とある町の中華店
「ねぇ知ってる? おいしいって有名な中華料理屋さんがあるらしいよ?」
「……!!!」
それを聞いた僕、楠 太平は目を丸くした。
この近辺で評判になる中華屋など一件しかない。
神木さんも一体どこで聞いてきたのかと僕はハァとため息をついて、新品のプラモの箱とニッパーを机に置いた。
「よし……じゃあ神木さん。その中華屋に食べに行こう。奢るよ」
しかし有名店ならいつかどこかで知ることになるのは避けられない。
ならば僕は僕の責任として、すべきことがあった。
「え? いいよ。そんな今すぐに行きたいわけじゃないから」
「まぁいいから……夕飯にはちょうどいいでしょ?」
「う、うん。ありがとう?」
神木さんは訳が分からないと首をかしげながらカバンを持って来る。
そして僕は、知っている道順を思い浮かべて服装を正した。
いつかは案内しなければならないと思っていたから、話が出たのならちょうどいい。
もちろん僕にはそのおいしい中華料理店に心当たりがあった。
そろそろ帰宅ラッシュも始まるかどうかという時間帯、その店はいつも通りに営業中だった。
大きな看板に『花果山』とある鮮やかな紅と金色のお店は、田舎の料理店にしては妙に豪華な印象を抱かせる。
「おお、本格的だね」
「うん。本格中華の店だ。僕が小学生くらいの時にオープンしたかな?」
「へぇ。じゃあなじみのあるお店なんだね」
「……そう。ずいぶんなじみのあるお店で。お世話になっているんだ」
感心した風の神木さんを案内した中華店は、確かに町の一角にある何の変哲もない中華店である。
そしていつかは神木さんを案内しなければいけないと思っていた店でもあった。
町中に親しまれるリーズナブルな値段と、値段に釣り合わない極上の味が人気の店である。
しかし店の扉を開けたが最後、神木さんが突飛な行動をとることは僕には容易に想像できた。
ゆえに僕は一歩後ろから付いていき、その時を待つ。
そしてガラリと扉を開けた瞬間、叫ぶ寸前の神木さんの肩を僕はガッと掴んだ。
「……!」
「大丈夫。大丈夫。落ち着いてね」
とにかく叫ぶのはやめてね。他のお客さんに迷惑だから。
僕はなんて事のない自然な態度で軽く挨拶をすると、店主はニヤリと笑って奥へ行けとジェスチャーする。
僕はペコリと頭を下げて、神木さんの手を引くと店の奥へと入っていった。
まず僕は神木さんを個室の椅子に座らせ、水をコップに入れて持ってくる。
そして彼女が落ち着くのを辛抱強く待つことに時間を使った。
「まずは落ち着いてね? ほら、ゆっくり水も飲んで」
「……な、なんで」
「よし聞こうか?」
「なんで猿がこんなところで店を?」
「……」
やはり見破ったか。
うん。思った通りのポイントで驚いてくれて何より。
なんとここの店主は猿なのです。
とりあえず一回この件をやっておけば後はお店を経営する妖怪なんて早々いないので、ひとまず安心である。
後はしっかり説明するだけ。
僕も自分用の水を飲みほして喉を潤し、語る準備を整えた。
「よし。ではまず最初に君の目は間違っちゃいない。でもここは安全だから、そんなに驚かなくてもいいよ。それに……先生はそれはもう高名な方なんだ。ご機嫌を損ねると大変だからね?」
「高名な……猿?」
「うん。猿って言うのやめようか? まぁ怒んないとは思うけど」
事実猿なんだから仕方がないか。
つまり先生とは古い付き合いで、今もなお交流がある知り合いの妖怪なのである。
しかし親しき中にも礼儀あり、というか……。
「怒らせるとどうなるかわからないから、変なことは考えないように」
「そんなこと考えないけど。でも……そんなに楠君が言うほどなの?」
いつも以上に慎重に、そして丁寧に説明する僕に、神木さんもいつもと違う何かを感じてくれている様子だった。
「そうだよ? 真面目に格が違う大妖怪というか、山神様達がかわいく見えるくらいだからね? 心して?」
「そ、そんなに? ……わかった、気を付ける」
大切なポイントを押さえてもらえれば大丈夫。
基本的には気のいい中華店の店主は、特に神木さんのようにかわいい女の子には特に優しいことを僕は知っていた。
「まぁ。見ての通り気のいい猿なのは間違いないから、ほどほどにね」
「じゃあ、そんなに脅さなくてもいいのに……」
「重要なことだから念には念を入れてるだけだよ。まぁ、うん……確かにちょっと脅し過ぎたかもしれない。ごめんね」
ハハハと笑ってはみたものの、いやしかし全然オーバーではないから。
解説の前準備としてはちょっと足りないかもしれないと不安に思う僕である。
いったん僕はいつの間にか飲み干してしまった水のお代わりをもう一度持ってきた。
セルフサービスは正直助かる。
ここから先の話は少々舌が重くなるから、コップ一杯程度の水分ではしんどいところだった。
「そう……先生は30年前くらいにこの国へやって来た。大陸からだね」
「大陸って……そんな大物がなんで日本に? 何か特別な訳が?」
ゴクリと喉を鳴らす神木さんに僕はもったいぶって瞼を閉じるとその理由を口にした。
「いや、観光で。漫画とアニメに興味があったらしいよ」
「意外に俗っぽい理由でビックリしたなぁもう!」
神木さんがちょっとオーバーにリアクションして、恥ずかしそうに黙って座り直したのを見計らって、僕は重々しく頷いた。
「いやなんか……自分と同じ名前のキャラクターが大人気って話を小耳に挟んだらしくてね。手に入れて読んでみると、これが面白かったらしくって」
