ユイはわからないといった感じで小首を傾げる。
「まぁ、どうでもいいか。ほら。貴女からマクレアに渡しといて」
「はい」
ユイは本を受け取るとそれを外套のポケットに入れた。
私は賑やかな大通りの先、商店街へと目を向ける。
夜を彩る提灯の下、通りを挟むように並ぶ露店の間には多くの人々が行き交っている。
今日は夜のお祭り、夜市の日だ。
夜市は年に一度、秋期の入りごろに各地で二日間に渡って開催されている、星都では恒例のお祭りの一つだ。
そして修道院の見習いにとっては唯一、大手を振って外で遊べる日でもある。もちろんお小遣い付きで。今日、見習いが浮かれていたのはそのためだ。
それは以前いたレスト修道院の見習いも同じだった。いくら良い生まれのお嬢さんといえど、娯楽が少ない状況で一年も過ごしていたら、それまで縁がなかったであろう庶民のお祭りも楽しみにもなる。
そんな見習いの誰もが楽しみにしているとも言える夜市に、私は去年まで行ったことがなかった。
夜市に興味がなかったわけではない。正直に言えば凄く興味はあった。けれど私のことを蔑むような人たちと一緒に行くのはどうしても嫌だった。
だから私は毎年、お祭りで浮かれる雰囲気の中で一人だけ疎外感を味わっていた。
どうせ自分には一生縁の無いものだと、シンたちの前でも興味ない振りをした。
それでも見抜かれてしまっていたのだろう、シンが夜市に行こうと誘ってくれたのが去年のことだ。
当日レスト修道院まで迎えに来てくれたシンたちは、この夜市に連れて来てくれた。
わざわざレスト修道院から離れたここまで連れて来てくれたのは、私が近場の夜市なら行きたくないと言ったからだ。いくらシンたちが一緒でも、同じ修道院の見習いがいる中では楽しめるものも楽しめない。
そんな私の我儘に三人は呆れるでもなく困るでもなく、それならほかのところに行こうとすぐに言ってくれた。そのためにビクトリアから事前に許可までもらってくれて。
三人が自分のためにそこまでしてくれたことは凄く嬉しかったし、お祭りも本当に楽しかった。
修道院に入って初めて、良い思い出になったと思えるぐらいに。
お祭りに行くのはもちろんのこと、友達と遊びに行くのも初めての経験だったから。
そういうわけでここの夜市に来るのは今日で二度目になる。
去年に夜市の楽しみかたをシンたちが教えてくれたので勝手もわかる。
私は横のユイを見た。彼女はじっと商店街のほうを見ている。その様子はいつも通りのように見えて、いつもより瞬きの感覚が早い。
……もしかして。
「来るの初めてなの?」
「はい」こちらを見てユイがうなずいた。
「誘われたこともないの?」
「ありますがお断りしました」
「なんで」
「私がいると気を遣わせてしまいますから」
それはユイにしては感情が感じられるというか、卑屈な返答な気がした。
卑屈さでは私も負けない自信があるけれど、人がそうだとなんか……もやっとする。
その気持ちに突き動かされるように、私はユイの手を取っていた。
「行きましょう」
少しばかり目を開いたユイの手を引いて歩き出す。
「許可は」
「なにを今さら。マクレアがお小遣いもくれたでしょう?」
そう。マクレアがわざわざこの日にお使いを頼んだのは、お使いついでに私にユイを夜市に連れて行かせるためだ。
こんな回りくどいことをしなくとも、私が夜市に行くと言ったらこの子は付いてくるのに。まぁ、そこは端から私が夜市に行かない可能性を潰したかったのかもしれない。
その会話をユイも聞いていたはずなのだけれど、どうやらもらったお金は私の分だけだと思っていたらしい。ここまで付いて来たのもお使いのためで、あとは夜市から私が帰ってくるのをここで、もしくは事前に聞いていた先生の待機場所である高台で待っているつもりだったのだろう。初めのころマスターのお店の外で私を待っていたように。
そういうつもりならせめて夕食は修道院で済ませようとしなさいよとは思う。
