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少女と空の王女  作者: 連星れん
前編

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大陸暦1962年――03 ルナとピアノ


 お風呂を早めに済ませて自室に戻ると、まだユイは戻っていなかった。

 今のうちにと入浴道具を置いて早々に自室を出る。

 向かうのは修道院の外ではない。修道院内にある礼拝堂だ。

 本当は消灯後に一人こっそりと部屋を抜け出して行きたいところなのだけれど、今はそれが出来そうにない。なぜなら私がここに移ってからの四日間、ユイが私よりも先に寝付いたことがないからだ。それを本人に確認したことはないけれど、私にはわかる。

 視力ほどではないにしても、私は聴力もそこそこに優れている。回りが静かならばどんなに小さな呼吸音だって聞き逃すことはない。それが通常呼吸か寝息かどうかの判別もつくので、私より先にユイが寝ていないことだけは確かだ。

 それならばユイが寝るまで待てばいい話なのだけれど、そうしたら私が先に寝てしまう可能性がある。一時(いちじ)はそうでないときもあったけれど、私は基本的に寝る場所を選ばないし寝付きもいい。日中はともかく夜の暗い部屋で寝るふりなんてしたら、普通に寝落ちしてしまいそうだ。

 それを踏まえると行くのはお風呂時間と消灯時間の間である今しかない。

 外套があれば外に出ていないことぐらいユイも気づくだろうから、流石に探しにはこないだろう。消灯時間が過ぎたら来そうな気もするけれど、それまで戻ればいい。だからあまり時間はないけれど、そこは仕方がない。

 通路にはお風呂から上がったのだろう見習いの姿がちらほら見受けられる。それらの目を避けて進み、礼拝堂へと辿り着いた。

 大きな扉を開けると、その明るさに自然と目が細まった。

 礼拝堂――各地の星教会(せいきょうかい)の明りは夜になっても落とされることはない。

 それは夜空に輝く星に倣っているからだ。たとえ闇深い夜でも、星教会(せいきょうかい)が星の代わりとなり、迷える信者の道しるべになるようにと。

 そういうわけで場所にもよるけれど、基本的に星教会(せいきょうかい)ではいつ何時(なんどき)でも信者を受け入れている。いつでも祈ることができるようになっている。それは修道院も例外ではない。

 私は礼拝堂を軽く見渡す。ここには今、誰もいない。レスト修道院では消灯前に祈っている見習いがいたけれど、ここにはそこまで信心深い見習いはいないらしい。

 そのことだけが気掛かりだったので、私は安堵しながら奥の祭壇へと進む。そしてグランドピアノに近寄ると、横に回りピアノの屋根を開けて突上棒で固定した。中の色味からして大分、年代物のようだけれど埃などは積もっていない。よく手入れされているようだ。

 ピアノの前に座り、鍵盤の蓋を開ける。

 それから軽く一通り鍵盤を叩いて音色を確かめた。

 流石グランドピアノだ。音の広がりがいい。礼拝のときに使われていないにしては、調律もちゃんとされている。もしかしてマクレアが気を利かせてくれたのだろうか。……いや、あのマクレアがそこまで気を回すわけないか。

 私は一人鼻で笑うと、鍵盤に手を置いた。それから一呼吸をして曲を弾き始める。

 自分で言うのもなんだけれど、私のピアノの腕はなかなかのものだ。

 これは修道院で身に付けたものではない。

 ピアノが好きだった母から習ったものだ。


 母は――ルーベリアお母様は、星王家(せいおうけ)とも親交がある騎士の家系、ボルゴ子爵家の生まれだ。

 ボルゴ家の現当主であり、(せい)ルーニア騎士団の騎士団長でもあるお爺様の二子として生まれたお母様は、聞くところによると女の子らしいことよりも剣の稽古に夢中になるような快活な子供だったらしい。お婆様が将来、嫁の貰い手があるだろうかと心配するぐらいには剣以外のことに興味がなかったのだとか。

 そんな音楽と縁がなさそうなお母様が、ピアノを習う切っ掛けが訪れたのは八歳の時だ。

 その年、お母様は家族と一緒に年に二回、中央教会で行なわれる大規模礼拝――星祭(せいさい)に参加した。それまでは信心深いお婆様と一緒に近所の星教会(せいきょうかい)に礼拝に行くことはあったけれど、星祭(せいさい)に参加するのはその日が初めてだったらしい。

 星祭(せいさい)は王侯貴族が参加していたり規模が大きいことを除けば、普段の礼拝となんら変わりがない。

 だけど一つだけ、普通の礼拝にはないものがある。

 星教(せいきょう)の歌い手――星歌士(せいかし)による星歌(せいか)の披露だ。

 それは礼拝のときに信者が揃って歌うような常用語に翻訳されたものではない。

 大規模礼拝でしか披露されない、古代言語で歌われる本来の星歌(せいか)だ。

 それをお母様はそのとき初めて聴いた。

 そしてその荘厳さと美しさにいたく感動し、思ったのだという。

 自分も星歌士(せいかし)のように歌えるようになりたいと。

 だけどそれは無理な望みだった。

 お母様が音痴だったからだ。

 そのことは幼いころから礼拝で控目に歌うぐらいには、自覚もあった。

 それでもちゃんとした指導を受ければ直るかもしれないと試しはしたものの、やっぱり駄目だったらしい。

 そういうわけで歌は早々に諦めた。

 嘆くことなく、音痴なものは仕方がないとあっさりとした気持ちで。

 でも音楽をすること自体を諦めていなかったお母様は、歌えなければ弾けばいいのだと考えてピアノを習い始めた。

 数ある楽器の中からピアノを選んだのは一番、音色が好きだったからだという。

 それからというもの、お母様は毎日欠かさず行なっていた剣の稽古をそっちのけで、ピアノに夢中になった。毎日毎日ピアノの練習に明け暮れた。

 その練習の甲斐があったのか、はたまた元より才能があったのか、お母様のピアノは習い始めて経ったの一年で、人様に聴かせても恥ずかしくないぐらいの腕前にまでなっていた。

