蘆屋満月の話
「店主。少し裏を借りるぞ?」
「はいよ……」
エプロンをつけた立派な髭の店主さんに裏口の扉を開けてもらう。
奥へと通された杏樹は映画のような演出に恐る恐る満月に続いた。
肝心の満月は裏庭に作られた店内の物よりももっと大きなバトルフィールドにやってくると杏樹に向き直った。
「ええっと……いったいこれはなに?」
「フハハハハハ。俺はお得意様だからな。店主とは仲がいいのだ。このタイミング……わかっているとも。では―――始めようではないか。アヤカシバトル! 開門だ!」
「いや、そういうのではないです」
即否定したら、きょとんとした顔の満月は心底困惑していた。
「えぇー……いやいや馬鹿を言うな。入荷の日にここにきておいて『アヤバト』ユーザーじゃないだと? そんなことあるのか?」
「いや、そのおもちゃが気になってここまで来たっていうのは当たってるんだけど……今日初めて名前を聞いたくらい」
「そうなのか? じゃあ何の用事でここに来たんだ?」
改めて尋ねられると少し困る。
おもちゃから妖怪の気配がしたことに戸惑って、詳細を突き止めるために行動している。
冷静に考えると、それだけの事だと思うと少し恥ずかしい。
「えっと……好奇心?」
とはかなり違う気がするが、杏樹はそう答える。
すると満月はニヤリと笑い、こちらに店の少年達が腕につけていた器具を放ってよこした。
「では、まずやってみなければ始まるまい。そのアヤカシナイザーを腕につけ、開門と口に出すのだ。そうすることでバトルは始まる」
「腕につけて……開門?」
言われた通りにひとまずやってみると、周囲に謎のフィールド……と言うか結界のようなものが展開されて、満月の前には先ほどの黒い龍が姿を現した。
「すご! なにこれ!」
「これぞトバリフィールドだ。プレイヤーだと臨場感が違うだろう? さぁお前のアヤカシをアヤカシナイザーにセットするのだ! 貴様の力を見せてみろ!」
「うーん。どうしたら……」
ああ、いつかちびっ子たちがやっていたように、腕のやつに人形を差し込むのか。
だがここで問題があった。残念ながら杏樹は専用の人形を持っていなかったのだ。
「あ、でも。ストラップならあるかな?」
取り出したハリセンから鬼瓦ストラップを外して、試しにセットしてみた。
仕様が流石に違うかな?とそう思ったが、セットしたとたんアヤカシナイザーはガタガタと震えだして、鎧を着た美女が姿を現した。
しかも、心なしかアニメ風にデフォルメされているヒガンは、やたら美女に仕上がっていて、着ている装備も日曜日の朝でもやっていけそうなポテンシャルを感じた。
「な、なんだと! それはさすがにずるいだろう!?」
「いや。……私、正規の人形持ってなくて」
「アヤバトの中に入っているのは元は低級の動物霊で……この龍之介も蜥蜴だからな!?」
「あ、龍之介って蜥蜴なんだ」
そういえば出来上がった立体もヒガンの方が大きい。
ヒガンはこん棒を構え、それを振りかぶると天に立ち上るキラキラを全身から発してウインク。
インパクトの瞬間、弾けるようにハートを沢山飛ばしているのはきっとヒガンの趣味だと杏樹は確信した。
一方蘆屋君は龍之介とアヤバトの解説が止まらなかった。
「販売が始まってから一年……妖怪達は販売相手と共にゲームに参加し、勝敗で力を奪い合っている。奪い合う力は、楠のやつが振り分けたものだから、妖怪には痛手はない。勝者は敗者の力を奪いどんどん強化されていくわけだ。昔のめんこやベーゴマを思わせる、今どき中々クレイバーなシステムだよ」
「こ、子供泣かないかなそれ?」
「大いに泣くぞ? かく言う俺も危うく泣きそうになったことが何度もあるほどだ」
「急なカミングアウトでビックリした。可愛そうじゃない?」
杏樹はそう思うが、満月にしてみるとこのコレクション性とシビアな勝負が魅力のようだった。
「いやいや、このシビアさが熱くなれる秘訣だ。力を集めて強くなってゆく相棒を見るのは胸躍るものがある。友情、努力、勝利を体験できるホビー……それがアヤバトなのだ」
『その通りだ満月……お前となら更なる高みへと至れるだろう』
しゃべる黒龍共々、っそれっぽいことを言う。
杏樹は思わず突っ込んでしまった。
「ビックリするくらい大絶賛じゃないか」
