大陸暦1962年――03 人を助ける力
「院長。そろそろお時間です」
「はいはい」
マクレアは軽い返事をしながらソファから立ち上がると。
「全く、出かける前に少しぐらいは書類を片付けておきたかったのに、殿下のお陰で出来ませんでした」
そう嫌みを吐きながら部屋の隅にあるポールハンガーに向かった。
「どこか行くの?」
「こう見えて忙しいのです」
「返答になってないんだけど」
「中央教会に施しに」リエナが代わりに答えてくれた。
「あぁ」
施しか。
施しとは星教が行なっている慈善活動のことだ。
貧しい人たちを対象に星教は定期的に診察や治療、そしてお風呂や食事や生活必需品などを無償で提供している。
またその一方で星教は一般信者から寄付をもらい、有償で治療を行なったりもしている。
治療の対価として寄付をもらうのは、治療費を払って治療を受ける治療院となんら変わりがない。でも治療院は予約に何日も待たされる場合があるのとは違い、星教は寄付額や定期寄付することで優先的に治療を受けることができる。しかもその金額によって必ず腕のいい癒し手が診てくれるとあっては、裕福な信者がどちらを選ぶか一目瞭然だろう。
それに関しては昔から批判的な声はあるらしい。
寄付額で助ける人を選別するのは、弱き者に手を差し伸べるべきだと説いている星教にあってあるまじき行為だとか、そんな見返りありの人助けは偽善だとか。
だけど慈善活動というものは、受ける側は無償でもそれをする側には資金が必要になる。その寄付のお陰で、全てとは言わなくとも一部の無償の施しが成り立っているのもまた事実だ。たとえ偽善であろうともそれで助かる人はいるし、裕福な信者はその見返りとして治療が受けられているのだから外野がとやかくいうことではない。
まぁ、無能者の私もある意味、外野ではあるからとやかく言う権利はないのだけれど。
それ以前に王族に連なるものがそんなことを口にしてしまえば、誰もが平等に治療を受けられる制度を作らない星王家と星府が悪いと返されてしまうかもしれない。
でもお国だって馬鹿ではない。それができればとっくの昔にそうしているはずだ。それなのに現代でも出来ていないのはおそらく魔法国家とも呼ばれている星王国でも、国民全員を平等に診るほどの治療士が確保できないからだろう。……と言いつつも、その辺の事情は私もよく知らないのでこれは想像になるけれど。
それでこの国の星教の本部である中央教会で行なわれる施しは、寄付による治療のほうだ。マクレアは色付きの癒し手だから、きっと裕福な信者を診させられたりするのだろう。
「人を助ける力があるってどんな気持ち? 性格の悪い貴女のことだから優越感とかあったりするの?」
「あら、先ほどの仕返しでしょうか」背を向けて身支度をしているマクレアの肩が楽しげに揺れる。「そうですね。人に感謝されるのは素直に嬉しいですが、でもそれだけのことです。別に力があるからといってどうとも思っていませんよ」
「嫌みに聞こえるんだけど」
「これに関してはそんなつもりはなかったのですが」
いつもは悪気あるんかい、と思わず内心で突っ込みをする。
「それなら別に力なんてなくてもいいって思うわけ?」
「まぁ、あることに越したことはないでしょう」
なによ。結局のところ無力は嫌なんじゃない、と思っているとマクレアは「でも」と話を続けた。
「力なんてものは、本当に助けたい人を助けられなければ、無いのも同じです」
そう言った彼女の声音は、いつもの軽いものではなく、いつぞやか見せた鋭いものでもなく、どことなく悲しく、そして怒りが交じっているように聞こえた。
それに少し驚いていると、背を向けて準備していたマクレアがこちらを向いてにこっと微笑んだ。いつものうさんくさい微笑みだ。
「では、行って参ります。今日はもう戻れないと思いますので、なにかありましたらリエナに言ってください」
いつもの調子でマクレアはそう言うと、扉へと向かった。だけどなにか思い出したかのように「あぁ」と扉の前で立ち止まる。
「そうそう殿下。頼まれていました礼拝堂の防音結界、張っておきました。私、昔から結界を張るのが苦手でもの凄く面倒くさかったです。感謝してください」
「そう言われるとする気なくなるわね」
「捻くれてますねぇ」
マクレアは苦笑すると「夜になったら可動させるようにしておきますから」と言い残して院長室を出て行った。リエナもそれに続く。見送るのだろう。
一人になり、私はソファの背に深く体を預けた。
それから紅茶を飲んでいると、ふと先ほどのマクレアの言葉が脳裏に浮かぶ。
――力なんてものは、本当に助けたい人を助けられなければ、無いのも同じです。
「……なによ。意味深なこと言っちゃって」
そう一人ごちりながら、また紅茶を飲んだ。