 そうして剣を上回るぐらいに熱中できるものを見つけたお母様は、大人になってもピアノを続けた。

 私の――家族の前でもよくそれを披露してくれた。

 そのお母様のピアノが、楽しそうにピアノを弾くその姿が私は大好きだった。

 そんなお母様に憧れ、私もピアノを習い始めたというわけだ。


 鍵盤に指を走らせる。グランドピアノの音色が礼拝堂に広がる。結構な音がしているけれど、マクレアが張ってくれた防音結界があるので外へ音が漏れる心配はない。

 そのピアノの音色を聴いていると、荒んだ気持ちが落ち着くのを感じる。

 心が穏やかになり、安心すらも覚える。

 ピアノの音色を聴くといつもこうだ。

 それが何故だか最初はわからなかったけれど、今はわかる。

 それはきっと、お母様のお腹にいたころからその音色を聴いていたからだ。

 だって私が幼いころ、お母様がこう言っていたから。

 私を身ごもってからよくピアノを弾いて聴かせてあげたのだと。

 赤ん坊のころ、ピアノを弾いてあげたらすぐに泣き止んでいたと。

 ルナは本当にピアノの音色が好きね――と。


「……」


 喉がきゅっと締め付けられるのを感じながら曲を弾き終わると、すぐに別の曲を弾き始めた。

 これまで何度も聴いて弾いてきた曲。

 お母様が好きだった曲を。

 それを奏でながら、私は昔に思いを馳せた。

 お母様がピアノを弾き、お兄様がバイオリンを弾き、それをお父様の膝の上で聴いていた、幼き日の記憶。

 当時はなんてことのない当り前だった、家族と過ごす時間。

 今ではもう失われてしまった、幸せだったあの日々に――。

 ……お母様のことを思い出すのは、暖かくも辛い。

 どうしてもお母様が亡くなった日のことを思い出してしまうから。

 私の所為でお母様は死んだのだと、どこぞの貴族が言っていたのときのことを。

 あのあと私は塞ぎ込み、部屋に引きこもった。

 その事実が重たくて、辛くて、悲しくて、私に向けられる目や言葉が怖くて。

 自分が無能者(マドリック)だと知ってからは誰の顔を見ても、家族ですらも私を忌まわしいものだと思っているのではないかと感じていたから。

 それはお母様の死から二年以上、続いた。

 そう。私は二年もの間、家族ともまともに顔を合わさず、部屋に引き籠もっていたのだ。

 そして突然、修道院に放り込まれた。

 ……正直、二人が私に愛想を尽かしたのも仕方がない、と思うところはある。

 私は二人の言葉に耳を傾けず、ずっと部屋に閉じこもっていたのだから。

 でも、それでもやっぱりお父様を恨む気持ちのほうが強い。

 なんの説明もなく、なんの感情をぶつけてくることもなく、家を追い出すなんて。

 せめて一言、疎ましくなったのだと言ってさえくれれば、私も無駄な希望を一年も抱くこともなかったのに――。


 そのとき、扉が開く音がした。

 それはかすかな音で、ほとんどピアノの音に掻き消されていたけれど、確かに私の耳には聞こえた。

 それが誰だかは想像がついていたので、私はピアノを弾き続ける。

 お母様が好きな曲を、最後まで弾きたかったから。

 そして全てを弾き終わってから、鍵盤を見たまま言った。


「なんか用?」


 彼女は――ユイは近くまでやってきていた。


「消灯時間を過ぎています」

「どれくらい」

「二十分ほどです」


 消灯まで帰るつもりだったのに、久しぶりのグランドピアノについ弾きすぎてしまっていた。


「ずっと、探していたの」

「はい」


 私なんて放っておいて先に寝ればいいものを……そんなにマクレアからの言い付けが大事なのかしら。

 その忠犬っぷりに呆れながらも、私を探している彼女の姿を想像してしまい罪悪感が浮かんでくる。

 それを振り払うように私は息を吐いた。


「そう」


 ピアノの蓋を下ろして椅子から降りる。

 そしてそこで初めてユイを見て、驚いた。


「なんで、泣いてるの」


 ユイの目元には涙が、溜まっていた。

 それには本人も気づいていなかったようで、私の言葉にユイは『え』とでも言うようにわずかに目を見開く。

 その震動が一押しとなって、目尻から涙が零れた。頬に一筋の雫が流れる。

 ユイはそれに触れると、指についた涙を見てわずかに――そうわずかに瞳を揺らした。


「わかりません」


 それでも彼女はそう言った。

 これまでと同じように感情のない声で。

 自分が泣いているのに、普段とは明らかに様子が違うのに、その理由がわからないと。

 そんなことある? そんなことが――。


「……変なの」


 それにどう返していいのかわからなくて、私はそう言って歩き出した。ユイも後ろについてくる。


「涙、拭いといてよ。先生に見られたら私が泣かしたみたいに思われるから」


 背中でそう言うと、背後から小さく「はい」と返事が聞こえた。



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