「面白いからな! もちろん誰が相手だろうと勝負は受ける! 『小遣いはたいて楽しくアヤバト!』リスクがあるのだから合意の上で楽しむべきだ」
「割と容赦のないキャッチフレーズだなぁ。こう……何事もフェアなのは大事だと思うけど」
「ゲームはそうでなくては面白くない。ああ……だが、フェアじゃないと言えば……そうだな。同業者なら悪いことが出来るか?」
「え?」
しかしただ紹介するのにも飽きたのか、満月は不穏なことを言い出して、自分のアヤバトフィギュアを眺めて悪い笑みを浮かべた。
「ふむ。ちょっとやってみるか」
「……やめた方がいいんじゃない?」
「フフン。誰に物を言っている? この蘆屋 満月。業界では天才の名をほしいままにする呪具師だぞ?」
そう宣言すると、何やら満月はフィギュアの前に図形を描き始めた。
空中に描かれた筆文字のような模様は、フィギュアに染みこむように消えてゆく。
杏樹は思わず手を伸ばしそうになるが、カタカタと震えだしたフィギュアから靄が立ち上り始めた。
靄は巨大な塊になって、より黒くて大きなデザインに姿を変えた黒龍となって見下ろすように杏樹とヒガンを睨んでいた。
「……これはマズくない?」
「よし……お前は私の正式な式としよう」
満月はカードの束を両手に取り出して、何やら呪文を口ずさむ。
しかしどう見ても攻撃的な力を感じた瞬間、巨大な妖怪は目を細めて一言呟いた。
『残念です……』
すると途端に妖怪の姿にバキリと罅が入って砕け散った。
ガラスのような欠片の中から出て来たもやもやとした影は、先ほどのアニメ風の姿から普通のトカゲになってしまった。
あまりにも唐突な変化に、杏樹と満月の目は点になる。
「え?」
「とかげ?」
トカゲはちょっと悲しそうに頭を下げると、霞のように姿を消した。
ドデドデドデドゥルンドゥルン
「「え?」」
そして不安になるような、不気味な曲調の曲が流れる。
後に残ったのは力のなくなったフィギュアと、バトルの時に使っていた腕に装着する板だけである。
変な音がしたアヤバトのゲーム板には液晶があり、画面にはいつの間にか文字が表示されていた。
「……ど、どうした?」
慌て始めた蘆屋君はハッとして、文字を読み上げた。
「不正な操作が行われました。セーブデータを消去します。妖怪は元居た場所に帰ってしまいました……え?」
「……あー」
これはまずいと思った杏樹が、恐々満月に声をかけると、ビックリするほど弱々しい声が返って来た。
「……どうやら。術でおかしなことをすると……契約が解除されるみたいだ。……これは……マジでゲーム? 妖怪とデジタルを連動させたのか? 無駄に高度なことを……今まで私が対戦で得た成果は全部パァということらしい……ううう、俺の龍之介が……あんなに友情を育んだというのにあいつと俺の絆はこんなものだったのか?」
崩れ落ちて膝をつく満月は、見てわかるほど涙目だった。
「……なんかゴメンね?」
ゲームが終わって崩れていくフィールドの中で、杏樹はなんとなくいたたまれない気持ちになった。
「……まぁいい。ルール違反なら俺の落ち度だな」
膝をついていた満月は唸り、手近なところに置かれたベンチに腰を掛けるとこれ見よがしに足を汲んで不敵に笑みを浮かべた。
「気分を変えよう。俺もお前に聞きたいことがあったんだ。さて、神木と言ったかな? 話は聞いているぞ? 吸血鬼を捕まえたのだろう? どんな感じだ? 正直とてもうらやましいのだが?」
「い、いや……アレは、蚊の妖怪で……」
「ふむ? ……ああ、そうだったな。蚊だ。ところでお前、鬼の収集に興味があるのか? 何かノウハウがあるのなら教えてもらいたいのだが?」
「……そんなことはないんですけどね」
これは完全にバレている。その上で興味を持たれているみたいだ。
確かに彼は鬼とか好きそうだもんなと杏樹は自分の家にいる妖怪達の顔を思い浮かべると見事に鬼一色だった。
「別に狙っているわけではないです……。蘆屋君こそ、アヤバトを集めているなら楠君に頼めばよかったんじゃないの?」
「? なんでそこで楠の名前が出てくるんだ?」
「あれ?……あっ」
杏樹が咄嗟に言葉を切ると、満月はすぐに真相を察したようだった。
「! アヤバトもあいつが一枚噛んでいたのか! クソ! こんな面白いことをしているなら声をかければいい物を!?」
「知らなかったんだ……前のカードのやつに方向性が似てたからてっきり知っているものだとばっかり」