「……ん? 自分と同じ名前?」
「そう。それ切っ掛けで漫画を読み始めて、ドはまりしたわけだ。そこから他の作品に手を出すようになってね。中華料理が主題のアニメに感銘を受けて、料理を始めたんだって」
「ジャンルが手広い。それでなんでここで店を……」
そこではっとした表情になった神木さんは僕を見た。
「いやいやそこはほら、漫画が手に入れやすいから。僕はどちらかと言えば先生に見いだされた感じかも。声を掛けられてやってみたら出来た。そこはまぁさすがは神様系だなと」
「神様系なんだ……」
「僕は僕で……まぁ悪い気はしなくて。渡された石からこっつんこっつんと、当時の非力な腕力で頑張ったわけだよ。それでどうにかこうにか猿っぽい置物を作ってね。まぁ小学生の拙い工作だからアレだけど、その分純粋さはすごい。知識が浅いから日本猿になっちゃったのは正直申し訳なかった。だけどそこは幻術でごまかして一般人にはただのおやじさんに見えてるんだ」
「幻術で、見せかけてるだけだってこと?」
「そう。神木さんみたいに力が強いとバレちゃうね」
幼いとはいえ作品の落ち度は痛恨の極みだが、とはいえ当時の情熱のかなりを注ぎ込んでいる作品はへたをすれば今の物以上の力を秘めている。
実際未だに壊れていないところを見ると器としては十分強固で、人気店であるのなら味を感じる機能に問題はないようだった。
そこまで話すと、神木さんは目を丸くして水を持ったまま苦笑いしていた。
「……やっぱり楠君も一枚噛んでるんじゃないか。いや……そうじゃないかなって思ったけど」
どういう意味だい? いや、うん、まぁそう言う意味か。
実際、先生との出会いなんてとてもじゃないけど人に話せるような話ではなかった。
この町内には僕の少年期の思い出が多すぎる。
なんもかんも思春期が悪い。
でも僕は黒い歴史も大切にする派である。
「まぁ、何があったのかは割愛するけれども」
「うわぁ。めちゃくちゃ気になる」
「割愛するけれども……まぁ要するに。猿の置物でも、十分人間に店を開いて料理を提供できるほどの妖怪が……先生なわけだ。言っておくけど、本当にね? 先生に関しては迂闊なことは絶対にしてはいけないよ? 最悪……この星が真っ二つに割れる」
「え? それはさすがに意味が分からない」
「いや。あくまで予想でしかないけど……神様の能力は知名度に大きく左右されるんだ。その名が知れ渡れば知れ渡るほどに、力は大きく増してゆく。そして思い入れや、イメージも重大な要素だ。……先生は……そうだね……その名は若年層から、そこそこのご年配の方にまで知れ渡ってると思った方がいい」
「それだけ……古くからいるってことだよね?」
「いやそれは昔からいるけれども、今の支持層は若い子が多いんじゃないかな? ちびっ子にも大人気」
「……」
「大人にだってファンはいるとも。話題性でいえば今やワールドクラスではないだろうか? その上元から闘いの印象が強かったのに、最近はそれこそ戦闘力が宇宙規模なんだ。正直本気になったらどれだけやばいのか……計り知れない」
「……」
ここまで話して、なんとなく神木さんも思い当たる名前が出てきたようだ。
「……ねぇ。……その『先生』ってひょっとして」
「そうじゃない。……そうじゃないってことにしておいて」
「うん……わかったよ」
そう、まぁその名前を早々出していい人物ではないとだけ言っておこう。
彼ほどのビックネーム、名前が出るだけでスキャンダルもいいところだ。
何年もいるし、店なんて構えちゃいるけれども神様感覚では瞬く間の一瞬、あくまでバカンス中である。
そこはマナーを守って、楽しく過ごしていただくことが誰にとっても幸せだった。
「そういうわけで、縁が出来た先生とはちょこちょこ交流を持っていてね。この間の満漢全席なんて、手ほどきもしてもらっているわけなんだ」
「ああ! だから先生なんだ! この間の宴会の料理も!? そりゃあ……ある意味すごい経験をしてしまったのかもしれない」
「そうだろうとも。今日も期待していいと思うよ」
実際先生の料理はすごい。僕と出会ってから十年以上試作に励んでいる情熱と、そのぶ厚い歴史のバックボーンによって支えられた知識の数々によって、料理の腕も既に一級品である。
僕らはメニュー表を広げ、じっくりと今日食べるメニューを選ぶ。
さて町一番の大物について紹介できたので、僕の肩は極めて軽かった。
では、おいしく今日の料理をいただくとしよう。
「あっ……」
そんなことを考えているとメニューの向こうの神木さんの声が漏れ聞こえた。
なんとなく嫌な予感がしたのだが、聞こえてしまったのなら反応してしまったのも仕方がないことだろう。
「どうしたのかな?」
「じゃぁ……あのチャイナドレスは」
「!?」
とたん忘れていたことを思い出して、ブワッと僕の背中から冷や汗が噴き出した。
神木さんの中で、今どう転んでもいやな連想が生まれようとしているのではないだろうか?
忘れてくれていなかったか、いや、そりゃそうだ。
どうすればいいんですか先生教えてください。
「アレは違うんだ! アレは違うんだよ……アレハ…………そう、僕の趣味ダヨ」
「……………そうなんだ~」
ああ、神木さんが反応に困っている。
僕だって反応に困っているのだからそれは仕方がない。
この町の人気中華店。
その店主は形にもとりあえず拘ってみたりするおちゃめな謎の店主なのである。