そんなところまで私に付き合うのだから本当、この子には困ったものだ。
ユイは特に返事はしなかった。
でもその代わりに手を握り返してくる。
控目に、だけどしっかりと。
それに少しばかり驚きながらもふと、昔を思い出した。
お兄様の子供――甥っ子が生まれたときのことを。
その小さな手で、私の指を握り返してくれたときのことを。
幼い私はそれが凄く嬉しく感じて、ずっと甥っ子のそばを離れなくて、そのまま寝てしまったのを覚えている。
……そう。どうしてか今の私も、あのときと同じ感情を抱いている。
状況が似ているからだろうか。
それとも普段は人形のような彼女がそれをしたからだろうか。
因みに私が手を取ったのは人混みではぐれないためだ。そこに深い意味はない。
なぜか自分にいい言い訳をしつつ、私は人混みの中を進む。ぱっと見る限りは去年、来たときと露店の配置は同じようだ。なので記憶を辿って一直線に目的の場所へと向かう。
やがて左側にその露店が見えてきた。
そこには十代らしい子たちばかりが集まっている。
遊びの露店が並んでいる一画だ。
一番左にある露店に近づくと、店主がこちらに気づいて言った。
「やるかい?」
「えぇ。貴女は?」
私はユイを見る。彼女は首を振った。
「そう」
ポケットの袋から硬貨を取り出して店主に手渡すと、引き換えに五本の輪っかをもらった。
ここはこの輪っかを離れた置物に投げて入れる、輪投げの露店だ。
これが簡単そうに見えてなかなかに難しい。
去年は一つも入れられなくてシンに散々、下手だと笑われた。
そんなシンは輪投げ名人、というわけでもなく。彼も一本しか入れてなかったわけで。それに全く人のことは言えないと反論したら、それでもお前よりは勝ってるとしたり顔で返された。本当、大人げないというかなんというか……まぁ、何歳になっても遊びに本気になるところは嫌いではないけれど。
とはいえ悔しくはあったので、今日はせめて二本入れてシンを見返したい。
私は投げる前に輪投げをするほかの子たちを見る。去年は上手くないシンの投げかたを参考にしたのがよくなかった。だから今年はその教訓を生かし、上手そうな子の投げかたを観察する。すると横投げよりは下から上に投げてる子のほうが軌道が安定していることに気がついた。……よし。
私はそれを見習って投げてみる。すると二本目にして一本入った。その感覚を忘れず三本目、四本目を投げるも微妙に入らない。早めに一本入ったからって少し雑になっている気がする。もう一度集中して、私は最後の一本を投げた。それが見事に置物の中に入る。
「よしっ」
思わず拳を握りしめてユイを見た。が彼女は相変わらずの無表情を浮かべている。
そんなユイの反応に気恥ずかしくなりながら、私は行き場のない拳を下ろして店主に近づいた。
「おめでとう。二本の景品ね」
そう言って差し出されたのは小さな蛙の置物だった。
「ありがとう」
露店から少し離れて、改めて置物を見る。
本物の蛙は見たことないけれど、絵本に描かれていた蛙よりは丸くてかわいい。
「これで見返せるわね」
横から見ていたユイがわずかに首を傾げた。
「去年、一本も入れられなくてシンに下手だって笑われたのよ。貴女も今度お店に行ったときは私がちゃんと二本入れてたって証言してよ」
こくりとユイがうなずく。
「それじゃあこれはその報酬」
ユイの手を持って蛙を乗せる。ユイはそれをじっと見てからまたこちらを見た。
「いらなかったら捨てていいから」
「いえ」ユイはまた蛙を見る。「ありがとうございます」
そのあとも玉入れに矢当てにくじ引きにと色々と遊んだ。
その合間、ユイにもやるよう勧めたけれど、彼女は首を横に振るばかりだった。ずっと近くで私が遊んでいる姿を見ていた。その顔は相変わらずの無表情だったけれど、本を読んでいるときみたいに目は動いていた。おそらく退屈はしていなかったとは思う。