「知らない! ふーむ、まぁ霊能力者が関わっているとは思っていたが、あいつか……。いや、このおもちゃに危険はないぞ。よく出来ている」
「……私、危険かどうかなんて聞いてたっけ?」
「気になるんだろう? 俺もハマった経緯は似たようなものだ。まぁわからんではない。お前のように力の強い奴は、子供の頃ほど妖怪に振り回されたろうからな。子供のおもちゃに妖怪の気配があるなら気にもなる。楠の奴はそういうのはわからんだろう。あいつは昔からうまくやっていたからな」
「そ、そんなことあるの?」
どう考えても楠君の力が弱いなんてことはない。
それなりに苦労しているんだろうなと思っていたのだが、満月の見解は違う様だった。
「そうとも。あいつはインドア気質なのにとにかく要領がいい。自分が作ったものを取り引き材料にして、大物と渡りをつけ、この不干渉地帯を作った。運もよかったんだろうがそう簡単に出来ることではない」
「! この変わった町の状況! 楠君が作ったの!?」
「そうとも。いや、もちろん完全に奴一人でやったわけではない。俺だって協力した部分はある。後は刀鍛冶の安綱先輩と……学校の理事長辺りは絶対関わってるな。このおもちゃにしたって資金繰りの一手に違いない……まったくよくやるよ」
「はー……」
杏樹は気の抜けた声を漏らすと、満月はククッと喉の奥で笑った。
「どうした? 今更驚いたか?」
「驚いたし……一周回って感心した。でもちょっと怖いかも。そう言えばこの間出会った陰陽師っていう人も、ずいぶん簡単に引き下がっていたし、楠君ってかなり特別な人だったりする?」
薄々はそう思っていたが、杏樹の指摘に満月は難しい顔で首をひねった。
「……奴は一般人ではある。だが普通ではないと言ったところか? だがここは神秘の薄れた現代で、最も神秘の濃い場所の一つとも言える。しかも楠が人為的に作り出した極めて特殊な状況だ。そう言う意味では特別だと言って差しさわりない。少し知っている人間なら気安く触れるわけもない。触らぬ神に祟りなしというやつだよ」
満月の言うことは杏樹だってよくわかった。
自分に都合のいい状況を作ってしまうと言うのは口にするのは簡単だが、そう簡単に出来ることではない。
それなのに楠君は今より昔から、それこそ子供の時から、妖怪も人間もまとめて巻き込んでこの不思議な町を作って来たというのか。
しかし相手にしているのはこの世ならざるものである。
それは杏樹にしてみれば、まるで渡ってはいけない境界を自分で壊しているようだ。
特にこのおもちゃは、その境界を曖昧にするのにうってつけだと感じた。
「このおもちゃ、本当に安全って言いきれるものなの?……蘆屋君の目から見てどう思う?」
おそらくは、とても力のある見える人側の満月に意見を聞きたかっただけなのだが、満月は自分の持っているフィギュアと杏樹を見比べてため息交じりに肩をすくめた。
「何を言う。鬼の入ったストラップを身に着けている奴がそれを問うのか?」
「それはそうだけど……」
反論しにくい指摘である。
ヒガンに比べたらこのフィギュアはきっととても安全に違いない。
「まぁ、ゲーム機がミサイルの材料になることだってある。危険がないものなど世の中には存在しない。要は使いようだ」
「使いよう……」
「このアヤバトにしても真に絆を育んだのなら、悪霊の類を退ける守りになっているものもある」
「……おおっと? まさかの効果まで」
「まぁらしいことを言っては見たが楠の奴にしてみたら大したことをしている自覚はないだろうな。奴はやりたいようにやって価値を示し、周囲が認めた。現状はそれがうまく機能しているだけの事なんだろう」
「うーん。それはそれで普通にすごい気がする」
楠君について知れたのは良かったが、蘆屋満月という名の彼の中でかなり楠君への評価が高いことが分かった。
妙に平和な楠君も杏樹の体験してきた日常とは別のベクトルで色々あるのかもしれない。
この後おもちゃ屋に戻ると。蘆屋満月を下したプレイヤーとして子供達に尊敬の眼差しを向けられたりしたのだが……それはそれとして有意義な時間だったのではないかと杏樹は思った。
ルールは守って楽しくバトル。
友情、努力、勝利を楽しむアヤカシバトルは、その言葉に何の偽りもないようだった。