やがて遊びの露店を通り過ぎると商店街の中心地、噴水広場に辿り着いた。
そこそこに大きな噴水の周りには食べ物の露店が並んでいて、美味しそうな匂いがそこかしこに漂っている。
その食欲がそそられる匂いに釣られるように、小さくお腹が鳴った。
「流石にお腹空いたわね。なにか買いましょうか。どれにする?」
「なんでもいいです」
「食べたいものないの?」
「特には」
「それなら私が決めるわよ」
私は露店に並ぶと、買ったものを持って噴水広場の隅にあるベンチに座った。そして隣に座ったユイに紙で包んだそれを渡す。
「ありがとうございます」
ユイは両手で丁寧にそれを受け取ると包みを開いた。中から肉の塊、肉串が現われる。
この肉串はリリル曰く夜市の名物らしい。私も去年、勧められて食べたのだけれど凄く美味しかった。
ユイは右手で星十字を切って目を瞑ると――簡易の食前のお祈りだ――少しして目を開けてから肉串を手にした。串に刺されたお肉は大きさがばらばらで、肉汁を滴らせている。
包み紙でその肉汁を受けながら、ユイは肉串をじっと見た。食べかたに困っているように見えなくもない。もしかしたら串料理を食べるのが初めてなのだろか。かく言う私もまさに去年、初めて食べたし。
やがてユイは「いただきます」と言うと小さな口でお肉にかじりついた。そしてむぐむぐと咀嚼する。
「どう?」
ユイは口内のものを飲み込むと言った。
「美味しいです」
「でしょ? この野性味溢れる感じがたまらないわよね」
私も「いただきます」と言ってお肉にかぶりつく。歯ごたえがありそうな見た目に反して、お肉はとても柔らかい。咀嚼すると口の中に肉汁とタレと香草の香ばしさが広がる。うん。やっぱり美味しい。
「修道院の食事って健康にはいいんだろうけど少し薄味というか、味気ないのよね。そう思わない?」
ユイは少しの沈黙ののち、小さくうなずいた。
なにごとにも無感心そうな彼女ですらもそう思っているのが、なんだか可笑しい。
私はお肉を食べながら噴水広場のほうを見る。今そこでは笛や太鼓を演奏している人や、大道芸人が芸を披露したりしている。その周囲には多くの人が集まっていて、その誰もが楽しそうに笑っていた。
「私、去年初めてシンたちに夜市に連れて来てもらったの」
肉串を食べていたユイがこちらを見る。
「そこで普通の子供と変わらないように遊んで、お家では食べられないようなものをたくさん食べて、ああいう光景を見ていたら初めて思えたのよね。お城を追い出されたのは悪いことばかりじゃないって。だってお城にいたらシンたちのような友達は出来なかったし、こういう場所にも来られなかったでしょう?」
ユイはなにも答えなかった。ただ黙って話を聞いている。
返答は期待していないので私も気にせず肉串を食べきる。それをユイが見て、気持ち急ぐようにお肉をかじったので「急がなくていいから」と言っておいた。
それを素直に聞き入れたユイが上品に食べる様子を窺いながら、噴水広場を眺める。
「そういえばさ、ユイはどうして修道院に入ったの?」
これまでどうしても訊くことが出来なかったそれを今、私は自然と口にしていた。
どうやら今日はお祭りで気持ちが開放的になっているらしい。これまでにも普段、話さないようなことを話してしまっているのもきっとその影響だ。
ユイはこちらを見ると、またすぐに手に持っている肉串を見た。串にはお肉があと一つ付いている。
「家族が亡くなったので」
いつもの無感情で彼女は答えた。
てことはやっぱり孤児なのか。
「それって、事故か病気かなにか?」
続けてそう訊いて、すぐに踏み込みすぎかなと思った。
だけどもう遅い。彼女がなにも言わなかったらこれは流石に謝ろう。
そう思っていると、ユイが「いいえ」と首を振った。
それから目を伏せると。
「殺されました」
と先ほどと変わらず無感情に、そう言った。




